この季節のマンハッタンの、光の具合や街の匂い、少し肌寒い空気が好きだと思うのは、わたしがはじめてニューヨークを訪れたのが、この時期だったからだろう。
13年もたった。
13年しかたっていない。
ストリートを闊歩する。
気持ちはあのころに戻っている。
風景を映し出すショーウインドー。
そこに現れる自分の姿にはっとする。
老けた。
確実に、歳月は流れている。
敢えて口角をあげて、歩いていく。
敢えて背筋をのばして、歩いていく。
ビルディングの谷間からのぞき見える、
抜けるような青空。
交差点に差し掛かかるたび西からあふれてくる、
鋭い夕日。光の渦。
わずか13年が過ぎてしまった。
朝食を、ホテル近くのカフェで、ニューヨーク在住のKさん(男子)と共にする。
彼はわたしがニューヨーク時代に書いていたメールマガジン時代からの読者で、「サロン・ド・ミューズの会員」でもあり、これまで幾度か仕事のことなどでメールや電話のやり取りをしたことがあった。
彼がまだ日本に暮らしていた4年前、ニューヨークに旅行に来ていたときに一度会い、今回は2回目である。
念願かなってニューヨークで仕事を始めた彼の話を聞きつつ、それは決して順風満帆とは言いがたい、精神的にも経済的にも、いっぱいいっぱいの環境らしき話を聞きつつ、わたしもまた、渡米当初のことを思い出す。
異国で仕事をするということは、本当に簡単なことではない。ぎりぎりの境遇で働く人は、決して少なくない。
サポートが保証されている企業の駐在員ですら大変なのだ。身一つで、頼りもなく、ただ自分の熱意だけを頼りに海外で働き始めるということは、それなりの無謀さも必要で、加えて精神力と体力の勝負である。
就労ヴィザ(査証)の問題。ライフスタイルの問題。言葉の問題。経済的な問題。とりまくすべてが、問題に覆われている。加えて人間関係。
ニューヨークには、とくにあくの強い人間が多いから、渡り合っていくには自分も毒を抱えなければならない。さもなくば、やられてしまうばかりだ。
問題を一つ一つ解決しながら、少しずつ、強くなる。鍛えられる。根性が悪くなることもある。心が荒みきってしまう前に、現状打破をしなければ、というぎりぎりの局面に、幾度となく遭遇する。
途中で帰国する人。惰性で暮らし続ける人。ぐっと運を切り開く人。敵を作りまくる人。それでもタフに生き延びる人。
ニューヨークでは、本当にいろんな人たちの、いろんな生き様を目の当たりにした。わたしはといえば、自分の位置づけについて、客観的に見ることもなく、ただただ、精一杯だった。
ミューズ・パブリッシングを立ち上げて、利益が上がり始めた途端に、いくら自分を表現したいからって、1万部もの『muse new york』を印刷して、無料配布していた自分はまた、ある種「病的な行動力だった」と、今になって思う。
なにもそこまでしなくても。
そもそも、いったい、なんのために?
まるであの日々は、自分を試すゲームのようなものであった。
「自分が好きで来たのだから」
と言われれば身も蓋もなく、しかし好きで来た人間は、やっぱり自分で責任を取らねばならないのだ。
どの方向に進むことが正しいのか、どちらの選択が「逃げ」で「攻め」なのか、実は本人にさえわからない分岐点に立たされることは多々ある。だから、無闇に「がんばれ」と励ますことはできない。
それでも、母国を離れて、住みたいと思っていた場所で、力一杯働いている人に対して、やはり「がんばれ」としか、言いようがない。
がんばってほしい、と思う。
さて、本日、カリフォルニアの免許をニューヨークのものに切り替えようとNYDMVに出かけたが、住所がC/O(〜様方)ではダメだとのことで、引き下がってしまった。
叔父のオフィスを免許証の送付先にしてもらう予定だったのだが、カリフォルニアの免許証は取り上げられる上、送付されるかも確実ではないので、一旦諦めた次第。期限が切れても1年間は再申請できるので、来年までに対策を考えるつもりだ。
こういう事態に備えて、ムンバイでインドの免許証を取っておいたのだが、インドのパスポートを持っていなければ国際免許証はとれないということが後に発覚した。
米国では、インドの免許証で運転できるが、欧州は定かではないし、日本ではダメなはず。っていうか、だめだ。日本で運転する可能性は少ないが、しかし持てるものは持っておきたいものである。
長蛇の列に並び、視力検査や写真撮影をすませてのちの、「ダメ」発覚で、2時間近くも無駄にしてしまった。やれやれとNYDMVを出て、隣接するデパートメントストア、MACY'Sをのぞいてみれば、平日とは思えぬ賑わい。
フラワーショーが開催されているゆえの混雑らしい。すてきなのか、やぼったいのか、今ひとつ「微妙」なフラワーアレンジメント。一応、写真は撮影してみたが、これはいったい、どうしたものだ。
ニューヨークに来て以来、何かと日本食を食べている。マンハッタンには2000年の時点で200軒以上の日本料理店があった。現在の店舗数は知らないが、ともかく、多い。
従っては、街を歩けば、日本食レストランにあたる、のである。
今日だって、本当は違う料理を食べたかったのだが、アルヴィンドが黒豚ロースカツを気に入ってしまい、「かつ浜」で待ち合わせを提案して来たため、またしても、カツである。
彼はカツ丼を食べていた。わたしは四点盛り合わせ、にした。
さらには寿司。きちんとした日本料理店で食べたのは昨日、真由美さんと出かけた「松玄」のみ。
それ以外はホールフーズマーケットのサーモン握りをランチにしたり、ミッドタウンの「ちよだ鮨」で夕飯お持ち帰りの握り詰め合わせを買ったりと、かなり適当である。
しかし適当ながら、それらはかなりおいしいので満足。今回は、「特別感」があまりないマンハッタンでの食であるが、それだけ食に対する執着が浅くなったともいえよう。
「全然、浅いとは思えない」
という声が、聞こえてきそうであるが。
さて。ついには明日が最終日。明後日には猛暑ムンバイへと帰ることになる。長かったはずなのに、なんと短き休暇であろう。