🇯🇵福岡、名古屋を経て、わずか三都市目にも関わらず、久しく旅をしてきた感ありの今回。東京駅に到着し、タクシー乗り場で夜空を仰いだとき、なんだかホッとした。そして、ホッとする自分に驚いた。
2002年にポプラ社より発行された拙著『街の灯(まちのひ)』でも描写しているが、20代を過ごした東京は、わたしにとって、タフな都市だった。自分のキャリアの基礎を構築した大切な地である一方で、辛いことも多すぎた。
だからこそ、1996年の春、30歳で語学留学目的で渡米、1年で帰国するつもりが、もう、戻らないと決めて、今日に至る。
あれから幾星霜。かつては一時帰国で東京へ来るたびに、一抹の、胸を締め付けられるような感傷に苛まれる瞬間があった。しかし、10年ほど前から、そのような思いをすることがなくなった。歳月が流れたせいだろう。
一時帰国で滞在する場所も、品川、六本木、銀座……などと都度、変わってきた。しかしここ10年は、ほとんど銀座だ。銀座が落ち着く。一方で、東京在住時には好んで訪れていた表参道にはもう、何年も足を運んでいない。
🇺🇸わたしにとって、かけがえのない街、ニューヨーク。1996年から2001年までの5年間を暮らした。そして2002年にワシントンD.C.に移ってからも、頻繁に出かけていたし、インドに移住してからも、年に一度は必ず訪れていた。永住権(グリーンカード)を維持することも、目的のひとつだったし、何より、マンハッタンが好きで、年に一度は行きたいと思っていたからだ。
5月のマンハッタン、10月の日本が、インドに移住して以来の、毎年の恒例旅だった。しかしながら、2019年の5月を最後に、COVID-19パンデミックでその年中行事は終止符を打った。永住権も、諦めた。もう4年間も、マンハッタンの土を踏んでいない。
これもまた、我が人生のおける変化なのだろう。サイクルは、連続すればいいというものではなく。パンデミックが契機となって、新たに開けた視座も多いのだから。
今は「インドと日本」の2カ国間の仕事や個人的な学びが楽しい。もちろん、別の国を旅したい気持ちもあるが、身体はひとつにつき。
🇯🇵タクシーの車窓から、夜景を見ながら、銀座がマンハッタンに見える瞬間がある。「マンハッタンに寄せてるよね?」と思えるビルディングも増えている気がする。気のせいだろうか。銀座通りが五番街、今回滞在するホテルがある昭和通りがパーク・アヴェニューに見えてくるからおかしい。
🥂夜は軽めにすませるつもりが、ホテルのそばにあった「俺のフレンチ・イタリアン」に吸い込まれ、カウンター席へ。スパークリングワインを注文し、一人旅に乾杯🥂。そしてハーフのサラダと「しらすのパスタ」を注文。これがなかなかにおいしくて、完食したのだった。ほんと、食べすぎるが幸せ。
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