●ディワリの季節がやってきた。
10月も中旬。今年もまもなく、ディワリ<光の祭り/ヒンドゥー教の正月>の季節だ。
年中暑いか涼しいかのムンバイやバンガロールにあって、季節感が曖昧になっているのに加え、気候の異なる海外に赴く機会の多い身の上。
最早、四季で記憶を区切りながら、思い出を整理することが不可能な日々を送り始めて、まる4年が過ぎようとしている。
ニューヨークには、5年半、住んでいた。ワシントンDCには3年半、住んでいた。ベイエリアには3カ月余り、住んでいた。そしてインドに4年。
この4年間を振り返れば、どの街に暮らしていたときとも異種の質感の、不思議な歳月である。濃密で、繰り返されない日々。まだ慣れない、といえば嘘になる。しかし慣れたと思えば、足下をすくわれる。
「今しばらくは、インドにて。」というタイトルでブログを書き始めた。
米国在住時は、「片隅の風景」という写真と雑文の記録こそ、一般に公開していたが、日記的な文章は「サロン・ド・ミューズ」などと命名した「会員サイト」を設け、アンケートに答えてくださった読者、百数十名に限ってのみ、公開していた。
だから、不特定多数の人々の目に触れるブログに、それなりの私事を織り交ぜた日々の記録を記すことには、抵抗がなかったわけではない。
試しに、のつもりで始めた。にも関わらず、4年もの間、欠かすことなく続いている。最早、自分の経験を受け止め、消化するのに不可欠な場所としての、此処である。
インド発、世界。がいったい西暦何年まで続くのだろう。見当がつかない。
●メディアに見るディワリ商戦の断片。
ディワリを控え、例年にも増して、新聞広告や記事における「ディワリ商戦」が華やかに思えるのは気のせいだろうか。
全世界の不景気ムードとは縁がないわけではないはずなのだが、しかし、紙面から飛び出すカラフルな広告や記事のあれこれは、いかにも賑やかで活気に満ちている。
右の写真はThe Times of Indiaの別冊の一部。
家電の代表的な商品と、各メーカーの営業担当者のコメントが掲載されている。
エアコンディショナーや冷蔵庫、洗濯機の項はLGやサムソンなど韓国メーカーの、そしてフラットパネル・テレビの項には、ソニーやパナソニックなど日本メーカーのコメントが見られる。
そして最後の数ページが右の写真。家電別に、各メーカーの商品と価格が一覧になっている。
これはまた、自分たちが購入するためとは別に、ダウリー(持参金)(←文字をクリック)を嫁側家族に請求する際の、好適な資料として使う家庭があるに違いないと想像させられる。
下の写真は、経済誌mintのディワリ特集。価格帯別にディワリに好適なギフトを紹介したこのページ。カラフルでかなり楽しめる。
さて、わたしたちは、今年もバンガロールでディワリを過ごすべく、今週木曜までにはバンガロールを離れる予定。久しぶりに高原都市へと赴く我々……。
●空洞を埋めながら……。
週末は、夫が借りたDVDを見た。3本のうち、2本はアメリカを舞台にした米国の映画。
ストーリーそのものは、全く趣を異にする2本。1本目はコメディで、2本目は心に重い。しかしどちらも、奇しくも、先日の写真家、グレゴリー・クルードソンの世界をほのかに彷彿とさせる、モチーフがちりばめられていた。
人はあたかも、空洞を埋めるために。
懸命に何かを掘り起こして、ときには手当り次第に掘り起こして、取捨選択もままならないまま、空洞を埋めてゆく。
泥や汗や血も一緒に。
花も毒も夢も一緒に。
わたしがインドを離れたいと思わない理由について、考えてみる。