本当に、いろいろあった一両日であった。ともあれ、バンガロールで迎えた平和な朝。
ムンバイとバンガロール、二都市の生活は、わたし自身の「動きたい」しかし「落ち着きたい」という相反する欲求を、うまく調和させてくれているように思う。
二都市の特徴が、自分の性格の二面性だか三面性だかわからんが、ともあれ自己の内部に照応している。だから、二つの都市を行き来することにより、心の均衡をとりやすい。
などと、なにを贅沢なことをぬかしているのだろうか、わたしは。まったくいいご身分である。
今、庭から吹き込んでくる風に吹かれながら、ダイニングルームのテーブルでコンピュータに向かっている。
あるかなきかのストレスが、溶解していくようである。
溶解していることに気づくとき、はじめて、その溶解されるべき存在に気づく。
溶解と言えば、歳を重ねての長髪というのは、管理を怠ると、実に老けを強調する。
インドには、長髪マダムがごまんといるが、どこかしら、妖怪人間ベラを彷彿とさせる。
そして今、わたしは人のことを言えない状況にある。
この件については、また時を改めて記したい。
さて、夕べは最終のキングフィッシャー便でバンガロールに戻って来た。夫のキングフィッシャーのマイレージが貯まっていたので、今回はそれを利用してチケットを買ったのだ。
バンガロールの到着は夜10時過ぎ。しかし機内のアナウンスによると、地上の気温は摂氏30度。夜でも30度とは、バンガロールも盛夏である。
しかし飛行機を降り立てば、肌に軽く心地よい風。とても30度あるとは思えない爽やかさだ。やっぱりバンガロールの気候はすばらしいと思う。ムンバイのべったりねっとりとした空気とは大違いである。
ただ、幾度も記して来たことだが、そもそも樹木が豊かで街路の大半が木々の梢に覆われていたこの街は、「ガーデンシティ」「エアコンシティ」と呼ばれるにふさわしい高原の避暑地であった。
しかし、ここ十年の市街の開発はすさまじく、木々は伐採され、高層ビルディングが続々と立ち、コンクリートやアスファルトに覆われて、気温は上昇の傾向にある。
遠い過去を知る人にとって、ガーデンシティは昔日の幻だろうけれど、昔ながらの住宅地などでは、今なお木陰がふんだんにあり、風が通り、爽やかである。
スジャータたちの住む、まるで国立公園のようなIIS(インド科学大学大学院)のキャンパスにしても然り。同じ街とは思えない、緑の匂いがいっぱいに満ちあふれている。
わが家もまた、新しい建物ではあるものの低層で、周辺を木々に覆われていることもあり、市街の喧噪とはまた別世界のリゾートな空間が広がっている。
インドと海外、特に日本とは、よいとされる家の方角や条件が異なる。屋上は日差しが暑すぎるからペントハウスなどもってのほか。南向きの広い窓などはサウナ効果で地獄である。
わが家の庭は西向き、南から北にかけて広がっているため、鋭い朝日を避けられるのがよい。だから真夏の今でも、朝、庭で心地よく食事をとることができる。
太陽が真上にくる正午過ぎから3時にかけては暑いので、部屋の中で過ごす。外が暑い時は内が涼しく、内が暑い時には外が涼しい。だからエアーコンディショナーがなくてもまったく問題がない。
しかし、わが家の上階3軒はエアーコンディショナーを朝晩回転させている。最上階は特に、非常に暑いらしい。広々としたバルコニーの照り返しが猛烈らしい。同じ位置でも階によって住環境がまったく異なるのだ。
あうぅぅぅ……。快適なわが家自慢をしている最中になんだが、さっきから身体の随所がかゆい。しまった。バンガロールは今、蚊パラダイスなのであった。昼間から蚊が出るとは……。
今、虫除けを設置し、かゆみどめにとアロエジェルを施した。
ムンバイ宅は17階なので家の中に蚊は入ってこない。地上には、ものすごくたくさんいるらしいが、自宅に入ってこないので、ほとんど被害を受けたことがないのだ。
一方バンガロールは庭があることもあり、蚊がたいそう生息している。
蚊取り線香の類いは不可欠である。
それはそうと、庭で食べるマンゴーはまた、格別である。
夕べ、ムンバイ宅から持ち帰って来たアルフォンソ・マンゴー。
今朝、一つ味わった。
スプーンを入れた瞬間に、溢れ出す果汁。
南国の花のような、いい香りがする。
加えて今朝、メイドのプレシラが、「マンゴーの好きなサーのために」と、バダミ・マンゴーを買って来てくれた。
大振りでマイルドなこのマンゴー、バンガロールでは手に入りやすい種類だ。
あと数日で熟す感じなので、もう少々待って食べようと思う。
●メイド事件で衝撃。ドタバタの一日
メイドといえば、昨日また、事件が発生した。朝、荷造りなどをしていたら、近所の商店の兄さんが、3枚の請求書を持ってやってきた。旧メイドのジャヤが購入したもののようで、彼女のサインがある。
「この請求書は支払いはまだですから、払ってください」
と言われて、しかし意味が分からない。請求書の日付は、去年の12月、それから今年の4月10日、そして昨日の3枚。請求先はわが家になっていて、購入者はジャヤである。彼女の覚束ない筆跡のサインがそこにはある。
しかしそれらは、もちろん、わたしが頼んで買ってもらってものではない。
しかも最後の請求書は昨日の日付け。すでに彼女はわが家をやめていている。明細には、マラティ語で、シャンプーとか石けん、マヨネーズなどと書かれているようだ。
嗚呼。
怒りよりも、哀しみが襲って来た。
なんで?
こんな見え透いたことをして、わたしが気づかないとでも思っているのだろうか。お金がなくて、出来心、なのだろうか。一度年末に購入して、4月10日にも購入して、わたしが何も言わなかったから、ひょっとしたら隠し通せると思ったのだろうか。
だいたい、昨年末の領収書を、たとえ額が少ないからとはいえ、今更持ってくる店も店である。いったいどういう経理なんだ。
それはさておき、一気にどんよりと気分が重くなる。彼女の弟の携帯に電話を入れるがつかまらない。9階に勤める彼女の姉のところへ赴き事情を説明するが、英語があまりできないのでうまく伝わらない。
一部始終を見ていた新メイドのヨギータが、
「マダム、そう混乱しないで。よくあることですよ。でもみんながみんな、そうとは限りませんから」
と笑いながら言う。ううぅぅ。そこで笑うな、と思う。そういうあなたのことを、わたしはまだよく知らないのよ。
彼女の利発だが、しかしわたしに対してすらそこはかとない「偉そうな態度」がどうも気にかかる。気にかかるがこれ以上、事態をややこしくしたくないので、平静を装う。無口になる。
請求書はもちろん払わない。払わないどころか、ジャヤにはお金を貸している。もう、戻ってくることはないかもしれない。それはそれで、仕方ない。貸す時に、戻ってこないことは覚悟していた。
しかし、お金の問題よりも、気持ちの問題である。1年近くも働いていた彼女に、今になって裏切られた気分で、それが悲しいし、わたしの判断は間違っていたのかと省みたりもする。
ヨギータはジャヤの姉と親しいので、ジャヤの家庭の事情を少し知っている。曰く、やはり親は基本的に、ジャヤとボーイフレンドの「恋愛結婚」に反対していて、「見合い」をさせようとしたようだ。
しかしジャヤは恋愛結婚を貫きたく、今回のようなドタバタが起こったようで、家族はあまり祝福していないようである。彼女に手持ちのお金が少ないことは、よくわかっていた。
しかしこれまで、うちのものを盗ったりすることなどなかったし、誠実に働いていてくれていた。とはいえ、請求書の日付はまぎれもなく昨日で、そこには彼女の筆跡で、サインがある。
貧しくて、追いつめられて、選択肢がなかったのかもしれない。だからって、マヨネーズのような「あってもなくてもいいもの」を買うのは、ファンシーすぎるだろう。「米と豆と小麦粉と固形洗剤」とかだったら、切実な感じがしたかもしれない。
という問題でもないんだけど。
ともあれ、ジャヤの件は、教訓である。なんとか連絡を取って、つかまれば事情をきちんと聞きたいと思う。
ジャヤはともかく、来週からわたしが留守の間、家のことを見てくれるべく新メイドのヨギータのことが気になる。9階に下りて、ジャヤのお姉さんに会ったついでに、その向かいのヨギータが働くもう一軒の家のベルを押した。
マダムはアニータという女性。エレベータで何度か顔を合わせたことのある女性だった。とてもフレンドリーな女性で(尤もインドのマダムたちは、たいていフレンドリーである)、わたしの家でヨギータが働き始めたことも知っていた。
アニータの家にはヨギータ以外に3、4人が出入りしていて、ヨギータの仕事は掃き掃除程度なので、さほどの重要度はないらしい。だから、わが家との兼業で全く問題ないとのこと。
ヨギータの仕事ぶり、素行についてを訪ねたところ、アニータは苦笑しながら言う。
「こういうことを言いたくないけれど、この地域、特に南ムンバイのカフパレードで働いている使用人たちは、本当にしたたかで、問題も多くて、大変なのよ。
使用人やガードマンたちはネットワークが密接だから、あれこれと情報も行き渡っていて、いいことも悪いことも、起こるの。わたしはここに14年住んでいるけれど、何度使用人をかえてきたか、わからないくらい。
ヨギータは、この10年間、ずっとじゃなくて、やめたり、続けたりを繰り返しているの。時間にルーズなところがあるから、連絡だけはきちんととってね、と頼むんだけど、突然来なかったりということがあってね。
でも、それ以外は特に問題はないから、いいかな、という感じで雇っているのよ。
わたしたち、贅沢は言っていられないでしょ。インドで生活する限り、この埃っぽい家で、雑事が多い生活で、使用人なしじゃ生きていけないもの。
だから、ある程度のことは目をつぶって、過度な期待をしない。自分をコントロールするしかないの」
彼女の言うことは、いちいちが、「ごもっとも」だった。信頼するわけでもなく、かといって疑うわけでもなく、つかずはなれず。家事を手伝ってもらう。しかし、それは簡単そうで、とても難しいことだ。
生まれた時から使用人に囲まれて暮らしている人たちでさえ、頭を抱えている。インド新人のわたしはまだまだ、試行錯誤のただ中である。
自分が雇用している人を信じるか否か。
これは、普く、たとえば会社の経営にも通じるところだ。「人に裏切られる」人を、昔から身近に見て来たわたしは、思えば人に対して自然と一定の距離を保ちながら生きて来た。
マンハッタンで会社を起こした時も、人を雇って会社を大きくしようとは決して思わなかったのは、人間関係のトラブルを避けたかったのも理由の一つだ。
なるたけ、外注で。
近寄りすぎると、憎まれたり、嫌われたり、またこちらにしても、相手に対する要求が高くなったり、干渉しすぎたりすることになる。人との関わりについてのことで、頭を悩ませられる時間が増えるのは目に見えている。
そう考えると、わたしは27歳でフリーランスになって以来、「人間関係のトラブル」を避けながら、生きて来た。それがいいことだとは、決して思ってはいない。しかし、それが多分、わたしの性格、なのである。
深入りすると、ついつい干渉してしまう自分の性格を理解しての行動なのだと、思う。
ここに来て、使用人との関わりを通して、自分自身の人間関係、対人関係について、あれこれと思いは巡る。なんの結論も、出ないけれど。
↑一昨日の、コラバにて。街を歩けば、アルフォンソマンゴーにあたる。車の窓を開けたら、黄色い花が、降って来た。
久しぶりにIndigo Deliでのティータイム。
ランチが軽かったので、おやつとカフェラテを。
ここのバナナ・キャラメルケーキが美味なのだ。
ちょっと甘すぎるけれど。
しばらく、書き物をして、本を読んで、過ごす。
街路の喧噪から逃れられる場所。
一番のお気に入りの場所であるTaj Mahal PalaceのSea Loungeは、まだ再開していない。
あのテロから、早くも半年。
今日は、「ドライデー事件」について書く予定だったがこその、タイトルの「喜怒哀楽」なのだが、長くなったので、明日にしたい。