🌻アイルランドに引き続き、ロンドンの天候もまた不安定。朝から晴れたり曇ったり豪雨になったりする中、地下鉄を乗り継ぎ「テート・ブリテン」へ。特に下調もせず、ただ「ゴッホ展」が開催されていると知り赴いた次第。先日、アムステルダムを訪れた際、時間がなく、ゴッホ・ミュージアムを訪れることができなかったこともあり、好機だと判断した。
🌻ゴッホの作品を格別に好きだというわけではないが、とても興味がある。世界各地のミュージアムや特別展で、彼の作品を目にしてきた。彼のバックグラウンドについては、折に触れて目にする機会があった。中でもしっかりと学べたのは、同朋舎出版の週刊グレートアーティスト(分冊百科・西洋絵画の巨匠たち)というシリーズ。
🌻わたしが東京で仕事をしていた1990年代に発行されていたもので、書店で見かけるたびに購入しては、それぞれの画家のバックグラウンドを学んだ。そのシリーズの創刊号が、他でもない、ゴッホであった。わたしが購入したのは十数冊だが、実際には100冊、発行されたようだ。今、日本のアマゾンを見たところ、限られた冊数ながら、廉価で販売されている。
🌻ゴッホの作品数こそ、さほど多いとは言えなかったがしかし、このエキシビションは個人的に、極めて深く心に刻まれるところとなった。1853年、オランダに生まれたゴッホ。若かりしころは教師や画商などの仕事をしており、画家となったのは27歳のときだった。ちなみに彼が他界したのは37歳。彼が描いた膨大な数の絵画は、わずか10年間のうちに描かれた。
🌻ギャラリーでは、彼は20歳から3年に亘ってロンドンで画商の仕事をしていた際に、英国の風土や画家、更には英国人作家、特にチャールズ・ディケンズの影響を大いに受けていたことなどが紹介されている。彼はその後、英国で教師をしたり、オランダで書店勤務をしたり、はたまた聖職者を目指したりと、画家に至るまでの道のりは長かったようだ。27歳で画家になってからは、弟テオから経済的な支援を受け、画作に没頭した。テオには限りなく手紙を送り続けており、そのエピソードはまた綴れば尽きず。
🌻若いころに、彼の生き様を読んだときには、ただただすごいなと感嘆したものだ。しかし自分が、彼が没した37歳を遥かに過ぎた年齢となって、改めて彼の人生を俯瞰し、そのすさまじさに、過去に感じることのなかった途轍もない衝撃を受けた。今、日本のWikipediaを見たところ「約10年の活動期間の間に、油絵約860点、水彩画約150点、素描約1030点、版画約10点を残し、手紙に描き込んだスケッチ約130点も合わせると、2,100枚以上の作品を残した」とある。
🌻「印象派の画家」としてのゴッホの作品は、南仏のアルル(わずか2年足らず!)、そしてサンレミの精神病院での療養時代(1年)に制作されている。その短い期間に、いったいどれほどの絵の具を、ぐいぐいと絞り出したのだろう。いったい幾晩、寝る間も厭わず、鉱夫よろしく帽子の庇にキャンドルを立てて夜を描いたのだろう。ゴーギャンと仲違いしたり、耳を切り落としたり、そういうことが、そんなにも短い期間に巡っていたとは。そして最後には、拳銃自殺。生前に売れた絵はわずか1枚……。すさまじすぎる。
(この作品は、MOMA所蔵の『星月夜』。今回のニューヨーク滞在中に撮影した一枚)
🌻目にした絵の一枚一枚から、力が迸っていて、言葉が尽きぬ。前述の通り、来訪者がさほど多くなく、じっくりと間近で見られたのは、本当によかった。絵の具の厚み。光沢。絵画の息づかいが、手に取るように伝わってくる。糸杉がうねり、夜空がうねる「星月夜」(1889年)は、先日も訪れたニューヨークのMOMAで、幾度となく目にして来た。死の前年に描かれたそれは、「うねり(渦巻き)」が精神の不安定を象徴しているかのようだ。一方、今日見た作品「ローヌ川の星月夜」は、1888年に描かれたもので、物悲しくも幻想的で穏やかだ。夜空の星が、呼吸をしながら潤んでいる。
🌻ひときわ輝きを放つ一枚。ひまわり。ひまわりの黄色もさることながら、背景が輝いている。これはクリームイエローという絵の具で、当時ゴッホが好んで使っていたという。なんという美しい色だろう。
🌻最晩年、彼が36歳から37歳にかけて過ごしたサン=レミの療養所。
🌻それぞれの作品に物語があるが、今日、一番心を射抜かれたのは、入院中のゴッホが描いた『刑務所の中庭』(1890)。プーシキン美術館所蔵のこの作品。わたしは遠い昔、東京で見た。高い天井の薄暗いギャラリー……。渋谷のBUNKAMURAではなかったか。気になって調べてみたら、1990年のことのようだ。描かれたちょうど100年後に見ていたらしい。自分の中で、タイトルが『囚人の輪』になっていた。今回、この作品が、ゴッホが高く評価していたフランスの版画家ギュスターヴ・ドレの作品を忠実に模倣して描かれたものだということを知り、驚いた。原画も展示されており、比較すれば、細部のモチーフに至るまで、同じだ。ただ、中央の金髪の囚人は、ゴッホ自身であるとの説もあるが、多分、間違いないだろう。約30年の歳月を経て、この絵に再会できたことを幸運に思う。
旅をしているときには、普段の何倍も歩く。天気がよければ、どこまでも、いつまでも、歩いていられるような気にさえなる。もちろん疲れはするけれど、このごろは「スニーカーの進化」が疲労感を軽減してくれ、フットワークを軽くしてくれているように思う。
テート・ブリテンでゴッホの絵画を堪能したあと、常設のターナーの作品群を一巡し、ランチへ。ランチのあと、ミーティングがある夫とはここで解散し、わたしはひとり、ウエストミンスターと呼ばれる界隈を散策する。
前方に、「ウエストミンスター大聖堂(Westminster Cathedral)」が見えて来た。以前見た外観と違うな……と思ったら、以前は「ウエストミンスター寺院(Westminster Abbey)」を訪れていた。
大聖堂(カテドラル)は、英国カトリック教会の総本山。一方、寺院(アビー)は、英国国教会で、戴冠式などの王室行事が執り行われている。
さて、思いがけず通りかかり、立ち寄ったこのウエストミンスター大聖堂。圧巻であった。イタリアンな雰囲気が漂う、レンガに白が映える外観。ビサンティン様式(東ローマ帝国起源)の壮麗な建築が、数時間前の大雨が嘘のように澄み渡る青空に、映える。
ところが、聖堂内に足を踏み込むや、予期せぬ光景に目を見張る。明るい外観とは裏腹の、重く薄暗く、重厚なその様子!
特に上部から天井ドームにかけては、まぶしい外から中に入ってしばらく、暗さに目が慣れず、見上げれば、闇に吸い込まれるような錯覚に陥る。刹那、子どものころに繰り返し見ていた、暗い洞窟で巨人が立ちはだかる夢を思い出す。
今、ふと思い当たったが、あの夢を見た理由は、幼児期に何度となく眺めた、実家の西洋絵画全集の影響だったかもしれない。ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』。怖いもの見たさで、あの黒くて恐ろしい絵をしげしげと見た記憶がある。
まるで鉱山のトンネルのような黒いレンガの上部、そこから吊り下げられる巨大な十字架。その陰鬱な重厚さと相反するような、下部の煌びやかなモザイク画……。ビサンティンのモザイク画といえば、イタリアのラヴェンナ。1994年に欧州を3カ月列車で放浪旅したときに立ち寄った。あのモザイク画を、改めて見てみたいと思う。
図らずも、この大聖堂でしばらくの時間を過ごす。硬い木の椅子に座るも心地よく、この守られた建物の中にいるだけで、瞑想しているような心持ちにもなる。
このごろはもう、一眼レフのカメラを使うことがなく、もっぱらiPhone6で撮影するばかりとなったが、今回の旅では初めて、ここは一眼レフで撮影したかったと思わされた。闇と光のコントラストを、見たままに捉えたいと切に思わせられる空間だった。