日曜の昼間。あふれんばかりのマラソンランナーがムンバイ市街を走り抜けているだろうころ、ワインを飲みつつ、煎りひよこ豆スナック(素朴に美味)をつまみつつ、コンピュータに向かっている。極めて幸せなひとときだ。
このごろのムンバイは、暑すぎず、湿度も高すぎず、過ごしやすい。そのせいもあってか、さほどバンガロール宅が恋しいとも思わず。むしろ、この街のよさがこのごろは、よりよく見えるようになってきた。
昨日は、メイドのジャヤが作ってくれたランチを食べた後、夫と二人でナリマン・ポイントの映画館INOXシアター(ショッピングモールの最上階にあるシネマ・コンプレックス)へと赴いた。
クリント・イーストウッド監督の作品はよい、という夫が、一昨日購入したチケットは、アンジェリナ・ジョリー主演の『チェンジリング (Changeling)』だった。
舞台は1920年代のロサンゼルス。アンジェリナ扮するシングルマザーの9歳になる息子が誘拐されるが、数カ月後、警察によって連れ戻された息子は、別の子供、つまり自分の息子ではなかった。
しかし警察は、その事実を認めず、彼女の精神に問題があると決めつける……といった、実話に基づいたストーリーだ。
クリント・イーストウッド監督の作品には、数々の名作があるのを知っている。『父親たちの星条旗』『許されざる者』『ミリオンダーラー・ベイビー』『硫黄島からの手紙』……。夫はこれらの作品が好きだという。
しかしここ数年のわたしは、重くて痛ましい映画を敢えて見たいと思わない。アカデミー賞受賞作の『ミリオンダーラー・ベイビー』でさえ、あらすじを聞いただけで、見る気を失った。
20代のころは好きだったはずの、叙情的に、あるいは哲学的に重み深い映画さえ、積極的に見たくはない。血なまぐさい映画も見たくない。現実世界で十分に、重すぎる、痛すぎる出来事が渦巻いているせいだろうか。
無論、いつもそうだとは限らない。時には、おいおいと泣けるような映画を見たくなることもある。しかし、歳を重ねるとともに、単純で楽しいことが尊いとすら、思えることが増えて来た。
歌って踊ってハッピーエンドな、インド映画的エンターテインメントの影響を受けているわけではないのだが、しかし最近は、そっちの方が、いいような、気さえする。
そんなこともあって、『チェンジリング』を見終えた後、「いい映画だったか否か」といった評価は抜きにして、ただ、気が重くなった。憂鬱になった。結末の、小さな希望を感じさせる言葉ですら、焼け石に水な気分だった。
痩せ細ったアンジェリナの強烈アイメイクと大きな唇と涙に歪んだ顔ばかりが、がっちり脳裏に焼き付けられた。ピカソの「泣く女」のようだった。
ところで右の写真は、本日のThe Times of India(インドの代表的な英字新聞)の映画告知欄である。
数日前に観たいと書いていた "SLUMDOG MILLIONAIRE"は今週金曜23日に公開されるようである。
英語版とヒンディー語版が二つにわかれている。別々に上映されるようである。
金曜日と言えば、バンガロールへの移動日だ。
バンガロールでも同時期の公開だといいのだが……。
わたしとしては、シャールク・カーン主演の "RAB NE BANA DI JODI" を観たいのだが、これは夫がいやがる。
昨年流行った"OM SHANTI OM" も劇場に見に行くのを拒み、わたしも一人で行こうと思いつつ時期を逃して、DVDを買ったのだった。
アミール・カーン主演の話題作 "GHAJINI" は、ハリウッド映画 "Memento"のリメイクというかパクリである。
彼が監督した映画 "Taare Zameen Par" に感動した話(←文字をクリック)は以前、書いた。
しかし、"GHAJINI"を観たいとは思わない。いっそ、強烈に阿呆そうなコメディ"CHANDINI CHOWK TO CHINA"あたりを観た方が、人生がより楽しくなるかもしれない。
この、シリアスを避けようとする自分の心境の変化に若干の戸惑いを覚えつつ、ともあれ、『チェンジリング』を見終えた我々、映画館を出て、なんだか気分が重い。
今後は、気分が重くなる映画を、敢えて映画館まで赴いて見に行くのはよそう。という結論に達し、気分転換に、トライデント・ホテルのあたりからマリンドライヴを歩くことにした。
ホテルにはマンモハン・シン首相が宿泊しているとのことで、周辺は昨日に増してセキュリティが厳しい。
貧しき者も、富める者も、若き者も、老いた者も、ここでは渾然と、時を共にしている。
歩く者、走る者、語り合う者、夢想する者……。
明日のマラソンに備えて走る、ランナーたちの姿もちらほらと見られる。ケニアから来たというランナーに、話しかける夫。その後ろから、「塗り絵本」を抱えて売ろうとする貧しい子供。何の共通点もない、不思議な三人の光景。
北上して、南下して、再びトライデント・ホテルのあたりへ。そろそろ帰ろうか、といいながら、NCPA (National Theatre of Performing Arts)の前まで来た。ムンバイ随一の総合芸術施設、ニューヨークで言えば、リンカーンセンターのような場所である。
昨年の7月、一度ミュージカルを見に来たことがある。
入り口に張り出されているプログラムの、本日の上演項目を見る。インドのカタックダンスとタップダンスのコラボレーション、それにヘンデルのメサイアがある。
席が空いていれば、どちらかを見ようということになり、チケット窓口へ。どちらのチケットも購入可能である。インドでヘンデルのメサイア……。どうもピンとこない。 インド人のコーラス、オーケストラのイメージが、どうにも沸かない。違和感がある。
それよりも、カタックダンスがいいのではなかろうか。
しかし、二人で迷った末に、メサイアのチケットを購入したのだった。タイミングよく、上演は30分後の7時から。しかしコンサートを訪れるには不似合いのカジュアルすぎるファッションであることが気になる。
特に夫に至っては、「HARD ROCK CAFE BENGALURU」の黒いTシャツにジーンズである。メサイアを聞きに行くのに、ハードロックカフェはないだろう。が、仕方がない。
エントランスホールは大理石とシャンデリアが美しく、エレガントな雰囲気だ。開演を待つ間、ラウンジでチャイを飲む。
リンカーンセンターであれば、シャンパン、もしくはワイングラスを傾ける、華やかに着飾った人々で埋め尽くされるところだが、ここではチャイやミルクコーヒー、それに小さなサンドイッチが売られている。
メサイアだけあり、尼さんたちの姿も見られる。サリー姿の人、洋装のドレスの人、ジーンズ姿の男性もいれば、スーツにタイの正装もいる。
と、見覚えのある男性が歩いている。水曜日に会ったばかりの、YAZDANI BAKERY(ヤズダニ・ベーカリー)の店主ではないか。
向こうもわたしを見つけて、にこやかに近づいて来た。
「僕はメサイアが好きでね。楽しみにして来たんだよ」
聞けば彼はロンドンとムンバイの二重生活なのだとか。ロンドンで、初めてメサイアを聞いた時に、ソプラノの高音に魅了されたのだと言う。
こんなところで、数日前に会ったばかりのベーカリーの店主と再会するとは、ムンバイは広いようで、狭いようで、おもしろい街である。
さて、コンサートである。これが、想像を遥かに超えて、すばらしかった。ふらりと立ち寄って訪れるには、あまりにも贅沢な時間を過ごすことができた。
オーケストラは、SYMPHONY ORCHESTRA of INDIA とあるが、メンバーの大半が非インド人。プログラムのリストから察するに、ロシア系の名前が目立つ。
一方のコーラスは、ほとんどがインド人。女性たちはサリーに身を包んでいる。指揮者はやはり、サリーに身を包んだCOOMI WAIDAという初老のインド人女性だ。
そしてステージの前に立つ4人の歌手。ソプラノ、メゾソプラノ(アルト)、テノール、バス(バリトン)の4人は、米英はじめ、世界各地で活躍する著名な歌手たちのようである。
個人的には、ROBERT BRACYというテノール歌手の声に魅了された。プログラムによると、バスのAMDREW WETZELは、日本の作曲家、三木稔の「じょうるり」「源氏物語」といったオペラに出演しているらしい。
特にコーラスに関しては、曲によって善し悪しのばらつきが若干あったものの、しかしひとときを、麗しい旋律に包まれることができて、本当によかった。後半の「ハレルヤ」では、観客も一堂立ち上がる。
大学時代のクリスマス礼拝を思い出し、一緒に歌いたい衝動にかられた。近所にコーラス部があったら入るのに、とまた、発作的に思う。
それにしても、オーケストラ席が600、800ルピーと、2000円に満たない安さである。楽団員たちはやっていけるのだろうかと心配ではあるが、しかしこうして気軽に芸術に触れられるのはすばらしいことだ。
今後ももっと積極的に、インド伝統の音楽や舞踏などを鑑賞しに訪れたいものだと思わされた夜だった。