一昨日、ミューズ・クリエイションのメンバー、そしてバンガロールにある日本の総合病院、SAKRA WORLD HOSPITALのマネージング・ディレクターの方とともに、バンガロール市街東部、ホワイトフィールドにほど近い場所にあるホスピス、Bangalore Hospice Trust - Karunashraya を訪問した。
ここは、ステージ4、即ち末期のがんを患う人を、ドクターの診断書さえあれば「無条件で」受け入れ、緩和ケアを施してくれる無料のホスピスだ。創設者は、医療とは関係のないビジネスフィールドに身を置いていた、キショール・ラオ氏。自身が医療関係のヴォランティアをしていた際、すでに医学では手の施しようがない末期のがん患者が自宅に帰される際の苦悩を目にしてきた。
死を目前にして激しい痛みや苦しみに苛まれる患者と、その家族。生き地獄のような状況に陥る人たちを救うべく、ラオ氏は1994年、今から25年前に、このホスピスの前身を立ち上げた。現在は、Indian Cancer Society (Karnataka Chapter)と、Rotary Club of Bangalore Indiranagarの共同プロジェクトとして運営されている。
運営にかかる費用はすべて、私企業や個人など、一般からの寄付金でまかなわれている。
わたしはミューズ・クリエイション結成前の2010年、結成後の2014年と2016年に訪れており、今回で4回目の訪問だ。
まずは参加者全員がミーティングルームに通され、前回同様、訪問者の窓口になっているジョルジオの話を聞く。このホスピスで働き始めて6年になるというケララ州出身の彼。「ここは自分にとって、ホームのような場所だ」と、前回訪れた時よりも、ずっと親身に、ホスピスについて説明をしてくれる。
非営利団体のホスピスというと、世間からは設備が不完全な場所を連想されやすいが、ここはそうではない。緩和ケアに関する最先端のプロフェッショナルな医療を提供している。職員にはきちんと給与を支払い、勤務状況を管理し、一般の病院と変わりのない環境を整備していると、ジョルジオは強調する。
●ホスピスとは、がんの治療の段階で、薬の効果が得られなくなった、即ち回復の見込みがない患者たちを受け入れる。
●病気から回復させるための治療をするのではなく、苦しみを和らげるための緩和ケア(Palliative Care)を行っている。
●緩和ケアを施すことにより、患者のQuality of Life(ライフの質)を高く保ち、Dignity(尊厳)を守るための手助けをする。
●インドで初のホスピスは1985年にムンバイで創設された。ここはインドで2カ所目。バンガロールでは唯一、無料で患者を受け入れている。
●現在、ベッド数は72床。常に60床以上が占有されている。過去25年間で23,500人の命を見送ってきた。
●ドクター6名(交代で回診)、カウンセラー6名(交代で回診)、ナース84名、そのほか、運営や管理に携わるスタッフを含む計145名が、働いている。
●ナース、およびヘルス・アシスタントには6カ月の研修を受けてもらう。宿泊施設や食事などはすべて提供した上で、研修期間は毎月1000ルピーを、研修が終わって実働開始以降は7500ルピーの給与を支払っている。毎日、死に直面する精神的に負担の大きい仕事ゆえ、随時休暇を与えつつ、交代制で勤務する。
●ホスピス内だけでなく、3つのホームケア・チームを擁し、バンガロール市内3カ所を拠点に、要請があった家庭への投薬やケアを行うべく訪問する。スラムでもどこへでも、訪れる。
●1日に約1.8ラックルピー、年間約6500万ルピー(約1億円)ほどの経費がかかる。すべては寄付金から賄われている。
●患者の64%が貧困層。36%が中流層以上。遍く患者に対し、等しく無料でケアを提供している。入院の過程で病状が緩和した人には、状況に応じて自宅に戻ってもらうケースもある。
●ここで働く人たちは、将来ここを離れたとしても、ここで培った経験や知識を生かし、他の場所でシェアすることができる。
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前回訪れたときと比すれば、数字に変化はあれど、コンセプトそのものは変わっていない印象を受ける。
ジョルジオ曰く、外部から、貧困層以外からは入院費をもらうべきではないかとの意見もあるのだという。彼自身も、いくらかは払ってもらうべきではないかと考え、創業者のラオ氏に相談をしたことがあったという。そのときに、ラオ氏から、
「苦しんでいる人たちに、プライスタグ(値札)は、つけられませんよ」
と言われ、強く心を打たれたとのこと。以来、このホスピスの在り方に疑問を呈することはなくなったという。
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前回の訪問の記録に記したが、改めて。
日本語に訳するのに、一言で言い表せない英単語はいくつかあるが、その中でもわたしが大切に思っている単語がふたつある。
ひとつはHOME、もうひとつはLIFE。
HOMEには、家、家庭、という意味以外にも、拠点、拠り所、故郷、本拠、養護施設……といった意味がある。
LIFEには、生命、人生、寿命、生活、暮らし、活力……といった意味がある。
どちらの言葉も、生きるに不可欠な意味を包摂している。
LIFEの質を尊重するとはどういうことなのか。概念を理解するのは簡単だが、それを実際に、自分や自分の周囲の人にあてはめて、実現することは、決して簡単ではない。
ここでは、患者を肉体的、精神的な苦しみから解放するための、手助けをする。身体を清潔に保ち、鎮痛剤を施す。適切な食事を与え、身体の苦しみを和らげる。
同時に、専任のカウンセラーによる言葉のやりとりを、行う。カウンセラーはまた、患者の家族に対しても、丁寧に、患者の残された時間について、話し合う。
ここはまた、LIFEについて学ぶ場所でもある。
How long do we live ではなく、How do we live.
何年生きるか、ではなく、いかに生きるか。
一人で苦しみながら死ぬことは最大の恐怖。だから、LIFEを祝福しながら、最後のときを迎えて欲しいのだ、と、前回の訪問時、ジョルジオは話してくれたのだった。
2014年にインドの新会社法によりCSR法が導入されたことで、寄付金などに変化は見られたかと尋ねたところ、ホスピスという存在は、企業からの理解は得にくいとジョルジオ。回復の見込みがない、死にゆく人たちにお金を使うことを疑問視される傾向もあるという。
確かに、単にホスピスと聞いただけでは、この場所が、死にゆく人たちだけではない、一人の患者を取り巻く複数の家族の人生が、大いに救済されている現実を理解することは難しいだろう。
愛すべき身近な人が、あるいは自分自身が、重篤な病を患って初めて、見えてくる世界があるかもしれない。
病院では、本人に対してがんを患っており余命が短いということを、告知しないケースが多いが、ここでは子どもの患者を除いては、概ね、病状を伝えるという。
それは、その人が亡くなる前に「wish」すなわち「願い」を実現させる時間を提供するためだ、とジョルジオは言う。自分が死に直面しているとわかると、人は、物事の優先順位がかわる。みなそれぞれに、大切なことがある。誰かに許しを乞いたい。謝りたい。あるいは、誰かに愛を伝えたい。その願いを叶えてもらうためには、病気を告知する必要があると、彼は言う。
そのために、カウンセラーがいて、患者にも、そして家族にも、心を穏やかに保ってもらうためのケアを行っている。
このホスピスでは、特定の宗教に依らない。あらゆる宗教の人を受け入れている。もしも患者やその家族から、特定の宗教の僧侶や司祭を呼んでほしいと依頼されれば、招いてもいるという。
病院の一隅には祈りの部屋、即ち霊安室がある。初めて訪問した時に、その部屋の中を見せてもらった。がらんとしたその部屋の、壁の一隅に、釘が刺されていた。亡くなった患者をこの部屋に導き、それぞれの宗教に応じた神様の額縁を、釘にひっかけて、祈りを捧げるのだという。館内には、なんら宗教を示唆するものは見られないが、ヒンドゥー教、キリスト教、仏教……と、インドで信仰されているさまざまな宗教の、額が用意されているのだとのこと。霊安室の入り口の反対側に、もうひとつ、大きなドアがあった。遺体を救急車に移す際、遺体が建物の中を通過しなくていいように、他の人々の目に触れないようにとの配慮である。
がんという病気は、適切なケアを受けられない人にとっては、残酷極まりない。経済的な事情で入院を続けられない人たちは、回復の望みがない患者を自宅に引き取る。しかし、家族の誰一人として、医療の知識がない中、ただ苦しむ病人の最後の日々を、狭い家の中で共に過ごすしかない。
文字にするのも憚られるが、ジョルジオの言葉を敢えて記しておくならば。がんの種類によっては、強い悪臭を放つ人、皮膚が溶けて骨が露出する人、あるいは、患部から蛆がわく人……。
むごい状況に陥るという。それはもう「ホラー」、すなわち恐怖でしかないと、ジョルジオは訴える。日々の仕事から帰宅すれば、地獄が待ち受けていて、家族は心が休まることがない。
実は拙宅に以前勤務していたメイドのプレシラの義母は、がんで他界した。義姉や義妹は実の母親の面倒を見ることはなく、彼女は我が家に勤務しつつ、午後は早めに帰宅して、苦しむ義母の介護をしていた。義母の病状が著しく悪化した際、このホスピスに連絡をして、何度かホームケアに行ってもらったことがある。プレシラ曰く、相当に、救われたようだった。
いつ訪れても、このホスピスの風通しのよさ、心和む環境に、感銘を受ける。「人の命が終わる場所=悲しみの場所」という気がしないのだ。極めて簡素な建築ながら、しかし何年たっても、「古さ」「老朽化」を感じさせない。
随所に、「愛」や「思いやり」を感じさせる、小さななにか、がある。
自分がここで最期のときを迎えるとしたら、他のどの場所よりも、平穏な気持ちでいられるのではないか、とさえ、思わされるのだ。
病棟は、中央に通路があり、左右に棚とカーテンで仕切られた「オープンな個室」がある。それぞれの個室は、通路と反対側に、庭や池に通じるドアがあり、他の患者と顔を合わせることなく、外に出ることができる。ドアそのものが、上下に二部されていて、上だけを開けることができる。その部分には網戸も設置されているから、蚊が入ってくる心配もない。
以前訪れた時には工事中だったが、今回は、病棟の屋根一面に、太陽光パネルが設置されていた。State Bank of Indiaにより寄贈されたもので、100%の電力が賄われているという。噴水の水も浄化してリサイクル使用するなど、細部に行き届いた設計であることが伺える。
館内の見学を終えたあと、前回同様、一隅にて、メンバーと共に歌を披露する。ピアニストのメンバーがピアノ曲も披露してくれる。
以前よりもずっと多くの患者さんやその家族、そしてナースたちが、外に出てきて、音楽を聴いてくれた。みんなが、本当に、音に聞き入ってくれている様子が伝わってきて、心を打たれた。
お土産に持参した、チーム・ハンディクラフトの紙製品を配ったところ、みな、とても喜んでくれた。今回、折り紙などが飾られた部屋があったので、ジョルジオに尋ねたところ、患者さんやその家族に、アートやクラフトを実践してもらっているのだという。今度は折り紙を持ってきて、お教えしましょうか、と提案したら、目を輝かせて、ぜひ、いつでも、すぐにでも、と頼まれた。
折り紙ならば、小人数で訪れて、短時間、教えることもできる。メンバー、いやメンバー以外の人たちにも声をかけ、訪問を促そうと思う。これをお読みのバンガロール在住の方、ホスピス訪問をご希望の方は、どうぞ坂田までお知らせください。ジョルジオとおつなぎします。また、折り紙はミューズ・クリエイションにありますので、差し上げます。
* * *
帰路の車中、ドライヴァーのアンソニーが言うには、エントランスのあたりで、初老の男性と話をしたという。彼曰く、胃がんを患っている妻をどうしても救いたく、これまでいくつもの病院を転々とし、さまざまな治療を受けさせてきたという。しかし回復の見込みはなく、財産も尽き、ついには数日前、不本意ながらも、このホスピスに妻を託したという。
今、妻は痛みから解放され、幸せそうにしているという。自分自身もまた、かつてなく、リラックスしているとのことだった。ここで最期のときを過ごせることを、よかったと思っている様子だったという。
最後に、チーフ・エグゼクティヴオフィサーのマシューに小切手をお渡しする。4月末に実施したチャリティ・コンサートの利益を託した形だ。ささやかな金額ではあるが、運営の一部に使っていただければと思う。
以下、いつものように、参加メンバーからの感想を転載する。いつもいつも思うことだが、ミューズ・クリエイションのメンバーの感想を読むことで、わたしにとっては、慈善団体への訪問が、2倍にも3倍にも、意義深いものとなる。一人で訪れただけでは決して得られることのない、異なる感じ方や見え方。ささやかな言葉一つ一つに、目頭が熱くなる。このような経験を共有できることは、すばらしいことだと、切に思う。
【感想01】
ホスピスという名前は聞いたことがありましたが行ったことはなく、でも何となく怖いというか、少しネガティブなイメージを持っていました。
ゲートを通過すると、ガーデンがあり、たくさんの緑に囲まれた中にホスピスがありました。中庭には噴水もあり、重苦しい感じは一切なく、清潔感もあり風通しも良くて、良い意味で医療施設っぽくない雰囲気が、心穏やかに過ごせる場所だなと感じました。他の患者の目に入らないよう個室それぞれから外に出られるようにドアがついていたり、網戸もついていたりと、細やかな配慮が素晴らしかったです。
病院での治療は高額だし、有料のホスピスでは低所得者は入院できないし、家に戻されても誰もケアをしてあげられない。苦しみながら最期を迎えるのは本人も家族も辛いことだと思います。無償でケアする場所を提供することはなかなか簡単なことではないと思いますが、それを20年以上も続けているというのは、本当にたくさんの人たちの努力や支援があってできることなんだろうなと思いました。また、ただケアするだけではなく、カウンセリングもして、家に帰りたければ帰ったり、やりたいことをさせてあげたりと、最期まで一人一人の思い尊重し、寄り添っているのがとても暖かい場所だと感じました。寄付金についてはやはり簡単にはいかないと聞いて、もっとたくさんの企業や人がこういった施設があることを知って、少しでも寄付金が増えていけばいいなと思いました。
歌を歌ったり、演奏のときにはわざわざ外に出て聴きに来てくれた患者さんも結構いて、嬉しかったです。出られなかった患者さんたちにも、少しでも痛みが和らげばいいなという思いで歌いました。その後、鶴やくす玉や短冊を配って回ったときに、鶴の折り方を教えてほしいといわれ、教えてあげたらとても喜んでくれました(おそらく患者さんではなく、お見舞いに来ていた家族の方かなと思いますが)。最近では折り紙などにも取り組んでいると聞いたので、機会があれば教えに行ってまた交流を持てたらと思いました。
まだまだ実感がないですが、最期の時はいつかは必ず訪れるもので、その時が来たら私はどうしたいだろうかと、少しだけ考えるきっかけにもなりました。こういった施設があるということを知れたこと、日本ではなかなかできない経験をさせてもらえたこと、勉強になりました。ありがとうございました。
【感想02】
今回のホスピス訪問で終末医療というのが、ただ患者本人の苦しみだけでなく、家族の生活を非常に強く支えることになるということをはじめて知りました。家族、親族と離れて暮らして、そういった苦労や終末医療の有難さに直面せず、わざわざ聞こうとも思っていなかったので、良い機会となりました。
このホスピスは施設も整っていて中庭は噴水が出ていて、植木屋さんらしき人が植物の手入れのようなことをしていて、たくさんの看護士さんが働いていました。これを全て寄付で賄うのは大変だと思いますし、医療の提供と同時にたくさんの雇用を生んでいることにも感心します。私もこのような穏やかな場所で噴水を見ながら最期を迎えたいと思いました。
【感想03】
いわゆるホスピスという場所を訪れたのはインド以外の国においても初めてだったのですが、いい意味で衝撃的な体験でした。行く前はマザーテレサの死を待つ人の家のような最低限の設備があるだけであろうと勝手に想像し、悲惨な光景を目の当たりにすることを覚悟していったのですが、いざ施設を見学させてもらうと、とても病院的な感じとは程遠く、むしろ爽やかなリゾートのような雰囲気の環境であることに非常に感銘を受けました。
生きている人間の人権すらまともに尊重されないこの国で、死に立ち向かう方々に対し手厚いケアを、しかも無償で提供する組織が存在することに驚きを隠せませんでした。
訪問後に少しお話させていただいたのですが、今から10年程前、プネにあるソフトウェア会社の翻訳チームで働いていた時、同僚のドイツ人男性が脊椎ガンで亡くなるという出来事がありました。
本人の希望で病気のことは上司しか知らなかったため亡くなって初めて彼がガンを患っていたことを知ったのですが、自分の余命を知りながらも自国には帰らず、最期の時間をインド人の奥様とまだ幼い娘さんと過ごすことを決心し、この国で亡くなり埋葬されていった彼の生き様を目の当たりにして、当時まだ新婚だった私は改めて国際結婚をして相手の国で暮らし続けること、そしていつかはそこで最期を迎えることについて深く考えさせられました。
正直まだその当時はいつかはこのインドで最期を迎えることに対し抵抗感を感じてしまう自分がいたのですが、もし自分が彼と同じ立場になってしまったら、今の自分は迷わずインドに残って家族と共に過ごす道を選ぶと思います。その時あのホスピスのように穏やかな場所で最期の時間を過ごすことができたらどれだけ幸せだろうとつくづく感じました。そしてインドにもあのような場所があることを知り、今後のインド生活にもっと希望が持てる気がしました。
またこのホスピスが本来のホスピスとしてだけの役割ではなく、関わる人たちの成長の場としても機能しているという話にも大変関心させられました。
インド国内における緩和ケアの先駆けとして医者や看護婦に対するトレーニングの実施や、資金調達面において特に学生のボランティアが積極的に活動し、チャリティイベントを開催したり、企業を訪問して寄付を募ったりしているとのこと。一般的な企業インターンなどではあまり経験できない企画力・行動力・実践力などの養成に繋がることは確実であり、彼らボランティアにとってもそれらの経験が今後の社会人生活において大きな礎となるであろう事を考えると、その役割は計り知れないなと感じました。
また施設の資金調達面において、「なぜ死にゆく人たちへの投資が必要なのか?」や「この施設におけるサクセスストーリーはなんだ?」といった質問をする企業が多いという話があり、少し意外で驚いた半面、いかにもインドらしいなと納得しました。
実際に家に帰ってからインド人の主人にこのホスピスについての話をしたところ、
「死ぬだけの人にそんな立派な施設を用意してどうするんだ?」という非常に残念なコメント。私がインドに移住してきた14年前に比べインド人の生活、特に中間層の人たちの暮らしは格段に向上し、メンタリティ・考え方なども飛躍的に変わっていっていると感じる反面、まだまだこういう部分のセンシティビティを感じる人が少ないのが現実なのだと感じさせられました。
とは言ってもハード面(物質的)ではいろんな意味で進歩が遅いものの、人々の考え方などを含むソフト面では非常に柔軟で進化の早いインド。きっと10年後、20年後にはこのホスピスが持つ意味合い、「いかに死にゆくのか」について真摯に向き合う人々が増え、この施設以上に素晴らしい病院やホスピスなどが誕生していくだろうと期待したいと思います。
【感想04】
末期癌の患者さんが過ごす施設と聞いて、訪問する前は暗いイメージがあり、悲しい気持ちになるかなと思っていましたが、実際に施設に足を踏み入れると鮮やかなお花が植えられていたり緑溢れる庭があり全く違った印象を受けました。患者さんの病室も自然光がよく入り、吹き抜ける風がとても心地良かったです。
歌とピアノの披露の際も患者さんが出てきてくださり、お土産に渡したハンドメイド作品を受け取ると嬉しそうで私も喜んでもらうことができて来て良かったと思いました。最後にバザーの収益を寄付する場面に立ち会うことができて自分のミューズでの活動がこうして人の役に立っているのだと実感することができ、これからも頑張ろうと思いました。
【感想05】
ホスピスに到着して一番最初に感じた印象は花や緑に囲まれた落ち着ける場所ということでした。施設の中を見学した際には、気持ちの良い風が吹き、いい匂いがして、安らげる雰囲気を感じました。
歌やピアノの演奏を披露する際には滞在している患者さん方や家族の方が、部屋から出て来て聴いてくださり、とても心地の良い時間を過ごせたように思います。患者さんの中には大きな手術をしたような跡が見られる方もいましたが、その方々にミューズの紙チームで作って頂いた折り紙のオーナメントを渡すと、とても喜んでおられました。ホスピスに滞在しているからといって、ただ死を待つだけというわけではないように感じました。その家族やスタッフ、ミューズクリエイションのような外部の団体も患者さんのためにできることがたくさんあるように思いました。
施設に関することで一番驚いたのは、ホスピスのサービスが無償ということです。がんケアにはとてもお金がかかることは日本も同じです。お金がなくなれば命もなくなってしまうというのはとても悲しいことです。そのようにならないためにも、このようなホスピスが持続していけるように、ミューズから寄付できたことはとてもよかったと思いました。
【感想06】
私にとっては初めてのホスピス訪問でした。クオリティの高い医療とサポート、スタッフの給与も全て寄付金だけで賄っているというお話を伺いました。ご家族のケアも含め、多くの末期がん患者さんを無償で受け入れ、手厚い看護をされている姿に感銘を受けました。
施設内はどこを歩いても風通しが良く、どこからともなく花の香りが広がり、クラクションの音は一切聞こえず、鳥のさえずりや噴水の水音がとても心地よかったです。病室は大部屋とはいえ、仕切りや外に繋がる専用のドアがそれぞれあったり、自然光がたくさん入る作りになっていて、つくづく患者さん想いの施設だなと感じました。歌を披露させてもらいましたが、患者さんもご家族も看護師さん達もとても和やかに聴いてくださり、嬉しかったし、歌を続けてきて良かったなと思いました。
訪問後の反省会ランチでは、両親の最期の迎え方をどうするか、というのも考えた事がなかったので、親が元気なうちに話し合っておきたいなと思いました。生きること、最期を迎えること、家族の介護など、なかなか日常生活では触れない部分なので貴重な経験になりました。
蛇足ではあるが、今から19年前、亡父が肺がんを発症した際にまとめたレポートが、今もネットの海で眠っている。ニューヨークで仕事をしていた当時、まだネット上には情報が浅く、ロックフェラーセンターにあった紀伊國屋書店で関連書籍を購入し、付け焼き刃ながら勉強をした。
2000年2月に末期の小細胞肺がんを告知された父。一時は抗がん剤治療が功を奏し、2001年7月には、我々夫婦の結婚式に参席すべくデリーへ来てくれた。2004年5月他界するまで、何度か再発を繰り返しつつも、元気な時間も長かったように思う。
現在にでも役に立つ情報も散見されるので、リンクを貼っておく。
●坂田泰弘 肺がん克服のための道しるべ (←CLICK!)