夕べ、熱帯なムンバイへ戻って来た。空港に到着したのは夜の10時半を過ぎていて、気温も落ち着いていた時刻。
「そんなに暑くないじゃん」
と余裕で帰路についたが、しかし寝苦しさと目覚めの不快感といったらもう、昨日までとは別世界。全身の毛穴が満開、という印象だ。ああ、なんという表現だ。
ともあれこれから、この気候に身体を慣らしていかねばだ。
飛行機を乗り継いで20時間ほど。つい一昨日までのマンハッタンが遥か遠く。ともあれ、今日のうちに断片だけでも、記録を残しておこう。
それでもブログに載せていない写真の方が多いわけで、しかし右の一枚は、記録のためにも残しておきたい。
地下鉄の中で見かけたポスター。
9/11の同時多発テロによって心的な障害を受けた人たちのための、無料カウンセリングサーヴィスの案内である。
あれから8年がたとうとしているが、未だに心に傷を負った人たちが、大勢いるのだろう。
6泊もあれば十分だと思っていたが、今回はとても短く感じられたニューヨーク滞在。
それでも、春のセントラルパークの緑、花々に彩られた街路、ヒヤシンスの甘酸っぱい香りに触れ合えた。
久しぶりに食材の豊かなホールフーズマーケットで買い物をし、インドでは味わえない料理を口にし、そして友人らと再会でき、いつもと同じように、意義深い滞在だった。
その善し悪しはさておき、インドになじみすぎた自分を「軌道修正」する意味でも、この地に戻ってくるのは大切であると感じた。
今日は、ニューヨーク在住のミナコさんと、5年ぶりに再会した。彼女はR&Bやレゲエのインタヴューやレポートを書いている音楽ライターである。
彼女とわたしは、わたしが渡米当初勤務していた日系の出版社の同僚だった。今思えばそこは、個性の強い人たちの、まるでたまり場のようなところであった。
出版社に勤めていたころはさほど親しくなかったのだが、やめてから、他の「やめた人たち」とともに、定期的に会って食事をしていた。
その中には、現在パリ在住のグラフィックデザイナーであるリョウコさんや、ロサンゼルス在住のライターで、個人的にはマックのトラブル時に何度となく助けてもらったユリさん、そして、5年前に他界したジャーナリストのスミコさんがいた。
闘病時のスミコさんのことをよく知るミナコさんと、5年以上も会わなかった、いや会えなかったのは、わたしが彼女の電話番号を記したアドレス帳をなくしていたというのが理由では、多分なかったと思う。
ともあれ今回、久しぶりに電話を入れ、彼女と再会したのだった。待ち合わせは、滞在先のホテルに近いセントラルパーク・サウスのサラベスキッチン。
二人して、同じ料理(スモークサーモンのエッグベネディクト)を注文。それが一番、おいしそうだったのだ。そして二人して、記念撮影。
料理をしっかり捉えつつ、色白でチャーミングな彼女を撮影。北海道出身者はみな色白なのだと彼女は言うが、そうなのだろうか?
一方のわたしはといえば、数日前に妹から「写真を撮られるときには5度、顎を引いて」とのメールを受け(どうにも、顎が前に出てしまうのだ)、顎を引いてみたがぎこちなく、不自然である。
顎を引く代わりに、首を5度、傾けてしまっているようである。
そんなことはさておき、12時半から、最終的には場所を変え、実に4時間近く、あれこれと語り合った。思えばそんなに長い付き合いではなかったにも関わらず、次々に過去を思い出しては、大笑いである。
スミコさんの、最期のころを思うと、それは笑ってばかりとはいられないが、しかし彼女が元気だったころの、みなで食事に出かけた際の記憶をたどれば、笑わずにはいられないエピソードが次々と思い出される。
スミコさんとユリさん、そしてわたしは同じ歳だったこともあり、そのころは3つ4つ若いミナコさんやリョウコさんを「年下扱い」していた気がするが、こうしてお互い40歳を過ぎてしまうと、同じようなものである。
彼女の記憶に刻まれているわたしの言動。わたしが覚えてもいないことが、彼女から見た「わたしらしさ」の断片。一方、わたしの記憶に刻まれている彼女の言動。彼女自身が覚えていない、わたしから見た「彼女らしさ」の断片。
自分は自分が思うような自分ではなく、当時のわたしを彼女の目を通してみれば、それはまた別のわたしで、「それはわたしではない」と否定したところで、人の目に映る自分の姿を変えることは不可能である。
翻って今の自分。日本を離れて13年。どんどん日本の感覚から遠のいていたところに、インドに来て、日本に帰国する機会がわずかだが増え始め、日本に接することも増えた気がしていた。
だから、誤差が縮まったとさえ思い込んでいたけれど、わたしよりも多分、日本の出版社や編集者との関わりが濃密な彼女の話を聞くにつけ、わたしは少し、認識がずれていたかもしれないと思わされる部分が多々あった。
それを軌道修正するかどうかは別として(というところがまた気が強い感じだが)、日本における「平均的な感覚」と自分の中での平均的な感覚の間には、かなりのずれがあるのだということを、自覚しておくことは必要だと感じた。
こうしてブログに日々を綴っていても、「人はこんな風に受け取るのか」と意外に思わされるコメントをもらうこともある。
書き手の文章力と読み手の読解力、そのバランスが崩れると、双方の「人間像」は、実態とかけ離れながら暴走する。
誤解なく、感じよく、本意に近く、物事を、しかも会ったこともない他者に伝えるということは、いかに難しいことかということについても、今日の会話の延長線にて、思い至った。
写真のCDは、彼女からのお土産。暑いムンバイに似合うかもしれない。聴くのが楽しみだ。
さて、今回の旅、最後の晩餐。適当にすませた食事が多かったので、最後はしっかり締めくくろうとステーキハウスへ赴くことにした。
ホテルのコンシェルジュの勧めに従い、ホテルからほど近いタイムワーナービルディングにあるポーターハウス・ニューヨーク PorterHouse New Yorkへ。
広々とした店内は、周囲を窓で囲まれており、わたしたちはコロンバスサークルを見下ろすテーブルに通された。
不景気とはいえ、クラシックなステーキハウスで、スーツ姿のビジネスマンたちが、大きなステーキとワイングラスを前にして談笑している様子を見ると、ああ、ニューヨークだな、と思う。
「不景気」に関しては、今回のニューヨーク滞在で思うところ多々あったが、そのことについてはいつか、書く機会があれば、書くとする。
ところで米国の、むやみやたらと大きなステーキを、わたしたちが一人分平らげることは不可能である。Prime Cowboy Rib Steak(Black Angus rib steak, served on the bone)を注文し、二人でシェアすることにした。
写真で見ると遠近法の効果で小さく見えるが、骨込みとはいえ、24オンスもある。
つまり680グラム。
どでかいのである。
ステーキのほか、今日のお勧めである巨大アスパラガスのグリル、そしてやはり、化け物のように巨大なアイダホポテトによるベイクドポテトを注文した。
さて、ステーキの味はといえば……。
味付けはシンプルに塩こしょうなのだが、焼き加減が巧みで、肉の旨味がすばらしい。
ざくざくとした力強い歯ごたえながら、硬すぎない。表面の香ばしさと中身の柔らかさの調和が絶妙である。
ニューヨークのステーキハウスは、有名店、人気店を含め、これまであちこち訪れたが、この店のステーキが一番、口にあった。
ちなみにプライムリブ(厚切りのローストビーフのようなもの)に関して言えば、ワシントンDCのステーキハウス、その名もPrime Ribが、わたしたちにとっては、やはり一番である。
来年のニューヨーク来訪時にはまた来ようと思わされた、美味なる晩餐であった。
ところで、米国のステーキ肉は歯ごたえがしっかりとしたものが多く、日本でおいしいとされるとろけるように柔らかな霜降り肉とは異なるので、念のため。
来週からはまた、灼熱ムンバイで、非日常的な日常生活が始まる。