日が射す、というよりは、日が刺す。風は軽やかだがしかし、太陽の光が鋭いこと。運転席に差し込んでくるの光はまた格段に強く感じられ、これはむしろ、インドにいるときよりも、日焼けをしそうであった。
今、一日を終えて、ほっとする思いでコンピュータに向かっている。夫の出張行程が今日で終了し、明日から数日は、休暇が取れることになった。
サンフランシスコ北部に広がるワイン産地の代表的な場所に、ナパ、そしてソノマがある。これまで幾度もナパを訪れていたが、ソノマにはゆっくりと滞在したことがなかったので、今回はソノマで2泊3日を過ごすことにした。
ワイナリー巡りもいいけれど、緑豊かな山間を、ブドウ畑の広がるあたりを、のんびりとドライヴしたいこともあって、ナパほどは観光地化されていないソノマを選んだ。
そのあと、サンフランシスコ空港付近で1泊して、ニューヨーク経由でジュネーヴに入る。ジュネーヴで2泊してチューリヒ経由、ムンバイとなる。ムンバイ着は来週金曜日だ。
旅をしながらも、次の場所を決め、フライトを変更し、ホテルを予約し、それなりに面倒だ。面倒だが、旅。
インド移住を意識し始めたころ、「身軽でありたい」と改めて、強く思ったことがあった。そのことは、メールマガジンにも記している。
あの言葉通り、わたしたちは、確かに身軽だ。だが、「身軽であることから導きだされる善きこと」をまだまだ、追求できずにいる。旅はこれからも、続くのだろう。
昨日、今日は、夫のミーティングの送迎に付き合いつつ、過ごした。その合間、FM熊本の収録もあった。カリフォルニアで、インドのことを語ることの違和感。
あまりに違和感が炸裂したので、今回は、このベイエリアとインドとの関係、そしてわたしたちがインドに移った理由などを話した。その過程で、この地に暮らしたという話も含めて。
DJの相越久枝さんは、このブログで旅の疑似体験を楽しんでくださっているよう。
それは、わたしの目にとまった片隅の風景や、わたしの脳裏に浮かんださまざまの言葉が、水泡と帰すことなく受け止められ、遠いどこかで再び開花しているような様子でもある。うれしいことである。
昨日は、スタンフォード大学にほど近い、ユニヴァーシティ・アヴェニュー沿いで午前中を過ごした。夫が打ち合わせをしている間、カフェでコーヒーを飲んだり、街を歩いたりして過ごす。
4年前にあった店がなくなっていて、なかった店が生まれていて、小さな変化はあるけれど、概ね、変わらない。
この界隈は、人々の「アップル・コンピュータ使用率」がとても高い。カフェでラップトップを広げる人の約半数は、Macである。なにしろアップルコンピュータの拠点はこの界隈だから、だろうけれど。
↓こういうハードウエアの店がインドにあったら、家造りもより楽しかっただろうと思える。バンガロールはコマーシャル・ストリートのムスリム経営のショップで、クローゼットの取っ手やらなんやらを、調達した自分が異次元の世界。
昨日のランチは、ホテルの近所にあったヴェトナム料理の店でとった。ふらりと入ったわりには、フォー(米麺)がおいしかった。生春巻きも、なかなかであった。東京時代、よく生春巻きを作っていたものだ。ということを思い出す。
今日は、再びサンドヒル・ロード。このあたりのオフィスは、オフィスらしからぬオフィスである。下の写真はその一つ。色とりどりの花が咲き乱れ、たいそう長閑であるのだ。
打ち合わせの場所を点々とし、今日はランチタイムにずれ込んで、やれやれ、時計を見れば2時を回っている。夫は打ち合わせ先でスナックなどを食べているはず。
マクドナルドでも、JACK IN THE BOXでもいいから、現れて欲しいのだが現れず。
あまり遠くまで行くわけにもいかず、ドーナッツ屋を見つけたので、そこで妥協。
ドーナッツをコーヒーを買う。
ドーナッツを買うなんて、本当に久しぶりのこと。
半分ずつ食べて、残りはアルヴィンドに、と思っていたのだが、意外においしくて、全部平らげてしまった……。
すべての打ち合わせを終えて、帰りに再びスタンフォード・ショッピングセンターに立ち寄った。
ここは東アジアの人々が、渾然一体として、判別しがたいということを、思い出す数日であった。ニューヨークとは異なる、日系二世三世四世が入り交じって、独特で。
韓国人も中国人も、最早、誰が誰だかわからず、一括アジア人。この東アジアが溶け合う感じがまた、カリフォルニアである。
ああ、サンノゼ豆腐を思い出す。あの豆腐はおいしかった。あの油揚げは格別だった。
このあたりは、ホテルにせよ、アパートメントにせよ、個人のお宅にせよ、プールがついていることが珍しくない。
かつてわたしたちが暮らしていたアパートメントにもプールがあり、温水のジャクージーもあった。
母が来た時には、毎日夕暮れ時になると、ジャクージーに浸かりに行っていたものだ。
まるで銭湯にでも出かけるような様子で。
澄み渡る薄暮の空を仰ぎながら、心地の良いひとときであった。