8月3日、ミューズ・クリエイションのメンバーとともに、YASKAWA Indiaの工場を訪問した。その際の記録を残しておきたい。
●安川電機とは
YASKAWA Indiaの母体である安川電機は、1915年、福岡県北九州で創業以来、百年以上に亘り、電動機や産業用ロボット、インバータなど、エレクトロニクス、メカトロニクス関連の製品を数多く生み出してきた。
機械装置(メカニズム)と電子工学(エレクトロニクス)を合わせた和製英語であるところの「メカトロニクス」という言葉は、1969年に安川電機によって出願された言葉だという。
安川電機は現在、欧米、アジア、アフリカなど、世界二十数カ国に拠点を持っている。
インドの現地法人であるYASKAWA INDIAは2010年に創業された。しかし安川電機がインドとのビジネスを開始したのは、そこから遡ること30年の1980年。当初は、炭鉱の鉱山で用いられる機器、PLCの販売などを手がけていた。
YASKAWA INDIAの本拠地であるバンガロールでは、インバータの製造、販売、サーヴィスや研究開発などが行われている。一方、デリーの衛星都市グルガオンでは、ロボットの販売、サーヴィスなどが行われている。このほか、チェンナイやムンバイ、プネなどの都市にも販売拠点を構えている。
●工場見学の経緯
YASKAWA INDIAの現CEOである浦川明典氏に初めてお会いしたのは、ご夫妻がバンガロールに赴任されたばかりの、今からちょうど5年前の2013年8月。拙宅で実施したミューズ・リンクスのインドライフスタイルセミナーにご夫婦で参加していただいたときだった。その後、奥様はミューズ・クリエイションのメンバーになられた。
それまで、YASKAWA INDIAの業務内容については知る由のなかったわたしが、工場を見学させてほしいという思いに駆られたのは、2015年に、やはりミューズ・クリエイションのメンバーと共にインド最大のジュエリー会社、TANISHQ(タタ・グループ)の工場見学をしたときだった。
同社は経営難から起死回生した経緯を持つのだが、その背景に日本の工場管理システムの導入があるなど、インドの伝統的な家内制手工業に端を発した企業ながらも、日本的な作業工程が散見された。
ジュエリー工場では、ゴールドや貴石など、小さくて高価なものを使用することから、その管理の徹底が望まれるが、パーツを確実にピックアップする作業を猛烈なスピードで行っていたのが、安川電機の産業用ロボットであった。
工場見学には浦川夫人も参加されており、機械の写真を撮って欲しいと頼まれたのだが、働き者なロボットの動きが早すぎて、YASKAWAの文字を捉えることができなかったほどである。そのロボットを見たときに、安川電機に対する関心が高まったのだった。
浦川氏からは、工場見学に関していつでもどうぞと快諾していただいていたなか、同社のビジネスに関心を持つミューズ・クリエイションのメンバーの一人が、工場見学の幹事を申し出てくれたことから、今回、実現の運びとなった。
YASKAWA INDIAはバンガロール市街北部、IT企業のインフォシスなどが拠点を置くエレクトロニック・シティの一隅にあった。個人的にあまり訪れないエリアで、今回も数年ぶりに走る道路だ。かつてなかったビルディングが随所に林立する様子を眺めながら、ハイウェイを南下する。
参加メンバーとは正午に現地集合。社員の方に、まずは社員食堂へと案内していただき、ランチをごちそうになる。この日は、バンガロール拠点の茶道グループが見学およびお点前の披露で来訪されており、ミューズ・クリエイションとは合同訪問という賑やかな状況であった。
ランチは種類も豊富に、家庭料理のような味付けでとてもおいしい。平均的な日本人にとっては少々辛いと思われるが、現地の社員にとっては、ほどよいスパイスであるに違いない。
ランチのあとは、会議室でのプレゼンテーション。安川電機百周年記念の映像を見ながら、同社の歴史をたどる。
中でも感銘を受けた映像が、「YASKAWA BUSHIDO PROJECT」。数多くの世界記録を有する居合術家・町井勲氏の剣技を、安川電機が生み出した産業用ロボット「MOTOMAN-MH24」が忠実に再現する様子が捉えられている。
しなやかで正確な動き、ロボットでありながらも、武士道を心得ているかのような丁寧な動きには、身を乗り出して見入ってしまうほど。豆が切られるシーンなどはもう、思わず感嘆の声を上げてしまった。人間は汗だくになり、息を切らしているというのに、疲れ知らずでお辞儀をするロボットが、なにやら憎らしく思えるほどだ。
同動画はYOUTUBE上でも公開されていたので、シェアしたい。本当に、見入ってしまうクールな動画だ。
映像鑑賞のあとは、YASKAWA INDIAの沿革について、浦川氏自らのご説明を受ける。創設の背景や企業の概要、売り上げの推移、プロダクツの紹介、取引先、研究開発の様子など。CSR(企業の社会的責任)についても積極的に実施されていることが見て取れた。
なお、インドでは、2014年4月にインド新会社法が改正されたのを受け、売上高が100億ルピーを超える大企業は、純利益の2%をCSR活動に支出するよう義務付けられている。
プレゼンテーションのあとの質疑応答では、浦川氏にお尋ねしたいことがあれこれと募った。中でも感銘を受けたエピソードを残しておく。
浦川氏が就任した2013年当時、同社は巨額の負債(具体的な数字はここでは記さない)を抱えていた。それを2015年には回収、徐々に黒字にと転じて現在に至る。どのような改革がなされたのかが気になるところ。その背景を尋ねたところ、
◎商品の値上げ
◎販売代理店を変更(代理店の取捨選択)
という答えが返ってきた。こうして記せば、あたかもシンプルに思えるが、これらを実現することがどれほど困難かは、推して知るべしだ。
まず、商品の値段を上げるというのは、価格に対して極めてシビアなインド市場において、敬遠される可能性が大いにある。値段を上げる際には、もちろん競合の実態など諸々を調査した上で設定されたものであろうが、そこで決め手となったのは「信頼性」だという。同社の商品は他社製品に比べ「カタログ記載の保証値に対して実力値がベターでそのマージンが大きい」という、そもそもからの長所があることも、受け入れられる条件となったようだ。
詳細を記すと尽きないので、その点は割愛するが、販売代理店の経路を刷新するというのもまた、ドラスティックな改革だったと察せられる。
また、浦川氏が行った改革で印象的なエピソードを上げておく。
◎本社を3年がかりで説得し、2017年にインド人をCOOに就任させた。
◎同社のインド人社員は、3年以内に辞める人が1%未満。
インド企業において、辞める人がこれほど少ないのは極めて珍しい例だと思う。福利厚生、待遇の充実がなせる技だろう。職場環境が快適であるのはもちろんのこと、専用バスによる送迎、社員旅行の充実、おいしいランチの提供など、人が離れがたくなる環境づくりが整っている。
●インバータ製造の工場を見学
工場内の写真は掲載できないが、極めて整然と、システマティックでクリーンな環境のもと、インバータの製造が行われていた。そこはまた、TANISHQのジュエリー工場内部と、驚くほどよく似ていた。
日本では行程の多くが機械化されているところもあるようだが、そもそも人手は多く、雇用機会を創出すべきインドにおいては、人間が労働する場所を提供する必要がある。
同社ではグルガオンで産業ロボットを販売しているが、これらも「人件費を削減する」、即ち「人間の仕事を奪う」存在としてのロボットを提供しているのとは、少し異なる。
これまでも折に触れて記しているが、多くの労働者人口を抱えるインドでは、人件費を削減することを目的とするモノは歓迎されない傾向にある。
それは多分、インドが英国統治から独立する以前、マハトマ・ガンディが「スワデシ(国産品愛用)・スワラジ(自主独立)」を提唱した百年以上前に遡る。
彼が、英国で量産される機会製品のボイコットを叫びつつ、自分たちの衣類は、自分たちで紡ぎ織ろうと叫び、手紡ぎ手織りの衣類(カーディ)を身にまとっていたころからの精神世界が未だに息づいているとも言える。
浦川氏も言及されていたが、ゆえに産業ロボットが活躍するのは、TANISHQに見られるような、紛失する可能性が高い宝石の仕分け、決して間違いが許されない薬品、あるいは人体に悪影響を与える塗装や溶接の仕事などが焦点となっているようである。
説明される話の一つ一つに、深く頷かずにはいられない。
なお、工場見学の模様については、以下、参加メンバーからの感想文に詳しいので、わたしは言及しない。
YASKAWA INDIAの工場見学を終え、感慨深く帰路につく。一旦自宅へ戻ったあと、その夜は昨年発足された「バンガロール九州・沖縄県人会」へ参加すべく、会場となる飲食店へ赴いた。
浦川氏はまた、同会の発起人でもあり、この夜も参席されていた。工場見学の余韻さめやらぬまま、お話の続きをしたく、浦川氏の向かいの席に座る。
インドという、日本企業にとってはかなり難易度の高い国において、進出後の明暗をわけるのは、トップに立つ人間一人の判断力が、相当に影響するということは、少なからず感じてきたことである。
無論、インドにおいてだけではなく、どの世界、どの業界においても、そうなのであろうが……。リーダーシップに王道はなく、置かれている状況によって、ふさわしいストラテジーがあるだろう。
いずれにしても、それが効果的に発揮され、業績・成果を上げるに至らせるにあたっての、決断力、実行力、説得力の強さについて、思いを馳せずにはいられない。
YASKAWA INDIAの再建にまつわるストーリーを、淡々と語る浦川氏だったが、この席でお聞きした話の一つもまた興味深かった。
わたしは知らなかったのだが、生産管理や品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の一つとして、PDCAサイクル(Plan-Do-Check-Act cycle)というのは、よく知られるところらしい。
浦川氏はしかし、一連の改革をPDCAでなくOODAという手法を使ったと説明された。
1951年の朝鮮戦争で性能の劣る米国の戦闘機が、高性能のロシア機ミグに勝利した理由のひとつが、視界の広さであったことというエピソードを話されたのが、心に残った。
なにしろ飲み会の席でもあり、そこまで詳細を記憶できなかったのだが、帰宅後、ネットで検索してみたところ、極めて面白い記事に遭遇した。
★なぜF86は高性能のミグ15に勝利できたのか? (←CLICK!)
OODA=「観察(Observe)・方向付け(Orient)・決心(Decide)・実行(Act)」
個人的に、この考え方は、極めて興味深い。興味深く膝を打つ内容だったので、敢えてここでもシェアをする次第だ。
ビジネスの現場においては、さまざまストラテジー、方法論があることだろう。どの方法が、どの現場で最適か、ということは、一概に言い切れない無数の条件があるだろう。
特に文化も習慣も異なる異郷の地においては、日本国内でよしとされるストラテジーが通用しないということは、火を見るより明らかだ。その点を心得て現場をしっかりと観察し、現場に即した方向性を定め、本社を説得し、実行に移す。
会社の規模の大小に関わらず、従来とは異なる決断を下すことはたいへんなことだろう。
この記事にもあるが、
・事前の計画よりも、事後的な臨機応変に重点を置く
・OODAのはじまりを自分ではなく、相手の観察におく
・トップダウンではなく、現場パイロットを中心におく
という3つの発想の転換を見るだけでも、これが異文化の地において、かなり有効なストラテジーであることが察せられる。
……と書くは易し。臨機応変な判断をするためには、訓練を積み、経験値を備えておくことが条件でもある。誰もが閃く「直感」ではなく、しかるべき資質と経験を持ち合わせた人間から沸き起こる直感だ。
「直感」というと、日本語のニュアンスでは場当たり的な印象をも与えるが、そうではない。そこには「観察」によって得た情報とその分析も包摂されている。
前述のTANISHQの工場もまた、廃業寸前の極めてシビアな状況の中、起死回生でインド最大のジュエリー会社になった背景を持つ。工場見学の記録には、そのプロセスに関するプレゼンテーションの記録を詳細に至るまで記しているので、最下部のリンクから、ぜひご覧いただければと思う。
★ ★ ★
今回もまた、非常に有意義な経験をさせていただいた。
浦川氏をはじめ、見学をサポートしてくださったスタッフのみなさんに心より感謝したい。
ミューズ・クリエイションのチームエキスパッツでは、昨年3月の第1回ビジネス勉強会に続き、来月9月中旬にも第2回ビジネス勉強会を実施する予定だ。
当地で健闘している企業トップのお話を聞けるのは、本当に稀有でありがたい機会だと思う。ご多忙の身の上にも関わらず、快く引き受けてくださる方々に感謝しつつ、少しでも多くの方に、示唆に富んだ経験談を届けられればと願う。
【感想01】今日は初めてElectronic Cityを訪れました。そしてこれもまた縁遠かった「インバータ」の世界。浦川CEO自ら安川インドの事業内容からご自身の経験談まで多岐に渡ってお話くださり、大変勉強になりました。インバータ製造工場の中は整然としていて工程のひとつひとつがきちんと管理してあり、社員の方には当たり前の事なのでしょうが初見の自分にとっては全てが新鮮でした。同時にいわゆる「日本品質」を海外で展開することの大変さを学ばせていただきました。また企業訪問の機会があれば是非参加したいです。
【感想02】美味しい社食ランチ、会社説明のあと実際の製造工程を見学しました。そこには品質向上のためのあらゆる仕組みがありました。使う部品を間違えないようにICカードで管理したり、作業員がやるべきことをモニターに表示したり、間違えようがないようにすることで不良率の低さを維持できていることが分かりました。日本のものづくり精神をインド人社員の皆さんも共有できているように感じました。社内がとても和やかな雰囲気で、離職率が低いのも納得です。日本の技術をmade in India でさらに広めていっていただきたいと思います。
【感想03】私はバンガロールに移住する前は電機メーカーに勤務していたため、安川電機様の事業内容や工場の様子に親しみを感じながら見学させていただきました。本日の説明の中でお聞きしたインドにおけるビジネスの苦労話は、安川電機様だけでなく私の夫が苦労していることでもあると思いました。家ではあまり仕事の話はしないため、夫の苦労を知ることができた点でも本日の見学は大変有意義な時間でした。
【感想04】主人の会社は人が辞めてしまうというのが悩みの一つと聞いていたのですが、YASKAWA INDIAさんでは、社食や社員旅行などの福利厚生を手厚くされており、そこはインドだからと特別なことはなく、日本の企業と変わらない工夫なのだなと感じました。工場見学では、ラインの細部まで見せていただき、人的ミスが起こらないようネジ1本から全てシステムで管理されていたのには驚きでした。教育に手間や時間をかけずとも、新人でもすぐに現場に入り即戦力になれるよう作業工程が表示される仕組みになっているのも効率化が徹底されているなと感じました。私でも明日からすぐに働けそうなくらい全てがシステム化されていたし、空調も効いた室内での作業で、やはり労働環境の良さも離職率の低下に繋がっているんだろうと思いました。
【感想05】今回初めてインドにある工場を見学しました。工場内の作業行程は日本方式をそのまま導入しており、従業員の方たちも余計なことは一切話さず黙々と仕事をされていたのが印象的でした。安川さんのロボットがタニーシュクのジュエリー工場で使われているとのことでしたので、もし機会があったら次はそれを見に行きたいです。
【感想06】特別知りたい質問事項も見つからないままでしたが、何か発見があればと思い見学をさせてもらいました。日本で働いていた時は会社のお金のことは遠い話の感じがしていましたが、安川電機さんでお話を聞いて、やり方次第で大きなお金が動くということを認識しました。社長ではなくても、駐在員として働くということはそういった聞いたことのないお金のことを考えなくてはならず、これまでとは違った知識がたくさん必要になると感じました。細かい難しいことは正直わからないところもありましたが、普段知ることのない会社の事情が知れてとても嬉しかったです。工場のラインは部品の間違いや組み立てミスのないようにコンピュータ管理が行き届き、品質への信頼が高いだけでなく、作業員も無理なく(あれもこれも自分で覚えてということがなく)仕事に就けるいい環境だと感じました。貴重な経験をありがとうございました。
【感想07】・強く印象に残った点が2つ。1つめは、浦川社長が5年間で利益を確実に上げる仕組みを作りだしたという点。プレゼン及び質疑応答の際に、代理店を見直してマージンを拡大したという話があり、同社のように大きな会社でもリーダーのやり方一つで画期的な収益拡大があるという点に深く感銘を受けた。2つめは、社員がどの部門でも誇らしげに働いている様子。工場長、ラインのスタッフ、ロボットデモを行った男性、コーポレートオフィスのスタッフ皆さんの目の輝きとポジティブな様子に感動した。離職率が極端に低いという浦川社長の談話を裏付けているものだった。
・カフェテリアの食事がとても美味しかった。レストランのようにこってりしていないシンプルなインド料理は、食べ飽きないものだと改めて思った。フライドライスがあるのも良かった。インドにおいては、大企業の多くが社員に格安で食事を提供しており、大切な福利厚生の一環になっていると聞く。大きく共感した。
・お茶(大神杜中)のメンバーの皆さんが、見学後に茶道体験講座を行い、同社の社員100名ほどが参加して大盛況だった。見学させてもらうだけでなく、その恩を形にしてギブバックされた点、そして見事に成功した点は素晴らしい。Muse Cerationのメンバーも複数名、茶道で参加して活躍されており、誇らしかった。
◆TANISHQ ジュエリー工場見学。改革の現場をつぶさに体験
この工場見学の写真は、先方から工場内部の一部を大っぴらに公開するのは控えて欲しいとのことだったので、検索エンジンなどにかからないよう、限定公開のサイトとしています。下記のURLにアクセスし、必要事項を入力してご覧ください。
http://museindia.typepad.jp/onlymuse/
名前:incredible
パスワード:india