このたびは、アンケートのご回答に加え、読者の方からのコメントをいただいて、とても楽しく拝見しました。ありがとうございました。現在少しずつお返事をお送りしているところです。
日本だけでなく、世界のさまざまな土地へと、自分が発信している言葉が届いていると思うと、今やインターネットは当然の時代だとはいえ、あらためて、すごいことだと実感します。
20代の学生の方から60代の方まで、幅広い世代の男女の方からの声を聞くことができ、さまざまな面において参考になりました。
さて、アンケートの返信の中で、何名かの方が質問をくださいましたので、公開できるものに限り、ここにお返事いたします。
なかには「質問する方も質問する方だが、答える方も答える方やろ!」という質問も散見されますが、それはそれで、かなり楽しみながら回答させていただきました。書いているうちに、ものすごく長くなりました。
「仰天」はYouTubeに落とせそうですか?
あの日あのとき、ムンバイから世界各地へ「普通郵便」にて発送した「世界に嫁いだ日本人女性 密着! 仰天ライフ」のDVDは、インド洋だかアラビア海だか知りませんが、海の藻くずと消えたようです。
国内発送分以外はどこにも届いていないらしく、さすがインドの普通郵便だけあります。信用してみたわたしが愚かでした。今度からはEMS(国際郵便)のみ使用しようと心に決めました。
従っては、なんとかYouTubeに落とそうと考えてますが、フォーマットのなんたらかんたらが一致せず、これがまた、うまくいきません。つきましては近々「奥の手」を実行します。
コンピュータの画面をデジタルカメラの動画で撮影するという、奥の手というより原始的な手です。画質、音質は劣ると思いますが、雰囲気はつかんでいただけるかと思います。しばしお待ちを!
※手元にあるDVDのデータをマックのiMovieに落として編集し、You Tubeにアップロードしようと思うのですが、VIDEO_TSとかAUDIO_TSとか名付けられたファイルを開けないのです。どなたか対策をご存知であれば、教えていただけると助かります。
普段買い物や食事によく利用される店/モールの一覧がサイト内にあると助かります。
時々バンガロールやムンバイの地図と一緒にその記事が書かれているといいな~と思う事があります。
確かに自分でも、一覧やら地図やらがあると便利だなと思います。これまで何度か、作ってみようかと思ったこともあります。しかし、かつてガイドブックなどの編集をやってきたプロの立場から言えば、その作業は、非常に地道で面倒な上、正確さが要されます。
更に現在のインドにおいては、店舗その他の栄枯盛衰が激しいため、頻繁な改訂が要求されます。
職業柄、中途半端な情報を載せるのは本意ではなく、また無償でそれを行うには作業に手間がかかりすぎることから、当該サイトのリンクを張る以外、データ的な情報を一切掲載していない次第です。
とはいえ、ブログ上に掲載している写真や店名などから、ご自分で検索できるものも少なくないと判断しています。
外国にいても、これだけは外せない日本の習慣というものがありますか? 私はアメリカにいても、家の中では靴を脱ぐ習慣が抜けませんでした。
特に意識して「外せない」というものはありませんが、自分の習性としてかわらないのは「時間を守る」でしょうか。「時間に遅れてはならない」「締め切りを守る」ということは、職業の上でも非常に大切でしたので、未だに引きずって(守って)います。
しかしインド生活3年で、だいぶ緩くなって来ているかもしれません。本人に遅れるつもりがなくても、ドライヴァーが遅れたり、猛烈な渋滞に巻き込まれたりしますから、太刀打ちできないともいえます。あ、夫と二人で行動のときは、間違いなく足を引っ張られます。
ちなみにわたしは、「家の中、土足ウェルカム」です。尤も、無駄に屋内を汚すのもなんなので、部屋履きは別に用意していますが、外出前や帰宅時の「土足でうろうろ」はOK、ゲストが来たときも、靴のまま入っていただきます。
何がいやかって、靴のかかとの高さに合わせた「丈が長め」のズボンをはいているときに、靴を脱がされて袴状態になり、ズボンの裾で床掃除をしてしまう状況に陥るときです。
ところで先日、日本の実家に帰ったとき、一旦外に出て、忘れものに気づいて家に戻ったとき、靴を脱がずにつま先立ちでひょいひょいと家に入ったところ、母&妹に見つかり叱責されました。昔はお行儀のよい大和撫子だったはずなのですが……。
ちなみにインドは、「屋内素足派」「屋内チャッパル(サンダル)履き派」が多いようです。素足歩きが一般的なせいか、足の裏の皮膚がやたら頑丈な人が多いです。
昨日、ベディキュアをしてもらいにビューティサロンへ行ったのですが、油断した隙に足の裏をヤスリで猛烈に削られ、皮膚が熱をおびて焦りました。インド人マダムの、鍛え上げられた分厚くも象のような足の裏とは違うのです! と言いたい気持ちを抑えました。
あ、それからインドでは、何かと外部の労働者が自宅を訪問するケースが多いです。たとえば配管工とか電気工事人といった工事人をはじめ、アパートメントのマネージャーとか銀行の担当者とか旅行会社の集金人とかレンタルDVDの配達人とか魚介類の宅配とか……。
先進国では自ら足を運ばなければならないところを、インドでは向こうから来てくれる場合が多いのです。それはそれで便利なのですが、そのような人を家に入れる場合、決して「靴を脱がせないで」ください。
作業の上で靴を履いていなければ危険(特に感電などを防ぐためにも)、ということは米国時代に学んだことで、それは当然だとわたしも判断しているのですが、インドの場合は別の理由が……。
実は先ほど、車のディーラーがうちに来たのですが、彼はご丁寧にも自ら靴を脱いでくれました。脱がなくていいのに。
そして、その瞬間、部屋に立ちこめる猛烈な@#%^&*!……。
嗅覚の鋭いわたしには、堪え難い拷問のようなひとときでした。呼吸困難に陥るかと思いました。メイドは帰宅後でしたので、マダムは直後、せっせとモップで床掃除をしました。
日本の食への危機感は私も感じています。年末に本で感じられたことをもう少し詳しく書いていただけるとうれしいです。
日本の食について記した昨年末の記録に対して、反響をくださる方は多かったです。同じように感じている方の意見を興味深く拝見しました。一応、あれこれとメモを書き貯めているので、折をみて、まとめて掲載します。
ちなみの日本滞在中に口にしたものの中で、最も恐怖を感じたのは「バナナ」でした。うっかり見た目の美しさにだまされて、コンビニでバナナを買ったのですが、一口食べて、うっ……。よく見たら、値段もかなり安めでした。
これはもう、バナナではない。ということを、バナナ天国のインドに住んでいるからこそ、実感できました。
殺虫剤、防腐剤、防カビ剤……バナナダイエットは日本人滅亡作戦じゃなかろうか、とさえ思えます。ちなみに「高めのバナナ」は違和感を覚えませんでした。
バナナを食べるなら、値段が少々高くても、なるたけ農薬の少ないもの、あるいは無農薬を食べることを、ぜひともお勧めします。
素朴な疑問なのですが、とても自然に撮られている画像はデジカメで撮影されているのでしょうか?
最近もっとも使用しているカメラはどんなカメラですか?2番手は?
今は、数年前にシンガポール空港で衝動買いしたデジタルカメラ、Canon IXUS 850 ISというのを使っています。それまで、いくつかデジタルカメラを買っては、使いつぶしてきましたが、どれもそれなりに、使いやすかった気がします。よく覚えてません。
一応、EOSの素人用(?)一眼レフを持っていますが、身軽に持ち歩くことができないので、結局最近は小型カメラ一筋です。2番手は、ありません。
ちなみに、EOSの一眼レフは、取材時に「写真を撮りますぞ!」という雰囲気作りのために、使用することが多いです。あの、「仰天ライフ」の出演時のように。
あそこで小さいカメラを取り出したのでは、たとえ仕上がりが五十歩百歩だとしても、ちょっと「素人っぽい」ですからね。
もちろん一眼レフはシャッタースピードが早く、仕上がりもきれいです。
なお、日本でのフリーランス時代は、一眼レフのカメラを使用し、雑誌などへの入稿用にポジティヴフィルムにて撮影していました。
カメラは、父が25年ほど前に購入していたカール・ツァイスのCONTAX RTSです。被写界深度がほどよく浅く撮影でき、とても美しく仕上がり、気に入っていました。
しかし、今、フィルムを使って撮影することは皆無となりました。カメラは今でも、クローゼットの奥に眠っています。
目に留まったものを「走り撮る」ような、現在の使用目的とは別の形で、いつかきちんとした一眼レフのデジタルカメラを入手し、被写体とじっくり向き合うような写真撮影をしたいとも思っています。
ご自身では何色のイメージですか? 私の中で坂田さんは赤色のイメージがあります。ご自身では何色のイメージですか? 文面と写真で伝わる色のイメージと実際は異なるのか?と思い質問させて頂きました。特に深い意味はございません(笑)
赤、ですか。
自分の色を自分でイメージするとしたは……以前は黄色だったのですが、最近は……金色でしょうか。なんだか、厚かましいですかね。
インドのジュエリーに多い22金、つまり黄色味を帯びた金色が、好きなのです。
夫と出会うずっと以前、十代の後半のころから、そのような色が好きでした。世間はバブルだった我が20代前半。わたしは極貧でしたが、イタリアのジュエリーブランドの黄金色のバングルを見て、猛烈に引かれていました。もちろん、手が出ません。
出張でタイへ行ったときに奮発してゴールドのブレスレットを買ったことがありました。あのときは本当に、うれしかった。
その後、インド人と結婚して、インドの家族から黄金色のバングルをもらい、常時じゃらじゃらと身に付けることになろうとは、当時、予想だにしていませんでした。
やはりわたしは、インドに来るべくして、来たのですね。なんだかまた、話がそれていますね。
バンガロールとムンバイの2ヶ所の生活費はどうされてますか? 記事を書いたりして生計を建てているとは思いますが。。。
わたしは35歳で結婚するまでは、自分の収入で生活していましたが、結婚してからは、夫の収入を生活費に充てています。
財政管理は二人で相談の上、夫が行っていますが、用途については二人で相談、もしくは妻の独断で決めています。わたしの仕事の収入は、わたしの管理下です。
ちなみに、日本の一般的なご家庭のように、「妻が財布を握っている」わけではありません。夫が無駄遣いをするタイプではないので、安心しているところもあります。
日本の話で信じられないのは、夫には、「コンビニ弁当」とか「吉野家の牛丼」とか「マクドナルドのハンバーガーだけ」とかしか買えないような少ないお小遣いを与えて、自分は友達と豪華なランチを食べにいく、といった現象です。
だいたい、愛情云々はこの際さておいて、そんなものばかり食べていたら、夫は早々に成人病に……。いかん、また話がそれてしまいました。失礼。
子供の教育はどうされてますか、またはどうされる予定でしょうか? インターナショナルですか? 日本人学校は充実してますか?
わたしたちに、子供はおりません。今後生まれる予定もありません。養子も考えておりません。
もしも子供がいたとしたら、インドの学校に通わせるでしょう。なお、バンガロールにもムンバイにも、インターナショナルスクールはいくつかありますし、日本人子女のための補習校もあるようです。
充実度に関しては、わかりかねます。各都市の日本人会のサイトに連絡先が掲載されていると思いますので、詳細を知りたい場合は、ご確認ください。
近々、インドに住むかもしれませんが、健康保険、年金保険はどうされてますか?
わたしの夫はインド人で、わたしはインド人の妻としてインドに滞在しているため、企業からの駐在でいらっしゃる方とは、保険その他の条件が異なると思われます。同じ境遇の駐在員の方にお聞きになる方が適切だと思います。
なおインドには、国民健康保険や国民年金制度はありません。将来に備えて、自力で資産管理をする必要があります。富裕層の多くは不動産を購入し、リタイア後は家賃収入などで生計を立てています。
税金の申告は日本とインドの両方でされてますか?
夫婦共々、米国の永住権を持っているので、米国とインドにおいて、毎年税金の申告をしています。わたしの日本からの仕事については、源泉徴収が引かれているものが大半なので、申請の必要があるもののみ、行っている状態です。
ブログにご自分の写真をのせていらっしゃいますが、顔写真を出すことに抵抗はありませんか?
特にないです。
「どのつら下げて、こんなこと書いてやがる!」といったフラストレーションを読者に与えないためにも、適宜、自分の顔を出すのがいいかと思っております。
どんな風景写真にせよ、「当事者」が含まれている方が臨場感を与えられるということは「編集者の視点」からも理解しているが故です。やっぱり、書き手が写っている方が、レポートに彩りが添えられますしね。
加えて言えば、肖像権云々を考えるとき、「見知らぬ他人の顔を載せておきつつ、自分や自分の身内の顔を隠す」というのは、個人的にはルール違反だと感じます。隠すべきは他人の顔であり、自分の顔は責任を持って出すべきだと思うのです。
しかし、匿名で自己表現をする場がブログの主流のようでもあり、その流れで考えれば、顔を出さないのは当然なのでしょうね。
従っては、自分の考えを世間に押し付けようなどとは考えておりません。あくまでも、わたしは自分の信条に基づき、そこそこに露出しています。
念のために申し上げれば、わたしは自らの容貌に自信があるから露出しているわけではありません。
今よりぐっと若かりしころは、「一重まぶた」とか、「顔がでかい」とか、「鼻の穴が大きめ」とか、「(日本においては)でぶ気味」といった諸々の不都合について、それなりに憂いを抱いたことも少なくありませんでした。
しかし30歳を過ぎて、日本を離れてからは、そういう細かいことを気にしなくなりました。米国では、わたしのような「和風顔」の方が、むしろくっきり二重よりも「オリエンタル!」と重宝がられたりすることもあるのです。
戦争花嫁前後の大先輩方を見ると(時代差がありすぎますでしょうか)、「こけし」や「日本人形」を彷彿とさせる容貌の方も少なくなくありません。
一様にアイラインが濃すぎるのが気になるところですが、ともあれ、世界のスタンダードの幅広さに、安堵させられると同時に、自信がつくというものです。
さらに、インドに来てからというものは、目鼻立ちくっきりの美形な人々に囲まれ、鼻の高さ、彫りの深さ云々を語るも虚しき状態、別次元です。
マスカラなど使うも無駄な抵抗。あ、でも「目にいい」インドならではのアイライン、カジャル (Kajal)は愛用しています。
ハーブやアーモンドオイルでできているため、目がすっきりするなどの効果もあるのです。
↓参考写真(ちなみに、こんなに力一杯アイラインを引いている訳ではありません。念のため)
ちなみにインドでは、「色白」が美の象徴でもあります。平均的インド人よりも肌色の薄い日本人としてのわたしは、その点においてのみ、かなり有利です。
質問からかけ離れた回答となっている気がしないでもありません。
日本でインド製品を売る計画などは考えていらっしゃらないのですか? 美穂セレクトインドショップに期待しているのですが・・・
そのようなことはもう、しょっちゅうしょっちゅう考えますが、具体的に行動に移すには至っていません。まだ自分がやるべきことが絞り込まれていない状況なので、もうしばらくインドと向き合い、精進してから、考えたいと思います。
日々大変なトラブルが起きているとの事ですが、実際どんな大変な事があるのでしょうか? 自分がバンガロールに行った時に驚いたのは停電が多い事やエレベータ(リフト)がしょっちゅう止まることでした。多分もっとすごい事がたくさん起きているのだろうと思い興味があります。
あまりにもいろいろとありすぎて、絞り込んでお答えするのが難しいというか面倒なご質問です。2年前に新居を購入した際には、トラブルのオンパレードで、むしろ「トラブルこそ日常」の境地でした。
数日前にお知らせした「インドチャネル」のコラムにごく一部を記していますが、過去のブログのプチ家作り(←文字をクリック)の項を一気読みしていただければ、雰囲気がつかめるのではないかと思います。
国際結婚のため、老後の暮らし方をあれこれ考えることが多い今日この頃なのですが、みほさんは最終的にはどの地で老後を送られる予定ですか。夫とバンクーバーやシンガポールなどの国際都市を旅するごとに、「老後はここで」などと言う話が出るのですが、日本人としてのアイデンティティを捨てきれない頑固な自分がいまして・・・。どこへ行っても白いご飯と明太子が食べたい融通が利かない自分をもどかしく思っています。各地に住まれたみほさんのご意見をお聞きできれば・・・!
老後のことは、あまり考えていません。一応、バンガロールに家があるので、拠点(荷物置き場)が確保されているという安心感はありますが、ずっとバンガロールに住み続けるとは思えませんし、ムンバイにしても然りです。
まだずっと先の話ですが、夫がリタイヤしたら、ニューヨーク、あるいは欧州のどこかの街、インドという感じで、数カ月ずつ好きなところに住むのもいいと思っています。
東京でフリーランスライター&編集者だった20代後半、「季節ごとに違う国に住みたい」などと夢見るように思っていましたが、それは老後に実現されるのかもしれないな、と楽観視しています。もちろん、実現のための努力は惜しみません。
今のところ、日本に住むことは考えていません。わたしも日本米はときどき必要ですが、然るべき「米」さえ蓄えておけば、世界のどこにいても「白いご飯」は炊けますので、そのあたりは特に問題ありません。明太子は、難しいかもしれないけれど。
日本人としてのアイデンティティというものについては、正直なところその定義がよくわかりません。30歳まで日本で暮らしていたわたしは、何年海外に暮らしても根源は日本人です。
なにより、こうして文章を綴る自分の職業が「はじめに日本語ありき」ですから、それを以て自分を表現し続けられる限り、どこに住んでいても、わたしは日本人であり、喪失感を覚えることなく、「大丈夫」のような気がします。
インドの生活で一番困ることは何ですか?
いろいろあるような気がするのですが、思いつきません。最近はもう、自分が困っているんだか、ま、いいやと思っているのか、よくわからなくなってきました。概ね、平和なのかもしれません。
と書きながら、思いつきました。
貧富の差。経済感覚の差。です。街で見かける貧富の差に関しては、適度に自分と彼らとの距離を置きつつ、自分なりにできることを判断して暮らしていますが、たとえば身近な使用人の暮らしぶり。これからは目を逸らせません。
ムンバイのメイドのジャヤは、近所のスラムに住んでいます。彼女曰く、多分3畳ほどのスペースに、両親と二人の兄と5人で暮らしているそうです。
モンスーンの時期には雨が降り込むため、お兄さんたち(ドライヴァー)は寝る場所がなくて、道路に寝ているとのこと。先日、隣の小さな土地にバラックを建てるため、工事費を前借りしたいと頼まれました。
そういうとき、どれほどの金額を貸せばいいのか。ある程度は支援するべきなのか。頭を悩ませます。
彼女は現在25歳ですが、持参金(ダウリ)を準備できないので結婚できないそうです。インドの持参金については、以前も触れた通り、今なお残る悪しき習慣です。
容姿もよく、仕事も早く確実で、料理も上手。学校に行っていないのに、独学で英語も話せ、勉強をしていたら、きっといい仕事に就けていただろうと思います。
バンガロール宅のメイドのプレシラのところは、夫婦で仕事をしていて、それでも貧しいけれど、子供を私立の学校に行かせて英語を中心の勉強をさせています。
以前も書きましたが、その入学金のための前借りを頼まれたとき、それはわたしたちから「お祝い金」として渡すことにしました。
以上、この国に暮らし始めて、困るというよりは「頭を悩ませている」ことの一例です。
フリーランスのライター&編集者になるきっかけ、どのようにしてなったのか良ければ教えてください。
坂田さまがインドに居住することを決めたわけや、それまでのキャリアを知りたいです。
これまでのキャリアは、ホームページのプロフィール(←文字をクリック)に記しています。編集者やライターになったきっかけは、以前、2002年に出版された『わたしたち海外で働いてます』(学研)(←文字をクリック)で詳細を紹介していただきました。
近々、記事をスキャンして、どこかに添付します。そのときにはお知らせします。
インド移住のきっかけなどについては、どこに何を書いたか忘れましたが、米国時代のメールマガジン「ニューヨーク&ワシントンDC通信」のVol. 101 (2003/8/31)あたりからの記録を適当にかいつまんで読んでいただければ(といっても膨大ですが)、事情がわかっていただけるかもしれません。
簡単に言うと、2003年に英語の勉強をし直そうとジョージタウン大学の英語集中コースに通い、そのときの研究論文に選んだテーマがアジアの頭脳流出でした。
あれこれと資料を調べるうち、どんどんインドに焦点が絞り込まれ、結果的にインドの新経済についてまとめたのですが、そのころから、「インドに住みたいかも」と思うようになりました。
そこから、もんのすごい紆余曲折と、夫婦間の筆舌に尽くしがたいやりとり(壮絶な闘い)を経て、結果、2005年にインドへ移住することとなりました。
その経緯を、どこかに書いた気がするのですが、よく覚えていません。
それにしても、なぜ、わたしはあそこまでして「インドに住んでみたい」と思ったのか、未だに自分の心理がよくわかりません。
頭の中の考えを文章に起こす難しいと感じているのですが、何かアドバイスがあったら教えてください!
子どものころから、文章を書くことは好きなほうだった、とはいえ、仕事で文章を書き始めたころは、とても難しく、時間もかかりました。
これが適切なアドヴァイスかどうかはわかりませんが、「うまい下手を意識せずに、ともかくは書く」ことが大切かと思います。
ただその際、読み手の立場をイメージした方がいいかと思います。事情を知らない人に理解してもらえるよう、適宜説明を織り交ぜながら、頭の中の考えを、文字にするのです。
また、日記のような「主観的な文章」と、新聞やガイドブックなどに見られる書き手の主観を抑えた「客観的な文章」を使い分けて書いてみるのも、訓練になるかもしれません。
なお、さまざまに物事を体験して、自分が心を動かされることが増えれば、その分、誰かに伝えたいという衝動も生まれるわけで、その「伝えたい気持ち」が強いほどに、文章が磨かれていくこともあるかと思います。
わたしもブログをもっていますが、美穂さんのブログをリンク先に載せてもよろしいですか?
今後、もっと多くの方に読んでいただきたいと思っていますので、リンクを張っていただけるのはとてもうれしいです。今回、多くの読者の方々が、ご本人のブログをもっていらっしゃることがわかりました。
アンケートをお送りいただいていない方でも、ブログをお持ちの方、差し支えなければ、どうぞリンクをお願いします。
と言いつつ、わたしの方は、諸事情から相互リンクなどは張っていません。一時期はこまめにやっていましたが、やはり管理が行き届かなくなって来たことなども挙げられます。
そんなわけで、一方的なお願いで恐縮ですが、リンクは歓迎です。その旨をお知らせいただけると、なおうれしいです。
お忙しい身だとは思いますが、福岡へ帰省のさいには是非オフ会を〜!!!希望します。
日本へご帰国の際に、オフ会などはなさらないのですか?
オフ会。というものを、いままで行ったことはありません。もしも、お互いがお互いの情報をある程度、共有している者同士であれば、オフ会というのはあり得ると思います。
でも、わたしの場合、一方的に情報を発しているわけで、みなさんはわたしの事情をある程度ご存知なのに、わたしだけが皆さんのことを知らない、という状況は、結構、異様です。楽しそうであり、不気味そうでもあり。
そんなわけで、オフ会は特に考えていません。
ただ、ブログにはほとんど書いていませんが、ブログを通してご連絡のあった方と、これまで何度か日本で、米国で、インドでお目にかかったことはあります。
いろいろな方から、「お会いしませんか?」とのメールをいただきます。関心を持っていただけるのはありがたいことと理解していますが、不都合も少なくありません。
これを機会にここでお願いをしたく思います。
メールをくださる方の中には、わたしとすでに知り合いのような気持ちになっていらっしゃるのでしょう、自己紹介もなく、ときにはフルネームすらなく(ファーストネームだけ、あるいはニックネームだけ)、「今度ぜひ、お茶しませんか?」とか、「暇なとき、ご連絡ください」といったお誘いをなさります。
中には、「お話を聞かせてほしい」というメールもあります。見ず知らずの人に、なぜわたしが時間を割いて、話を聞かせねばならぬのか、というのが本音です。
せめてその方の自己紹介が数行あれば、その方のイメージできます。しかし、その人が日本人であるということ以外、10代だか90代だかさえも、わからないにも関わらず「では、お会いしましょう」などという気には、なりません。
実は、昨年パリを訪れたときも、パリにお住まいの3名の日本人女性から、旅の前、そして最中にメールをいただきました。
最初にくださった方は、フルネームはあったものの、自己紹介がなく、しかし無視するのも悪いだろうと、わたしもまたバカ正直に、
「どういう方かよくわからないので、お会いするのは難しい」
と、お返事を書いてしまいました。その話を夫にしたら、
「せっかくメールをくれているのに、かわいそうじゃない! いっそ無視した方がいい。それか、単に会えない、って返事をしたらいいじゃない」
と言われて、そういうものか、とも思いました。確かにその通りだと思いました。
従って、その他2名の方も、実はお名前しかなく、自己紹介はほとんどなかったと記憶しています、心苦しく思いつつも「気づかなかったふり」をしました。
こういう状況が、ものすごく、いやです。
たとえばお互いにブログを持っていて、互いの素性をそれなりに知っているれば、話はまったく別ですが、同じ日本人だからというだけで、見ず知らずの人と会うのは、誰だって積極的にはなれないのではないでしょうか?
そんなわけで、もしも会いたいと思ってくださる方がいらっしゃれば、わたしはあなたのことを存じ上げませんので、ぜひとも簡単な自己紹介を書き添えた上で、ご連絡をいただければと思います。
念のため書き記しますが、もちろんきちんとしたメールをくださる方もいるのです。そのような方と、わたしはお目にかかってきました。
ホームページを立ち上げて以来、メールマガジン、そしてブログを通して、仕事のみならず、プライヴェートにおいても、すばらしい出会いを経験しています。ですから、ご縁があれば、多くの方にお目にかかりたいとの思いはあります。
もちろん、わたしがお話をするばかりでなく、お互いに会話を分かち合えることが前提ですが。
今回のアンケートでも、バンガロール在住、ムンバイ在住の働く方々からご回答をいただき、とてもうれしく思いました。ぜひ機会があれば、お目にかかりたいと思っています。
そんなわけで、話が長くなりました。事情をご理解いただければ幸いです。
いつも長い文章とたくさんの写真をこまめに更新なさっていますが、いつ、作業をしているのですか? どれくらい時間がかかるのですか?
写真の整理も、日記的な文章を書くのも、慣れているので非常に短時間でやっています。夜作業することもありますが、基本的には午前中に更新します。
夜書く文章は、仕事であれプライヴェートであれ、感情に左右されやすいので、翌朝、読み直す必要があるのです。
作業にかかる時間は、その日によってまちまちです。短いものは約10分。平均して30分前後。テーマ性のあるものなどは、長くて1時間でしょうか。でもこのアンケートの答えには、ものすごく時間がかかっています。
数日に分けて、ぼちぼちと書いているところです。
インドの人々のものの考え方、クラスによっての価値観の違いなど知りたいです。
あまりにも、テーマが広過ぎて、簡単には答えられません。回答にも息切れしてきました。書くよりしゃべって説明したくなってきました。疲れてきました。
時々、サリーを着てブログに載せられていますが(楽しみのひとつです)、DCの観光地でもBethesdaのIndian restaurantでもサリーを着た方を見かけます。サリーは、日本人の着物という位置づけなのかと思っていますが、着物よりも”普段着”、”生活服”なのでしょうか、それとも、いわゆる”よそ行き”なのでしょうか。
サリーは、日本の着物よりもより、「国民服的位置づけが濃い」と思います。ただし、最近では富裕層のサリー離れが進んでいます。特に若い世代はジーンズにTシャツ、あるいはジーンズにインド的トップスをあわせるといった感じです。
結婚式など特別な時にはサリーを着るけれど、普段のパーティでは洋装が定着しています。パーティの席で、わたしと数名の「おばさま」ばかりがサリー姿であるという状況は少なくありません。
サリーはペチコートとブラウス、5メートルの1枚布によって構成されていますが、ブラウスのデザインにも新旧があります。わたしは意識的に袖は短め、あるいは袖無しにして、背中のあきを大きくするなど、「モダンなデザイン」に仕上げてもらい、サリーそのものも、あまり野暮ったくないものを選んではいます。
しかし、それでも、サリーを着ている時点で「前時代的」かもしれません。
なお、中流層、低所得者層の人々の方が、サリー、もしくはサルワールカミーズ(パンジャビドレス)を着ている確率は高いです。
低所得者層の人々は、安くて軽くて乾きやすい化繊のサリーを着ている場合が多く、色柄は派手です。たとえば土木工事など肉体労働の女性たちも、サリーを着用しています。
布が邪魔にならないよう、うまい具合に腰に結びつけている姿は、それはそれで結構「カッコいい」ものです。
ただ、最近では国産のジーンズやTシャツも安価で普及し、都市部では、富裕層以外でもジーンズをはく女性が現れ始めているようです。
なお、サリーにも化繊、木綿、絹と素材の差から、刺繍や織の違いなど、あらゆる面において幅広い選択肢があります。つまり、普段着用のサリー、外出着用のサリーと、用途別にサリーを選ぶことになります。
結婚式の際などは、みなが派手できらびやかなものを選ぶので、インドの結婚式の会場は本当に華やかです。
以上。ずいぶん根気よく、がんばって答えてみました。続きがまだ少しありますので、後日に。