現在、8月9日の朝である。今日はのんびりと、自宅で過ごす予定である。というのも、昨日の朝から夫の体調が悪いのだ。朝のうちは咳をするだけだったが、午後近くになり少し熱が出始めたので、病院に行って薬をもらってきた。
初日の打ち合わせの際、スーツを着ていた彼。外は猛暑である一方、建物に入れば急に冷気にあたるなど、幾度となく気温の上下を繰り返した挙げ句、夜は熟睡できなかった。そのため繊細なマイハニーはダメージを受けてしまったようだ。
ウダイプール旅は火曜から。本人はなんとしても体調を戻したい意向で、昨日、そして今日はおとなしく過ごす模様である。
誕生日につき、ロメイシュ・パパと継母ウマから、花束とカフリンクの贈り物を受け取った。
彼の額にはり付いているのは、ご存知ジャパニーズ・テクノロジーの産物であるところの「熱冷まシート」である。
5月に日本へ帰国した時、なんとなく、買っておいた。
それを今回の旅で、なぜか、なんとなく2パック、スーツケースにいれておいた。
鋭い予感である。こんなにもてきめんに役に立つとはまったく!
呪われているのかウダイプール旅。8年前の我が雪辱を晴らすためにも、なんとしても明後日までに完治してほしいものだ。いくらわたしでも、一人で「おいし〜!」と言いながらタンドーリ・チキンを食べることなどできない。
しかし、その前にわたしがやられてしまわないよう要注意だ。
それにしても、夕べは「地獄」だった。30度を軽く超える蒸し暑い熱帯夜。冷房も入れられず、天井のファンはミニマム。にもかかわらず、夫は「悪寒がする」という。
熱があるのだから、悪寒がするのは仕方なかろう。仕方ないが、ふわふわのあったか〜いブランケットに包まれて隣に寝られた日にはもう、これを地獄と呼ばずして、なんと呼ぼう。夫の全身から、ほかほかと湯気が見えるくらいである。
まさに、生ける巨大肉まん。
それでも妻は、濡れタオルなどを顔やら手足に配備して、愛すべき夫のために我慢して寝た。
しかし深夜、余りの蒸し暑さに呼吸困難に陥った。自ら肉まんと化している夫ですら、「暑くて吐きそう」と目を覚ました。なら、そのブランケットをはずせよ! という話だ。
何度か夫のクルタ・パジャマ(インド寝間着)を着替えさせたり、冷房を入れたり消したりと、またしても眠れぬ夜。
いったい、わたしは何をやっているのだろう?
うつろな意識の中、自分の人生とは、優雅なのだろうか。それとも、過酷なのだろうか。いや優雅と過酷と幸福と苦悩との混在だ、いやそもそも、そんなことを定義づけること自体がナンセンスだ。
などとわけのわからないことを考えつつ、うとうととする。気がつけば、朝だった。
取り敢えず、わたしは食欲もあり、元気である.
タフネス。わたしの人生にとって、最も大切なこと。
さて今日は時間もあることだし、時間を縫って、マルハン実家の様子や、昨日のデリー巡りの記録を残しておこうと思う。
●お茶とビスケットで始まる朝。そして野菜たっぷりの昼餉夕餉。
4階建てのマルハン実家は、各階が独立した2ベッドルーム(2寝室にリヴィング、ダイニング、キッチン)となっている。
1階はインド企業の、地方駐在員家族に貸している。
2階は以前ダディマ(祖母)が暮らしていた公共のフロアであり、使用人が使用するメインのキッチンがある。
3階はわたしたちやゲストが訪れた時に使うフロア。普段は空室。
そして4階がウマとロメイシュが暮らしているフロアとなっている。
普段は誰も使っておらず、古くからの家具がそのまま残っていて、いわば物置状態。
インテリアを一掃してイメージ刷新を図りたい衝動にかられる、非常にもったいない空間だ。
このフロアにも2ベッドルームとキッチンがあるが、わたしたちが滞在している間に使うのは専ら寝室一つだけ。
いっそB&B(ベッド&ブレックファスト:民宿)でも開きたいくらいである。
などと思うのは、わたしくらいのものである。
誰も何もすることなく、これから先もずっと、こうして放置されてしまうのだろう。
さて、毎朝、目覚めて電話をかければ、使用人がお茶とビスケット、そして新聞を持って来てくれる。
洗濯物はピックアップしてくれるし、食事もすべて準備してもらえるしで、本当に至れり尽くせりである。
初めてインドに来て、この待遇を受けた時には、本当に驚いたものだ。
それまでは、家事が一切できないアルヴィンドに、幾度となく業を煮やしたものだったが、これでは無理もないなと思ったものである。
ちなみにウマやスジャータも、自分自身である程度の家事をしていて、使用人の手は最低限しか借りていない様子。
その方がわたしにも受け入れやすいし、わかりやすいライフスタイルだ。
それはさておき、マルハン実家到着以来、昼夜、ケサールの料理を味わっている。本当は夕べ、親戚に勧められた新しいインド料理店を訪れる予定だったが、アルヴィンドの不調により家での食事となった。
わたしとしては、外食もいいが、家庭料理で満足である。肉料理として、マトンやチキンなどが加わることがあるにせよ、基本は野菜たっぷり。ヘルシーで身体にとっても快適である。
マルハン実家は、ノンヴェジタリアンとはいえ、ランチタイムはヴェジタリアンメニューであることが多い。しかし、野菜だけでも何種類かの料理が出され、物足りないと思うことがない。
以下は一昨日、そして昨日の夕食の写真。初日のデザートはアイスクリーム&マンゴー(ケサール種)。アルフォンソ・マンゴーのシーズンはとうに終わったが、まだまだインド各地で、別の種類のマンゴーが楽しめる。
昨夜はアルヴィンドの好物のグラブジャムン(激甘)が用意されていた。しかし体調不良につき半分にとどめておいたのだった。
●アカデミックな都市、デリー。IICなど、結婚式のころを思い出す。
さて、昨日の目的地。「観光客向け」とはわかっているが、しかし王道を抑えておかねばなるまいと、コンノートプレイスからのびるBaba Kharak Singh Marg沿いのハンディクラフト街へ足を運ぼうと考えた。
しかしその前に、一昨日「失敗気味」だったものの、ひょっとすると……の期待を抱いて、LOVE DELHIの中でもかなり大きく紹介されていたTRIVENI TEA TERRACEへ立ち寄ることにした。
ここの雰囲気がよければ、軽くランチをとってコンノートプレイスに向かおうと思ったのだ。
やはりロディ・ガーデンにあるこのTRIVENI 。写真や絵画のギャラリーやオフィスが入ったビルディングである。カフェテラスは、あるにはあった。しかし、屋外である。当然ながら暑い。暑いし、決してリラックスできる雰囲気ではない。
LOVE DELHIの著者であるフィオナ自らがライターであることから、アカデミックな雰囲気を好むのだろう。今回、デリーにおける彼女のピックアップのいくつかを見て、彼女のテイストの一端がよくわかった気がする。
デリーには、特にロディ・ガーデン界隈には、さまざまにアカデミックな組織が点在している。わたしたちにとっては思い出深いIIC(インディア・インターナショナル・センター)もその一つだ。
あれはやはり、8年前の結婚式のときのことだ。わたしは夫の実家に泊まることになっていたが、日本家族はホテルに滞在することにしていた。
しかし、旅の数週間前になって、ラグヴァンの父であるヴァラダラジャン博士が、インディア・インターナショナル・センターの古くからの会員で、役員のような立場でもあったことから、宿泊施設を提供したいと申し出てくれたのだった。
インドを訪れたことのないわたしにとって、そこがいったいどういう場所なのか、見当がつかなかった。
初めてインドを訪れる日本家族にとってそこは、OKな場所なのか。それでなくても激暑のニューデリー。一般のホテルでなくて大丈夫なのか。あれこれ不安が募ったが、ともあれ反対のしようもなく、当日を迎えた。
訪れたところ、庭園に囲まれたそれは、まるで「1960〜70年代あたりからそのまま時間がとまっている」といった感じの懐かしさが漂う、どこかしら「バウハウス」的な建築物である。
バウハウスを詳しく知らない身の上でいい加減な発言をするようだが、しかし、そんな感じである。どんな感じである。
さて、あの日、ヴァラダラジャン博士は、玄関先の礎石を示した。そこには、日本の皇太子、つまりは現天皇陛下の名前があった。この施設、天皇陛下と関わりがあるのである。
これまでも幾度か記したが、ヴァラダラジャン博士は、天皇が皇太子時代に幾度か学会で交流を図ったことがあるとのことで、加えて元森首相とも交流があったとかで、親日派でもある。
わたしたち日本人家族が、天皇陛下とつながりのあるここに泊まることは、喜ばしいことだろうと判断してくれたようなのだ。それは確かに、とてもうれしい心遣いだった。
しかし、真夏のデリー。冷房は効いているとはいえ、薄暗い部屋に、時代が数十年ほども止まったままなムードのインテリアである。わたしとアルヴィンドも初日は日本家族と1泊したのだが、……なにかと、辛かった。
過酷な結婚式イヴェントをこなすのに、熟睡できそうにないこの宿泊施設での1週間滞在は無理だと判断し、翌日、実家にほど近いホテルに移動したのだった。
インドに暮らし始めて、インドのことが少しずつわかりはじめている今だから言えるのだが、インドのアカデミックな人々の多くは、経済力の有無を問わず、非常に質素、簡素な暮らしぶりの人々が多い。
現にラグヴァンやスジャータも、極めてシンプルなライフスタイルだ。
しかし、当時はそんな事情を知る術もない。「前時代的なムード満点」の施設に遭遇するにつけ、戸惑った。インドに移住してまもないころも、やはりそのあたりの「古き良き」と「現代的」が混在する状況に、困惑することは少なくなかった。
今は、すっかり慣れた。
●コンノートプレイスでKFC ジングコング!
そんな次第で、あまりにもアカデミックで簡素なそのカフェにおいて、しかし季節が季節なら心地もよかろうが、いったい猛暑のテラスにて、サンドイッチなどのランチを食するのは、とても「すてき」とは言いがたい。
ともかくコンノートプレイスへ赴くことにした。ドライヴァーに頼んで、サークルをぐるぐると回ってもらったところ、KFCを発見!
インドKFCのジンガーバーガーは、そのジャンクさがしかし魅力的で、たまに食べたくなる。このブログでも何度か紹介して来た。このところヘルシーメニューが続いていたせいか、ジャンク欲急上昇。迷わずKFCでランチをとることにした。
普段、コーラやペプシなどのソーダを飲むこともほとんどないわたしにとって、このKFCランチが唯一の、そして結構楽しい「一人ランチ」の定番である。食後、多少の「気だるさ」、「胃だるさ」が待っているとはいえ、たまにはいいのである。
意気揚々と店内に入ったが、キャッシャーに並ぶ人の多さにひるむ。思えば土曜のランチタイムである。家族連れ、友だち連れ、ひしめき合っていて、冷房も効いているんだか効いていないんだかわからないほどの熱気に包まれている。
しかし、引き返すのもなんである。がんばって、並ぼうと思う。メニューを見上げれば、「ジング・コング (ZING KONG)」という新しい(わたしにとっては)セットを発見!
我がお気に入りのジンガーバーガー (ZINGER BURGER) に加え、フライドチキンが1ピース、それにフライドポテトとペプシ、チョコレートバーがついたセットだ。
ん? この構成は、以前バンガロールのコマーシャルストリートで食べた気がする。
ただ、「ジングコング」と命名されていなかっただけかもしれない。
いや、命名されていたものの、わたしが気づかなかっただけかもしれない。
そんなことはさておき、さほどお腹が空いているわけでもないのに、なぜかそのコンボを注文することに決めてしまう。
チョコレートなど、いらないのに。
エキストラの1ピースも、食べ過ぎなのに。
自分がよくわからない。ジャンクフードの恐るべき「吸引力」である。
それにしても、店は大いに込み合っていた。空いている席を見つけるのさえ一苦労だった。でも、ジンガーバーガーはおいしかった。フライドポテトはいまいちだった。
ちなみに、インドのKFCはインドのマクドナルドに並んで、「インドならでは」なオリジナリティに溢れたメニューが多い。フライドライスの上にチキンが載ったものを食べている人もいた。しかしそれは、あまりおいしそうには見えなかった。
●KHADIの自然派商品。衣類、食品、シャンプー、石けんなど。
そもそもKHADI(カディ)とは、手で紡ぎ、手で織られた木綿の布地を意味するらしい。インド独立を目指していたマハトマ・ガンディが、インド産業の支援を目指して行った運動のひとつに、KHADI作りがあった。
そのKHADIの名を冠するKHADIの店舗では、布製品だけでなく、豆や穀物、スパイスなどの農作物や、シャンプー、石けんなど、天然素材の素朴な商品を生産している。
わたしは、KHADI製のシャンプーや石けんを、インド移住前から愛用している。アーユルヴェーダの処方に基づいて作られる天然素材のプロダクツがほとんどだ。パッケージこそ杜撰な感じだが、ナチュラルな香りのプロダクツは、なかなかによい。
そのKHADIの店をコンノートプレイスに見つけたので立ち寄った。
以前、ムンバイのMGロード沿いにあるKHADIの店を訪れたことがあったが、そちらと同様、極めて簡素で地味な店内である。ガンディの像が飾られ、彼が糸紡ぎで糸を紡いでいるモノクロの大きな写真が掲げられている。
ムンバイで買えるとわかっていながら、ついつい石けん数個にシャンプーを購入。その他、手漉きの紙で作られたフォトフレームなども購入する。
食品類はオーガニックのものも多いようで、面倒でもこういうところまで足を運んでまとめて買うのがいいのだろうなと思わされる。特にスパイスなどは種類も豊富。使い切れないとわかっていても、ほしくなる。
■The Khadi and Village Industries Commission
●工芸品店が並ぶあたりを歩く。炊飯釜の実態を解明
なんだか、相当長くなって来た。なにがって、今日のこのレポートがである。
先ほど、しばしコンピュータを離れ、今日もまた夫は体調不良だろうからと、彼のために昨日カーン・マーケットで買って来ていたDVDを家族そろって鑑賞した。
ディズニーのアニメーション、BOLT。かわいらしくて、楽しい映画だった。イヌを飼いたいと、またしても思う。
さて、今日のところは、残りの部分の工芸品に関するレポートが肝心だというのに、相当、面倒になって来たので簡単にまとめる。
Baba Kharak Singh Margの、観光客対象であろうその通りには、あれこれと興味深い品々を発見することができ、なかなかによいアーケードであった。
途中でサルの軍団にも出くわした。デリーはたいそう、サルが生息しているようである。
サルのことはさておき、何よりの収穫は、TRIBES INDIAという店で、例の「炊飯釜」を通して巡り合ったマニプールの陶工芸品のバックグラウンドを知るべくブローシュアを手に入れたことだ。知りたかった情報が簡潔にまとめられていた。
やはりこの陶芸の技術はナガランドのナガ族からもたらされたものらしい。ウェザーロックという岩が素材で、鍋類はじっくりと煮込む料理に適しているという。火から下ろしても保温性があるため、しばらく熱さが保たれるとのこと。
ダッチオーヴンやル・クルーゼの「素朴版」であり、「廉価版」である。炊飯に限らず、他の煮込み料理にも使ってみたい。使い勝手がよければ、もう少し購入しよう。保温効果もあることだし、パーティの際などの器としても応用できそうだ。
WIND FLUTEと呼ばれるその名の通り、滑らかに振り回し続けることによって、まるで風のささやきのような、幽けき涼しきささやかな音が生まれるのだ。
「これはエクササイズにもいいんだよ!」
と、お兄さん。冗談だとは思うが、まるでヌンチャクを振り回すが如くに、滑らかに笛を振り回す彼を見ていると、「確かに運動にもなるかも」とさえ思えてしまう。
●高級店増加? しかし見た目は玉石混淆のカーン・マーケット
さて、いくつかの民芸品店に立ち寄り、それなりに雰囲気を満喫したあとは、帰路、カーン・マーケット(KHAN MARKET)へ立ち寄ることにした。
このマーケットには移住前の旅行時から、デリーを訪れるたびに立ち寄っている。一見「地元の商店街」だが、何気なく高級ブティックなどが点在しており、おしゃれなショッピングアーケードとも言える。たとえ、そこに野良犬が寝そべっていたとしても、だ。
外国人や駐在員などの姿も多く見られ、いつも賑わいを見せている。ちなみに右上のブティック、RANNA GILLはインドデザイナーズブランドの一つ。
派手派手なものの中に「いい感じ」にシックなものが紛れていて、個人的に気に入っているブランドでもある。ムンバイ店は高級感溢れる雰囲気のセレクトショップ内に入っているが、ここは何やら安っぽいムード。
事情を知らない人がふらりと入ったら、近隣店との価格の格差に驚くことだろう。
いろいろと立ち寄って楽しい店があるが、詳細は割愛して、最後に入ったのはおなじみGOOD EARTH。ムンバイでも、そしてこのカーンマーケットでも、この店の空気はまるで「オアシス」である。
店に入るとともかく、ほっとする。ナチュラルなフレグランスのいい香りが漂っているせいかもしれない。
暑い一日を阿呆のように歩き回り、すっかり疲労困憊。お茶でも飲みたいが、インド版スターバックスなバリスタ・カフェも込み合っているし、その他のカフェもごちゃごちゃとしていて、どうしてものだ。と思っていたら……。
なにか、上階から、「気配」がする。もしや……と思って3階まで上がったら、そこにはカフェがあるではないか! 雰囲気も、かなりいい。なによりお客が少なく、静かだ。
ここでくつろいでいくとしよう。
と、メニューを開いて驚く。コーヒーその他、1杯が150ルピー前後。道理で静かなわけだ。先進諸国の喫茶店を思えば、300円程度のコーヒーは格安であろう。
しかし、ここはインド。バリスタ・カフェの美味カフェラテですら50ルピーから80ルピーで飲めるというのに、これはいかにもお高い。高級ホテル並みである。が、雰囲気がよいので、よしとする。
疲れている時にチョコレート風味が効くと思ったのだ。
と、なにやら「蓮の花」らしき絵柄がチョコレートで描かれていた。
微妙に惜しい出来映えだが、しかしかわいらしい。
喧噪を逃れ、あまりの快適さに、リラックスすることしきり。
あれこれと書き物をしているうちに時間が経つのをすっかりと忘れ、気がつけば1時間ほども過ごしていた。あたりはすでに、夕闇に包まれている。
かなり遊んだようである。よき一日であった。
長いと思っていたデリー滞在も、明日が最終日。明後日にはウダイプールへと旅立つことになる。アルヴィンドには早く回復してもらいたいものである。