明治初期創業の貿易会社「森村組」が、ニューヨークを舞台に一世を風靡したのが黎明。
ノリタケミュージアムでは、明治時代の創業当初の背景、森村兄弟のストーリーに、強い感銘を受けた。それは以前、倉敷にて「倉紡記念館」を訪れた時の感慨と似ている。明治時代の若き青年らの、野心の輝き。
和製マジョリカタイルを作り、中華圏やインドに輸出した青年らの未来展望とも共通する。明治時代には、海の向こうを見晴るかす若者らが、大勢いたに違いない。
ノリタケの歴史をここに整理してまとめたい衝動に駆られるが、そんな余裕もないので、創業者である森村市左衛門について、ホームページからオリジンとなる描写を要約する。
「江戸湾浦賀に黒船来航する14年前の1839年、武具商の長男としてノリタケの創業者、森村市左衛門は江戸京橋に誕生。1859年、市左衛門は20歳のとき、海外貿易を志した。家業を継ぎ御用商人として活躍していた市左衛門は武具や袋物を扱っていたが、横浜港開港に伴い唐物(舶来品)を仕入れて徳川の旗本や藩邸などに販売。やがて貿易商を志すようになる。好奇心旺盛で新たな文化の吸収に積極的だった彼の目は、明治維新以前から、海外に向いていた……」
そして1876年、市左衛門が37歳の時、彼は銀座に貿易会社「森村組」を創業。当時22歳だった弟の豊をニューヨークに送り、日本の陶磁器製品を販売した。それは、森村組が瀬戸で作らせた生地に、東京や京都で絵を施した花瓶や飾り皿、壺など「ファンシーウエア」と呼ばれるものだった。
それらこそが、「オールドノリタケ」と呼ばれ、このノリタケミュージアムの最上階にて展示されている艶やかに麗しい作品の数々だ。思わず「ほえぇ〜」と嘆息が漏れてしまう、美しいファンシーウエアの数々……。
現在のノリタケに連なるビジネスは、1904年に作られた1枚のディナープレートから始まる。前回の投稿で写真を載せているそれだ。商売の拡大のため、日本で食器を作り輸出することを決め、同年「日本陶器合名会社(現在のノリタケ)」が創設されたという。ちなみに東洋陶器(TOTO)も、母体は森村グループだ。
今回の名古屋旅。建築、陶器、布、職人技……と、多岐にわたる我が関心が渾然一体となって引き寄せられて、本当に豊かだった。3泊4日の短い間にも、ここには書ききれないたくさんの学びと、発見の連続だった。
そして、改めて思う。森村ブラザーズが持っていたような、視点と挑戦。現代にも通用するに違いないと。日本で育まれてきた伝統工芸が廃れてしまう前に、なんとか継承し続けられないものか。不易流行……。
ともあれ、久しぶりの一人旅。自由に羽根を伸ばして、行きたいところへ行けるのが本当によかった。まだもう一箇所、実は名古屋でどうしても行っておきたい場所があった。次回の日本旅……他の土地にも足を運びたく、さて、どうなることだろう。
ともあれ、名古屋、楽しい時間をありがとうございました。
🇯🇵[日本旅 Day 08 倉敷] ひとり旅最高!美観地区で工芸品と芸術に触れる1日(2018/11/08)
https://museindia.typepad.jp/2018/2018/11/jpn08.html
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