26/11のムンバイ同時多発テロ。犯人グループはパキスタン拠点であることを、先週、パキスタン政府が認めた。やはりそうなのか、という思い。
たとえ、テロリストたちが特定できたとしても、この先、テロリストたちの侵入を、どうして防ぐことができるだろう。
あの夜、彼らが上陸した海岸を眺めながら、茫洋の海を眺めながら、この海岸線を封じてしまうことなど不可能だ、と思う。
テロリストたちだけではない。さまざまな「非合法的なものや人々」も、海を越えて、ここから入り込んでくる。海とは、なんと無防備な場所だろう。
こういうことに思いを馳せるとき、家族が北朝鮮へ拉致された人々のことが、思われる。
彼らにとって、日本海の、海岸線の光景は、どれほどの愁いを湛えていることだろう。
日曜の朝の遊歩道は、人も少なく静かで、のんびりと、あれこれに思いを巡らせながら、歩く。
と、夫がにこにこと笑いながら、
「ミホ、これ見て! どう思う?」
と、看板を指差す。
今まで気づかなかったが、遊歩道の入り口のそばに、上の写真のような看板が、掲げられているのだった。
DO NOT THROW RABIT, PLASTIC BAGS, FLOWERS IN THE SEA
海に、ウサギ、ビニル袋、花を捨てないでください。
ムンバイでは、海に投げ捨てられる大量のウサギが社会問題になってるからねぇ……。
なわけ、ないやろ!
なんでウサギよ。
うううぅぅ。またしても、インドならではの異次元空間に迷い込んだような気がして、ぐ〜んと血圧が下がる思いだ。
と、次の瞬間、気がついた。
もしかして、RUBBISH(ごみ)の間違い?
そうだ。きっとそうだ。看板を発注したおじさんが、看板屋に注文するとき、「ラビッシュ!」と言っているのを、英語をよく知らない店番が「ラビット!」と聞き間違えたに違いない。
聞き間違えるなよ。
しかし、間違いが間違いのまま、いくつかあったであろうチェックポイントをスルーして、ここに掲げられ続けていることが、不思議。誰も直そうとしないところが不思議。
みんな、
「ん? RABIT? ああ、RUBBISHのまちがいね」
で、看過しているのだろうか。しているのだろう。
インドだもの。
毎週末、少なくとも2、3本は、DVDを見ている。しかし、「これはよかった!」と思う映画に出会えることは、本当に稀なことである。ほとんどの映画は、見終わったと同時に記憶に刻まれることもなく、さらりと消える。
インドのレンタルDVDショップを利用しているという事実上、その映画のセレクションに、わたしの好む映画が少なすぎるというのも事実だ。
このごろは、映画の選択をアルヴィンドに任せているのだが、彼の選択がまた、このところ冴えない。昔からニューヨーク・タイムズ紙のレヴューを参考にしている彼。
そのレヴューで賞賛されている映画で、わたしたちの好みに合わない映画を立て続けに見たこともあり、頼むからレヴューを参考にしないでくれと伝えておいたのだった。
そして、今日、彼が選んだのは、"TRANSSIBERIAN" という映画。シベリア鉄道上で繰り広げられる犯罪スリラーである。
最近、スリルとサスペンスものは好きではない。見たくない。と言っていたにも関わらず。夫曰く、
「これ、北京からモスクワまでのシベリア鉄道が舞台なんだよ。ミホは北京からウランバートル(モンゴル)まで同じ列車で旅をしたんでしょ? 懐かしいかな、と思って」
そう言われれば、わたしのために選んでくれてありがとうと思わずにはいられない。ともかくは、見ることにする。
北京に暮らす「倦怠状態」のアメリカ人カップルが、これまでとは違った経験を求めて列車での旅をする。コンパートメントで同室となった若いカップル(スペイン人男性とアメリカ人女性)との関わりを通して、物語は展開される。
舞台は主に、列車の内部。
「ミホが乗った列車、あんな風だったの?」
「いや、今から16年も前だからね。もっとぼろぼろだった。乗客の大半が商人だったから、もんのすごい荷物の山だったし。あんな風に通路を歩き回れなかったよ。人が多くて」
「わ、あんなトイレ、使ったの? シャワーは?」
「いや、もっとひどかった。シャワーなんて、あるわけないじゃん。あのときは、4、5日、風呂に入れなかったな」
「信じられない! 何が楽しくて、そんな旅をするわけ? で、知らない人と、コンパートメントで同室になったの?」
「そうよ。一等車の切符の予約券を買ってたのに、北京の駅で二等車の切符しか発行してくれなかったんだもん。同室になったのは、ティーンエージャーのモンゴル人の男の子たち二人だった。言葉は通じなかったけど、いい子たちだったの。食堂車に連れて行ってくれて、ごちそうしてくれたしね」
「え、食堂車って、こんな感じなの? 何食べたの?」
「いや、これよりも、古びてたよ。中国にいるあいだは、オムレツとかトーストとか。モンゴルに入った途端、モンゴルの男の子たちが張り切って、マトンの料理を勧めてくれたの。おいしかった」
「だいたい、知らない国の男たちと、こんな列車で何十時間も……ああ信じられない!」
映画は、じわじわと、犯罪の匂いが漂ってくる。鉄道が、ものすごく恐ろしい存在に見えてくる。自分でも、よくあんなところを一人で旅したものだと、若干、感心する。
映画には映らなかったものの、モンゴルと中国の国境駅など、どれだけものものしかったか。映画の方が、ずっときれいで安全そうに見える。
「ミホ。列車の中に、外国人とか、いたの?」
「グループとかカップルは、食堂車で見たよ。白人のね。でも、乗客の大半は商人とその家族だった。女はすごく少なかった。ほとんど男かな」
「信じられない。ミホの両親は、一人で旅することに反対しなかったわけ?」
「別に。詳しく知らなかったと思うし。だいたいわたしも、乗ってみるまでどんな列車なんだか、よくわかってなかったし」
そう言いながら、もしもわたしに娘がいて、いくらたくましげで色気皆無の娘だったとしても、ひとりでこんな列車で旅をさせるのは、かなり度胸がいるなと、人ごとのように思う。
映画に関して言えば、
「こんなの、ありですか?」
「ちょっと、ロシアに対して失礼では?」
「おいおい、そんな森の奥深くまで、歩いていくなよ!」
「そこで、なぜ、殺す?」
「とっとと白状しなよ!」
と、わたしにとってはいちいち突っ込みどころ満載で、加えて拷問系の痛々しいシーンがあり、なにがどういいのか、さっぱりわからない映画だった。
「ねえ。だいたいなんでこんなわけのわからん、映画を借りるわけ? いくらシベリア鉄道が舞台だからって、これはないでしょ。なんかわたしの旅の記憶に水を差されるようで、不愉快なんですけど」
「だってさ〜。ニューヨークタイムズのレヴューがよかったんだもん」
「あ、あんたって人は……また、参考にしてやがる!」
まったくもって、夕べの旅情が台無しである。
「ミホ。君はつくづく、反省するべきだよ。あんなところに一人で行ったとは。自分でも、今そう思うでしょ。過去の自分はばかだったって。いったい、どこで何をされてたか、わからないじゃない。本当に、信じられないな」
頼むから、映画の中の話を鵜呑みにしないでくれ。
そして今更、わたしに反省をさせるな。しろと言われてもせぬ。
とはいえ、改めて思う。旅とは常に危険が背中合わせにあるということを。
異国の旅先で出会った人の家に泊まらせてもらったりしたこともあるけれど、その人が信頼を置ける人なのかどうなのか、実はどうやって見分けたのか、と言われても、よくわからない。
すべては、勘である。その勘は経験に基づいて育まれるものだとすれば、信憑性はあるが、しかしあのころのわたしに、そんな経験があったかといえば、なかったと思う。
世界のあちこちで、消息を絶つ旅人はごまんといる。インドもまた、行方不明者の多い国の一つである。
しかし、そうはいっても、人々は旅をするだろう。あのモンゴル旅もまた、今のわたしを育む上で、かけがえのない旅だった。
以下、モンゴル旅日記の復刻版。ホームページを作ったばかりの不慣れなころにアップロードしているため、かなり読みづらい体裁だが、一応リンクを張っておく。