今週の日曜日、ムンバイではシティマラソンが開催される。お向かいのワールドトレードセンターで登録者のゼッケン受け取りを含めたエキシビションが開かれていたので立ち寄ってみた。
フルマラソン以外にも、シニア部門や6キロの「ドリームラン」という部門もある。6キロなら、ちょっとだけ走って、あとはウォーキングで行けそうだ。
学生時代はバスケットボールをやっていたこともあり、持久力は結構あるほうだった。だからって、未だに走れると思い込んでいる自分はいったい何歳なのだ、という話ではある。
つい数年前、いやよくよく考えれば十年ほど前、一時セントラルパークを走り込んでいた。ピーク時には、数日おきに4、5キロは走っていたと思う。しかし腰痛が悪化して、ドクターにジョギングを禁止されたのだった。
「ラン&ウォーク」、つまりダッシュと歩きを交互に繰り返すのならよいとのこと。それは結局、続かなかった。
結果的には、ウォーキングが腰痛に最もよいということで、それ以来、ウォーキングをすることはあっても、ジョギングはしていない。ワシントンDCでも、初夏や晩秋のころは、しばしば近所をウォーキングしていた。
エキシビションを眺めているうちに、本気で参加したくなった。しかし受付は半年前に行われていたらしく、さすがに飛び入り参加は不可能のようである。来年はぜひとも登録しようと思う。
ところで右下の写真は、今朝の新聞。日本から訪れた盲目のランナー、タカハシさんを紹介する記事だ。わたしと同じく43歳の男性だ。1996年に突然、視力を失ったとのこと。
幾多の苦労を経て、パラリンピックなどに参加するようになり、これまでにも世界各地で走り込んで来た経歴を持っているえらしい。ムンバイへは奥さんとともに訪れているという。
応援に出かけたいとも思うが、ニューヨークシティマラソンを遥かにしのぐ、恐ろしい人出に違いない。多分、どこにもたどりつけないと思われる。
そういえば、村上龍の小説に「走れ!タカハシ」というのがあった。村上龍のファンなはずなのに、「走れ!タカハシ」を読んでいない。なぜだ。読んだけど覚えていないだけなのか? 急遽、読みたい。
さて本日の午前中、原稿を一本仕上げた後、行くか行くまいか迷っていたINDUSのレクチャーを聴きにいくことにする。先日、日にちを間違えて行きそびれたのはインド手工芸のデモンストレーションだった。こちらは迷いなく行きたかった。
今日のテーマは、「臨床試験(治療実験)」に関するレクチャー。主にがん患者をサポートしているNGOの創設者である女性が講師である。
「老衰」で亡くなる人の方が、よほど珍しい。
夫の母親は若くして白血病で亡くなっているし、わたしの父も肺がんで他界した。友人も大腸がんで亡くなった。
そして昨日。
下関に暮らす大学時代に出会った友人が、脳腫瘍に苛まれ、死の淵にあるということを、米国に住む共通の友人が、メールで知らせてくれた。
昨日は彼女のことをずっと考えていた。
友だち、ということについて。
人の生き死にのことについて。
さまざまに思い巡ることを、言葉にしたいが、うまくまとまらない。
ともかくは、このレクチャーを聞いておくのは悪くないだろうと思って、出かけたのだった。
レクチャーのあと、そのまま帰宅する気分にならず、あてもなく界隈を歩いているうちに、チャーチゲート・ステーションに着いた。ムンバイ最大のヴィクトリア・ステーションと同様、ここもまた終着駅(ターミナル駅)だ。
折に触れて書いて来たが、わたしは、終着駅の様子が、とても好きだ。27歳のとき、欧州を3カ月間、列車で旅したときも、終着駅を訪れるたびに、そのたたずまいに見入った。
パリ、ブダペスト、ベルリン、フィレンツェ、ローマ、プラハ、バルセロナ……。次々と、駅の記憶が蘇る。アーチ型の高い天井の、いくつもの線路が並んで、陽光が幾筋も斜めに差し込んでいる、終着駅。
乗る人。降りる人。旅立つ人。帰る人。別れ。再会。靴音。時計。切符。汽笛。汽笛。
エスプレッソの香りが鼻先をかすめる。エコーが響きわたる、異国の言葉のアナウンスは、音楽のようでもある。
混沌と、汚れたこのムンバイの終着駅にさえも、旅情は誘われる。電車に乗って、見知らぬどこか、遠い街へ旅してみたい衝動に駆られる。
呆然とした思いで、ホームに立ち、隣のホームの写真を撮っていたら、背後から男たちが何か声を上げているのが聞こえた。しかし振り返りもせず、カメラを構えていたら、突然一人の男が背後から、わたしの肩をつかんだ。
列車がホームに入ってくることに気づかず、わたしはホームの端に立っていたのだった。我に返って "Thank you" とお礼を言い、その場を離れた。
靴磨きの兄さん、おじさんが随所に。ブラシを台に打ち付けて、カンカンカンカンと音を立てて、客引きをしている。電飾がカラフルな機械は、体重計。体重をはかることも、エンターテインメントの一つであるかのように。
駅を出て、車の間を縫うように通りを渡り、少し歩いたら、お気に入りグジャラティ・ターリー(定食)の店、SAMRATにたどりついた。
入り口の左側にカフェ&ベーカリー、右側にジェラートの店舗がある。
カフェラテでも飲んでいこうと思う。
プリントアウトしてバッグに入れていた原稿を読み直しながら、コーヒーを飲む。
外にいるときは、家の中にいるときとは違う言葉が浮かび上がる。
大きく原稿を、書き直す。
時計を見れば5時。夫に電話をする。
「今日は金曜だし、早めに仕事、終わらせられない? 会社の近くまで行くよ」
6時にトライデント・ホテルで待ち合わせる。チャーチゲートから、彼のオフィスがあるナリマン・ポイントまでは歩いて5分ほどだ。
この界隈の歩道には、たくさんの露店が並んでいる。甘くて濃厚なチャイ(おいしいのだ)を飲む人、ホットサンドイッチを頬張る人、フルーツプレートを食べる人、サトウキビジュースを飲む人……。
路傍に腰掛け寄添う二人の男。一人は目を閉じて恍惚の表情。なんなんだ?! と訝しく見つめれば、「耳掻き屋」が、男の耳掻きをしているところであった。
世界広しといえど、経済都市の、ビジネス街のただ中で、耳掻きする人、される人がいるのは、ムンバイくらいのものだろう。
そうして、夫のオフィスのすぐそばにあるトライデント・ホテル (TRIDENT HOTEL)へ赴く。先だってのテロの舞台となったホテルの一つだ。
隣接するオベロイ・ホテル (OBEROI HOTEL) の被害は大きかったようで、まだ再開していない。
オベロイ・ショッピングセンターだけは、しかしオープンしていた。
一方のトライデントは、ホテルもショッピングセンターも、何事もなかったかのように。
ただ入り口のセキュリティが非常に厳しい。
ホテルは、明後日のマラソンに参加する人たちが宿泊しているようで、ランナーらしき出で立ちの人々がロビーを行き交っている。夫を待ちながら、ソファーに腰掛けて、行き交う人々の姿を眺める。
と、今朝の新聞で見かけたタカハシさん夫妻が歩いているではないか。立ち上がって、近寄る。
「新聞で拝見しました。がんばってくださいね」と声をかけた。
ところで、トライデント・ホテルの、閑古鳥が鳴いているショッピングエリアにも立ち寄ったのだった。ジュエリー店もパシュミナ店も、商売上がったりの様子である。
買い物をするつもりはなかったのだが、なんとなく、アンティークショップに引かれて入った。
真鍮のコンパスが目に留まった。
心新たに「東西南北の人」でありたいと、願う本能のために、購入した。地図とコンパスがあれば、見知らぬ場所でも、自由に歩ける。
さて、夫も現れ、これからどこへいこうか。時計はまだ6時過ぎ。インドでこの時間に夕飯は早すぎる。近くの映画館に立ち寄る。金曜の夜、めぼしい映画はすべて満席。
明日の午後の上映分を購入して、バーにでも行こうということに。オフィスの近くにあるDRAGON FLY (ドラゴン・フライ:とんぼ)というバー&レストランへ。
オフィスビルの中にあるとは思えぬ、天井が高く、インテリアもおしゃれで、雰囲気のよい店である。
6時半に開店したばかりで、案の定、お客は誰もいない。
ダイニングからは、トライデント・ホテルのエントランスが見える。ウエイター曰く、あの日、テロリストが襲撃し、ドアマンらが撃たれる様子がここから見えたのだという。
折しもここは、「サルサ・ナイト」で400名近くのゲストが飲んで食べて踊ってと賑わっていたらしく、しかし隣接する同経営の中国料理レストランの窓も縦断を受けたとかで、たいへんな騒ぎだったとのこと。
インドにおいて、水曜日は週中のイヴェント日。週末に次いで、パーティーやイヴェントが開催される日なのだ。つまりホテルやレストランも込み合っている。テロリストたちは、そのことも十分承知していたはずだ。
カクテルを飲み、サラダ、パスタ、牛フィレ肉などを味わう。料理は、インドにしては悪くない。
しかし最近は、インドでも質の高いイタリアンやコンチネンタルがあちこちで味わえるようになったので、そう考えると、インドにしては悪くないとはいえ、もう敢えて来ることはないだろう。
夫に買ったばかりのコンパスを見せる。
「それ、どうするの?」
「持ち歩くんだよ。たとえば道に迷った時、方角が分かると、便利でしょ。太陽の方角とかを確認しなくてもいいし」
「意味、わからない」
「だから〜。街を歩いていて、知らない路地なんか歩いていて、行きたい方向がわからなくなってとき、例えばフォートでさ。これがあったら、あ、西はあっちだから、このまま行けばMGロードに出るとか、わかるじゃない」
「わからない」
そう。夫もまた、地図を読めない男なのである。それは彼が阿呆だからではなく、彼がインド人だからである。あ、でもインド人でも地図が読める人は少しくらいはいるはずである。ラグヴァンは読める。
幼少時から、地図を必要としない環境にある人は、読めないのは仕方ないというのは、わかる。
「それにさあ、ムンバイにMGロードはないでしょ。それは、バンガロールでしょ」
こ、この男は……。ムンバイにだって、MGロード、即ちマハトマ・ガンディーロードはあります!
「あなたさ、この間、飲茶ランチのあとに歩いたあの道、あれがMGロードなんだけど」
「ふ〜ん。ぼくは、オフィスと家と空港しか行き来しないから、知らないよ、ムンバイのことなんて」
自分の夫を貶めるようなことを書くのは憚られるが、彼は街の構成に、まったく関心がないらしい。彼だけではない。パーティなどで顔を合わせる、かつて海外在住だったインド人 (NRI)ビジネスマンらの多くは、似たり寄ったりである。
「街を歩くのは絶対にいや。汚いし。いつも自宅とオフィスの往復だけだよ」
時を隔ててインドに戻って来ても、インドを受け入れられない人たちはたくさんいる。夫もそのなかの一人である。しかし、米国に戻らず3年間も過ごしていられるだけ、実は「なじんでいる」方なのかもしれない。
インドになじめず、再び米英や、シンガポール、香港などへ脱出するNRIは少なくないのだ。
ともあれ、冷静に考えれば、街歩きにコンパスを持ち歩くわたしも、変といえば変かもしれない。町中において、太陽の方角で東西南北を確認するのも、変といえば変かもしれない。
ともあれ、形のよいコンパスを買えたのは、うれしい。うれしいのでコンパスの表面を指先でさすっていたら、夫がひと言。
「あ、指が臭くなるから、やめた方がいいよ」
えっ? と思って指を鼻先に持っていったら……、うわ、ほんとだ、金属臭い!
なんでそんなところには注意を払っているんだ、この男は。つくづく、よくわからない、金曜の夜のひととき。