新年があけて、十日余り。4日にバンガロール宅からムンバイ宅に来て以来の先週は、主には家の中で過ごしていた。今年定めた小さな目標を実行するべく、その準備をしたり、一年の大まかなプランを立てたり。
夫のオフィスから支給された年間休日表をカレンダーに書き写す。ムンバイ株式市場が休みの日、つまりバンクホリデーが彼のオフィスの休日となる。たいそう三連休が多い。4月には日本のゴールデンウィークさながらの飛び石連休もある。
昨年は二都市生活の開始に当たって、引っ越しだなんだと慌ただしかったが、今年はきちんと計画を立てて、三連休には小旅行に出かけるなどしたいと思っている。
ところがだ。この9月、夫のオフィスが北ムンバイに移転するかも、というではないか。北ムンバイと言えば空港の界隈。現在の住まいは、南ムンバイの南端。
うおぉぉぉ! 今年もまた、引っ越しかよ! という話である。だいたい、この4年間のうちに、すでに4回、引っ越しているのである。ワシントンDCからカリフォルニア、カリフォルニアからバンガロール、バンガロールで新居に移転、そしてムンバイ宅。
本当に、年中行事と化しているマルハン家の引っ越し。引っ越しのエキスパートになりたいなどと願っているわけではないのに。ま、9月のことはまだ確定ではないし、今、懸念したところでどうしようもないし、しばらくは、忘れていたいと思う。
土曜日は、夫の会社のマネージングディレクターであるヴィヴェカ(女性)の自宅で新年のホームパーティに招かれたので、二人で出席した。
夫は、プライヴェート・エクイティ・インヴェスティメントという、企業へ投資をする仕事をしている。インド移住後、香港ベースの会社に転職していたが、その会社が現在の会社(JP Morgan)と合併したためにムンバイへ移った。
プライヴェート・エクイティ部門は、彼を筆頭に二人の部下という3人のチームだが、同じフロアにインヴェストメント・バンク(投資銀行)部門があり、ヴィヴェカはそこのヘッドである。
ちなみに夫の直接のボスは、合併後も香港側であり、ヴィヴェカとは直接仕事をしているわけではない。
彼が今のオフィスで仕事を初めて1年近くが立つが、実は夫の部下やオフィスの関係者と会うのは初めてのことであった。若い人たちの多いオフィスとは聞いていたが、わたしは毎度、サリーを着用しての参加である。
落ち着いたピンク色が気に入っている、これもまた絞りのサリーである。
大晦日の絞りに比べると、作業のクオリティはかなり大ざっぱではあるが、カジュアルに着られる上、華やかなので気に入っている。
サリーを着てくる人はいないだろう、一人で目立つだろうということは最早わかっているが、この際、「一風変わった人」と思われてもよい。
着たいので着ていく。
7時半から、ということだったので、インド的に遅れて8時10分ごろに到着したら、それでも、わたしたちが一番最初のゲストだった。
インドだもの。
わたしと多分同じくらいの年齢なのであろう、ヴィヴェカのファッションを見て、驚く。
ジーンズと、茶色無地の長袖Tシャツ。
まるでわたしの米国時代のユニフォームであったところのJ CrewのTシャツを彷彿とさせる地味さだ。パーティだというのに、このカジュアルさ。これがもう、今時のインドなのね。と、他人事ながら衝撃を受ける。
ヴィヴェカの夫のサンディープ(IT関連の起業家)とも挨拶を交わし、ワインと飲みつつ、しばし4人で語らう。アラビア海を一望するテラスから、心地よい海風が流れ込んで来て、外部の喧噪が夢のようである。
やがて、8時半を過ぎたころから続々とゲストがやって来た。大半が20代後半から30代前半にかけての、若きビジネスマンたちである。
しかし、見ようによっては、学生のようでもある。こんなに大勢の若いインド人たちとパーティを共にするのは初めてのことなので、なんだか自分が急に老け込んだような気がする。
というのも、言葉遣いや雰囲気が、違うのだ。彼らはまぎれもなく、「新世代のインドの若者」なムードなのである。英語には敬語や謙譲語がないとはいえ、話し方でもちろん、丁寧なのかカジュアルなのかの差が感じられる。
同じ言葉を使っていても、
「ところであなたは、どんなお仕事をなさっているのですか?」
と尋ねているのではなく、
「で、きみは、どんな仕事、してるの?」
と尋ねられていると判断される、そういう口の聞き方をする人もいて、それは同時に、米国の若者を彷彿とさせて、興味深い。
従来、夫のパーティーで出会う人と言えば、夫と同様、海外留学や海外での就職経験がある元NRI(印僑)の人々が多かったが、このインヴェスティメント・バンカーたちは、大半がインド国内で教育を受けた、海外留学経験のない人たちだとのこと。
インド国内の有名校、あるいは国内のMBAを出て、就職している。カジュアルで、学生のような雰囲気を醸し出している彼らだが、壮絶な競争率をくぐり抜けてきた超優秀な若者たちである。
気になる夫の部下2名、ニティンとアビシェークにも、初めて対面した。そもそもインヴェスティメント・バンカーだった彼らは、非常に優秀な業績を上げていたこともあり、夫の部門が設立された昨年、抜擢されたとのこと。
二人とも中流層の出身で、経済的に苦労してきたらしい。アビシェークは子供の時に父親を亡くしたため、海外留学はおろか、国内の大学さえ中退せねばならなかったという。
しかし自力で猛勉強をして、JP Morganの特別採用プログラムにおいて入社できたとのこと。夫曰く、猛烈に賢い二人なのだという。
そんな二人であるが、とても人当たりがよく、決して「米国かぶれ」をしているわけでもなく、インド人特有の「素朴な人なつっこさ」が感じられて、非常にかわいらしい。という言い方は失礼か。
アビシェークは、他のチームメイトと4人で、昨年は日本へも出張に出かけたという。昨年、日本のNTTドコモがインドのタタ・テレサービシズへの出資を発表したが、そのコーディネーションを、彼らが行ったという。
4人が口を揃えて言うのには、
「日本のJP Morganの社員は、僕たちの2倍は、軽く仕事をしていると思います」
ともかくは日本人の働きぶりに、感嘆していた。
「正直なところ、少しは観光したかったんですが、そんな暇はありませんでした。空港と、ホテルと、オフィスしか、足を運んでいません」
と、残念そうであった。オフィスのある地名すら、誰も覚えていなかった。それでも一日だけ、夜、遊びにいったという。
「みんなでカラオケに行きました。深夜から朝の6時まで、みんなで歌ったんですよ。日本人のビジネスマンは、本当に、タフですよね」
同感である。
それはそうと、わたしにしてみれば、あなた方インド人も、相当にタフである。8時過ぎから立ちっぱなしで延々と語り合い、前菜のつまみはトレーサーヴィスで巡ってくるものの、いっこうにディナーブッフェの蓋が開かない。
インドのパーティーにおいて、夕飯は極めて遅いのは周知の事実であるから、いつも「空きっ腹にアルコールで酔う」ことのないよう、あらかじめバナナやビスケットなどを食べて腹ごしらえをしてから参加するのだが、今日はもう、9時過ぎには空腹で仕方なかった。
夫もまた、「夕飯、まだかなあ」と時折つぶやいている。油っこい前菜ばかり食べていたのでは胃によくないと思いつつ、ついついつまんでしまう。
結局、料理の蓋が開けられたのは、11時30分であった。
11時30分。
もう、おやすみの時間である。
これだから、太るんですよ! なぜもう2時間早く、その蓋を、開けないだろうか。早めに食事をして、なにか問題があるとでもいうのだろうか。
ひとまず食べてから、また飲んでしゃべればいいじゃないか。と心中で叫んでみるも虚し。
アンケートの質問の回答に追加したい。インド生活で困ること。それはパーティでの食事開始が遅すぎることだ。
結局、4時間以上、飲んで、しゃべって、すっかりエネルギーを使い果たした土曜の夜であった。翌日日曜の朝は、まったく使い物にならなかった。
ともあれ、これまで出会ったことのない人々との会話を通して学ぶところも多く、とても意義深い一夜であった。
ところで数日前、義姉スジャータの夫であるラグヴァン・ヴァラダラジャン博士が、インドの財閥ビルラの関連財団が主催する科学賞を受賞した。
ラグヴァンはエイズ・ワクチンの研究をしており、これまでも国内外でさまざまな賞を受けているが、今回もまた、おめでたい話なので、ここに記事のリンクを張っておきたい。
■GD Birla award for IISc professor/ Hindustan Times
■ラグヴァンの研究室見学
その1(2003年12月)
その2(2006年3月)
その3(2008年8月)