早くも明日は、ムンバイ行きである。今回はバンガロール宅に9日間ほどもいたにも関わらず、やはりいつものとおり、ジャーナルのTO DO LISTには、やり残したことの数々。チェックされない□の連なり。
自分を追い立てたり急かしたりすることはないのだ、と思いつつも、さらさらと握れば指のあいだより落つ砂のごとく、取りこぼしていることの多さに呆然とする、いつも、滞在最後の夜には。
にも関わらず、現実逃避のように、ワインなど飲みながら、こうしてブログを更新している。結局は、余裕があるのかもしれない。怠惰なのかもしれない。
歳月を重ねるほどに経験は増え、ひらめきは増し、好奇心は広がり、記しておきたいこと、話しておきたいこと、知りたいこと、行きたい場所、とめどなく。
もしかすると、今週の日曜から米国に飛ぶ。飛ぶとなれば半月以上はインド不在となる。それが確定するのは土曜。慣れているとはいえ、こういうギリギリな感じ、それなりに、いや。飛ぶと仮定して諸事を片付けねばならず、やれやれだ。
身軽に。
との思いを心に暮らしているけれど、ときに、自らの存在の耐えられない重さ、を感じる。いっそ軽くありたいのだ。ジプシーのように。遊牧民のように。ボヘミア〜ンのように。流浪の民〜! のように。
ところで昨夜は、日本人の友人を招いての「ガールズ★ナイト@マルハン家」を催した。日中は仕事があったので、食材の購入は一昨日、すませておいたのだが、今回、なかなかによきものを発見!
かねてから、インドは乳製品がおいしいし、水牛のミルクも一般的なので、美味なバッファロー・モッツアレラチーズを生産する潜在能力はかなり高いのではないかということを折に触れて記してきた。
実際、イタリアンレストランなどでは、国産のモッツアレラチーズを独自ルートで調達しているという話を聞いていたし、数年前から「輸出用」として、かなり本気のモッツアレラチーズ作りをしている会社も存在するという記事も目にしていた。
しかし、それらは「高品質の紅茶」同様、主には輸出向けに生産されており、市井のスーパーマーケットで目にすることはなかった。
ところが今回、ご近所のNAMDHARI'Sで発見したのだ。
右の写真がそれである。
モッツアレラチーズもあったが、パーティ仕様に一口サイズのボッコンチーニ (Bocconcini) を購入。
結論から言うと、結構、いける。
個人的には、もう少し柔らかめで、ミルキーな風味が強い方が好きだが、それでも遥か遠くから輸入される長期保存可能で、しかも超高価なイタリアものを買うよりも、よい。
ちなみにこれも、インドものにしては高価である。
ともあれ、ピザなど加熱して使用する料理には好適であろう。ちなみにわたしは、トマトを加え、オリーヴオイルなどであえるだけのシンプルなアペタイザーにとどめておいたのだが。
日々、目新しいものが市場に流入し、食生活も豊かになるばかりのように見えるインド。その一方で、新聞をめくれば、野菜の高騰に喘ぐ中流層、低所得者層の苦悩がレポートされている。
先進国のそれに比すれば、「インドの野菜は安い」に違いなく、キロ当たりが5、10ルピー程度値上げされたところで、さほど気にならない。
しかし、年収が圧倒的に少ない大多数のインドの人々にとって、その差は食生活を大いに揺るがす。といったことを書き始めるとまた話が長くなるので、もう、このへんにしておく。
昨夜もまた、格別であった。
6時ごろから、それぞれが飲食物を持ち寄って集まった。
詳細は割愛だが、お酒もスナックもおいしいし、料理もおいしいし、飲んで食べてしゃべって大笑いして、瞬く間に深夜である。
毎度、終盤になると自分がなにを話したのかよく覚えていない状態になるのだが、今回も、みないい具合にヘラヘラになっていた。
はず。
わたしだけでは、ないはず。
更には! サプライズ・バースディ・パーティもやってもらって、もう感激である。
手作りチーズケーキにキャンドルを灯してくれて、本当に、うれしかった〜!
ちなみに、参加していたマダムFも、わたしと同じ8月31日が誕生日なので、二人一緒に、祝してもらったのだった。
撮られていた写真はもう、すっかり酔っぱらいで、我ながらおぞましい「恐るべき大笑い顔」で、目を見張った。自分の二重あごに「渡辺えり」を見た。すみません、渡辺さん。
以下は、これでも、まともに写っているものを厳選した次第。
そんなわけで、バンガロール滞在のハイライトをピックアップしつつも、まだまだ書いておきたいことはあるのだが、もう、そろそろ時間切れである。
左は、本日久しぶりに訪れたOWCのコーヒーモーニング@Leela Palaceの模様。
日本人お世話係のサポーターも増えて、心強い限りだ。
数名の方とランチを共にした。
ところで、以下の写真は、現在工事中まっさかりな、バンガロール・メトロである。メトロは地下と地上、両方を走るようである。
さまざまな視点から工事現場に関心が高いわたしだが、最早「見ない方がいい」と思うものを、ついつい見てしまう。突っ込みどころ満載なインドの工事現場。看過できないのだ。
たとえば、労働者の様子。そして、使用されている機材や、工事現場の安全確保や、作業の進行状況や、建造物のクオリティや……。
見ちゃいけない、と思いつつ、気になる「継ぎ目」。これがまた、あっちこっち、ずれているのだ。
目の錯覚? ではなく。
嗚呼。
こういう、積み重なるずれを、いったい、いかに、調整していくのだろう。
辻褄を合わせることが、果たしてできるんだろうか。
いや、到底、できないんじゃないか。
いや、あれこれと、深く考えまい。
杞憂、という言葉もあるくらいだ。
案じたところで、ひずみが消えるわけではない。
人生、なにはともあれ、運である。与えられた命を大切に。
たとえ歪みがなくったって、天災にアタックされれば、壊れるものなのだ。
楽しく生きようじゃないか。
そういう「達観」を要求される日々である。
ああ、いかん、また長くなった。
さて、以下は我が家の近所の、モスク界隈の様子である。今はラマダン(ラマザン)の時期で、日暮れどきになると、料理店の店頭が活気に満ちてくる。
その様子の断片を。