7月19日水曜日、慈善団体のNew Ark Mission ~Home of Hope~を訪問した。
わたしがここを訪れるのは、今回で5回目、ミューズ・クリエイションを結成してからは4回目だ。訪問先のNGOの中では、最も衝撃度が高く、赴くのに勇気を要する場所でもある。
訪問回数を重ねてなお、億劫な気持ちを拭えないのだが、インドの一側面を知るに、稀有な体験ができるこの場所へは、ミューズ・クリエイションのメンバーにもぜひ訪れてほしい場所の一つであり。
「メンバーを引率する」という名目があるからこそ、わたしも来ることができているように思う。
オート・リクショーのドライヴァーだったラジャ、通称「オート・ラジャ」と呼ばれる創設者が、このニューアーク・ミッションを立ち上げたのはちょうど20年前。
自らストリートチルドレンの一人だった彼が、紆余曲折を経て、改心。路上で瀕死状態のホームレスの人々を、拾い上げ、家に連れて帰り、世話をしたのがはじまりだ。彼のこと、そして同団体のことについては、過去の記録に詳細を記しているので、ぜひ目を通していただければと思う。
【過去の訪問記録】
■希望の家。希望ある死。無口な人々の終の住処。(2011年1月)
■みなそれぞれに、ハードルを乗り越えて、 希望の家へ。(2013年10月)
■その「愛」はどこから? 生と死が渦巻く場所で。(2015年8月)
■身よりなき子らと遊ぶ週末。「端緒」としてのミューズ。(2016年3月)
毎回、訪れるたびに、規模が大きくなり、建物も整っているが、今回は入り口がしっかりとした作りになり、まるでアミューズメントパークのようになっているのに驚いた。
寄付された建材などを使い、自分たちで建設したのだという。また、現在、規模拡張のための工事も進められている。今720名ほどを収容しているが、近い将来1000人、長期的には3000人を収容できる規模にしたいのだという。
この20年の間、一食たりとも欠かすことなく、人々に食事を与えられているというのは、神のご加護であると、訪れるたびに口にするラジャ。しかし今回の彼は、いつになく、元気がなかった。
理由の一つは、収容されている人が、快適とはいえない状況にいること。彼はまだ、決して満足しているわけではない。
いわゆる「死を待つ人の家」としての役割を果たすこの場所は、この日も朝のうちに3名が他界したという。毎日、誰かが死に、誰かが運び込まれてくる。彼は休むことなく、連絡があれば、瀕死の人を迎えに、自ら現場へ赴く。
収容された人は、傷の手当てを受け、身体をきれいにしてもらい、寝食を与えられる。しかし、多くの人が精神を患い、恍惚の人が多く、大半がここで死んでいく。そんななか、病んだ人の多くは、寝ている間に放尿し、そのことを厭わず、不衛生で、匂いが広がり、その状況に状況が悪くない人も、病んでしまうという事態なのだという。
状態のひどい人とそこそこに健康な人とを分けて収容すべく、今、新しいビルディングを、自分たちで建てているのだという。
1日3回、700人以上の食事を作る台所は、しかし前時代的。新しいビルディングのなかに、今よりは機能的な設備で広い台所を設置するのだという。
収容されている女性たちで、コンディションの悪くない人は、こうして作業を手伝っている。じっとしているよりも、働いている方が、心身によい影響を与えるからだ。
この日はいつもの通り、幼児たちと遊ぶつもりで道具なども持参していたが、ほとんどの子供たちが学校に通っているとのことで、身体に障害のある子供と、ほんの小さな子供が数名しかいなかった。
子供らの大半が学校に通えているというのは、いいことだと思う。敷地内を一巡した後、女性たちが収容されているエリアに戻り、歌を披露することにした。
個々人のコンディションにより、音楽に対する関心に違いがあるが、それでも多くの人たちが、座って、音楽に耳を傾けてくれる。スタッフから「もしも気分が盛り上がったら、踊り出す人もいるので、音楽を多めに流すかもしれない」と耳打ちされていた。
以前の訪問で、一度歌を披露した時に、一緒に踊りだした人がいたことから、わたしは最初から、JAI HO!を流し、踊るつもりでいた。ダンサーズのメンバーがわたしをのぞいて1人だけの参加だったが、それはそれだ。
ミューズ・クワイアは、「トゥモロー」「ドレミの歌」「エーデルワイス」を披露。すると、ビニル袋を持った女性がメンバーの傍に立ち、あたかもビニル袋が楽譜であるかのようなポーズで、一緒に「歌うふり」をしていたのが、微笑ましかった。
歌の間はじっと聴いていた人たちも、ダンスの音楽が流れだすと、リズムを取り始める人、立ち上がって踊る人たちが次々に。その様子を見て、スタッフの人が、続けて2曲、ボリウッドのヒットソングを流した。
この人たちは、この場所にたどり着くまで、いったいどのような人生を送ってきたのだろうか。一人一人の人生が、すさまじいものであったには、違いなく……。
今年で48歳になるというラジャはしかし、どこか屈託なくやんちゃな少年のような面影を残しているのだが、今回はいつになく、笑顔が少なかった。
そして、「僕はお金が欲しいのではない」という言葉を、何度か口にしていた。
もちろん、寄付金は多いに越したことはないはずだ。しかし彼は、自分が望んでいるのは、当たり前だが自分のためのお金ではなく、ここを運営するための諸々を購入するためだ、ということを、敢えて言うのだ。
そのような事情を、わたしは当然、わかっているし、今回初めて訪れるメンバーだって、訪れてみればわかることである。
にもかかわらず、
「ビルディングを拡張しているので、セメントなどの建材が欲しい」とか、「米や豆、調味料などの食品が欲しい」と具体的なことを口にする。
あえて現金を望まない彼の様子に、周囲から心ないことを言われたりもするのだろうことが察せられた。自らが日々休む間もなく尽力して20年に亘り運営してきたこの施設。
どんなにお金を積まれても、同じことができる人はいないと、彼の活動を知れば容易にわかる。事情をよく知らない人ほど、よくない噂を鵜呑みにしたり、ネガティヴなイメージを描くものだ。
思い込みで、軽やかに人の献身を踏みにじるような人は、ここを一度訪れるべきだと、心底、思う。
Home of Hope。希望の家。しかし、ここから元気に出ていくことができる人は、ごくごくわずかである。ここに在る希望とは、いったいなんなのだろう。今回も改めて、難題を突きつけられるような思いであった。
以下、いつものように参加者からの感想(経験の、貴重なシェア)を転載する。
《感想1》
・紹介のムービーを初めて見たが、オートラジャさんの行っている活動の凄さ、簡単に真似できることではないということを改めて感じた。
・ムービーを見た後、私には一体何が出来るだろうと思っていたら、オートラジャさんが毎日わたしたちのために祈ってほしいと言っていた。
・子どもたちとの時間を過ごす予定が、今回は子どもがほとんどいなかった。しかし、建設中の施設などを見学できた。
・3曲の歌をクラフトチーム含めメンバーで歌えてよかった。みんな座って聞いてくれた。楽譜を見ずに歌える曲があるといいと思った。(全員が主旋律で簡単にでも)
・Jai hoのダンスに合わせて女性たちも踊っていたのが印象的だった。3曲の歌のときと明らかに反応が違い、嬉しそうな女性が多かった。
・1時間半の滞在で短いようだが、自分を含め初めて来るメンバーも多いので丁度良いように感じた。
・過去のブログに、午前中に訪問する理由としてランチを挟むことによって気持ちを切り替えられるようにと書いてあり、ランチにも参加させてもらったがその通りだと思った。
・できるかはわからないけれど今後、ある程度計画的に慈善団体訪問できると良いと思った。(年間で何月はここという感じで、定期的に行けるように。)ミューズクリエイションの活動の中で慈善団体に直接足を運ぶということは大切だと思った。
・施設に住む女性はニコニコしてくれる方が多かったが、いざ目の前にした時どのようにコミュニケーションをとっていいか戸惑ってしまう部分があった。
・今回の訪問で自分の生活とかけ離れた人たちを実際に目の前にして、色々と考えることも多かったが、これからの日々の生活で少しづつでも出来ることをして、いつでも心の中にその気持ちを忘れないようにしていたいと思った。
《感想2》
私にとって2度目の施設訪問でしたが、入った瞬間から、前回のドミニカンシスターズとは異なる雰囲気。前回はスラムに住んでいるとはいえ、目を輝かせた子供たちが出迎えてくれたが、今回は違った。
中には笑顔で握手を求めてくる人やあいさつしてくれる人もいたが、表情がない人が多かったのが印象的。最初にみたビデオおよびラジャさんの話を聞いて、一生をここで過ごし、死を迎える人がほとんどだという言葉を聞き、なんともいえない気持ちになった。もちろん、路上生活のままで最期を迎えることに比べたら、この施設で3度の食事を与えられ、身体を洗うこともできることは幸せだと思う。しかし、彼らの人生には選択肢がない。それがどんなことなのか、自分に置き換えようとしても、あまりに現実離れしていて、想像することさえできない。彼らが笑えなくなるのも理解できた。
とはいえ、多くの命が助かったのは事実、ラジャさんのこの20年間の活動は並大抵のことではない。収容人数を、近いうちに1000人、いずれは3000人にしたいというラジャさん。ラジャさんと彼の家族もこの施設で一緒に住んでいるという。人生をかけて人のために尽くしている。これほどの情熱と行動力のあるラジャさんに直接お会いすることができ、今回訪問して本当に良かった。
施設の子供達が登校中で一緒に遊べなかったのは残念だったが、彼らが教育を受けられるようになったのは素晴らしいことだと思う。彼らがいずれ社会に出られるようになり、人生の選択ができるようになることを心から願っています。
《感想3》
皆さま、今日はお疲れ様でした。私にとっては初めての施設訪問、美穂さんからのお話やブログを読んで行く前から不安でした。門をくぐった時からたくさんの女性がいて、そして衝撃のビデオを見て…。施設の人たちに笑顔で接することができるか不安でした。でも実際に歌ったり踊ったりしたら、みんな(私たちも含めて)とても楽しそうだったと思いました。歌や踊りってすごいですね。次回は前もって歌の練習をしてから参加したいと思います。ありがとうございました。
《感想4》
私にとって初めての慈善団体訪問、しかも難易度の高いNew Ark Mission Of India 「Home of Hope」ということもあって、訪問する前はかなりナーバスになっていましたが、施設の門がまるでジブリの森の世界のようで、一瞬気持ちが和みました。
まず、中に入り事務室で活動内容のビデオを観ました。街角にうずくまっている人たちを抱きかかえてクルマに乗せて施設に連れて行き、身体を洗い、必要な人には手術をする、その迷いなき行動にはただ敬服しかありません。ラジャさんのお話だと、人数が増えてきて施設を増設するのでセメントなどの寄付がありがたいとのこと。寄付というとお金や食べ物と思っていたので意外でした。
子供達が学校に行っていて、不在だったので一緒に遊べなかったのは残念でした。途中、生後6カ月の女の赤ちゃんをスタッフの女性が抱っこして連れて来てくれました。その赤ちゃんはハンディキャップがあるので、生後すぐに捨てられたとのこと。赤ちゃんなのに、とても大人っぽく自分の運命を受け入れているような気がして、心が痛みました。
ラジャさんの「1日に1分でもいいので祈って下さい」という言葉が深く胸に響きました。産まれるところは選べません。私たちも、もしかしたらここにいたかもしれません。私に出来ることを、今後もしていけたらと思えた今回の訪問でした。
《感想5》
今回の感想を一言で表そうと思いましたが、無理でした。こちらの施設に訪問するのは初めてで、色々と衝撃があるということはある程度覚悟して臨みました。到着すると予想外にも可愛らしいイメージの門が立ち、車から降りるとすぐに「中にどうぞ~」と門を開けてくれて、温かく迎え入れてくれる雰囲気で少しほっとしました。(まだ集合していなかったので外で待ちましたが。)
施設概要のビデオは、日本で(インドでも)平和に暮らしていた私には簡単に理解し難い内容ではありましたが、実際に起こっている事を知ることが出来ました。
その後、大人の女性達と交流をしましたが、話しかけてくれたり、握手を求めてくれたり、一緒に歌ったり、踊ったりと、喜んでくれているならとても嬉しいなと思うと同時に、目の前にいる女性の背景を勝手に想像してしまったり、今現在こういった施設に出会えていない方がいるのかと思ったり、だからってなんかするのか?と思ったり、じゃあ私は薄情者か?車にトントンして物乞いする方になにか配り続けるのか?と、とても複雑な心境でした。
ただ、出来ることしか出来ないのは事実だと思うので、開き直って(という言葉は変かもしれませんが)出来ることだけやっていけばいいと思うしかないかと思い直している所です。またこういった機会には是非参加していきたいと思います。
《感想6》
Home of Hope訪問は今回が初参加でした。最初に事務所で見せていただいた、ラジャさんの活動をまとめたビデオは衝撃的な映像ばかりで、初めから心が重たくなりました。人間の生命力の大きさに驚きもしました。女性が暮らす施設内を歩くと、声をかけてくる人や握手やハグを求めてくる人、たくさんの方々が私たちに興味を示してくれました。その女性達の前で歌とダンスを披露すると、歌ったり踊ったりと一緒に楽しんでくれる方々がいて、とても嬉しかったです。歌ったり、踊ったりは言葉が通じなくとも共通でコミュニケーションを取れる素晴らしいツールだと感じました。今後、慈善団体訪問時にヒンディー語?カンナダ語?の簡単な歌を皆で歌えるようにしておければ、とてもいいコミュニケーションツールになるかと思います。
ラジャさんは更にこの施設を拡大させる計画をされているとのこと。さらに入居者も増える見込みのようです。ラジャさんのされている事は、お金をもらってでも到底できないお仕事だと思います。その一方で、この施設に入居しなければいけなくなってしまう人をどうすれば減らせるのかも課題かと感じました。一言では解決できない様々な問題を少し垣間見れ、色々と考えさせられました。問題は非常に深いと思います。ただ、今の私に出来る事は、慈善団体訪問や寄付などを通し、今、困っている方々が一人でも多く、一時でも笑顔になれるよう手助けをする事だと思います。今後もこういった機会には積極的に参加し、自分の出来る事を精いっぱいやりたいです。一人ではなかなかできない大変貴重な体験をさせていただきました。このような機会を設けて下さった美穂さん、ありがとうございました。
《感想7》
もっとも印象的だったのは、ラジャさんが私たち依頼した内容です。施設で生活する人たちに比べて、私たちは明らかに裕福です。そんな私たちにラジャさんか依頼したことはただひとつ、寄付ではなく祈りです。
「1日1分祈ってください」
この言葉が印象的で頭から離れません。ラジャさんが祈りをお願いした背景として、インド人が信心深いと言うことがあるでしょう。しかしもっと壮大な意味が含まれていると私は感じました。毎日祈ることで、この施設のことを忘れないでほしい。そして苦しんでる人を助ける精神を各自ではぐくんでほしい。そして行動につなげてほしい。それはこの施設に寄付することではなく、各自が自分のフィールドで行動してほしい。そういうメッセージだと私は思います。寄付は短絡的ですが、祈りには無限の可能性があるのではないでしょうか。
今回の訪問では英語で歌を3曲披露しました。今後はインドの歌を歌えるといいかなと思いました。また、私はインド舞踊を習っているので、インドの曲に合わせて踊ったら楽しんでいただけるのではないかと思いました。
最後に、今回の訪問はミューズ・クリエイションに所属しているからこそできたことでした。見て、聞いて、感じて、考える機会となり、いい経験ができました。
《感想8》
日本に住んで普通に生活をしていたら、知ることもなく気が付かなかったであろう体験をすることが出来ました。
とても恥ずかしいお話ですが、わたしがインドに初めてきたときに、道に人が寝ている(倒れている?)のに驚き、この人はただ寝てるのか、それとも倒れているのか、とても見てはいけないものを見たような気持ちでした。
しかしラジャさんはご自宅に連れて帰り、きちんとケアをして、今では大きな施設を運営し、1度の食事のロスもなく、更にもっと多くの人を助けようとしており、本当に同じ人間なのだろうかと疑いたくなるくらいの衝撃でした。
家に戻り、すごく反省したのが、施設に入られている女性達と交流する際、何人かの女性が我々に現地語で話しかけてきてくださった時のことです。
ある女性がハグをしてきたときに、少し私は腰が引けてしまいました。本当に恥ずかしく、後悔してるのですが、別に危害が加わる訳ではないし、ヨダレが付いたって、食べ物のカスが付いたってキチンと愛情いっぱいのハグをするべきでした。そこに居た人の幸せをもっときちんと心から祈るべきでした。
貴重な経験の慈善団体の訪問時、今後は相手は何を必要としており、自分は何ができるのかどうすべきなのか、もっとよく考えて参加するようにしたいと思いました。
★ ★ ★
メンバーからの感想を受けて、ひとこと。
物乞いに車のドアをノックされた時のために、車にビスケットを積んでおくことをお勧めする。1パック5ルピー、10ルピーの小さなものをいくつか。お金をわたすのではなく、食べ物を渡すようにしたほうがいいということを、わたしはインドに移住して2年後、ちょうど10年前に学ぶ機会があった。このころの経験が契機となり、自分自身が地域社会に目を向けるようになった。
以下の記録は、わたしが初めて、一人で慈善団体を訪問した時のものだ。わたしとて、慈善活動の経験などそれまで全くなかったので、一歩を踏み出すには、それなりに勇気のいることだった。読み返せば、初々しい。