一昨日の夜、バンガロールに戻って来た。空港に降り立つたび、高原の風の心地よさに、心身がのびのびとする。いいことばかりじゃないけれど、やっぱりバンガロールを終の住処と決めてよかったと、改めて思う。
さて。INDIA JAPAN FORUMについて「③の総括」を記したいところだが、戻って早々、少々立て込んでいた。今日は新居で勉強会を開催したこともあり、その準備などをしていたのだ。勉強会のことは後ほど記すとして、デリーでの思い出も残しておきたい。
デリーでは、いつものように夫Arvindの伯父(亡母の兄)と伯母の家に立ち寄る。大家族、大親戚が一般的なインドにおいて、しかし夫の親戚は極めて少ない。ロメイシュ・パパは一人っ子。ゆえに伯父と伯母の一人息子が、夫にとって唯一の従兄弟だ。
伯父と伯母の家に来ると、インドとパキスタンの分離独立以前からの、家族の歴史や事業の話、その後の政治的な出来事の話などを聞くことができ、いつもとても、勉強になる。伯父はまた、Arvindと同じボストンのマサチューセッツ工科大学を出ており、伯母はワシントンD.C.のジョージタウン大学を卒業している。
伯母の父が外交の仕事をしていた関係で、伯母の家族はワシントンD.C.に暮らしていたが、伯母の母も大学に通いたいと試験を受け、なんと伯母と共にジョージタウン大学に通っていたという。
当時、米国でも「母娘同時入学」は話題になったようで、新聞にも紹介されていた。以前、古いファイルに保管された記事を見せてもらった。そのファイルには、ホワイト・ハウスで開かれたJ.F.ケネディ主催の晩餐会の招待状なども綴じられていて、とても興味深かった。
伯母は久しく、Family Planning Association of Indiaの会長も務め、世界各地を飛び回っていた。Arvindの祖母はじめ、伯母、従兄弟の妻……と、それぞれ能動的に、深く社会に貢献する女性たちがいて、少し話を聞くだけでも大いなる刺激を受ける。
ちなみに、伯父と伯母の出会いも、ニューヨークが運命の場所だ。もっとも二人がニューヨークで出会ったわけではない。Arvindの亡母は若いころ、国連のユネスコで働いていたのだが、ニューヨークで開催されていたイヴェントでインド・ブースを担当した。そのときに、伯母と出会ったのがきっかけで、自分の兄を紹介することになったという。
わたしと夫との結婚の後押しをしてくれたのはまた、日本企業とのビジネス経験も豊富だった伯父だったこともあり、少ない親戚ながらも、出会いのご縁を強く感じずにはいられない。
ところで伯父夫妻宅の壁に架けられた青い絵画は、マンハッタンを描いたもの。わたしはこの絵が好きだ。
今回のデリー滞在は、日本とインドのフォーラムに参加することが主目的だったこともあり、外出は少なめ。デリー宅の内装工事やペンキ塗りなど、課題はあれど、今回は全部スルーした。朝夕は少し気温が下がったので、家の裏にある庭を散歩する。
大きなインド菩提樹を見上げながら、ロメイシュ・パパと歩いたことを思い出しつつ……歳月の流れが沁みてくる。
いつ、誰と会う時も「これが最後になるかもしれない」と思おう。それは悲観的な意味ではなく、今このときを、慈しむという意味で。
交わした会話も大切に、心の中に綴りおく。
⬇︎以下は夫のインド家族の物語の断片。
[Memories with Papa 05] 散骨の長距離ドライヴ。家族のルーツを辿る旅(2020/01/18)
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