濁流に浸かる無数の家屋の映像と、ラグビーの勝利で歓喜する映像とで、気持ちの置き場が定まらず、夕べは夜更かしすることなく寝た。
今日は、午後から下関へと向かう。明日、母校である梅光学院(旧梅光女学院大学)で講演を行うため、1泊2日で訪れることにしたのだ。ドア to ドアで、片道2時間程度だが、小旅行を楽しむのも悪くない。幸い、好天に恵まれており、次の台風(我が夫)が日本に上陸する17日までは、用事をすませつつも、羽根を伸ばしておくに限る。
昨日の午前中は、一昨日の余韻を引きずりながら「こんまり」ならぬ「さかみほ」モードで部屋の片付けが止められなかったが、今年の我が誕生日、神様からのギフト&警告(帯状疱疹発症)を思い出し、「速度を落とせ」「速度を落とせ」と、自戒する。
それにしても、すっきり片付いた母のアトリエは本当に快適で、現在、わたしの書斎と化している。素朴なせんべいなどをバリバリと頬張りつつ、インドから持参している南インド産コーヒーを飲みつつ、パソコンに向かう至福のひととき。テレビの音に煩わされることもなく、これは自分のために片付けたようなものだな、とも思う。1年のうちのわずか1週間程度とはいえ、実家に落ち着く空間があるとないとでは大違い。片付けるって大切な行いなのだなと、しみじみ思う。
昨日は、千早(近所)の自然食品店へ米や味噌など重いものを調達に出かけたのだが、去年はやっていたはずの配達を「今は、やってないんです」とのこと。ガガガガ〜リン……! この店で買い物をするために、歩いて来たのに。老人が多いこのご時世。せっかく良質の食材を販売していても、配達してくれなければ、買えない人は多いのではないか? 重いものはあらかじめ購入して、小包で送ろうと思っていたのだが、作戦の練り直しである。
オンライン・サーヴィスだけではない。あらゆる店で、電話で頼めば、配達をしてくれるインド。今ではDunzoという何でも「おつかい」してくれるサーヴィスさえもある。我が家の場合は、日曜以外、ドライヴァーがいるから、重い荷物を持ち運んだり、急ぎの買い物に自ら出歩く必要はない。そんなインドでの暮らしに慣れてしまうと、日本的な「利便性」(コンヴィニエンス)とインドにおけるそれとの意味合いの異なりを実感する。
日曜日ということもあってか、普段以上に閑散と無口な街並み。牛や野良犬がいないばかりか、人間もいない。視界が無機質で寂しい。きれいな場所より、汚れた混沌に慣れてしまった我が人生。
昨年、Seriaという100円ショップで購入した Made in Japanのタッパーが、思いのほか優れものだったので、それを追加購入すべく赴く。洗いやすくて収納もかさばらず、超おすすめ。
優れものといえば、日本のアマゾンで購入した「トイレ用手すり」。楽々健というブランドのものを買ったのだが、組み立てが簡単で安定性があり、非常にいい。壁にハンドルを取り付けるよりも、こちらの方が簡単だ。
母はまだ足腰も丈夫だが、体調を壊したときは別。過去、インド滞在中に体調を崩したとき、一番に直面した困難は、トイレや風呂場、ベッドサイドからの立ち上がりだった。普段元気でも、体調不良は突然やってくる。
去年は風呂場の椅子を、やはりアマゾンで購入したが、今年はベッドサイドの杖(下部が4本足で安定性あり)や、このトイレの手すりを購入した。まさに転ばぬ先の杖である。このようなシニア向けの商品がオンラインで買えるというのは、極めて便利だ。年配のご家族をお持ちの方へ、参考までに。
さて、買い物からの帰り際、西鉄香椎駅の前にあるスーパーマーケットの鮮魚店で、またしても刺身を買う。カンパチ、サバ、サーモンと、好みの魚を適当に選んで、お造りにしてもらう。福岡の魚、リーズナブル!! 夫がいたら、狂喜することだろう。母が久しく利用している「九州産直クラブ」から届く新鮮野菜で作られた料理と新鮮な魚。地味だが滋味にあふれる、おいしい食卓だ。