◉Malyavanta Hill
➡︎https://hampi.in/malyavanta-hill
*今回、全5回に亘り、2021年9月24日から27日にかけての、カルナータカ州ハンピの旅をレポートしています。他の記録もぜひご覧ください。
➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/hampi-journey/
*この [HAMPI 06 完結編] では、以下の項目から、②に関する記録を残しています。
①数十億年前/生まれたばかりの地球の姿が残る場所。地質学の視点
ハンピ一帯の「岩盤」や「奇岩」は、地球上で最も古い露出面のひとつ。地球が誕生した時、とてつもなく巨大な花崗岩の山だった一帯が、数千万年(数十億年という説もある)に亘って、日射しや嵐、風、雨といった自然の力に浸食で、徐々に形を変えた。石が積み重なったのではなく、自然という「彫刻家」によって造形された奇岩なのだ。
②数千年前/神話の世界。インドの二大叙事詩の一つ『ラーマーヤナ』における主要ポイント
『ラーマーヤナ』とは、古代インドの長編叙事詩で、インド人の多くが知っている重要な神話だ。ヒンドゥー教の聖典の一つであり、『マハーバーラタ』と並んで、インド二大叙事詩とされている。北インドのコーサラ国を去らねばならぬ運命に陥ったラーマ王子とシータ姫、ラーマの弟ラクシュマンを巡る物語。現在のスリランカである「ランカ島」に住む10の頭を持った悪魔ラーヴァナによって、シータ姫が誘拐される。姫を救うべくラーマとラクシュマンは鬼退治に行くのだが、途中、このハンピで絶大なる助っ人、猿の神様「ハニュマーン」と出会う。この『ラーマーヤナ』に因んだ場所がハンピには数多くあり、我々夫婦も稀有な経験をした。
③数百年前/世界規模で栄華を極めたヴィジャヤナガル王国の王都
ハンピは、14世紀から16世紀中頃にかけて隆盛を極めたヴィジャヤナガル王国の王都だった。宝石やスパイス、布などさまざまな貴重品が交易されるバザールが存在。当時の都市遺跡は各所に散らばり残っているが、中心部の「一部」がユネスコ世界遺産に指定されている。
④現代/鉱山と鉄鋼業。オリンピック選手養成施設。自然保護区など
ハンピ界隈の地中には、鉄鉱石が眠っており鉄鋼業が盛ん。日本との関わりも深い。今回、YPO主宰での旅だったこともあり、鉄鋼大手ジンダルの幹部であるメンバーの計らいにより、製鉄所や鉱山の見学をした。さらには、ジンダルによって設立されたオリンピック出場選手の養成施設も訪問。2020東京オリンピックに出場した選手にも会って話を聞けた。この他、今回は訪問しなかったが、ハンピには動物(熊)や植物の自然保護区もある。
⑤滞在したラグジュリアス・ホテルやYPO主催のパーティの記録など
ハンピはすばらしい土地ながら、いかんせん、観光インフラが整っていない。ニューヨークタイムズの2019年版「訪れるべき旅先52選」で、ハンピは2位に選ばれた。これを機に、徐々に海外からの旅行者にも対応すべくインフラが向上すると思われたが、まだまだホテルや飲食店の選択肢が少ないのが現状。ヒッピー時代の名残が強い。しかし、我々が滞在したホテルも数年前に誕生するなど、徐々に環境が整い始めているようだ。
⬆︎ラーマ王子が4カ月間滞在、瞑想を続けた祠にて、束の間。瞑想をする我々。
◉インドがインドである理由が見えてくる『ラーマーヤナ』の神話世界
わたしがハンピで一番好きな場所。それは前回、2018年の旅の際、偶然、訪れるに至った Malyavant Shri Raghunath Temple と、その背後に隣接する Sri Parasanna Virupaksheswara Swamy Templeだ。
前回の旅では、友人とKRSMAワイナリーに足をのばしたあと、一足先にハンピを離れた友人を見送り、わたしは引き続き滞在した。ユネスコ世界遺産の観光ポイントを巡っている時、物売りの少年からガイドブックを購入。パラパラとめくった際、1枚の写真が目に止まり、「ここに行かねば」と思った。そして、その日の夕暮れ時、赴いた。
この場所の魅力を受け止めるには、『マハーバーラタ』と並ぶ、古代インドの二大叙事詩『ラーマーヤナ』の物語を知っておくに越したことはない。
紀元3世紀ごろに成立したとされるヒンドゥー教の神話『ラーマーヤナ』(全7巻)。元、盗賊。転じて詩人となったヴァールミーキが、古代コーサラ国のラーマ王子の伝説を編纂したとされている。
古代コーサラ国(現在のアヨーディヤ)のラーマ王子は、諸事情あって国から追放される。弟のラクシュマンと、妻のシーター姫と三人で旅をしているときに、シーター姫が、ランカ島に住む魔王、ラーヴァナに誘拐されてしまう。姫を取り返すべく、ラーマ王子とラクシュマンが旅する中、力強い助っ人に出会う。それが、猿の神様、ハニュマーンだ。
『ラーマーヤナ』の第4巻、キシュキンダーの巻は、ハニュマーンの生まれ故郷であるキシュキンダー、即ち現在のハンピが舞台となっている。『ラーマーヤナ』については、今回の旅記録の冒頭 [Hampi 01] にも記しているので、ぜひ後半を再読のうえ、この記録を読み進めて欲しい。
[HAMPI 01] ハンピ旅序章/地球創生から現代まで。複数の次元を時間旅行
➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/10/hampi01.html
*神話と現実が交錯しながら、今に連なるインド。2018/03/26
➡︎ https://museindia.typepad.jp/2018/2018/03/hampi04.html
以下の地図は、ラーマ王子一行が、コーサラ国(アヨーディヤ)から、姫を誘拐した悪魔が住むランカ島(現在のスリランカ)に至るまでの足跡を辿ったものだ。
なお、アヨーディヤは、ヒンドゥー教とイスラム教の間での聖地争いが延々と続いてきた場所。この件についてもかつてブログにまとめているので、ぜひご一読を。
🇮🇳アヨーディヤーの判決を巡っての覚書と経過(2019/11/09)
➡︎ https://museindia.typepad.jp/2019/2019/11/ayodaya.html
この日、夕方からYPO主催のミュージック・パフォーマンスがあるのはわかっていたが、どうしても夫を、この寺院がある丘に連れてきたかった。ここからの夕景がすばらしいのに加え、ラーマ王子と弟のラクシュマンが、シータ姫を助ける道中、ここに立ち寄り、ハヌマーンと出会ったという、極めて重要なスポットであることを、前回の訪問時で知ったからだ。
そんなに大切な場所にも関わらず、ここはユネスコ世界遺産のヘリテージサイトから外れていて、観光客も少ない。あのガイドブックを読まなければ、そんなエピソードを知ることすらできなかった。
夕刻、ヴィルパクシャ寺院を訪れたものの、大雨に降られたことから、ホテルに戻った方がいいのではないかと夫は言うが、雨は止むかもしれないと思った。
*[HAMPI 04]ユネスコ世界遺産。数百年前に栄華を極めたヴィジャヤナガル王国の面影を残す都市遺跡
➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/10/hampi04.html
予感は当たり、その丘に到着するころには雨が上がり、彼方にほんのりと、虹が出ていたのだった。
右側のガイドブックが、2018年に少年から買ったもの。この本のおかげで、ここにたどり着くことができた。
ここは、他のサンセット・ポイントとは異なり、石段などを登らずに、車で高台にたどり着けるのが魅力でもある。ただし、「いたずらな猿」と「盗みを働く人間」が発生するらしく注意が必要。特に猿は、携帯電話などを奪うらしい。
……と、早速、バイクに置かれていたカバンを開け、書類を散らかしている猿らに出迎えられる。叱って、ハニュマーン!🐒
入り口の門の背後にある展望台。ここからは「360度」の光景が見晴るかせるらしい。つまり、日の出も日の入りも拝むことができるのだ。次回の旅では登ってみたいと思う。
前回の訪問時と同様、この日も二人の僧侶がマイク越しに『ラーマーヤナ』を読経していた。聞けば、14年前からずっと、24時間、途絶えることなく唱え続けているとのこと。14年前、何を契機に始まったのか、その理由を知りたかったのだが、聞けずじまいだった。次回の訪問時には知りたいと思う。
実は我が夫。かつては信心深さはほとんどなく、スピリチャルなことも、非科学的なことも、ほとんど信じなかった。わたしの祖母が、霊的な力を持つ人だったことから、折に触れてその類の話をすることもあったが、信じる様子もなかった。
ところが昨年の1月に義父ロメイシュ・パパが他界した直後、彼の親しい友人にスピリチャル・リーダーのMoojiを紹介され、リシケシに会いに行ったのを機に、彼の志向が大きく変わった。以来、日々、オンラインで彼の話を聞いており、週に一度、サットサンにも赴いている。「サットサン」とは、サンスクリット語で「真実を探求する仲間」を意味する。
義父の急逝に伴う苦悩とさまざまな手続き。パンデミック。米国永住権の放棄……。仕事以外にもストレスの多い出来事を片付けねばならず、夫婦揃って精神的に滅入っていた。そんなとき、夫は、Moojiを通して、信仰や、精神世界への関心が芽生えたようである。毎朝の瞑想も、彼の心を少なからず平穏に導いている。
ゆえに、かつては決して率先して訪れなかった寺院へも、積極的に、踏み込んでゆく。妻はといえば、幼少時から少なからずスピリチュアルな経験をしてきたこともあり、この世、現世で、なるたけ情緒が偏りなく平穏に保てるよう「調和」「均衡」を心がけている。ゆえに、夫がバランスを崩さないように、見守ってもいる。
人には、そのときどきで、立つべきステージが用意されているものだな……。と漠然とながらも思う。
寺院の裏手にまわり、塀に設けられた小さな入り口をくぐり抜けると、目前に広がる光景。白い寺院を戴いた巨岩の前に祠がある。これが、2000年以上前からあるという Sri Parasanna Virupaksheswara Swamy Temple だ。ガイドブックでこの写真を見た瞬間に、心を奪われたのだ。
この場所で、ラーマ王子とラクシュマンは、ハニュマーンに出会った。折しもモンスーンの時期だったことから、シータ姫をランカ島へ出陣するまでの4カ月間を、ここで過ごしたという。
手前の岩には、いくつものナンディとシヴァリンガが彫られている。岩の裂け目からは絶え間なく水が注ぎでているとのことだが、ここは自分たちの飲み水を得るべく、ラクシュマンが矢を放って、裂け目を作ったとのこと。
夕日が沈み、人々が去ってなお、名残惜しく薄暮の空を眺めていた。……と、夫が祠に入って、グルにプジャー(儀礼)をしてもらっている。
夫のスマートフォンの画面には、ロメイシュ・パパの写真。なんでも今朝、マルハン家の宗教儀式をしてくれているデリーのグルから電話があり、パパのプジャーをするようにと言われていたらしい。ゆえに、グルに頼んで、マントラを唱えてもらっていたのだった。
ラーマ王子は4カ月間、毎日ここで瞑想していた。ラーマ王子が追放されたことで、父のダシャラタ王は深い悲しみに苛まれ、遂には亡くなってしまう。父親の訃報を受けたラーマ王子は、この洞窟で、父親を弔ったという。グルからその話を聞いて、鳥肌が立つ思いがした。
神話の世界と現実とが交錯して、脳内が混沌としている。わたしは来るべくして、ここにたどりついている。その思いだけは、確かだった。
◉旅の終わりに。帰路に着く前に、再び立ち寄る
最終日。折しもシヴァの祭礼の日。夫もわたしも、どうしても最後にこの寺院を訪れておきたく、ホテルをチェックアウトしたあと、帰路に着く前に、再訪した。まず、手前のMalyavant Shri Raghunath Templeを訪れたところ、グルの話を聞かせてもらえることになった。
……が! ヒンディー語による会話で、わたしは何がなんだかさっぱりわからず。夫は通訳をしてくれず、わたしも聞きたいことを尋ねられず、このときほど、ヒンディー語ができればよかったと思ったことはない。
やがて昼食の時間となり、わたしたちも施しをいただいたのだった。そしてしばらくのあいだ、境内を巡った。彫られている神々、モチーフ、すべてに意味が込められているだろうことが見て取れて、眺めるほどに尽きぬ。
石塀に掘られた動物や魚のモチーフは、どこかしら愛嬌のある表情でかわいらしい。
蛇(龍?)と満月、ウサギのモチーフにも、何らかのストーリーがあるらしいということも、今回いろいろな資料を確認して知った。日本人が満月の中にうさぎがいる……ということも、何かしら関係があるのではないかと思う。
岩壁に描かれたウサギと月に関する記事
➡︎https://www.newindianexpress.com/opinions/2021/may/15/lunar-eclipse-and-the-intelligent-rabbit-in-hampi-2302604.html
何人かの僧侶が交代で、昼夜を問わず延々と、途絶えることなく14年間の間、マントラを唱えて続けている。
この場所に関する資料は少ないものの、動画や記事を発見して目を通したところ、益々、関心が高まった。ハンピには、いや、インドのあちこちには、このような神秘と呼ぶにふさわしい、稀有で有り難き場所が、存在している。現代を生きる自分の在り方を、教えてくれるような力ある場所。一箇所でも多く、身を置いてみたいものだと思う。
ここにはまた、来ます。必ず。
【関連情報】
◉Malyavanta Hill
➡︎https://hampi.in/malyavanta-hill
◉岩壁に描かれたウサギと月の物語
➡︎https://www.newindianexpress.com/opinions/2021/may/15/lunar-eclipse-and-the-intelligent-rabbit-in-hampi-2302604.html
⬇︎以下は2018年に一人で訪れたときの写真
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。