これまで最も頻度高く訪れてきた慈善団体、New Ark Mission ~Home of Hope~。一昨日、ミューズ・クリエイションのメンバーと共に訪れた。
オートリクショーのドライヴァーだったRajaという男性が、路上で瀕死の状態の人々を自宅に引き取り、世話をしはじめたのがはじまり。1997年、マザーテレサが亡くなった年のことだ。彼自身、ストリートチルドレンの出自で、盗みをして生きていた時期があり、投獄されたこともあった。そんな彼が改心し、世の中で虐げられた人々を救済すべく自ら活動を始めた。以来、無数の命を引き受け、手当てし、最期の時を過ごす場を提供し続けている。
路上に打ち捨てられ、記憶を失った恍惚の人々。あるいはそんな母親から生まれた子どもら。また、不具ゆえに捨てられた子どもらを含め、常時700〜800名ほど暮らしている。毎日、誰かが拾われてきて、毎日、誰かが死んでいる。人間の生き死にが日常だ。毎日の食事の準備、入居者の入浴、掃除などだけでも、大変な労働力が要されるが、行政からの支援はない。すべてが個人あるいは企業、団体の寄付から成り立ってきた。
わたしが訪れた限りにおいて、どの団体よりも、生死がせめぎあっていて、最低限の衣食住、そして医療の支援が必要な場所。ゆえに、これまでも、自分なりにできることを試みてきた。ミューズ・クリエイションからの寄付はもちろんのこと、日系企業のCSR支援の仲介、インドのコミュニティやグループ、団体への紹介など……。
2011年に初めてNew Ark Missionを訪れて以来、わたしは13年間に亘って、Rajaの尽力を目にしてきた。彼に私欲がないことなど、彼の活動を見ればすぐにわかる。しかしながら、そんな彼も世間からの中傷を受けるなど、沈み込んでいた時期があった。それでも、次に訪問時には笑顔を見せてくれた。
「一食たりとも、欠かすことなく、家族(収容している人々)に食事を提供し続けることができている。これは神のご加護だ」
Rajaがいつも口にしていた、感謝の言葉だ。
しかし、先月の訪問時、彼は急に高熱を出したとのことで会うことができなかった。そして一昨日もまた、体調不良で病院へ検査を受けに行っているという。
彼も50代後半。無理がたたったのだろうか……と心配しつつ、Rajaの秘書的な存在であるDivyaに問うたところ、健康面もさることながら、現在、同団体はかつてない財政難に直面しているという。今年に入ってから、諸事情あり、本来必要な資金(月に150万ルピー)の3割程度しか得られていないという。
Rajaは精神的な強いストレスにより、身体の免疫力が落ちているのだろう、不調が続いているとのこと。
昨日は、財政難の理由と実態を明確に知りたく、同団体の会計士に電話で話を聞いた。想像以上に、深刻な状況だった。居ても立っても居られない気持ちになるが、わたしが過度に心配したところで何ら変化はない。現状を整理して文字にし、近々、寄付を募るべく告知をすることにした。
困窮する人々を前に、自分には何ができるだろう。無力感に苛まれるは日常。
自分が少し動いたところで、何が変わるだろうか……と諦観した先に、しかし、明るい未来はない。たとえささやかな寄付だとしても、それが積み重なれば大きいのだ……と、参加メンバーに伝えながら、自分自身にも言い聞かせる。
「千里の道も一歩から」「大河も最初の一滴から」「ハチドリのひとしずく……」
ありふれた言葉だろう。しかし、そのことばをしっかりと意識して胸に刻み、一歩一歩、前へ進むのは、決して簡単なことではない。ゼロから1へ踏み出す一歩は、尊いのだ。わずかな1が、絶大だということを、わたしは数多、目撃してきた。だから、思わずため息をつく自らを鼓舞し、火の粉のように降りかかる雑念邪念を振り払いながら、希望に向かって、歩く。
今回も、訪問のあと、反省会ランチを開催。食後、思いをシェアしあう大切な時間だ。参加者の言葉を聞きながら、わたしは初心に帰る。同時にわたしは、尋ねられたことに対して、経験と思いを語る。
今回もまた、みなさんからの感想を読み、わたしの思いをまっすぐに理解してくださっていることを、本当にうれしく思う。こうした言葉を受け取ることで、継続の熱情を保つことができる。伝え合うことの大切さ。
終日、自宅で過ごした昨日は、ふとした拍子に思いが巡って、何度となく、泣けてきた。しかし、理不尽な世界(同団体の財政難の政治的な原因)に憤り、嘆いても、何も変わらない。誰かを責めたり、不平を言ったところで、今日のご飯は沸き出てこない。
動かねば。
参加者各位の感想を、コメント欄に掲載しています。ぜひ、目を通してください🙏
💝New Ark Mission関連の記録
https://museindia.typepad.jp/mss/new-ark-mission-home-of-hope/
バンガロールに来て11ヶ月。はじめて慈善施設に訪問しました。今回、こちらに参加するかずっと迷っていました。現実を受け止められるか不安だったからです。昨夜も、今日のことを考えあまり眠れませんでした。
緊張しながら施設に着き、中を覗いたら、想像していたより解放的できれいな場所でホッとしました。風通しが良く、施設の皆さんが私たちを歓迎している穏やかな空気を感じました。ビデオを見せてもらっていなかったら、どんなに大変な状況にあるか分からなかったくらいです。
ビデオでは、痛ましい人々に対するラジャさんの愛があふれる行動に涙が出ました。「皆を物乞いにしたくない。私が代表する。」という気持ちにも胸が打たれました。
「施設はラジャさんの愛でできている。」「私たちにできることは、考えているだけの0ではなく、少しでも行動する1であって欲しい。」と美穂さんの言葉が心に残っています。本当にその通りだと思いました。
今回不安に思い、訪問せずにいたら、このように人間の持つの愛情と力を感じることはできなかったはずです。私にもできることがあれば、小さな一歩を踏み出してみようと思います。
バンガロールに来て、孤独を感じることもありますが、日々インド人の心の温かさに助けてもらっています。そして、惜しみなくインドの情報を教えて下さる美穂さんのお陰で、楽しく安心してこちらに住むことができています。いつもありがとうございます。
【感想02】インターンシップ留学生/大森太郎
美穂さん、本日はNEW ARK MISSIONを案内していただきありがとうございました。最後のカフェでの反省会で美穂さんが仰られた、"一歩違えば私たちもそうなったかもしれない"という言葉にとても、共感というか納得をしました。
自分もそうだってかもしれない。私の周りでも、とても優秀だったり真面目だった人が、病気や事故、鬱で大きくありようが変わっていく様を見ました。実際に、NEW ARK MISSIONでも何らかしらの原因で気が狂い、パスポートも失っている外国人が滞在していたと聞き、自分自身の旅のスタイルを鑑みても、とても他人事ではないなと感じさせられました。
また有体にいうと、インドであっても(多分に偏見を含んでいるかもしれませんが)そういった外国人も受け入れられる場所があることに驚きと無責任な安心感をおぼえました。それはひとえに卓出したRajaの精神に依るものなのかもしれませんが、すぐに偏狭な考えをしてしまう私には想像もつきません。
今回の訪問によって、彼らの取り組みが自分にとっても重要なものだと感じられることができました。また、彼らの窮状を知り、日本に帰国しても自分の周りでも彼らのような取り組みに目を向けて、関心を持つ必要があるように思えました。訪問し、体感して感情が動くからこそ、自分ごととして想像することができました。改めて貴重な機会をさせていただきありがとうございました!
【感想03】バンガロール在住1年/ユック
インドの方たちが慈善活動を始めるきっかけが、神様からの啓示というのが日本には無い理由だなぁと思います。今回訪れた施設は路上で瀕死の人を連れて来てお世話をして。そして収容されてる人の8割は精神疾患で働けない状態という…かなりヘビーでした。また寄付の送金がストップしてて、ただでさえ少ない資金もないという。
美穂さんから、自分が関わった団体や施設から始めたらいいと言われて、何かしら動き出すことを決めました。私の少額な寄付やひとりの活動なんて何の役にも立たないんじゃないかと思っていました。
TVやネットで貧困や人の死などの情報は見られますが、生で見てそこの空気、臭いを感じるとよりリアルです。まずは知ることが大事だと思いますので、ほかの日本人の皆さん、自分の子どもたちにも見て知って欲しいと思います。
【感想04】バンガロール在住1年/内海
バンガロールに住んで1年半弱、小さなマイナートラブルはあるものの、「何と便利で気候も素晴らしいんだろう」と常々思っていました。しかし過酷な環境に身を置かれている方には何もアクションしてこなかった私。今日貴重な機会を頂いて参加できた施設訪問を経て、「自分にできる範囲のことをやる」ことを始めようと思いました。
教育やマナーの問題も去ることながら、1人の人間としての尊厳を保つことは現代の日本人には当たり前の環境かもしれないけど、国が違えばそうではないと再認識することができました。敬意を示す、ビスケットを用意する*、毎日でなくともできるときに寄付する、まずは小さなことからやってみたいと思います。
(*坂田注/市街を車で移動中、停車した際に物乞いに窓を叩かれることがある。そのときに渡せるよう、車中にはたくさんのビスケットを積んでおくといいということを説明しました)
【感想05】バンガロール在住1年/三児の母
今回、訪問させていただいた場所は前回のJagruthi施設と大きく違った。前回は学校だったこともあり、子供達は大変な生活を送りながらも子供らしい笑顔があったり、きちんと教室に座っていたりと、いろんなことが整っていた。
でも、こちらでは、人があちらこちらに散らばっていて、何をするでもなくただそこでぼーっとしている。しかも、目はぼんやりしている。死に目を見て、ここに連れてきてもらった人たちが集うこの場所は、明らかに今まで訪れたことのない雰囲気の場所だった。
その雰囲気やにおいなどにも少しずつ慣れてくると、病室に横になっている方々以外の、体が健康そうに見える方たちは毎日何をしているのだろうかと思いをめぐらせる。この人たちが、ここから出て社会復帰をするための教育は施されていないのだろうかと疑問がよぎる。人を救うというのはそういうものだと勝手に思っていた。*
担当の方に、毎日何をしてるのかと尋ねると、朝ご飯を食べて、お茶を飲んで、昼ごはんを食べて、夜ご飯を食べて寝ると答えが返ってくる。それなのだと思った。
人間として、ごはんを食べて、安心したところで眠る。それらの最低限のことが整っていない、そして精神的・肉体的に耐えうることができない痛みや苦しみを味わったひとたち。精神的に正常でいられるのはとてもとても難しい。そんな方達を救える道は、教育ではなく、ごはんと寝床。
慈善団体ごとに、目的があり、それぞれが違う状況の方々が過ごしているのだ。インドに住まわせてもらっている私は何ができるか。訪問させて頂くごとに考えも深くなり、今回もとても良い機会をいただき心から感謝している。
(*坂田注/New Ark Missionは”Home of Hope”と名付けられているが、本当にぎりぎりの希望を与えられた人たちが集まる、いや集められた場所。子供たちには未来はあるが、大人たちは……。人間としての尊厳をぎりぎりの線で保ちつつ、辛うじて生き、死に場所を与えられただけよかったのだろうという環境。8割以上が精神疾患者ゆえ、社会復帰は困難。それを支援するだけの資金も環境もない。「普通に動ける」2割の人たちが、ホームの運営のために働いて環境維持をしているという状況だ)
【感想06】バンガロール在住2年/二児の母M.T
インドに来る前から、兼ねてよりスラムや施設へ一度は訪れたいと思っていました。この国で起きている事を身をもってちゃんと向き合いたい気持ちがあり、ですが個人では行動に移す事がとてもハードルが高く実現しないままでした。今回参加させていただき貴重な経験が出来ましたこと感謝いたします。
過去の訪問レポートの詳細のおかげで、どのような場所という事は事前に知る事が出来たため、それをもとに心構えと訪問の目的のようなものえを考えてから臨みました。
何を必要とされているか?
何があればそこに居る人達にとって少しでも助けになるのか?
考えながら寄付品を用意する事を通して、今まで気付きもしない事を考えたり、慈悲心を持った友人から刺激をもらったり、それだけでもすでに貴重な経験。
目の前に当たり前のようにあるインドの貧困の差、そんなインドにちっぽけな私が何を出来るのか、今まで私になんて出来ることはないとどこかで傍観していました。
実際訪れてみると、そこで過ごされる方々の穏やかな静かな時間を肌で感じました。それが慈善によって守られている空間だからこそ、そこにどんなかたちでもいいから力になりたいと感じざるを得ませんでした。
大きなお鍋では100キロのお米が炊かれていました。私達が持ってきたお米も一食分でしかなく、無力感も感じましたが、友人が隣で、野菜もいっぱい持ってこれば良かった、これからの季節毛布ももっと必要だよね、としきりにそこに居る人に出来ることを探していたことがとても印象的でした。
その後の皆さんのフィードバックからも学びが多かったです。他人事ではなくかたち違えど自分や大事な人が困っている時、ほんの少しでもいいから自分にできることをできるだけ、まずは行動にする事が大切だと教わりました。
自分の子供達に伝えていきたいこともクリアになりました。難しく考えなくていい、目の前の出来ることをすればいいとお言葉にハッとしました。また、継続する事の大事さも。今度入り口まででもいいので、子供達と一緒にまたお米を届けようと思います。
色々な感情がまだ上手く整理出来ず拙い感想ですみません。貴重な経験させていただきありがとうございました。ご一緒させていただいた皆さまにも感謝です。
【感想07】バンガロール在住11カ月/大学生 入江真樺
「New ark mission 2回目の訪問を経験して」
1回目の訪問と、2回目の訪問で大きく違った私自身のこと。それは感情的に感傷的にならず、一事象としてその目の前の状況を受け入れられた事です。
New ark mission施設内の変化には少し驚きました。大きく気づいた違いは2点あります。1点目は、食糧庫の中に野菜が一切入っていなかったことです。前回の訪問では、溢れるほど野菜が入っており、野菜を切っている女性がたくさんいたのが印象的でした。一時的な支援ではなく、恒常的支援が必要だということを感じました。
2点目は、施設内の病院の場所が3階に移転していた事です。0階から3階に施設移転し、一人一人のベッドの間隔、そして収容できる人数が増えていました。その点はすごく良い事だと思いました。一方、元々病院であった0階の部屋は現在改修中と伺いましたが、覗いてみると手がつけられていない状態で混沌とした部屋になっていたのが少し気になりました。
病室内では、8ヶ月前、手を握ると私の目の前で涙を流し笑顔になってくれたお婆さんが今日もいました。私にもお婆さんにも、同じ時間は流れているけれど、お婆さんの8ヶ月はずっとベッドの上だったのかな? と少しそんな考えがよぎりました。お婆さんが、今日も笑顔を向けてくれたこと、それが嬉しかったです。
美穂さんが、おっしゃっていたよう施設内にいる人たちと私たちも紙一重だと思います。日々心身の健康を保つため、改めて、食事・睡眠・運動・交流・余暇・学習・仕事・1つ1つ大切にしたいと思いました。
8ヶ月前、New ark missionを訪れてから、自身の毎月の収入の2%を寄付に回すと決め、行動に移すことができています。今の私にできる事は、まだ少ないけれど微力だけど無力じゃないとの思いを今日改めて持つことができました。そして、改めて日々現場で慈善活動を行っている方々へ敬意の念を抱きました。
日本へ帰国しても、私がこの1年で学んだ色々な社会を忘れず心に留めながら、目の前のことを一生懸命にできることを1つ1つ増やしていきたいと思います。貴重な機会をありがとうございました。
【感想08】インド在住歴2年1カ月/網城瑞花
私はバンガロールに来て約4カ月となる2024年8月28日に、貴重なご縁をいただき、当該施設を初訪問いたしました。施設に到着すると、当方のドライバーが、「何年か前に父が他界した際、食べ物を寄付しにここに来たことがある」というので、ドライバーの志に感銘を受ける一方で、「マダム、これを持っていきなさい」と、おもむろにマスクを渡されたことで、施設内の環境に少し不安を抱きました。
坂田さんのご先導で、他の参加者の方々とともにいざ施設の中へ。門番の方、行きかう方の表情は比較的明るく、着衣も整い、いわゆるchallenged pesonではない子供たちは学校へも行っている、とのことで、第一印象としては想像していたより穏やかな雰囲気でした。
ところが、まず同団体の活動を伝えるビデオを視聴し、人々がこのホームに担ぎ込まれる時の心身の状態を目の当たりにしてショックを受け、またそれを、医療のプロではない、同団体設立者のラジャさんが、大胆かつ愛情をもって”治療”するシーンには言葉を失いました。私だったら体が固まってしまい、そのような人々に触れることはおろか、ビデオで
さえ直視をはばかられるような状態の映像もありました。そしてラジャさんによって助けられた人たちの体の傷跡が治り(おそらく心の傷も少しずつ癒され)、目に力が宿り、ホーム内で貢献される姿を見るにあたっては、もう奇跡の一言でした。
その後、ホーム内の調理場や、病床のお部屋を見学。坂田さんや以前にも訪問された参加者の方より、前回はもっと調理場に野菜があったと聞くも、この日の調理場には食材のストックはほぼ皆無に見え、それだけでも現在、この団体が直面している問題に喫緊の対応が必要なことが伝わってきました。
また、海外からの寄付金・支援を正当に受けられる手続きを経ている団体にも関わらず、現在、寄付が滞っており、従来より財政的に非常に厳しい状況 ー 永きにわたり団体を見つめ支援されてきた坂田さんが「今まで最も厳しい」と仰る状況 ー にあるとの話を聞き、やるせない気持ちになりました。
坂田さんが、点(今)ではなく線(歴史)をたどることが大切、歴史をたどって今を知ることの大切さを説かれおり、私は同団体の歴史を文章では読みましたが、私が実際に同団体現物の現状を現地で見るという点では、私はまだ出発地点の小さな1つの点を付けたばかり。これを起点に、別のコミュニティの友だちや知り合いにまずは同団体のことを知ってもらうべく情報を発信すること、寄付の一歩を踏み出してみること。
今回貴重な機会をいただいた身として、このようなことからはじめて行きたいと思いました。ありがたい経験をさせていただきましたこと感謝申し上げます。
【感想09】バンガロール在住1年/一児の母
まずはじめに,今回このような経験、たくさんの参加者に声をかけていただいた事、ありがとうございました。
色々昨日のことを考えました。施設に行くまでの自分の気持ちや施設の様子、施設の人たちについてを書いていましたが、こちらへの提出には削除いたしました。
ボランティア活動、寄付金の考え方を自分なりに持っていましたが、私の考えの浅はかさと命の尊さを感じる時間でした。考えれば考えるほど迷いが出てきました。答えは出ません。私は平凡な人間なので、自分に都合の良い答えを出そうとしてします。
創業者の方が本当のところどのような理由があったかはわかりませんでした。この施設を始めたこと路上にいる方を施設に連れてきて家族として接するということ。どんな言葉も私からいうことができない。うまく言えません。それは素晴らしいとかすごいという軽い言葉では表せない彼の時間と愛の積み重ねからできた何かで心に何か感じました。
美穂さん、感謝します。ありがとうございました。
【感想10】バンガロール駐在歴1年4ヶ月/女性
施設訪問、参加者の皆さんとの意見交換で、多くの学びがありました。
Rajaの映像では、目を覆いたくなるような壊死した体の一部を、医師ではない彼が当たり前のように処置する姿が衝撃的でした。ただそこにいる人間を助け、人としての尊厳を守ること。それを使命として自身の全てと愛情を長年注ぎ続けてきたRajaの人間性に、深く感服します。
施設の住人は、心身の問題を抱えながらもHomeで衣食住を得、子供達は学校に通えています。これは寄付があってこそ。支援が滞っている今、キッチンの食材が少ないことに心が痛みました。800人を養うのは容易でない現実を痛感しました。
施設で育つ子供達も、大学に通えるのは一握りとのこと。Sustainableな施設運営のためにも、住人が自立して働ける環境を作る支援が必要であると思います。
これまで私は、路上の貧しい人々に、「別世界のこと」と距離を置いていたように思います。自分だけでは何も変えられない現実ですが、美穂さんからの言葉で「ゼロよりイチにすること」が心に刺さりました。少しずつでも、一歩を踏み出し、その姿を家族にも見せていきたいと思います。
貴重な機会をいただき、ありがとうございました。