インド5000年の伝統医療アーユルヴェーダの恩恵を受けられる療養施設、アーユルヴェーダグラム
今月で、わたしのインド生活は15周年を迎える。多少の不具合はあれど、我々夫婦が、そこそこ元気に生活できている理由の一つに、アーユルヴェーダの知恵を取り入れたライフスタイルが挙げられる。
下部に記述しているが、わたしは若い時から腰痛や膝痛を患っていて、インド移住前はそれが悪化していた。今、比較的身軽に動けているのは、間違いなく、アーユルヴェーダのお陰である。
COVID-19対策として、インドのAYUSH省が積極的にアーユルヴェーダ(ヨガや瞑想、呼吸法を含む)を推奨している(コメント欄にリンクをはります)。それは、決して「前時代的」でも「非科学的」でもない。そのことは、わたし自身の心身が、身を以て、実感している。
アーユルヴェーダとは、5,000年以上前からインドに伝わる医学。サンスクリット語のアーユス(生命、長寿)とヴェーダ(科学、知恵)がその語源だ。人間を精神面、肉体面からホリスティック(総合的)に捉えつつ、健康的な状態に導く。
バンガロールのあるカルナータカ州のお隣、ケララ州が アーユルヴェーダの発祥の地で、多くの診療所や関連施設がある。バンガロールにも、大規模な病院や滞在型の施設、診療所も数多くあり、気軽に治療を受けられる環境にある。
10年ほど前、視察旅行でケララを訪れ、数カ所の診療施設を訪れた。当時は欧米、特にドイツ語圏からの患者を多く受け入れているところが多く、アーユルヴェーダと歯科治療がパッケージになったメディカルツーリズムのシステムがすでに構築されていた。1カ月、3カ月、半年と、長期に亘って滞在する患者も多い。西洋医学では完治できない症状を、西洋医学のドクターと、カルテを共有しながら治療する様子に、感嘆したものだ。
わたしたちが過去10年間に亘り、毎年、年末年始の1週間をここで過ごしているのは、アーユルヴェーダがわたしたちのライフを救ってくれているからだ。わたしは中学2年のころ、バスケットボールで痛めて以来、ずっと腰痛に悩まされてきた。東京に暮らした20代、米国に暮らした30代と悪化の一途をたどり、整体、カイロプラクティック、鍼灸などさまざま試した。しかし、決め手となる治療法には辿り着けず、年に多いときでは2、3回、ぎっくり腰のような状態になり、くしゃみをすることさえままならないことがあった。
このまま40代に突入して、いったいどうなるのだろうと懸念しつつのインド移住。直後からアーユルヴェーダのマッサージを受けたところ、わずか半年程度で、ほぼ、痛みに苛まれることがなくなった。以来、激しい運動やマラソンなどは避けているものの、日々、元気に過ごせている。
わたしの母にしても然り。2010年夏、膝を痛め、日本のドクターからも、のちに念のため診てもらったバンガロールのドクターからも、完治させるには手術するしかないと言われ、ヒアルロン酸を打っていた。母から手術をするとの旨、電話で聞いたとき、まずはアーユルヴェーダを受けてから考えて欲しいと伝えた。バンガロール空港に降り立ったときの母は、杖を付き、歩き方も覚束なかった。しかし、約1カ月足らずの治療で完治。杖なしで歩けるようになった。
その後、2014年に来訪した際にメンテナンスを受けた程度で、80代の現在も手術をしないまま、特段の治療も受けず、歩けている。本人も、一時は深刻な状態だったことを忘れているくらいだ。
毎年、ここを訪れて出会う人の体験談を含め、アーユルヴェーダによって救われた人の例は、枚挙に暇がない。外科的治療、内科的治療、精神的治療……。あらゆる側面から、人間の身体を見つめ、よき方向へ導いてくれるアーユルヴェーダ。世界各国から、問題を抱えた人たちが訪れてくる。無論、相性もあるだろうが、わたしたちにとっては生命線のような存在だ。
トリートメントを受けたあと、心地よい高原の風に吹かれながら、緑越しに澄んだ青空を眺めながら、このひとときの至福。
人生の「優先順位」を見つめ直すのにも、格好の機会と場所だ。ケララの伝統的な建築物が移築された、風情ある施設。バンガロールにお住いの方は、利用されることをお勧めする。