昨日、ミューズ・クリエイションのチーム・エキスパッツ主催による「第1回ビジネス勉強会」を実施した。
ミューズ・クリエイションを結成して、この6月で早くも5周年。創設当初から活動しているチーム・ハンディクラフトやミューズ・クワイア&ダンサーズを擁する通称「昼組」の活動とは別に、当地で働く人々による「チーム・エキスパッツ」が本格始動したのは昨年2016年のこと。
対外的に活動をアピールしたのは、昨年6月に開催された日本人会総会パーティにて、『バンガロールにおけるゴミ問題』のプレゼンテーションをしたのが最初だった。
以降、ミューズ・チャリティバザールのサポートや、メンバー内での座談会などを実施してきたのだが、今回は、新企画である「ビジネス勉強会」を実施するに至った。
メンバー内での企画打ち合わせの段階では、いろいろな意見が挙がったが、ひとまずは規模を大きくしすぎず、バンガロールで実績を上げられている方のお話をお聞きする会を設けることにした。
今回、記念すべき第1回をお願いしたのは、横河インディア社長の村田努氏であった。旧ソ連、モスクワ駐在経験をお持ちの村田氏がインドに赴任されたのは、2007年1月。ちょうど10年余り前。わたしがインドに移住した時期とあまり変わりない、バンガロールの古株である。
チーム・エキスパッツのリーダーが村田さんへ打診したところ、快く引き受けてくださり、このたびの「村田努氏を囲む会」が実現したのだった。
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当日は、エキスパッツのメンバー8名を含め、計25名が参加。外部からは、メンバーが懇意にしている方々から参加を募った。駐在歴、バックグラウンドもさまざまな方々だ。まずは参加者に、簡単な自己紹介、そしてインドで一番驚いたこと、を一言ずつ発表していただく。
「カレーしか食べられないかと思ったが、いろいろな食事が食べられて驚いた」とか「お湯もでないかと思っていたのに、すごく便利」「すでに順応したので思いつかない」という女性陣あれば、「トイレットペーパーがないのに驚いた」「インドに慣れたと思った矢先、住宅街の角を曲がって牛に出くわして驚いた」という男性陣。
「カレーがおいしくて毎日食べていたら、10キロ太って本社からインド要員に認定された」という人がいる一方、会社の話はそこそこに「カレーを極めたくて来た。毎日カレーを食べ続けたら、ある日突然、気持ち悪くなって食べられなくなった。現在はラッサム(南インドの辛いスープ)を極め中」という人もいる。
読み書きができない職場のハウスキーパーが、しかし5つの言語を流暢に操れるのに衝撃を受けた人、インド人の極めて主観的かつスローな時間の感覚に辟易している人、飛行機内の「肘掛け争奪戦」で消耗し、今や諦めの境地に達している出張多き人……。
インドに演奏旅行へ来て、当地で働く日本人と結婚することになって驚いたミュージシャンもいれば、「インコ占い」をしてもらって、お金には困らない、嫁は2人、との結果を得て驚いた人あり。1年8カ月前に赴任したものの、現地法人閉鎖でまもなく帰任されるという無念な人もいる。
話の端緒を聞くだけで、参加者それぞれのエピソードを聞き出したくなってくる。興味深い。
自己紹介で場が和んだ後、いよいよ村田さんのお話。最初に、横河電機(横河インディア)の概要、業務内容などのプレゼンテーションをしていただく。
1987年にインドに進出してちょうど今年で30周年。現在は、社員約1600名、年商約140億円。社員はほとんどがローカルで、マネージメントは村田さんを除く「ほぼ100%」が現地化。村田さん以外の日本人は、エンジニア、生産部隊の数名だとのこと。
横河インディアが主に手がけるのは、製油所などのプロセス産業で使われる圧力伝送器といったセンサ類や制御システム。家電にも使われている「サーモスタット」のダイナミック版、とでも言おうか。
家電であれば、サーモスタットのクオリティが、安全性確保の役割は当然として、どれほど電気代を上下させるか、見極めにくいところである。
しかし、製油所となると、ちょっとした温度差でコストに大きな影響が出る、というのは、スライドを一瞥するだけでも想像でき、大いにうなずけるところだ。わかりやすく整理されたスライドは、非常に興味深い。
質疑応答は最後の予定だったが、村田さんが、「話している最中に、いろいろと質問など投げかけて欲しい」とおっしゃったこともあり、参加者は、序章から、やや専門的な視点からも含め、積極的に質問される。
日本人の会合の場合、質疑応答が少ないというのが一般的なところなので、それを懸念していたのだが、ご自身の業務と照らしての具体的な質問をされる方も数名。活発なやり取りを見ているだけで、こちらはもう、終わる前から「やってよかった」と、うれしい気持ちになってくる。
参加者はそれぞれに、感じ入るポイントはあったと思われるが最も関心が集まったテーマの一つは、マネージメントの現地化だろう。特に、日本担当を受け持つインド人エンジニア200余名から構成されるJ-Teamの存在だ。
1994年より運用開始されたというJ-Team。日本国内のプロジェクト向けにエンジニアリングを実行する部隊で、カスタマー対応、ドキュメント、情報交換、すべてにおいて「日本語で対応する」とのことである。これは、日本の横河電機本社と連携した人材育成プログラムを応用しているとのことで、導入研修1週間に始まり、日本語研修約4カ月、基礎教育約3カ月、OJT約1年……と続く。
わずか4カ月の日本語研修で、日本人と問題なくビジネスのやりとりができるようになる語学力が驚異的だ。わたし自身はこれまでも、インフォシスや、在バンガロールの日系企業で働くインド人の、日本語習得能力については聞き及んでいたので、既知の情報ではあったのだが、それでも改めて、感嘆させられる。
彼らにとって、英語から日本語に移行することは、制作する資料を「エクセルからパワーポイントに移行する」くらいのカジュアルなものである、とも村田さんはおっしゃる。つまり、日本人が思うほど、さほど大そうなことではない、ということだ。
インドで働くにおいての、良い点、悪い点。マネージメント層を採用する際の苦労など、村田さんの個人的な視点による経験談はまた、示唆に富んでいる。
たとえ業種やバックグラウンドが異なっているとしても、参加した人それぞれが、それぞれに、ぐっと心に刺さる言葉を受け止められたに違いないと、切に感じられた。
日本人がインドで仕事をするのは、どれほどにたいへんなのか。インフラなどの周辺環境に加え、人材の問題。人それぞれにケースは異なれど、大小の問題を抱えながら、それぞれに、取り組まれているのだろう。
後半は、質疑応答もさらに活発化。ご自身の経験などに照らしつつ、「わたしはこう思う」「いや、僕のところは違って……」という感じで、相手に迎合しすぎない言葉が交わされたのもまた、ストレートで、とてもよかった。
議事録を取っていたし、録音もしている。今、綴りたいことは、実は尽きないのではあるが、ただテープ起こしのように書き連ねるのは本意ではなく、ポイントをきちんとまとめるべきだと考えている。
今後、この「ビジネス勉強会」を継続するに際しては、成果をどのような形に残していくかも含め、改めてメンバーと相談し、参加者の感想などにも耳を傾けながら、まとめていきたいと思う。
一つ一つの記録が、多分、貴重な財産になると思われる。それをいかに発現するか、が問題だ。
そういえば、わたしがインドに来て一番驚いたことを、発表し損ねていた。
わたしがインドに来て、一番驚いたのは、多くの日本人駐在員やその妻が、「インド人を見下している」ということが、あまりにもスタンダードだったということだ。
それは、米国に住んでいた10年間の間には、一度も感じたことのない違和感と衝撃だった。このころの気持ちを、今思い出すに、驚き→戸惑い→怒り→呆れ……から、最後にはもう、同じ日本人として情けなさや哀しみ、残念さに至ることもあった。
確かに問題は多々ある。わたしだって、しばしば憤慨していたし、問題に直面していた。しかし、何かが根本的に違った。
あなた方はこのインドに、なにしに来ているのか。仕事をさせてもらいに、来ているのではないか。お金を稼がせてもらいに、来ているのではないか。
さらに言えば、自分の英語力不足による意思疎通の欠如、であるにも関わらず、原因はすべてインド人にあるかのように、相手を責める態度。
今自分がしている同じようなことを、日本に住む外国人からされたならば、どう思うか。「来てくれと、頼んでないから」「そんなに文句があるなら、帰れば?」と思わないか。
当時のブログには、そのようなことを、折に触れて書いていた気がする。
わたしの伴侶がインド人であることをして、屈辱的なことを言われることも、多々あった。日本人会総会パーティや賀詞交換会などで、夫が日本人駐在員から「上から目線」で話しかけられるのを目撃しては、心が波立った。
日本人として、恥ずかしく、夫に対して、申し訳ないと思うこともあった。無論、わたし自身が夫のことを面白半分に語るのとは、かなり事情が違うのだ。
無礼な態度は、当然、相手にも伝わる。夫はもちろん、無礼な扱いを受けていることをを察知してはいたが、意に介していないところに救われたこともあった。
インドは広い。インド人は多い。そして多様だ。
自分が関わっているインドが、自分の見知るインドが、インドの全てではない。
異邦人にも関わらず、「評価する側」に立っている自分は一体、何様なのか。その点を常に意識していなければ、謙虚さがなければ、本質を見失う。
さて、勉強会終了後の親睦会がまた、格別に楽しかった。村田さんとは久しく面識はあるものの、ゆっくりとお話しするのは、多分これが2度目。パーティなどで軽く立ち話……ということは、我が夫を含め、幾度かあるのだけれど。
忘れられないのは、天皇皇后両陛下がインドにご来訪された折、お茶会に招かれて、チェンナイへ赴いたときのことだ。
村田さんご夫婦とわたしは、お茶会のあと、興奮冷めやらぬ中、たまたま同じホテルに泊まっていたこともあり、ディナーをご一緒したのだった。あのときのエピソードを思い出して語るだけでも、話題が尽きず。
どれほど村田さん夫妻とわたしが緊張し、会場のホテルに「超前倒し」で訪れたか、それをして、我がインド人であるところのわが夫が「日本人の時間の感覚、理解不能」と呆れていたことなど、思い返すだにコメディのようなエピソードが回想される。
ともあれ、飲み、食べ、大いに語り合い、初対面の参加者のみなさんも、それぞれに会話に花を咲かせているご様子で、本当に楽しまれていた。
帰り際に、若きビジネスマンらが「視野が広がった」「グローバルな気分になれた」と言葉をくれたのが、またしみじみと染み入った。個人的には、特に若い人たちに向けては、その点を常々伝えたいと思っていることなので、それが間接的に伝わっていたとしたら、すばらしい。
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それにしても、終わって今思うのは、もっと多くの人に聞いて欲しかった、ということ。
とはいえ、多すぎると、打ち解けた雰囲気が育めず、積極的な意見交換が難しくなる。そういう意味で、今回の25名は、理想的な人数だったようにも思える。
ともあれ。これまでやりたいと思ってきたことの一つがまた、形になった。
折に触れて、わたし自身が実施しているところのミューズ・リンクスのセミナーなどでは、数時間語っても伝えきれず、伝えられる人数も少なく、ジレンマに陥ることはしばしばだ。とはいえ、あくまでも自分のビジネスだから、割り切れる。
一方、ヴォランティアとしてのミューズ・クリエイションの活動、特にチーム・エキスパッツの活動。ここにおける、わたし自身の役割については、これまでも戸惑うことは少なからず、あった。
しかし、こうして、メンバーと一緒に育んだ計画が具現化し、他の誰かに届いていることを目撃できると、たちまち、迷いは払拭される。小さいところからコツコツと、着実に伝えることも大切なのだということを、改めて思う。
メンバーは移り変われども、賛同してくれる人がいる限りは、これからも第2回、第3回と、種を蒔くように、続けていこう。
自分たちが蒔いた種を、誰かが発芽させ、開花させ、種子を育み、またどこかで、蒔いてくれるかもしれない。
なお、今回の勉強会の成果をどのような形で記録に残すかは、後日エキスパッツのメンバーと相談し、改めて取り組む予定だ。
次回は工場見学を、ぜひよろしくお願いします!!
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天皇皇后両陛下ご拝謁の感動を改めて思い出した昨夜。ミューズ・クリエイションの活動をして、皇后陛下に「すばらしいですね。がんばってください」とお声をかけていただいたとき、わたしは、がんばるのだ! と心に刻んだことを、改めて思い出した。
呆れるほど長い記録だが、我が人生において、もっとも緊張し、興奮した体験でもあり。改めてリンクをはっておこうと思う。ここで登場しているM夫妻こそが、村田さんご夫婦だ。
▪️天皇皇后両陛下御拝謁を巡っての、極めて個人的な記録。 (←CLICK!)
今、読み返してみて、3年半前の感動をつぶさに思い出す。
「国際親善の基は、人と人との相互理解であり、そのうえに立って、友好関係が築かれていくものと考えます。国と国との関係は経済情勢など良い時も悪い時もありますが、人と人との関係は、国と国との関係を越えて、続いていくものと思います」
天皇陛下のお言葉を胸に刻み、わたしもまた、自分ができる、ささやかな活動を、ひとつひとつ、丁寧に行っていこう。