昨日は、ミューズ・クリエイションのメンバーと、今年最後の慈善団体訪問を行った。行き先はバンガロール唯一のホスピス、KARUNASHRAYA (THE BANGALORE HOSPICE TRUST) 。
わたしはミューズ・クリエイション結成前の2010年、結成後の2014年に訪れており、今回で3回目。メンバーは全員が、今回初めての訪問である。
このホスピスの概要については、すでに過去の記録で詳細を記しているので言及しない。ただ、新しくなった情報ほか、今回、心に刻まれたことを、記しておきたいと思う。
まずはカンファレンスルームでスタッフの一人、ジョルジオから30分ほどのオリエンテーションを受ける。
彼の口から最初に出たのは、Palliative Care。緩和医療。ホスピスとは、緩和医療を行う場であるということ。
インドの病院では、治療をしても回復の見込みがない患者を入院させ続けることはなく、退院させるのが一般だ。つまり、重病人の世話の一切を、家族が行うことになる。それは当然ながら簡単なことではなく、たいへんな試練だ。
このホスピスは、末期癌の患者を、無償で受け入れている。
少しでもQuality of Lifeを高く保ち、Dignity、すなわち病に苦しむ人の尊厳を守るための手助けをする。
日本語に訳するのに、一言で言い表せない英単語はいくつかあるが、その中でもわたしが「英語」の方を大切に思っている単語がある。
その一つが、HOME。もう一つが、LIFE。
HOMEには、家、家庭、という意味以外にも、拠点、拠り所、故郷、本拠、養護施設……といった意味がある。
LIFEには、生命、人生、寿命、生活、暮らし、活力……といった意味がある。
どちらの言葉も、生きるに不可欠な意味を包摂している。
LIFEの質を尊重するとはどういうことなのか。概念を理解するのは簡単だが、それを実際に、自分や自分の周囲の人にあてはめて、実現することは、決して簡単ではない。むしろ、とても難しい。
過去の記録にも記したが、ここは、患者を肉体的、精神的な苦しみから解放するための、手助けをする。身体を清潔に保ち、鎮痛剤を施す。適切な食事を与え、身体の苦しみを和らげる。
同時に、専任のカウンセラーによる言葉のやりとりを、行う。カウンセラーはまた、患者の家族に対しても、丁寧に、患者の残された時間について、話し合う。
ここはまた、LIFEについて学ぶ場所、でもあるという。
How long do we live ではなく、How do we live.
何年生きるか、ではなく、いかに生きるか。
一人で苦しみながら死ぬことは最大の恐怖。だから、LIFEを祝福しながら、最後のときを迎えて欲しいのだ、と、ジョルジオは話す。
★ ★ ★
このホスピスが誕生して以来、21年間。18,000の命の終わりを、このホスピスは見守ってきたという。ここで亡くなる人もあれば、一度自宅に戻り、そこで息をひきとる人もいるという。
以前の訪問時よりも病室は増えており、現在は75床。常時95〜100%が占有されているという。
ホスピス内での治療だけでなく、日々3つの医療チームが、患者を抱えるお宅、約20軒を訪問して、投薬をするなどケアをしている。
このホスピスで働く人は、現在、計130名。80名の看護士、7人のドクター、6人のカウンセラー、そのほか、料理人、庭師、ハウスキーパー、受付などのスタッフ。
年間6千万ルピー、即ち1億円ほどの維持費がかかるというこのホスピス。その大半が、個人からの寄付によって成り立っているという。
ちなみに看護士は、このホスピス内でも半年のトレーニングプログラムを組んでいるという。その間、食事と部屋を無償で提供される。半年経ち、トレーニングが終了したら、月給も与えられるという。
今回は、寄付金を託すだけでなく、初めて、ミューズ・クワイアが歌を披露した。全部で5曲。
部屋から出られない患者さんも多数いらっしゃる。だから、なるたけ、うるさくないように、けれど、それぞれのお部屋に届くように、歌った。自分で歩いて、部屋から出てきてくれる人もいた。
途中で、包帯でぐるぐるに巻かれた青年らしき患者さんが、車椅子を押してもらい、外に出てきてくれた。胸が詰まって、歌い続けるのが難しかった。
★ ★ ★
老若男女、関係はない。
命の終わりは、誰のそばにもある。ホスピスは、特別な場所ではない。癌以外の疾患も、世の中には無数にあって、日々、どこかで誰かが、痛み、苦しんでいる。
自分や、自分の家族が苦境に立たされた時に、どう在るべきなのか。心の準備は、日頃からしておくべきなのだ、ということを、改めて思う。
カウンセラーの仕事がいかに大変か、ということは、想像に難くない。専門の勉強をしたうえで、さらに、人としての心の強さが望まれるのだろう。
わかってはいる。その上で、ジョルジオに尋ねた。カウンセリングの際に最も大切なのは、なんなのか、と。彼曰く、
Listening。聞くこと。
Not being judgmental。批判しないこと。
この二つの言葉は、ぐさぐさと、心に突き刺さった。難しい。極めて難しい。でも、心に刻んでおくべき言葉、だと思う。病気の相手に対して、だけではなく、日常生活においても。
一年の終わりにまた、しみじみと、考えさせられる、貴重な1日だった。訪問させてもらえて、よかった。
ぜひ、過去の訪問時の記録にも、目を通していただければと思う。そして以下、いつものように、参加したメンバーからの感想も添付しておく。併せて読んでいただければと思う。
■無償のホスピスを訪れ、終末期医療に思いを馳せる (←Click)
■緩和ケアに関する日本語のサイト (←Click)
【感想01】
はじめてのホスピス訪問でした。施設や運営について、資金から人材のことまで、事細かに説明していただき、非常に勉強になりました。
話を伺っても、施設を継続することはとても大変なことだと思いましたが、施設内はとてもきれいに整っており、対応していただいたスタッフの方、働いている方が皆さんの印象が良く、いい環境が整っている場所だなと感心させられました。
あの場では涙が出てきそうになり、あまり深く考えることができませんでしたが、伺った話を胸に、どう生きていくかということを自分なりにもうすこし考えてみたいと思います。ありがとうございました。
【感想02】
バンガロール唯一のホスピスは、清潔で明るく、緑に溢れた優しい雰囲気の場所でした。正直、まるでリゾートの様だと思いました。施設概要を説明してくださったスタッフから、いかに生きるか?と問われました。日本の介護施設で働いていた時も「いかに生きるか。」「残された時間をどう過ごすか。」がテーマでした。
高い志を持ち続ける事は簡単ではありません。しかし、誇りをもって施設、在宅、貧富を問わず多くの患者と御家族のケアをしておられる事に感心しました。大小の寄付も有効に用いられ、さらに看護師らへの教育、給与の形で使われているそうです。
帰国後を見据え、仕事復帰を考えている中で、人のお役に立てる仕事をしたいと、改めて思わされました。今回も貴重な訪問の時を持たせて頂き、ありがとうございました。
【感想03】
ホスピス訪問は日本も含めて初めての経験でした。終末医療という重いテーマのため、重い空気のイメージを漠然と持っていたのですが、施設は静寂ではあるものの、光と開放感をふんだんに取り入れた場所でした。病室のドアは上半分のみ開閉できるようになっており、開け放している部屋が多かったです。外界との接触を絶たないようにという配慮なのかなと思いました。
スタッフの方も我々に誠実に説明をしてくださり、患者さんのために努力する事を惜しいと思わない姿勢が感じられました。こういった姿勢があってこそ、終末医療のこの現場で絶望や焦燥の雰囲気ではなく、滔々とした静寂が保たれているのだろうと思います。
我々がパフォーマンスを始めると聞きに来て下さる方々もいらっしゃり、動ける方もそうでない方も、非日常を感じていただけたのなら嬉しいと思います。
【感想04】
バンガロールで唯一のホスピスを訪問。日本でもまだ訪れたことがなく「ホスピスってどんなところだろう?」と思いながら参加しました。
施設に足を踏み入れるとインドとは思えない静かさでとても気持ちの良い環境でした。ゆっくりと穏やかな時間が流れているように感じました。ここで最期のときを過ごせることは本人も家族にとっても幸せなことではないだろうかと思いました。
医師や看護師、スタッフの方々は大変ご苦労されてるはずなのに、それを感じさせない生き生きとした姿が素晴らしかったです。歌を披露した時、何人かの方が部屋からわざわざ出てきて聴いてくれたことがとても嬉しかったです。私たちの歌声で少しでも癒されてくれてたらいいなと思いました。
もし私が病気で最期を迎えるとするならば自分の意志を尊重してもらえるホスピスを選ぶことでしょう。今回もまた貴重な経験をさせていただき有難く存じます。今後の生き方・家族との接し方等をあらためて考える機会にもなりました。ありがとうございました。
【感想05】
ホスピスを訪問し、まず施設の環境の良さに驚きました。飾り気はないものの清潔感があり、緑豊かで、そして静かで水音が聞こえていました。スタッフのオリエンテーションで、ここホスピスは無償で、病名に関わらず終末期の患者さんを受け入れ、告知されていない方もいらっしゃるとのこと。
日本では癌又は後天性免疫不全症候群であり、告知を受け、自らの意思でホスピスを選択する。勿論、無償ではない。こういった違いがあることで、患者さんへの接し方にも違いがあるかを知りたく質問してみた。患者さん一人ひとりの考え方やニーズを尊重し、痛み(身体的・精神的・社会的・霊的)の緩和ケアを行ないながら、その人らしく最期まで生き抜く事が出来るように支援していくと答えは日本のホスピスの理念と同じであることを確信し、今回、気持ちを込めて披露させてもらった歌声が患者さんの心に響き、少しでも穏やかな気持ちになって頂けたならと願います。
最後に今回の訪問でのオリエンテーションが英語であった為、充分理解出来ず、又質問すら出来なかったのに対し、要約し、しっかり説明して下さり質問も代わりにして下さった美穂さんには本当に感謝しております。お陰様で今回も貴重な経験をさせて頂く事が出来ました。ありがとうございました。
【感想06】
なかなか都合が合わなくて慈善団体への訪問することができず、久しぶりの訪問となりました。ホスピスを訪問するのが初めてだったこともあり、有意義な経験をさせていただきました。事前にみほさんのレポートを読んでいて、施設の環境が整っていること、心のケアに努めていることはわかっていたのですが、実際訪問してみて施設の清潔さや自然を感じられる作り、施設の方々の姿勢に感嘆しました。
皆さんに歌をとどけられたこと良かったです。音楽は感動や何かが変えられる力があると考えています。歌を通して患者さんや施設の方々に何か感じて頂けたらと思います。
こういった場所で歌える機会が増えればいいなと思っています。自分にできることをしていくことが必要だと強く実感しました。そして、このようなホスピスが増えることも願っています。
【感想07】
今回のホスピス訪問は、患者さんと交流するのではなくスタッフの方の話を伺い、「見学者」という立場で終わってしまったが、勉強になったこと、納得できたことはたくさんあった。
私の祖父母は癌で他界し、最近元同僚や同級生も若くして癌になり、どう接していいのか迷っている最中でもあったので、いろんなことが頭を駆け巡った。ジョルジオさんが言っていた「どのくらい長く生きるか」よりも、「どのように生きるか」、が大切で、そのためにも患者と家族には心のケアとしてカウンセリングを重視し、話しかけることよりも、彼らの言葉に「耳を傾けて聞く」ようにしている、ということ、また、家族と接する時には「あなたがもっとちゃんと世話をしなくてはいけない」というようなことは言わないこと、重病人の身の回りの世話は実際とても大変で、特に家族全員が稼ぎにでなかればいけない貧困層では負担が大きいこと、患者が抱えている傷みを理解しようとすることが大切、ということが心に残った、というより、心にしみた。
私の母方の祖父は今年で98歳。時々「俺も長く生きすぎちゃったかな。」と冗談のように言うが、それが本音なのだと思う。今でも自分で身の回りの世話はできるが、祖母は先に他界し、同年代の友人は年々少なくなり、残っている友人も痴呆か病気で施設に行ったまま、同居の家族も忙しくて、筆談でしか意思疎通できない今では、話相手にもなってくれない。かといって以前のように畑作業を一日中できるわけでもない。まさに、quality of lifeのことを言っているのである。
周りの親戚には同居の嫁(私の祖母)がもう少し面倒を見てやればいいのに、という人がいるが余計なお世話だろう。実際、叔母は祖父を含め4世代8人分の家事、子守、学校の送り迎えを一人でしているのだ。温厚そうに見える祖父も頑固で、叔母が 部屋の掃除を勝手にすると怒るという。家族の負担というのは周りからは見えず、ましては自分で実際に一緒に住んで世話ができないのであれば、批判すべきでないと思った。一人が風邪をひいたら家族総出で病院に付き添うようなインドで、末期ガン患者の世話を家族(特に嫁)がしなければいけない、というプレッシャーは相当なものだと想像できる。ましては貧困層では介護専門知識も経済力も乏しいだろう。家族を思いやる気持ちだけでは、患者も家族も共倒れしてしまう。
このホスピスはそうした現状に応える非常に大切な施設だ。この先インドでは平均寿命も伸び、生活スタイルの変化によって現代病も増え、医療の発達で日本のようにただ生き伸ばされている患者も多くなるだろう。社会保障が手薄いこの国で、寄付で運営されているこのホスピスや、home of hopeのような施設はもっと必要とされてくると思う。
私は、気性が荒くて医者嫌いで、癌末期なっても一人で頑なに酷い生活をしていた父方の祖父の姿が、忘れられない。でもあの時は両親も私もどうやって接していいのかわからず、性格の問題、として、腫れ物に触るようにしか見れていなかったように思う。このホスピスのように心のカウンセリングを受けられていれば、祖父の最期に違った関わり方ができたのかもしれない。
祖父の最期と両親の苦労を思い出すと、インド人に嫁いだ(しかも長男の)嫁の私が、超寂しがりやで病院も付き添いがいないと行けない義母を将来どうやって世話したらいいのだろう、(介護制度もないこの国で)最期を迎えたいと言っているし。。。。と正直かなり不安であった。実の両親よりも優しくしてくれ、外国人の私に相当な理解を示してくれる、この義父母にでさえ同居中にイラっとすることもあるのに、彼らが病気になって身の回りのことができなくなった時、私は愛情を持って最期まで接することができるのだろうかと。でもジョルジオさんの話を聞き、心のケアまでしてくれる場所があると知り少し心が軽くなった。
インドでは未だに家族以外の第三者が患者の最期の世話をすることに反発が多いようだが、家で病人や老人が粗末に扱われるよりは、こうしたホスピスとの関わりを通して、
次の世代が、死を迎えることの意味、人間の尊厳を学ぶ、経験することが大切だと思う。農家で3世代、4世代同居が当たり前の環境で育ってきた母曰く、「代々老人を大切にする家はその習慣が続いているし、粗末に扱う家は大体次の世代も同じように老人を扱う、結局子供というのは親が祖父母を世話したようにしか、自分の親も世話できないもの」らしい。
そういう意味でも、このホスピスは患者が亡くなったら終わりではなく、残された家族、次の世代にとって重要な存在だ思った。