静かに、しかし確実に、好評を博しているミューズ座談会シリーズの4回目。現在、公開済みなのは、子ども時代をバンガロールで過ごした若者編が2本、そして今回で2本目となる大人編だ。
2020年8月、オンラインによる「ミューズ・チャリティフェスト2020」の開催を決め、「座談会」の企画を思いついたとき、真っ先に思い浮かんだ大人たちは、ミューズ・クリエイションの活動に加え、個人的にも接する機会が多かった木米貴久さんや村田仁志さんだった。一方、ほとんど交流がなかったにも関わらず、ぜひお話をしたかったのは、才木貞治さんだった。
木米さんにも再び参加してもらい、ワシントンD.C.、カンボジア、インドの時差の壁を乗り越えて、座談会が実現した。
我々夫婦は米国永住権維持が目的で毎年5月、ニューヨークを訪れている。今年は夫の5年おきの同窓会に参加すべくボストンを訪れる予定だった。ゆえに、実は、才木さんとお会いできるのではと思っていた。
しかし、この状況下。旅は当然キャンセルで、実際にお会いできなかったものの、このような形でじっくりとお話しできる機会を得られたのは、本当によかったと思う。
「ハーバード・ビジネススクール……? すごいですね!」
この「すごい」という一言は、あまりにも漠然としている。なにがどう、すごいのか。その背景にはどういう思いや経緯、経験があるのか。そのあたりをじっくりとお聞きした。海外で暮らし働く人にとっては、必ずや有意義なキーワードがあるはずだ。ぜひ、見て欲しい。
[CONTENTS]
●才木さんのバックグラウンドとバンガロールでの思い出
・才木さんと木米さんのつながり。FIFAマスターの話題
・東京で大手広告代理店に就職し営業職。2015年から3年間、バンガロールに駐在。
・ミューズ・クリエイションと才木さんとのちょっとした関わり
●MBA進学の背景と、その準備
・インド駐在時にMBAを受験し合格。2018年よりボストンのハーバードビジネススクールへ
・2020年の5月末に卒業し、現在は妻が働くワシントンD.C.に暮らしている。
・インドでの就労経験も、MBA入学に好影響を与えた……?
・同級生930人中、日本人は12名。帰国子女が半数を占め、海外駐在経験のある人など。
●坂田が才木さんのお話を聞きたいと思った背景。自分の夫を通して知った世界のことなど。
・30歳のとき、ニューヨークで夫と出会って以来、彼を通しての世界をも見てきた。
・夫は1995年にボストンのMIT卒業。その3年後にウォートン(MBA)に進み、2000年に卒業。
・わたしが米国の強さを実感した、夫の「Alumni(アラムナイ=同窓生)」に参加した時の話。
●ハーバード・ビジネススクールでの経験
・米国での2年間の生活。過酷なまでに、勉強をせざるを得ない状況だった。
・学ぶ内容、英語、ともに学ぶべきことが多く「ダブルパンチ」の状況。
・ハーバードのMBAは「ケース・メソッド(実際にあったことを教材にした事例研究)」を重視。
・学生はみな、必死に発言をしようとするため、クラスが熱気に包まれている。
・時間をかけて準備をしても、発言のタイミングを得られない時には落ち込む……。
●夫アルヴィンドのMBA時代の話
・当時ボーイフレンドだった夫が、フィラデルフィアのMBAに通っていた1998年から2000年。
・山のような資料を、気が狂いそうになりながら、読みまくっていた日々を鮮明に記憶している。
・ディスカッションでは、発言権を米国人女子学生らに奪われて、しばしば、ぼやいていた夫……。
●日本流では評価されない。チームワークに対する考え方の違い
・ハーバードはチームワークは少なかったが、苦労した。
・日本人的に、チームの調和を考え、問題点はのちほど個別に……的な事の運び方ではダメ。
・チーム全体のことを考え、よかれと思っての行動が裏目にでることも……。
・他のチームメンバーの自分に対する評価が、自分の成績に反映される。
・日本では、準備8割、実行2割がスタンダードだが、米国やインドは異なる。
・会議の場で積極的に意見を述べたり、付加価値をつけたりができなければ、米国では通用しない。
●爪を隠しっぱなしでいいのか。
・能ある鷹は爪を隠す……は通用しない。隠していたら、能がないのと同じ。
・日本と、どこかもう一つの2カ国で見るのではなく、3カ国以上からの視点を持つことは大切。
●奥様との出会い♥
●MBA卒業後の現在と進路
・学生時代、進路を迷っていたころ、アフリカをバックパッカーで旅した。
・インド駐在時、新興国で働く面白さを感じたとき、やっぱりアフリカに行きたいと思った。
・今後は、自分の能力を実践向きに移行することを学び、引き続き、アフリカを狙う。
・自分が日本に生まれて幸運だったと感じている、そのことを還元できる道に進みたい。
*なお、才木氏はつい先日、ご夫婦で日本へ帰国された。しばらくは日本を拠点に生活をされるとのこと。未来が見えにくい世界にあって、遠くアフリカを展望する夢の実現を、心からお祈りする。2025年のボストン、あるいは、いつの日かのアフリカで、才木一家にお会いしたいものだ。
*ご自身の経験を忌憚なく話してくださったこれまでの参加者に感謝しつつ、こうしてシェアできることを光栄に思う。この座談会シリーズは、今後もさまざまな方の協力を仰いで、継続する予定だ。