「今夜は日本食が食べたいんだけど、どこに行く?」
夕方、打ち合わせを終えた夫から電話が入った。
「今、どこ?」
「ウォルドルフ・アストリア」
「だったら、SEOにしよう。そこから歩いてすぐだから」
「他に新しい店、知らないの?」
「あるだろうけど、わたしにだって、わからないよ。住んでないんだから」
ともあれ、パーク・アヴェニューの50丁目あたりで待ち合わせた。
この街を歩いていると、自ずと背筋が伸び、歩幅が広くなる。気持ちがいい。
オフィスビルディングが立ち並ぶ、しかし道幅が広くて眺めがいいパーク・アヴェニュー。
ストリートの向こうに、スーツ姿のアルヴィンドが見える。出会ってまもないころ、まだ24、5歳の彼が、この界隈で働いていた日々を思い出す。
満面の笑みを浮かべながら、横断歩道を渡ってくる彼。今日は、ご機嫌のようだ。とてもよい打ち合わせだったようで、レストランまでの道すがら、興奮しながらあれこれと話してくれる。
彼と出会ってから、途切れることなく、彼の仕事の波乱を共有して来ている。大波小波、さまざまあれど、ともかくは乗り越えながら、少しずつ成長をしている。
日常生活の有様が、あまりにも突っ込みどころ満載な天然男であるため、ついついブログにも、夫のお間抜けなところばかりを披露しているが、実際には、わたしには及びもつかない、学歴もキャリアも優秀な男である。
そういう優秀なところを、鼻にかけるところがない彼に対し、むしろ多少は鼻にかけて気取れよ、と思うことさえある。ポーカーフェイスが下手で、かなり不器用でもあるその性格は、ビジネスにおいて幸いすることもあれば、災いすることもある。
ともあれ、常に上昇志向のある男だから、現状に満足しない。だからこそ、不満や悩みや課題も多くなる。その彼が抱える不満を、出会った当初のわたしは「贅沢な悩みだ」と感じていた。
しかし、自らも歳を重ね、彼や彼を取り巻く人々を見続け、学んだことがある。悩みに贅沢も、贅沢じゃないも、ない、ということを。
人それぞれ、自分が立つステージで、そのステージに相応しい問題を抱えている。だから、「贅沢な悩み」などという言葉で一蹴してしまうのは、失礼なことであるし、同時に思いやりがない。
わたしから見れば、潜在的な可能性をたくさん持っている彼はしかし、打たれ弱いところがある。もうちょっと気楽に、前向きには考えられんのかと、妻としては、じれったくもある。
いや、正直に言えば、じれったいを超えて、しょっちゅう、いらいらさせられている。「あ〜もう、いい加減にせい!」と、吠えることの多い日々である。
ともあれ、誰の人生においても、多かれ少なかれ、波乱はある。順風満帆に上昇し続ける方が、むしろ恐ろしい。三歩進んで二歩下がる。それくらいが、ちょうどいい。
時には、三歩進んで五歩下がることもあるだろう。その下がりっぷりに、落ち込むこともあるだろう。しかし、その次、あるいはその次に、三歩進んで五歩進み、三歩進んで四歩進みと、巻き返せばいいのである。
巻き返しながらの道のりも、楽しみながら、歩めばいいのである。雨風が吹き付けるばかりではない。路傍に野の花が揺れる日もあれば、小鳥がさえずる日もあるのだから。
ここしばらくの努力の成果が実って、うれしそうな今日の夫。
思うように仕事が、物事が運ばないときの、心の苦しさ、心もとなさ、不安、焦燥……といったネガティヴな心理は、わたしにだって、よくわかる。
わかるからこそ、そんなときに手にする朗報の喜びの大きさもまた、よくわかる。
久しぶりに、日本酒で乾杯し、彼は好物の、「豚の角煮」や「ハマチのカマの塩焼き」などを注文する。その他、サラダや寿司でテーブルも賑やかに、久々に二人での日本料理だ。
ご機嫌ですっかり酔っぱらった我々は、ホテルまでの道のりを、いつものように歩く。ネオンがきらめく摩天楼を見上げていると、ムンバイやバンガロールでの生活が、異次元の世界でのことのようだ。
ともあれ、わたしたちの原点であるこの街とは、これから先も、ずっと縁が途絶えることなく、関わり続けることだろう。
●運転免許証を申請。ニューヨーカーのファッション
前回のニューヨーク滞在で更新し損ねた米国の運転免許証を、本日は無事、更新できた。NYDMVでは、2時間以上も費やしたが、ともかくは安心だ。
インドの運転免許証を取ったとはいえ、一度、日本の免許証を失効してしまった身の上。米国のものは失いたくはない。
2時間以上もの間、出入りするニューヨーカーを眺めていた。昨日に比べて急に気温が落ちた今日は、人々の服装がハチャメチャで面白い。
「これからビーチに行きます!」と言わんばかりの、短パンにタンクトップ、ビーチサンダルな人がいるかと思えば、「これから雪山に登ります!」と言わんばかりの、セーターにジャケット、ブーツ姿の人がいる。
一年を通して、気ままなファッションがあふれているニューヨーク。各人の体感温度の違いが一目瞭然でわかる。
一人、とても印象に残ったのは、初老の白人女性。白髪をフワフワときれいにまとめ、丁寧にメイクをしている。スリムなボディによくフィットした黒いスーツに、黒いエナメルのハイヒール。指先は鮮やかなピンクのネイル。
しみだらけ、しわだらけの腕には、しかしロレックスの腕時計と、大振りのマザーパールの指輪がよく似合っている。
ニューヨークでは、特にアッパーイーストサイドのあたりなどを歩いていると、たとえそれがイヌの散歩の途中であれ、優雅な服装で闊歩している老婦人たちを目にする。
彼女たちは、とてもエレガントで美しい。
わたしも歩きやすいウォーキングシューズばかりでなく、ときにはヒールのある靴を履こう、スカートも時には履こうと、思わされたのだった。
●友人と、コリアタウンで美味ランチ! わたしは何人(なにじん)なのか
日本人にもおなじみの、ソウルガーデンという店。
ニューヨークに住んでいたころ、muse new yorkの配達のついでに、この32丁目にあるコリアタウンに立ち寄っては、前菜盛りだくさんなランチ定食をガフガフと食べていたものだ。
さて本日は、出汁の風味が濃厚な豆腐鍋(カルビ付き)、それからユッケビビンバを注文。
料理はこの2品を注文しただけだが、あれこれと前菜が出てくるので、二人での食事には十分なヴォリュームである。
昔、コリアタウンで食べるカルビ関係の牛肉は、かなり歯ごたえがあって硬かった気がしたが、この牛肉は柔らかくて、まるで日本の焼き肉のようである。
右のユッケビビンバは、ぐいぐいと混ぜた後に思いついて写真を撮ったため、見た目は美しくないが、素材がとても新鮮でおいしかった。
インドには韓国企業の駐在員が少なくないものの、日本料理店同様、韓国料理店も少ない。
バンガロールやムンバイにも数店あるにはあるが、積極的に足を運ぶことはない。
この、コリアタウンに無数に並ぶ店の中から、1店だけでも、このクオリティを維持してインドに来てほしい、などと思いつつ、一度はアルヴィンドも連れて食べにこようとも思う。
食事中、あれこれと語り合う中、わたしはよく韓国人に間違えられる、それもアメリカ人からではなく、韓国人から、という話になった。
ニューヨーク在住時から、コリアタウンにくるとほぼ100%の確率で、韓国人から韓国人と判断されていた。今日もDMVで韓国人の女性に韓国語で申請書の不明点を質問された。
昨日は昨日で、韓国人経営のネイルサロンで(ニューヨークのネイルサロンのほとんどが韓国人コミュニティによって成り立っている)、英語で話しかけているにも関わらず、
「あなた、韓国人でしょ?」
と問われた。
そういえば先々週、バンガロールのローカルなスーパーマーケットで買い物をしていたら、駐在員妻らしき韓国人女性が、わたしとすれ違いざま、さりげなく「アンニョンハセヨ〜」と挨拶していった。
一瞬、返す言葉に迷ったが、「ヨボセヨ〜」と返すべきだったかと、残念に思った。
このように、例を挙げればきりがないのだが、韓国人以外にも、他の東アジア人に「同郷人」と間違えられることも多々ある。
スイスのホテルでは、シンガポール人に「あなたシンガポーリアンよね!」と声をかけられたし、前回のDMVでは中国人のおっさんから、やはり申請書の書き方を教えてくれと中国語でまくしたてられた。
ロックフェラーセンターでは、「あなた、香港の方ですよね。香港で会いましたよね!」と笑顔で声をかけられ、台湾では「あなたは女優の**に似ています」とうれしいことを言われた。
この間はデリーのディリハートで、ナガランドの人から、「あなたはナガランドから来ましたか?」と尋ねられた。
多くの人々に、同胞と思われることは悪くないが、いったいわたしはどんな見た目なんだと、我がことながら、よくわからない。
そういうことを、ランチタイムに友人と話した後、彼女と別れてMACY'Sに立ち寄り、ネクタイ売り場で夫のネクタイを探していた。
と、素朴な風貌の東洋人の青年が、やさしい微笑みを浮かべて近づいて来た。
「失礼ですが、あなた、モンゴル人ですよね」
あまりにタイムリーなだけに、思わず吹き出しそうになった。笑いながら、「違いますよ」と答えたら、
「あ、そうですか、失礼しました。あなたの顔は、僕の祖国の人たちと、よく似ているものですから……」と恐縮している。
「でも、昔モンゴルには行ったことがありますよ」と答えたら、目を輝かせて、とてもうれしそうである。
モンゴルについて少々、立ち話をする。話を終えた後、手に持っていたタイを示しながら、言う。
「この赤いネクタイとブルーのネクタイ、どっちが僕に似合いますか?」
「どっちもいいけど、シャツは何色が多いの?」
「ブルーです」
「それなら、赤の方が合わせやすいんじゃない?」
「この赤は強すぎませんか? 黄色はどうでしょう?」
「黄色でも赤でも、どちらも似合うわよ」
「ありがとうございます!」
ニューヨークでは、見知らぬ人たちとの、こういう会話が多いのだ。その懐かしい感じが蘇ってきた。『街の灯』も、そういう、見知らぬニューヨーカーたちとの関わりの中から生まれた本である。
一人でいても、一人でいる気がしない。それはこの街の大いなる魅力だなと、モンゴル人に似ている日本人は、改めて、そう思うのだった。