モンスーンシーズンの狭間なのか、それともまもなく開けるのか、このごろは晴れ間が多く。曇りがちのころにこの部屋に住むことを決めて、そのころには余り気づかなかったのだが、ここしばらくは毎日のように眺められる夕映え。
ビルディングの谷間からのぞくアラビア海と、オレンジやピンク色に染まる薄暮の空と、そのときどきの形をした雲と、その上から迫り来る紫や藍色の夜。
スラムから伸びる堤防を、歩く人々が影絵。
混沌が物語となって、一葉の絵となる日の終わり。
マンハッタンの、摩天楼を染める夕映え。
ワシントンDCの、カセドラルを染める夕映え。
美しい夕陽を見続けてきたけれど、この街の夕映えもまた、日々、異なった表情を見せながら麗しい。
モニュメント・ヴァレーの夕陽は、夢だった。
アッシジの夕陽は、幻だった。
ゴビ砂漠の夕陽は、神だった。
数え上げればきりがなく、無数の夕陽がしみている。
ここからの夕陽もいつの日か、そんな記憶の一つに溶けるだろう。
●リサーチとレポートづくりと。
数日間の作業の果てに、我ながらできのよいレポートが仕上げることができた。本日クライアントへメールを送る。容量の重いデータは、「宅ふぁいる便」というサーヴィスを使って送信している。
ニューヨークのMuse Publishing, Inc.時代は、たとえば印刷用のフィルム出力のためにデータを送るのでも、今思えば軽い容量だったにも関わらず、インターネットを通して送るなど不可能で、自らZIPカセットを出力センターに届けたり、あるいは宅配便などを利用していた。
それが、100MBまでもの重いデータを、日本まで、しかも無料で、インターネットを通して送ることができる。隔世の感有り、だ。無論、「インターネット以前」の東京における編集者時代を思えば、その作業のシステムが根本的に異なるわけで、そこまで遡ると話がとてつもなく長くなるので、遡るまい。
かつては「クオークエクスプレス」や「イラストレータ」や「フォトショップ」といったソフトウエアばかりを使っての仕事だった。文章を書き、レイアウトをする。デザインをする。
最近は、相変わらずアップルコンピュータを使ってはいるものの、マイクロソフトオフィスで、「ワード」や、「エクセル」や「パワーポイント」を使う。パワーポイントで資料を作るのは、かなり楽しい。しかし、根を詰め過ぎて、肩が凝る。
●アーユルヴェーダがなくしては。
なにかと、肩が凝る日々である。従って、1週間に一度は、何らかのマッサージを受けている。そのときどきで、マッサージの種類や受けるスパ、サロンは異なるが、ほとんどがアーユルヴェーダだ。
バンガロールでは、移住当初から自宅まで来てくれている女性に、1回350ルピー程度でアーユルヴェーダのマッサージを受けている。
わずか1000円足らずで、頭の先から足の先まで、1時間半ほどもかけてじっくりとマッサージをしてもらえる。しかし、「ものすごく巧い」というわけではなく、たまには他のスパへ出かけたくなる。
以前は、THE GRAND ASHOKにあるスパを気に入っていて、しばしば訪れた。ドクターがよかったのだ。初めて訪れた時、自分の体質を見てもらい、思っていた体質と異なっていた(←文字をクリック)ことを知り、驚いたものだ。
アルヴィンドも訪れ、彼の体質も見てもらって、なるほどと納得した。ちなみにわたしは、空気と空間(ヴァータ)、彼は水と地(カファ、カパ)が強いタイプであった。
ドクターには取材をさせてもらったし、母もバンガロール滞在時、しばしば訪れた。「母日記」(←文字をクリック)にもその旨、記されている。
バンガロールにあるANGSANA SPAは、タイのバンヤンツリーグループによるもので、施術師はみなしっかりと訓練を受けており、たいへん上手。フェイシャル、マッサージ、いずれも好みであるが、ここはたまに夫と出かける場合が多い。
ちなみにOBEROI HOTEL内のスパは、バンヤンツリーグループであり、非常にトリートメントがよいのだが、宿泊客しか利用できないのが玉に瑕。
ムンバイでは、ご近所TAJ PRESIDENTのビューティーサロンのヘッドマッサージとフットマッサージが安くてすばらしいので、ときどき通っている。デスクワークで煮詰まったときなど、歩いて5分ほどで向かえるところが気軽でよい。すでに施術師のお姉さん(おばさん)とも顔なじみだ。
TAJ系のサーヴィスアパートメントWELLINGTON MEWS内にある高級スパは、スチームバスやジャクジーなど設備が整っていてすばらしい居心地なのだが、なにせアーユルヴェーダの施術師のお姉さんが、あまりうまくない。ということは以前書いた(←文字をクリック)。
……と、長々書いているが、今日書きたかったのは、「本気なアーユルヴェーダ診療所」についてである。以前から何度か訪れたことがあったのだが、今回、非常に上手な施術師のお姉さんに遭遇することができ、彼女を指名できることから、ここを継続して使うことに決めた。
マリン・ライン駅の西、パルシ・ジムカーナクラブのそばにある、THE KERALA AYURVEDIC HEALTH SPAがそれである。アーユルヴェーダの本拠地であるケララ州の名を掲げた本気の診療所で、ムンバイだけでなくインド各都市に支店をもつ。行ったことはないが、バンガロールにもある。
それにしても、「スパ」と呼ぶにはほど遠い、裏寂れたたたずまいだ。
ドアを開ければアロマのいい香りが……ではなく、さまざまなオイルやハーブが混沌と入り交じった、「変な匂い」が漂ってくる。
アーユルヴェーダならではの「木製のベッド」も年季が入りまくっていて、どれだけ油を吸い込んでいるんだか、という重厚さだ。部屋は狭く、設備も古く、まったく寛げたムードじゃないのだが、施術師がうまい。
二人の女性が一組となり、身体の左右をシンクロナイズしなから行う「アビヤンガ」と呼ばれるマッサージ、それから額に油をたらたらと流し続ける「シロダラ」のセットをやってもらうのだが、これが途方もなく、気持ちよい。
アビヤンガとシロダラのセットは、2時間コースと1時間コースがあるのだが、1時間コースでも十分にリラックスできる。シロダラをやってもらっている間は、驚くほど深い眠りについてしまい、とても30分程度仮眠を取ったとは思えないその後の爽快感だ。
シロダラは、精神的な疲労を和らげる働きがある。それなりに疲労している精神が鎮まり、感情が穏やかになるのである。
施術後は、頭髪はどっしりと油を含み、全身も油まみれ。「タンカーから流出した油にまみれた海鳥」を彷彿とさせる状態だ。どんな状態だ。
にもかかわらず、シャワールームは湯があまり出ないし、タオルもぺらぺらのものが1枚ある限り(要持参)。従っては、取り敢えず表面の油をなんとか取り除き、油ギッシュのままタクシーに乗り込んで自宅へ直行、家でシャワーを浴びるのである。
ファンシーな設備はないものの、やはり決め手は施術師の腕前である。話が長くなったが、今後、ムンバイでは、このスパとTAJ PRESIDENTとを利用しようと思っている。
なにしろ「濃い」インド生活である。二都市生活が始まって、飛行機に乗る頻度も増え、気候の変化もあり、それなりに疲労がたまりがちである。肉体疲労だけでなく、精神疲労も少なくない(かなり多い)インド生活。
ここにいちいち書くときりがないが、本当に、こまごまこまごまとトラブルが発生し、その解決に時間を要するのだ。住処が増えた分、トラブル発生率も2倍である。楽しみ、喜びも2倍だもの。などと呑気なことを言っていられないんだもの。
うまく息抜きの方法を取り入れて、元気に生活したいものである。
●すてき鮮魚デリヴァリー。
先日、近所のサスーン・ドックと呼ばれる漁港まで魚を求めに行ったことは記した。空から魚が降って来る、ド汚い漁港(←文字をクリック)のことである。
インドにはその魚しかないのか、と思われそうなほどに、毎度おなじみのポムフレット(マナガツオ)とエビを購入し、自宅に持ち帰り、キッチンを魚臭まみれにしながら捌いたのだった。
その一部始終を見ていたメイドのジャヤが、数日後、一枚のチラシをもって来た。自ら「魚臭」にまみれつつのマダムを不憫に思ったのかどうかはしらないが、それは鮮魚デリヴァリーの会社、PESCAのチラシだった。この会社のことは、各方面の資料で目にしていた。多くの駐在員家庭が利用しているはずである。
存在を知ってはいたが、一応自分で漁港を見ておきたかったのだ。だが、あの漁港は思ったよりも魚の種類が少なかったし、次回はクロフォード・マーケットの裏手にある魚市場へ行こうと思っていた。あそこの方が、品数は断然多いのだ。
が、せっかくチラシをもらったので、一度は頼んでみようかと思う。頼める魚の種類は少なく、またしてもマナガツオとエビである。しかし調理法さえ変えれば、異なる味覚を楽しめる。種類が少なくても、おいしければそれでいいのだ。
さて、注文した翌日の午前中、発泡スチロール入りの魚が届いた。きちんと氷も入っている。きちんと並べられている。その見栄えの美しさに感動する。日本じゃ当たり前のことが、海外では当たり前でないことが数多くあるのだ。これもその一例である。
エビはそのままにしてもらっていたが、マナガツオは内臓だけを掃除しておいてくれと頼んでおいた。と、驚くほどきれいに、捌かれているではないか! 期待していなかっただけに、感動だ。
これならば、自分でむきになって捌く必要はない。軽く洗って水気を拭き取り、ビニル袋に小分けして入れ、冷凍庫へおさめるばかりだ。すばらしい。選択肢が少ないとはいえ、今後は異なるシーフードにもチャレンジしてみたいと思う。
ちなみに初日は、このマナガツオの表面に軽くオリーヴオイルを塗り、塩と胡椒をまぶして、焼いた。何で焼いたかといえば、「オーヴントースター」である。意外にうまく焼けるものなのである。
オーヴントースターには、底にアルミホイルを敷くなどして汚れを最小限にとどめる。魚の表面にオイルを塗るので、網の汚れは軽症ですむ。翌朝、ジャヤにしっかりと掃除してもらえば元通り、である。しかし今後、魚焼き専用のオーヴントースターを購入した方がいいかもしれないとも思う。翌日、微妙に磯の香りが残るのだ。
さて、魚を焼く際は、台所の窓を全開にして海風をじゃんじゃん循環させる。これが米国ならご近所から苦情が来るところだろうが、ここはインド。「悪臭慣れ」している人々満載のインド。魚焼きの臭いくらい、かすかに鼻先をくすぐる程度であろう。
久しぶりに日本米を炊き、熱々のご飯とともに箸で食する魚のうまいこと! しかも調理の簡単なこと! なにしろここ数日はデスクワークに追われていて、今日のところは調理の時間をあまり取りたくなかったのだ。
魚にアスパラガスのグリルを添え、インスタントのみそ汁を用意して完了! これが日本だったら、「おかずの品数が少ない!」と言われそうだが、幸いアルヴィンドは食べ物の不満を言う男ではなく、目玉商品(今日の場合は焼き魚)が一つあれば、それで喜んでいる。作る方としては、たいへんありがたい。
「あなたは、ネコですか?」といいたくなるほどの熱心さで、骨の周囲も頭の部分もきれいに食べ、魚も食べられ冥利に尽きるだろうといった塩梅だ。中途で箸を投げ出し、インド的に手で食べはじめるところが難と言えば難だが、それを指摘すると、米国時代からの常套句であるところの、
「え? これは江戸スタイルだよ」
と反論されることがわかっているから、もう言わない。江戸前寿司を食べるときに限り手で食べてよい、という事実を曲解して、この男は、ときに日本料理をも時に手で食べるのだ。さすがに外食の際には箸を使っているが、以前、刺身を手で食べようとしていて、慌てて制した経緯がある。寿司と刺身は、違うのよハニー。
さて、エビもまた、丸ごと塩焼きにするのがおいしそうだ。旧家政夫モハンのレシピによるエビカレーを作るのもよい。パン粉を使って海老フライもいいだろう。頭の部分は片栗粉をまぶしてフライにし、ばりばりと食べてしまうのがおいしい。
シーフードパスタにしたり、チキンやソーセージとともに、パエリアを作るのもいいだろう。インドの米はパエリア向きなのだ。かわいらしいところで「エビグラタン」なんていうのはどうだ。
食べ物を語りはじめると、尽きない。このへんに、しておこう。