たとえ、このアパートメントを引き払ったあとも、しばしば訪れることになるであろうムンバイ。とはいえ、この窓からの景色を見ることは、多分ない。茜色の夕日が差し込むキッチンで、夕餉の支度をしながら、薄暮に移り変わる空を眺める。無口なアラビア海の欠片を眺める。やがて、懐かしむ光景。
瞬く間に今週末も過ぎていった。今朝は、学会でデリーからムンバイを訪れているロティカ博士がわが家に初来訪。時間がない中、「1時間だけでも」と立ち寄ってくれたのだった。
ロティカは義姉スジャータの夫であるラグヴァン・ヴァラダラジャンの母である。
ヴァラダラジャン一家周辺はアカデミックな学者関係で、国内外をしばしば旅している。ライフスタイルは、独特にミニマム。学ばされることの多い家族だ。
実はロティカの夫、ラジャン博士は一昨日、脳梗塞で倒れたらしいが、「もう大丈夫」とのことで、彼女は自分の学会をすませて帰るとのこと。
ラジャンはここ数年、年のせいか、かなり弱っていて、数回脳梗塞を起こしているのだが、それでも立ち直り、お元気である。
ところで、ラグヴァンの弟、マドヴァンとその妻の間に、先日、第二子が誕生した。子孫不繁栄なわがインド血縁にあって、二人目のこどもとは、めでたいことである。
しかし、子どものことや、夫のことについては、さほど熱心に話さないロティカ。
「仕事はどうですか?」
と話題を変えた途端に、水を得た魚である。
文化人類学や民俗学が専門(のはず)の彼女。これまでも、アンダマン諸島の漁船の構造の話だの、インドの伝統的な織物の話など、かなり専門的な話をしてくれたものだ。
今日の話題は、ナガランド。それも、ミャンマーとの国境に接する小村の話である。彼らの貧しくもエコロジカルなライフスタイルについて。また、宗教について。
「彼らはイギリス人の影響で、大半がクリスチャンなの。その影響で……」
と、話が深く複雑になっていく。
「クリスチャンになる前は、なんの宗教だったのですか?」
と問うたところ、
「ヘッドハンター」
と答える。
「ヘッドハンター?」
「そう。首をたくさん取ってくる人が、敬意を集め、崇められていたの」
「首って……、動物の?」
「バッファローに似た動物とか、あと人間もね」
朝から、なかなかに濃厚な話題。非常に楽しいひとときであった。
彼女の本や、ラグヴァンが持っている「ヘッドハンターの首入れバッグ」の写真は、こちらに掲載しているので、興味のある方はどうぞ。
これがおいしいんですのよ。
というか、三度目にしてようやくコツを掴んだ。
今回が最もおいしかった。
何がいいたいかと言えば、バナナケーキのおいしさもさることながら、大切なのは少なくとも3度、試してみる必要があることということだ。
ということは、以前も書いた気がするが。
三度目の正直。
と、わたしが言うまでもなく、世間は言っているけれど。料理もそうだが、菓子作りは特に。一度目がうまくいったからといって、二度目がうまくいくとは限らない。
特に、機材が整わないインドでは、コツを掴むのに数回の実験が必要である。今回は、黒砂糖ではなくジャガリ(ヤシからの糖分)を使った。インドでは定番、わが家でも常備の甘味である。
バナナケーキのレシピはすでに紹介した通りである。インド在住の方。すぐ熟しすぎるバナナに焦って、慌てて食べ尽くす前に、お試しあれ。
今週末もまた、NCPAへ観劇に。SALAAM INDIAというお芝居だ。デリーを舞台に、4人の俳優たちが、いくつかの階級に属する人々の「典型的な生活の様子」を演じ分けながら、展開する。
インドに住んでいれば、よく目にする、それぞれの社会の、それぞれの暮らし。コミカルに演じられていてユニークだったが、若干軽すぎて、冗長にも思われた。
しかし、議会が、「国の動物」や「国の花」に倣って、「国の食事」を決めようとし、紛糾する様子の描写が、しつこくも現実的であった。
北の出身者はタンドーリチキンを主張し、タミール・ナドゥの出身者はイディリやラッサムを主張する。ヴェジタリアン、ノン・ヴェジタリアンで意見がわかれ、最終的に、チャイニーズのヌードルで合意を得る。
インド市場の調査などやレポートの仕事を受けるとき、いつも困るのは、
「今インドで流行っている**は?」
といった、インド全体の傾向を問う質問。全国を挙げて人々がその動向に注目するのは、せいぜいクリケットくらい。国民的娯楽の映画にしても、地方や階級ごとに嗜好が異なる。
従っては、国を挙げての傾向を探るのが、非常に難しい。トレンドをひとことで表せない。ひとくくりには語れない国だからこそ、前置きが長くなる。言い訳がましくなる。調べても成果が実らず、今ひとつ「不毛感」が漂う。
ということを、以前も書いた気がするな。この辺にしておこう。
これより下の話題は、「不爽やか」につき、飲食中の方などは、お控えください。
一昨日のことだ。右のてのひらの中央に、小さなぷつぷつとした発疹が確認された。少々かゆい。ので、かいた。そのまま放置していたら、夜になって、小さなぷつぷつが合体して、直径5ミリ程度の大きめの腫れ物のようになっていた。
絆創膏を貼っておいたが、やがて出血し、痛みを伴うようになった。お酒を飲んだら、なおさら痛くなり、腫れぼったくなり、血がにじんでいる。
場所が場所だけに、スティグマータ(聖痕)を思わせる。念のため、左手のてのひらと、両足の甲を確認してみる。出血は見られない。当たり前である。
アルヴィンドに手をかざして見せながら、
「見て。これスティグマータかも」
と言ったところ、
「なにそれ」
と冷たく返される。
「スティグマータ。キリストが磔刑されたときの傷が現れる現象のことよ」
「だいたい、美穂は仏教徒で、それも全然、敬虔な信者じゃないのに、なんでキリストの聖痕を受けなきゃならないんだよ」
とまじめに返されて、つまらない。
つまる、つまらないの問題ではなく、かなり痛い。炎症を起こしているのかもしれない。抗菌クリームを塗り、バンドエイドを貼って、寝た。
翌朝。より痛い。まずい。土曜だし、病院は休みだろう。というか、これしきの腫れ物で病院など行きたくない。面倒だ。しかし雑菌王国インドである。こんなさりげないところから悪化されて体調に影響されても困る。
「そういえば、この間、エレベータに乗り合わせた人が、16階にドクターがいるっていってたよ。確か、***号室だと思う。電話してみようか」
「え。そのドクター、なんの専門なの? そんな都合よく、皮膚科じゃないでしょ? 大丈夫かな」
ともあれ、アルヴィンドが内線で確認してくれたところ、診てくれるという。すぐさま服を着替えて、階段をたたっと降りて、ベルを鳴らす。そう。わが家は17階なので、1階下なのだ。これだけ近いと、便利である。
ドアを開ければ、そこは30年前から時間が止まっているとしかいいようのないムードが漂う家。
米国もそうだが、インドは各アパートメントのオーナーが内装工事を行うため、オーナーの趣味や予算によって、屋内のムードが著しく変わるのだ。
わが家のオーナーは幸い建築業者だったため、非常に快適かつモダンな内装となっているが、ともあれ、ドクター宅は薄暗く、古びている。
しかし、線香の香りが漂い、オ〜ム……とマントラのCDが流れて、インド家庭特有のムードが興味深くもある。
使用人に、リヴィングのソファーに通される。ダイニングスペースでは、ドクターの妻とその母親らしき女性がお茶を飲んでいる。
まさに、「ご家庭」である。
そこに初老のドクター登場。ビニル手袋をはめ、虫眼鏡を取り出し、患部を凝視する。やはり雑菌が入って炎症を起こしているようである。
切開して膿んでいる部分を除去し、薬を塗って絆創膏を貼っておけば大丈夫。あとは抗生物質を服用しなさいとのこと。
切開。痛そうである。痛そうだが、その方が治りが早いと聞いて、痛くても短期で治る方を選ぶ。しかし一緒に来ていたアルヴィンドは、すでに痛そうな顔をしている。言うまでもなく、痛いのはわたしである。
ドクターが奥の間から消毒液やピンセットや針やハサミを持ってくる。もちろん診療所は他にあるのだが、自宅でも家族や友人を診ているらしい。
さて、器具を消毒したあと、患部に鍼を刺し……。
と、細かい描写は避けよう。ともあれ、血まみれとなった患部は、まさにスティグマータ(しつこい)。アルヴィンドは、2メートルほど離れた場所から、顔を歪ませて、こちらを見ている。だから痛いのはわたしである。
ドクターはといえば、ビニル手袋のクオリティが低いせいか、若干「ごわごわ」していて指先が不自由。ハサミの先端が、時々患部に当たって痛かった。
これが左手の傷だったら、間違いなく右手でハサミを奪い取って、自分で作業したに違いない状況であったが、なんとか我慢した。
こんな小さな傷ですら、痛みを我慢するのにずいぶんエネルギーを要するものだ。痛いって、疲れることなのね、としみじみ思う。
その後、アルヴィンドはドクターと世間話をしていたので(インド的展開)、わたしは一足お先に帰宅した。
帰宅後、アルヴィンド曰く、
「彼はアーユルヴェーダでの治療を勧めていて、いろいろとアドヴァイスをしてくれたよ。僕の体質についても」
「ところで、あのドクターは何が専門なの?」
「知らない」
なんのドクターか知らないけれど、傷口は治りつつあるし、ご近所のドクターに感謝である。
さてさて、今のところ毎日更新しています「別人格ブログ」。ここ数日は、わたし自身のことなどを、過去に遡って記しております。いきなり「キレイ」な話題から外れそうになっていますが、それはそれで、味わい深いのではないかと、自分では思っています。
インド発、元気なキレイを目指す日々。(←文字をクリック)
■やや「規格外」だった、日本でのわたし。
■ニューヨークが教えてくれた自分らしさ。