週末のマリン・ドライヴの光景。家族連れやカップルが、海を眺める場所に集う。夕日が、大きかった。
食欲の秋。などといった洒落た季節はなく、今日もまた摂氏30度超のムンバイ。年中夏バテしているかと思いきや、どうして年中、わたしは食欲旺盛なのだろう。
と、ふと思う。
7時半に起床。ヨガをして、シャワーを浴びて、8時半から9時あたりに朝食。そして仕事などを開始する。日本のテレビ番組を見ることもある。
で、11時過ぎると、もうお腹が空く。12時になったらたちまちランチの準備。がっちり食べる。それでも足りなくて、食後にバナナを食べたりもする。
今よりぐっと若いころは、40歳も過ぎれば食欲もおちて、次第にスリムになると信じて疑わなかったのに。
ところで本日は、インプラントの治療に赴いた。歯科治療のことは、以前詳しく書いたか書かなかったか忘れてしまったが、いろいろあって、隣接する2本の歯をインプラント化せねばならない事態となっていた。
1本目は抜歯後、インプラントの土台ネジを埋め込みを終了している。2本目の抜歯もまた、数カ月前に終えた。あれは辛かった。なかなか抜けず、ジュリア・ロバーツの口を切望した。
その苦悩の抜歯のあと、歯茎は順調に復活し、今日、2本目のインプラントの土台ネジ埋め込み作業である。
抜くよりは楽とはいえ、それなりに、血を見る。
朝10時。然るべき地味な気分で診療所のドアを開けたところ、いつものように、スタッフ、ドクターはわたしのあとから出勤だ。
ドクター・サバドラ。最初はちょっと「すかした兄さん」(意味不明?)だと思っていたが、仕事に対する熱心さはかなりのもの。抜歯やインプラントなどシリアスな治療をしたあとは、翌日必ず電話をしてくれ、様子を確認する。
症状を伝えると、適切なアドヴァイスをしてくれる。今までたいそうさまざまな歯科医にかかってきたが、腕は最もいいような気がする。ただ、治療費が高いのが玉に瑕。
相場は、デリーやバンガロールよりもかなり高い。インプラントに至っては倍以上する。とはいえ、先進国よりやや安いか、同じ程度か、である。ともあれ、これまで歯では痛い目にあってきたので、きちんと治療をしてくれるドクターに委ねるのが大切だ。
さて、10時を10分ほど過ぎて、ドクターが言う。
「ミホ。今日はとても大切な日なんだ。新しい診察室を開設して、今日がその初日なんだよ。君が新しい診察室での初めての患者になるから、幸運を祈ってくれ!」
……。
新しい診察室。この診療所の隣が、しばらく工事をしていたのは知っていた。しかし、ドクター・サバドラが、診療所を拡張するために工事していたとは知らなかった。
日本においては、「新しい」は魅力的な言葉に聞こえよう。
しかし、インドでは、さにあらず。何度も書いて来たことだが、たとえば新築の家など、それは危険を孕んだ物件であるから、決して借りるべきではない。
水漏れ、水道管の破裂、立て付けの不具合、不安定電流の供給、その他諸々諸々。不都合を少しずつ改善しながら、数年後かけて少しずつ、「住める家」に育てるわけだ。
わたしも新居を購入してからしばらくは、「調整」に時間がかかった。家とは、まるで生き物のようであるとさえ思った。
そんなインド。で、前人未到の診察室で、インプラントの治療。誰が喜ぼうか。誰も喜ぶまい。
しかし、あとへは引けない。こういう「晴れがましい事態」に遭遇することの多いわたしである。これもひとつの運命だ。
まずは旧診察室で現状を確認したあと、麻酔をされ、口の周りにヨードチンキのような消毒剤を塗りたくられる。その状態で、
「じゃ、新しい診察室に移りましょう。あ、靴は脱いだままで」
と、別室に通される。インドの歯科医は、清潔を保つためか、靴を脱いで入室させるところが少なくないのだが、裸足で廊下を通過して、工事中のフロアを通り、診察室に入る過程で、わたしの足の裏は汚れちまった悲しみにである。
いろんな意味で、わけわからん。
ともあれ、診察台は、なにやら物々しく豪華だ。ビニール袋がかかったままで、いかにも「たった今、運び込まれました」なムード満点。
それ以外は、がらんとしている。今日からオープンといいながら、どう考えても、未完成。しかしここはインド。最低限が揃っていれば、物事はスタートしてよいのである。
看護士が冷房を入れる。
ゴ〜〜〜ッと、強風が全身に直撃する。
さ、寒いんですけど!
インド人は、天井のファンにしろ冷房にしろ「これでもか!」というほどの強風を好む。天井のファンなど、全開で回された日には、部屋ごと空に飛んでいくんじゃないか、というな勢いだ。
だから、そもそも冷房が苦手なわたしが、この国で強風を避けて生きるのは、なかなか苦労する。
「AC カムセ・カム・カルド」
ヒンディー語をしゃべれないが、「冷房を弱めてください」は、言えるのだ。ふふふ。
それはさておき、冷房はなんとか風力を抑えてもらい、いよいよ治療の準備。まずはX線(レントゲン)を撮る。口をあけて小さな反射板のようなものを当てられる。
「スイッチ、押して」と看護士に指示するドクター。
「ブ〜」
と音がするものの、撮れない。
「ブ〜」
撮れない。
「ブ〜」
撮れない。
やれやれ、予想通りだ。気長に待とう。ゆっくりと鼻から深呼吸だ。なんとか数回繰り返して撮影も終わり、治療開始。治療は、速やかに終わった。
そりゃあ、歯茎に穴をあけるのだから、それはそれでイメージすれば痛ましいが、麻酔がきいているし、大丈夫である。
ともあれ、治療は終わり、またしてもレントゲンを撮って確認する。やはり「ブ〜」を何度か繰り返してようやく撮影。
モニターに映る、2本のインプラントの影。
「ミホ。今日の治療はうまくいったよ。見てご覧、この写真。ビューティフルでしょ!」
「ビューティフルって、このネジ? ネジが美しいだなんて!」
と、軽く冗談のつもりで笑いながら言ったら、ドクター、笑いもせず、真剣な顔をしている。やばい。
「あ、いや、確かに美しい! この2本の平行の正しさ。きれいですよね。よかった」
「そうでしょ? この平行。手前の歯根とのバランスもいいでしょ。そしてほどよい深さ。この深さがポイントなんだよ。前後だけじゃなく、左右のバランスも美しくでき上がっているから」
「どうもありがとうございます」
「それにしても、今日は、新しい診察室で、治療が成功に終わって、本当によかった。幸先がいいよ。ありがとう! ミホ! 僕は一生、君の名前を忘れることはないだろう」
なにやら、たいそうな感情の盛り上がりだ。
おまけに記念撮影までする始末。わたしはと言えば、治療後でそれなりに疲労困憊。スッピンを通り越して、ヨードチンキでオバQな唇なのに。
何やら、妙にお似合いの二人である。
アルヴィンドもこれくらい、身長が高かったらなあ。
そんな話はさておき、モニターに写っているのが、その平行する美しいネジである。
「モニターも、ちゃんと撮って」
と、ドクターが敢えてカメラ側に向けているのである。
予測不能な出来事が起こる国、インド。
たまらんな。
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