[SOCIAL MUSE] An afternoon with young entrepreneur Kunzang
バンガロールに住んでいる人ならば、目にしたことがあるであろうHAPPY TOPIAの「ガチャガチャ (Gacha- Gacha)」。土曜日は、そのHAPPY TOPIAの創業者Kunzangと、その母親であり、我が親しき友であるDekyiを招いてのトーク・イヴェントを開催した。
日本人の子どもたちも多く通うCIS(カナディアン・インターナショナルスクール)を、つい先日、卒業し、近々ロサンゼルスの大学に進学すべく準備中のKunzang。彼が学業の傍ら起業し、1台目のガチャガチャをUBシティに設置したのは2022年11月のことだ。それから2年も経たない現在、すでに、バンガロールはじめ、ムンバイ、デリー、ハイデラバードほか複数都市のショッピングモールやメトロ駅に、800台ものマシンを設置するに至る。
現在は、自身が留学する間のリモート環境を整えるべく、24名(20歳~24歳)のコアチームを結成。AIを駆使してのシステム構築やデータ管理などを引き継ぐ作業をしているとのこと。
【出会いと経緯】
わたしが初めてKunzangと出会ったのは2017年。まだ12歳だった彼は、聡明で知的な印象を放ちつつも、あどけなさの残る少年だった。しかしパンデミックでしばらく会わないうちに、あっという間に成長、若き起業家になっていた。
Dekyiとわたしは、グローバル組織YPOにて、同じフォーラムに属する。月に1度、9名のメンバーで集うミーティングをはじめ、各種イヴェントやパーティでもしばしば顔を合わせる。ゆえに、Kunzangの成長ぶりについては、時折、耳にしてきた。約半年前から、日本の若者たちとの交流の場を設けたいと計画していたことが、今回実現した次第だ。
起業家とはいえ、まだ19歳のKunzang。人生経験豊かなビジネスマンよりは、話題も少なめだろうと考え、当初は参加する日本人学生らにモデレータの候補を募った。しかし、希望者がいなかったことから、わたしが司会をしつつ、質疑応答を交えながらの座談会にしようと考えた。結果、その判断は幸いした。
話題が少なめでは……などと思っていた自分を恥じる。Kunzangの話は、想像を遥かに超えて圧倒的で、わたし自身が前のめりで聞きたいことが尽きなかったからだ。
【ソーシャル・ライフを重んじるインド】
この日の参加者は、日本人の若者(20代)4名、日本人の母とCISに通う息子(15歳)、日本人の妻とインド人の夫のカップル、ファッションデザイナーのインド人女性とその夫、日系企業 (TOTO)に勤めるインド人社員2名、そして我が夫。本当は日本の若者や子どもたちも多く招きたかったが、今は夏休みで一時帰国の人が多く、合計16名にとどまった。しかし結果的には、皆が打ち解けて言葉を交わすにちょうどいい人数だった。
本題に入る前、わたしは日本人ゲストに対し、インドの社交、即ちソーシャル・ライフについて説明した。インドでは一般に、人々を気軽に家へ招き入れる。休日はもちろんのこと、帰依する宗教の祝祭日、誕生日、記念日などは、親戚や友人、老若男女が一堂に会し、言葉を交わす機会が多い。日頃から、大人と会話をする環境にあることからも、多くの子どもたちは、物怖じせずに自分の意見を言える。
【Kunzangの家族と子ども時代】
まずはDekyiに自己紹介をしてもらう。チベット系インド人の彼女の父親は、ダライ・ラマ14世からの命を受け、カルナータカ州のバイラクッぺ(Bylakuppe)にある一大チベット人コミュニティの構築に貢献した人物。その経緯については、父君を拙宅に招いてお話をしていただいたときの記録を残している(下部にリンクあり)。
なお、Dekyiと彼女の夫のAmitは、2005年、ロイヤリティ&リワード・プログラムを管理する、Reward 360を創業。インドはじめ5カ国でサーヴィスを展開するグローバル企業だ。二人のバイタリティあふれるストーリーも興味深く、こちらの話もインタヴューしたいところだ。
チベット人の母親と、北インドはパンジャブ Punjab/シンド Sindh出身の父親の血を引くKunzangの出自に始まり、社会福祉活動にも積極的に参加していた子ども時代、そして初めて経験した「商売」の話から、HAPPY TOPIA創業と現在に至るまでの話を聞く。彼は話し方がうまく、声もいい。人を引き込む魅力を持っている。
【3万ルピーを元手に初めての「商売」】
Kunzang初の「商売の経験」は、12歳。彼が両親と旅行に出かけたときのことだ。ロンドンやスコットランドの店頭で、おしゃれなスニーカーを目にした。当時、インドではまだ販売されていないブランドのそれらを見て、インドでも売れると直感。彼は両親を説得し、3万ルピーを借りて5足のスニーカーを購入した。インドに戻って1週間以内で全てを販売、利益を得ることができた。それが彼にとって初めて「お金を稼いだ」経験だった。
「父は、商売に聡いパンジャブ/シンドの出身。だから、利益を出すからという僕の言葉に乗ってくれたんですよ」と、笑いながら話すKunzang。多様性に富んだインドでは、歴史的に金融や貿易、商業に強いコミュニティや財閥、宗教の存在も、社会を形成する要素のひとつ。マルワリやジャイナ教徒のコミュニティも知っておくべきキーワードだ。
絵画のセンスもあるKunzang。ロックダウンで引きこもっていたころ、新しいiPhoneを親に買って欲しいと頼んだが、却下された。それならば自分で稼ぐと一念発起。日本のアニメーションのキャラクターなどをアクリル画で描き、それを販売して収入を得て、iPhoneを購入したという。ちなみに、この一家、日本文化や日本料理が大好きで、頻繁に日本料理店で食事をしている。
【ボクシングと引き換えに】
Kunzangはまた、スポーツの才能にも秀でている。実は起業する直前まではボクシングに夢中だった。父親も、祖父も、彼の奮闘を喜んでいたが、母親であるDekyiの心中は穏やかではない。勝利すれど、顔は腫れ上がり、血が滲む。そんな顔写真を見せられて、アンティ(おばさん)のわたしでさえ、やめて欲しいと思ったほどだ。最終的には州大会の2位にまで上り詰めたという。
Dekyiはそれ以上、彼がボクシングを続けることをやめてほしく、その代わりに彼が学校のプロジェクトで企画していた「ガチャガチャ」の実現をサポートすると示唆した。周囲はまさか、彼が短期間にここまで本格的なビジネスとして展開するとは予想もしていなかった。最初の1台目は、両親の知り合いの伝手で設置が決まった。しかしそれ以降のほとんどは、自分が飛び込み営業で交渉した。
「モールには、必ずオフィスがありますから、そこに直接、行くんです。セキュリティガードに止められて、誰に会うのか、と尋ねられたこともあります。大変重要なミーティングなんだ。誰に会うかなんて言えませんよ、と演技をして通過したこともあります」
「僕が18歳の起業家だとわかると、みな関心を持ってくれます。僕がもし30歳だったら、話を聞いてくれないでしょう。僕は今、若いという強みを最大限に使っているんです」
【飛び込み営業に、わたしも共感】
屈託なく笑いながら話すKunzangに、わたしは強い共感を覚えた。まさにわたしも同じ手で、拙著『街の灯(まちのひ)』の出版や、西日本新聞のコラム連載に至ったからだ。
2001年のニューヨーク在住時のこと。当時、児童書の出版社だったポプラ社に大人の書籍を販売する編集部ができたことをYahoo!ニュースで知った。閃くものがあり、当時書いていたメールマガジンの中からいくつかの記事を選んで印刷し、FEDEXで送ったのだ。海外から届いた原稿ならば、目につきやすいだろうと考えたのだ。結果、わたしの原稿は編集者の目に留まり、出版に至った。このようなケースは初めてだったという。
西日本新聞の連載はまさに飛び込みで得た。インド移住後まもない2007年の一時帰国時。友人に渡す予定で、福岡の天神へ『街の灯』を持って出かけたが、その人と会うことができず。帰路、ふと大丸デパートを見上げた時、「西日本新聞」の文字が目に入った。本を持ち帰るのではなく、編集部に見てもらおうと立ち寄った。1階の受付の女性に、国際部に繋いで欲しいと事情を説明。結果、編集者とお会いし、月に一度の『激変するインド』寄稿が決まった。5年間も続いた連載だった。飛び込み営業、有効なのだ。
【母は強し!】
ボクシングの話でもうひとつ。Kunzang曰く
「母は、僕にボクシングをやめさせたいと言いつつも、決勝戦のとき、観客席から大声で僕を激しく鼓舞したのは、母なんですよ! それも他の人にはわからないようにチベット語で! 試合の終盤、リング上の僕たちは二人とも疲労で朦朧としていたんです。そのときに、なにやってんの! ボ~ッとしてないで攻撃しなさい!って。僕には、母のその声だけが聞こえてきました」
さすがDekyi、母は強し!
【HAPPY TOPIAの描く未来とインド神話】
HAPPY TOPIAを巡る話は、「最先端のテクノロジー」の宝庫でもあった。日進月歩のAIの技術のおかげで、わずか2年足らずの間にも必要な経費が大幅削減されているという。マシン本体は、すべてバッテリーを備えているため電源が不要。800台全てがデータで一元管理されており、バッテリーやカプセルの残量など即座に確認可能だ。電子マネーによる支払いにつき、誰がどこでいつ、何個購入したかなども即座にわかるという。
なお、1000種類を超えるカプセルの中の玩具は、すべてインドの複数業者から仕入れるインド製だ。
昨年モディ首相により発令された「中国製の玩具を輸入しない」という政策が、インドの玩具業界を進化させつつあること、日本のアニメーションの技術に敬意を抱いていること、近々、中東への展開を視野に入れていること……。Kunzangは「立板に水」の如く、わたしの質問に対して的確に答えてくれる。
そして彼の展望。5000年以上の歴史を持つインドだからこそのコンテンツを構築すべく、インド神話に登場する神々のキャラクター化を考えているという。ガチャガチャはあくまでも最初の手段。その先にある彼の構想は、わたしの想像を超えた未来予想図だった。
彼の具体的な構想については、ここでは触れない。近い将来、どのような形で実現するのかを、静かに見守っていたい。
【インド神話『ラーマーヤナ』の話で盛り上がる】
Kunzangが、インドの二大神話のひとつ『ラーマーヤナ』に言及したことを端緒に、場の発言が活発になる。近年、スピリチャル世界に強い関心を持っている我が夫も、神話の偉大さについてを語る。
ところで、1992年に公開された『ラーマーヤナ ラーマ王子伝説』という日本とインドの合作アニメ映画がある。以前、わたしもその映画を見て感銘を受けたが、Kunzangも見ており、日本のアニメーション技術に敬服していた。
多くの旅人を惹きつけるここカルナータカ州のハンピ。わたしも大好きなこの場所は、『ラーマーヤナ』の舞台のひとつだ。猿の神様であるハニュマーンの生まれ故郷なのだ。以前、わたしがハンピ旅の途中で偶然見つけた寺院は、主人公のラーマ王子と弟のラクシュマンが、ハニュマーンと出会った場所。この詳細は、わたしの旅のブログにも明記している。
ともあれ、この寺院では、過去何十年も、僧侶たちによって24時間途切れることなく『ラーマーヤナ』が読み上げられている。そのお気に入りの寺院の話をしていたところ、なんとゲストの一人だったデザイナーの友人がハンピ出身で、祖父がその寺院と深い関わりがあるという。
さらには、TOTO勤務の女性もハンピ出身で、二人の家族は知り合い同士だということも判明した。なんという偶然か。我が家のホールは、ラーマーヤナやハンピのモチーフが随所に配されている。ハンピの寺院を描いた絵の前で、二人は記念撮影。人々は、出会うべくして出会うのだとの思いを新たにする。
【楽しきティータイムと参加者の感想(抜粋)】
まだまだ書き残しておきたいことは尽きぬが、自分でも驚くほど、長編となってしまった。
彼の話のあとは、参加者からの質疑応答、そしてティータイム。久々にスポンジケーキを焼き、抹茶や和菓子も好きなDekyiとKunzangのために、抹茶クリームとあんこで味付け。チョコレートで飾り付けた。そして毎度おなじみ、日本で買ってきたカステラナイフにて、入刀だ。
手前味噌だが、とてもおいしくて好評だった。かつて毎週金曜日にSTUDIO MUSEを開いたころは、毎週のように大量のお菓子を作っていたものだ。何もかもが懐かしく過去になる。
ところでわたしのお気に入りの、ヘルシーなタロイモのスナック「TARO」を持っているのは、W太郎。お二人とも太郎さんにつき、ナイスな1枚。
【参加者からのメッセージ】
イヴェント終了後、参加者が寄せてくれたコメントの一部を抜粋して、以下に転載する。このような反響を得られると、これからも有意義な企画を実施したいとの思いに駆られる。
「Kunzangさんの経営理念や今後どのように事業を広げていくのか、そのビジョンを知れて勉強になりました」
「彼がインドの文化に誇りを持っていることがビジネスの話からもひしひしと感じられ、このような人がこれからのインドを背負って立つのだと感じました。ティータイムでは、日本食の話やアニメの話で交流できて楽しかったです!」
「ティータイムでもインドにおける日常生活や恋愛まで様々なトピックでお話しできて本当に楽しかったです」
「起業のスピード感とビジネスネットワークの広さに圧倒されました! そして、アイデアと実行力、プレゼン力、そして声の良さ! 温かくスマートな人柄に周りも付いていくんだろうなと思いました。」
「今後のビジョンや、なぜロサンゼルスで学びたいかというお話しや、その話し方からも学ぶことが沢山でした」
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