5泊6日の東京滞在も瞬く間に最終日。明日には福岡へと飛び立つ。今回は、ごく限られた地域だけを巡り、昔好きだった表参道さえも立ち寄らず、大した買い物をすることもなく。
人と会い、食事をし、それがメインだったが、こういう過ごし方もまたよかったと、思いつつ。
午前中はホテル近くで用事をすませ、ランチタイムはホテル内のチャイニーズへ。
わたしがメールマガジンを発行していたころからの読者で、『街の灯』のサイン会に来てくださったことで知り合ったミチさんと共にランチをとる。
今まで数回しかお会いしたことはないのだが、折に触れてメールでやりとりをし、古くからの知り合いのような気分である。
サンクスギヴィングデーでご家族がいらしたときのことが、つい最近のことのように思い出される。
今回の東京旅は、東京、ニューヨーク、ワシントンDC、そしてインドと、それぞれの土地で出会った人たちとの再会で、彩り豊かに時間旅行を楽しんでいる。
都会とは、首都とは、そういう時間旅行を楽しむことのできる、人々が集約する、場所でもあるのだと思うと、東京に対する見方もまた、変わってくる。
わたしにとっての、東京。
今回、連絡がつかずに会えなかった人たちもまた、たくさんある。
そんな人たちと、いつかまた会うことがあるのだろうか。それとも、すれ違うままに、時を流していくのだろうか。いずれにしても、人との出会いは、再会の確約なき、一期一会のようなものである。
移動の多い歳月を重ねて来て、「縁(えん)」という言葉の重みを、身にしみて、このごろは感じる。
特にこうして、今回の旅のように、十年ぶり、二十年ぶりの人々と再会するときには。
午後はまた、六本木で知人と会った後、「東京ミッドタウン」へと赴いてみる。昨日の六本木ヒルズといい、このミッドタウンといい、きれいで、都市的で、便利な場所なのだろうけれど、個人的には最早、好奇心をそそられず。
淡々と、整然と、茫漠と、寒々と、几帳面な風が吹く。蛍光灯がまばゆい店に目がくらむ。少し歩いて、すぐに疲れて、レモンスカッシュを頼んで、それを飲み干して、一息つく。
自分の好奇心の在処がどこにあるのか、よくわからなくなる。情報の取捨選択の機能が働いていないように思う。こんなにも、比較的緩やかな、旅の予定をたてているにも関わらず。
夜の目的地もまた、六本木。今回の旅は、六本木での待ち合わせが何かと多い。現在、インド仕事でつながりのある会社を訪問し、先日ムンバイで「ドライデー事件」につき心行くまで飲めなかったSさんと再会。
彼女の会社のスタッフと取引先の方も交えて、近所の居酒屋へと赴く。
金曜の夜。
若きビジネスマンらがスーツ姿で生ビールを酌み交わし、大声で笑いながら食事を楽しんでいるただ中。
東京へ来て、大声で笑うビジネスマンを見たのは、このときが初めてであった。
なにかしら、胸が迫る。
さて、同席の人々は、もちろんインド関連の仕事をしているだけあり、インド事情には相当に明るい。
つまりは、インド濃度がかなり高い話でも、キーワードを理解してもらえるため、話していて楽しい。
ビジネス視点というよりは、専ら生活者視点の話題であったが、ともあれ嬉々としてインド事情を語る自分に気づき、何がそんなに楽しいのだ、と自分に突っ込みたくなること山のごとし。
「喉の温存」など忘れてしゃべりまくる。
せめてもの思いで、アルコールの摂取量は控えておいたが(生まれて初めて「ホッピー」を飲んだ)、アルコールなしでも十分、酔える体質である自分を再確認する。
若い世代の人々の、仕事に熱意を持つ人々の、その強弱の差はあれど、なにかしらの情熱を感じるとき、自分ももっと、本気を出して日印間の仕事をすべきではなかろうか、との思いが巡る。
インドに戻ればまた、日常の渦に巻き込まれて、瞬く間に歳月が流れてしまうのかもしれないが。もたもたしていると、あっというまに50、60、70歳だ。
命短し、働け乙女。
有言実行で、ちゃんとやらんとな。