2001年9月11日。ニューヨークとワシントンD.C.の二都市生活をしていたとき、米国同時多発テロが起こった。
2008年11月26日。ムンバイとバンガロールの二都市生活をしていたとき、ムンバイ同時多発テロが起こった。
大気が震えるような恐怖や悲しみを目の当たりにした。自分自身の生き方や考え方は、間接的であれ、大きな影響を受けた。
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今から19年前の2004年4月14日深夜、わたしは生まれて初めて、ムンバイに降り立った。喧騒の空港を離れ、タクシーはムンバイ南端にあるタージマハル・パレス・ホテルに到着した。その壮麗な建築物に圧倒される一方、当時は改装工事中。わたしたちは旧態依然の旧館に通された。あの日のことが、ついこの間のことのように蘇る。
なにしろ、ネット上には、当時の記録が写真と共に克明に残されているから、瞬時に紐解くことができ、忘れようにも忘れられない。当時の様子をご覧になりたい方は、どうぞ以下のホームページへ。冒頭、日付に誤植があるが、このmuseny.comのアカウントには、もうアクセスする術がなく、修正不可能だ。
タージマハル・パレス・ホテル。わたしにとって、思い入れの強い場所。
このホテルが建てられたのは、英国統治時代の1903年。今からちょうど120年前のことだ。当時、インドにある高級ホテルの大半に、インド人は宿泊することができなかった。「インド人と犬はお断り」などとするホテルもあった。このあたりのことは、わたしのセミナー動画でも詳しく語っている。一部資料の写真もここにシェアしておく。
さて、インド人の実業家、タタ・グループの創始者であるジャムシェトジー・タタは、インド人が泊まれる高級ホテルの建設に着手した。当時としては最先端の米国製エレベータや天井のファンを備え、クーポラの鉄筋はエッフェル塔と同じものを用いるなど、建築物そのものにも、さまざまなストーリーがある。
以下、Wikipediaの文章に少々手を加え、転載しておく。
「タタ・グループは、インド最大の財閥であり、ペルシア一帯(現在のイラン)からインドに渡ってきたパールシー(ゾロアスター教徒)の子孫であるジャムシェトジー・タタ(1839年-1904年)が、1868年にボンベイ(ムンバイ)で設立した綿貿易会社をその始まりとする。
1870年代には綿紡績工場を建ててインド有数の民族資本家となった。彼は大きな製鉄所、世界的な教育機関、大ホテル、水力発電所をインドに建設することを夢見たが、そのうち生前に実現したのは1903年に建てられたタージマハル・ホテルのみであった。しかし彼の残した構想は、タタ・スチール、インド理科大学院(バンガロールにあるIIS)、タージ・ホテルズ・リゾーツ&パレス、タタ・パワーとして結実した。」
彼の富と名誉の結晶は、他のどのホテルにも劣らない歴史的なホテルとして誕生し、以来、百年以上に亘り、世界中の人々を招き入れてきた。華やかな、あるいは重要な、歴史の舞台として人々の記憶に刻まれ続けるホテル。エントランスに足を踏み入れれば、晴れ晴れと、優麗な空気に包まれる。
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わたしは、このホテルの旧館にあるSea Loungeの窓際の席で、くつろぐのが好きだった。ムンバイに住んでいたころも、そして旅に訪れたときも、必ずここに立ち寄り、ただコーヒーを飲んだり、あるいはハイティーを楽しんだりした。
アラビア海に面したインド門、そこに集う観光客……。まるで映画を見るような気持ちで、ぼんやりと、外を眺める。本を読んだり、書き物をしたり……時を忘れて何時間も座り続けることもあった。
かつては、ゲストはたいてい少なく、給仕は老紳士ばかりで、とてものんびりとした風情だった。しかし、歳月の流れと共に様子は変わっていった。パンデミック以前から、窓際は満席であることが多く、お気に入りの席に座ることはできなくなった。今回も、窓から少し離れた場所でさえ、すでに満席……。
諦めて、ラウンジをあとにした。
自分の好きな場所が、多くの人に楽しまれているのは、うれしいことだ。しかし、あの穏やかだったSea Loungeが、今は少し、恋しく思う。
コラバ・コーズウェイにあるレオポルド・カフェ。ここもテロリストに襲撃された。当時の弾痕をそのままに残す窓もあり……。このホテルやムンバイ同時多発テロを巡っては、過去にたくさんの記録を残している。
✏️ムンバイ、心の拠り処。タージマハル・パレスホテル/テロの記録など(2013年11月)
https://museindia.typepad.jp/library/2013/11/1126.html
✏️インド彷徨(2004年4月)
http://www.museny.com/2004/india0404-00.htm
●インド・ライフスタイルセミナー/パラレルワールドが共在するインドを紐解く③明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈前編〉人物から辿る日印航路と綿貿易/からゆきさん/ムンバイ日本人墓地/日本山妙法寺
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