マイソールに行く前日、短期修行生のチネケさんと二人で、慈善団体を訪れた。わたしが彼女と行動できる時間は限られている。当初はバンガロール中心部を巡りつつ、この街の歴史や特徴などを説明しようと思っていた。しかし前日になり、急遽ニューアーク・ミッションへ連れていこうと閃いた。
💝New Ark Mission 過去の訪問記録
https://museindia.typepad.jp/mss/new-ark-mission-home-of-hope/
パンデミック明けから、日本の学生たちからの問い合わせが増えている。特に「インドで慈善活動」「バンガロールのスタートアップ」というのは、紋切り型とも言うべくキーワード。それらの情報が突出しているのは現実だが、概念だけが浮遊している。
「インドの貧困層を救いたい」「社会に貢献したい」という慈愛の気持ちは、もちろん尊い。しかし、たとえば街中で盗難に遭い身一つになったとき、関係者の電話番号も、宿の住所も、街の地図も、頭の中に入っておらず、途方に暮れるであろう「スマートフォン頼り」の日本人学生が、どうやって劣悪な環境に喘いでいる人々を助けることができるだろうか。
飛行機の酸素ボンベが降りてきたとき、まずは自分が装着して、次に子供に装着する。自分の身が守れてこその、他者の救済だ。ゆえに、学生らには「まずは現場を見て、経験させてもらう」という立場で訪問してほしいと伝えている。まずは体験する。そのうえで、自分ができることを模索してほしい。経験や知恵を身につけ、たとえ微力でも、ある程度のサポート力をつけて初めて「実践的な貢献」ができる。
百聞は一見にしかず。
ニューアーク・ミッションへの道中、子どもたちへのお菓子やヤクルトを買う。現地では、いつもの通り、わずかながらもミューズ・クリエイションからの寄付金をお渡しした。
以下、チネケさんの感想を転載する。全体に長くなったので、続きはコメント欄に記載している。ぜひ最後まで読んでほしい。
彼女は修業生につき、文章力を指導すべく、大幅に校正を入れた。また、自分が最初に書いた文章と、わたしが校正した文章を「手書きでノートに書き写す」よう指導した。なぜなら「手書き」という手間をかけることで、脳内から言葉が浮かび上がったり、表現を咀嚼したりする時間が得られるからだ。また、感情の暴走や、類似の表現の頻用を防ぐこともできる。最初から文章力の高い人もいるだろうが、手間や時間をかけることで、眠っていた実力が刺激され、より成長する。
「アナログに過程を経る」ことの意義を、若い世代に伝え続けたいと、改めて思う。
わたしは先日、美穂さんと共にバンガロールにある慈善団体「NEW ARK MISSION」を訪れた。訪問の際の感想を残すようにと美穂さんに言われたが、これはとても難しい作業だった。わたしにとって、あまりにも衝撃的な内容だったからだ。
自分の中の様々な感情が複雑に入り交じっているが、言葉にできる限りの感想を残したい。
美穂さんと一緒に車を降りて敷地に入ると、そこには様々な年齢層の女性がいた。男性と女性はそれぞれ別の棟で暮らしており、今回は女性の棟を訪れたのだ。出迎えてくれたのは穏やかな表情をしたDivya。彼女は成人するまで家族と暮らし、仕事もしていた。にもかかわらず、様々な不運が重なり、NEW ARK MISSIONに引き取られるに至ったという。現在は当慈善団体のオフィスで働いているDivyaに案内され、NEW ARK MISSIONの動画を見る。そこにはショッキングな光景が映し出されていた。完全に衰弱して皮と骨だけになっている人、手が壊死し蛆虫が湧いている人。
それでも彼らは生きている。路上で苦しむ彼らのような人々を救済しているのは、NEW ARK MISSION設立者のRajaだ。Rajaは医師免許を持たずして自らの手で彼らの汚れを取り、救済措置を取る。そして自ら彼らを抱き上げ、施設に連れていく。慈善団体は全て寄付金でまかなわれており、政府からの支援は皆無だという。毎日誰かが運ばれてきて、毎日誰かが死んでいく。
「一日一日がチャレンジなんです。」とDivyaは言う。わたしは、彼女の説明を聞きながらもどう反応していいのかわからなかった。ただ愕然とし、言葉を失っていた。
Divyaのあとに続き、施設内を周る。すれ違う人々とは距離感を覚えるが、なかには少し温もりのある表情で手を振ってくれる人もいる。彼らの約80%は精神疾患を抱えており、薬を服用している人も多い。病室には何台かの簡易ベッドが並んでおり、蚊やハエが飛んでいる。重い病を発症している人たちがベッドに横たわっていた。
別棟の広い場所には心身ともに回復した人たちが、800人を超える施設の人々のために食事を準備していた。座って野菜を下ごしらえする人もいれば、大きな窯でご飯やおかずを調理する人もいる。
ひと通りの施設の案内を終えてオフィスに戻る。わたしは涙が溢れそうになった。そのときの感情をどう表現していいのかわからないが。
誰かの幸せを心の底から願い、果敢に立ち向かう人がいるということ。 人を助けることがいかに困難だということ。 人間としての尊厳がない生活を送っている人が未だに多くいるということ。
すべて知っていたはずの事実であったが、わたしはそれらを実感していなかったのだ。
自分がどれほど世界を「知らなかった」のかと、心を撃ち抜かれた気分であった。ニュース見て、書籍を読むだけでは実態はわからない。その日、わたしは現地へ足を運び、生の情報を聞き、自分の目で見て初めて、虐げられた人々の現実を実感することができたのだ。
訪問を終えて車に戻り、美穂さんと二人きりになったとき、何も言葉がでなかった。帰りに寄った韓国料理店でやっと気持ちが落ち着き、普段通りに会話をすることができた。一口目に飲んだコーン茶がとてもおいしくて、喉にスーッと入っていた。好物のジャージャー麵を食べながら、美穂さんと訪問について振り返る。
インド社会の最底辺に属する人々のショッキングな状況。NEW ARK MISSIONの困難に挑戦し続ける姿。最初は負の衝撃に愕然とするばかりだった。しかし、店で落ち着きを取り戻したとき、前向きな気持ちも生まれていた。わたしは、Rajaの他者に対する大きな愛、困難に立ち向かう強さに感動していた。それと同時に、今のわたしは微力だが、誰かのために自分にできることをしたいと強く思った。
食事をするうちにも気持ちが落ち着いてきたわたしは、今の自分ができることについて、美穂さんと話し合った。日本にも、社会問題はある。その問題の改善に向けて、わたしにもできることがあるはずだ。たとえば、自分の家の近所の貧困世帯の子供たちと一緒に、白米やみそ汁などの健康的なご飯を作ること。高齢の方々と若い人々が交流する機会を設けることなど……。
料理を食べるまでは重かった気持ちが、一気に明るくなった。
苦しむ人々の救済のために身を挺して生きるRaja、自らの経験を元に温かく学びある時間を与えてくださる美穂さんに、感謝を申し上げたい。