わたしは1988年、大学卒業後に上京し、近畿日本ツーリストの旅行雑誌やガイドブックを編集するプロダクションに就職した。駆け出しの編集者ながらも、海外ガイドブックの担当となったわたしは、2年半の間に、台湾、シンガポール、マレーシア、スペインなどを取材し、一冊のガイドブックを作り上げるプロセスに関わった。それはもう、ハードワークの極みだったが、かけがえのない修行時代だ。
海外ガイドブックの仕事の合間、国内取材にも駆り出された。バブル最盛期の当時、洋風の民宿「ペンション」が大流行し、長野県や山梨県の高原や山岳地帯、スキー場周辺に、無数のペンションが誕生した。そのペンション取材のために、清里や蓼科を訪れたことがある。
1980年代後半から1991年にかけての、日本のバブル経済の象徴のひとつが、スキーリゾートの大流行だった。スキー場と聞けば、ユーミンの「恋人がサンタクロース」が脳裏を巡るバブル世代は少なくないだろう。1987年にヒットした原田知世主演映画『私をスキーに連れてって』の挿入歌だ。
白馬村では今でもスキーシーズンは、大勢の来訪者で賑わうとのことだが、バブル期は比にならない喧騒だったはずだ。
先日も記したが、わたしはフリーランスになってからは、「カメライター」として、白馬村にほど近い安曇野界隈を取材した。ちょうど30年前のことだ。それ以来、この地を訪れることはなかったし、今後も来ることはないだろうと思っていた。しかしながら、バンガロールでの「ご縁」がきっかけで、今回の旅が実現した。
ブリュワリー事業の話がまだ構想段階だったころ、村田さんとZOOMで話をしたことがあった。そのときに「懐かしく思える故郷を持たない人に、第二の故郷だと思える場所を作ってはどうか」という話しをした。遠く日本を離れて暮らすとなおさら、日本らしい自然美に満ちた場所が恋しくなる。
今回、白馬村を訪れて、スキーシーズン以外が「オフシーズン」と定義されていることに対し、大いに違和感を覚えた。ここは一年中、四季折々の魅力が体験できる、すばらしい場所ではないか。部外者ながらも2泊3日滞在しただけで、そのことが実感できた。ここだけではない、きっと日本の各地に、このような場所があるのだろうと確信する。
奇しくも今回の滞在中、夫のMBA時代の友人(香港人)が、Hakuba Beer Garage から徒歩で数分の宿泊施設物件を購入していたことがわかった。海外の投資家たちの方が、むしろそんな日本の魅力を嗅ぎ取っているのではないかと、改めて思う。この趨勢に関しては、軽く言及するには深すぎるテーマもあるので今日のところは割愛。
なお、東京から白馬村までは、いくつかのルートがあるが、1日に1本、新宿と白馬村を結んでいる直行便「あずさ」が便利だ。乗車時間は4時間ほどと長いが、きれいで快適な車両だし、道中の景色も麗しく、富士山も見られるしで、悪くない。
白馬村へはまた、名古屋からもアクセスしやすい。ミューズ・クリエイションの過去のメンバー228名のうち、多くの人が愛知県に在住されている。いつか、白馬村でミューズ・クリエイション同窓会を実施したいと閃いた。なんだか楽しそうだ。
というわけで、秋は白馬村に集合で!🐎
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