子どものころから悩まされていたサイネス(鼻腔)のトラブルが数日後には軽減し、鼻の通りがよくなって、声もよく響くようになった夫。
気分がよさそうだ。いつもは「中毒」のようにBlack Berry(携帯電話)をチェックしているのだが、滞在中はほとんど触れていない。
■過去の自分に思い巡らす。痛いほど不健康だった日々
6時に起きなければならないのに、今日も起床は6時45分。たいした運動をしているわけでもないが、セラピーや薬、呼吸法などを通して、体調に変化があるのか、スローである。
昨日は胃腸の活動が通常と異なり、若干、違和感があったが、今日は軽やかだ。ただ、昨夜から今朝にかけて雨が降っていたせいか、気温が下がり、外を散歩する気分にはならず。
朝のセラピーで、昨日と同様、目、鼻、喉の洗浄をしたあと、今日もまた、小さな花を受け取って、ヨガのセッションへ。今日はいつもの先生が休みで、年配の「師匠」的講師が指導してくれた。インドなまりが強烈なものの、話に含蓄があって、ためになる。
わずか数日しか過ごしていないが、しかし、自分がこれまで歩んで来た日々を振り返るに、心がけていたようで、実はたいして心がけていなかった健康を思う。特に20代のころの自分。
若かったとはいえ、特に東京在住時代のわたしは、健康的な暮らしからほど遠い日々を過ごしていた。
朝から晩まで仕事仕事。週末もないに等しく、心休まらず、世間はバブルに浮かれていたが、わたし自身は貧乏で、おいしいものを食べにいくことも、健康的な食事を作ることも滅多になかった。
1日1箱のタバコを吸い、満員電車で消耗し、終電の駅のホームで倒れ込むこと数回。駅前の救急病院で点滴を受けること数回。
世のバブルが弾けても、暮らしぶりはさほど変わらず、ランチはコンビニのおにぎり、ベーカリーのパン、ほか弁、ラーメン、たまに定食。炭水化物メインで、野菜や果物はほんの少し。
夕飯はオフィスに中華の出前をしばしば。終電で帰宅して、シャワーを浴びて、寝て、出社して、の繰り返し。
フリーランスになってからも、一年に3カ月の長期休暇を取ると決めたばかりに、それ以外は休みなく、まさに馬車馬のように働いていた。
タバコは減らず、手料理はごく稀。会社員時代よりは収入が増えたこともあり、こじゃれたレストランで友人とワインに食事、という機会も月に何度かはあった。
一応は健康的な食生活を意識していたはずだったのに、今思い返せば健康的からはほど遠く、加工食品を口にしない日はなく、味覚は間違いなく麻痺していた。
前向きに、未来を見つめていたけれど、恋愛その他、辛いことも多かった。しかしポジティヴに、未来へ向かって突っ走っていられたのは、ひとえに、若かったからだ。
基礎体力があったからこそ、できたこと。若かったからこそ、乗り越えられたこと。久しく続くものとしての、未来が目前に連なっていた。
しかし、今は違う。44歳。人生の折り返し地点に立っている。時の流れに身を任せているだけでは、今以上に元気はつらつになることはないだろう。
自分の鮮度を高く保つためには、それ相応の努力しなければならない。健康を考えるということは、生き方そのものを見つめ直すということでもある。
「昨日、徹夜でさ~」
「夕べ、飲み過ぎちゃったよ」
不摂生をあたかも「自慢話」のように語る人が多かった時代と業界。ヘんなの。と思い続けていたわたしで、よかったと思う。そこから脱するために、努力してきた自分でよかったと、今はつくづく、思う。
■今日もまた、朝食が美味なのだ。特に蒸しバナナ!
今日の朝食はドサがないという。残念だが、他の料理を試してみる好機でもある。今日はインド版の「お粥」ともいうべく、キチリが用意されていた。米と豆を一緒に炊き込んだもので、ほんのりキュミンやターメリックが使われることもある。
お腹にやさしいキチリのほか、南インドの典型的朝食である米粉の蒸しパン「イディリ」とサンバル(さらさらのカレー)、チャトゥネ、そして蒸しバナナを試すことにした。
この蒸しバナナが、今ひとつさえないその見た目を裏切る、相当なおいしさで驚いた。
まるでほくほくのサツマイモを思わせる、しかしわずかに酸味があって爽やかな、ともかく通常のバナナとは異なる食感の味わいなのだ。これはケララ州産の大振りのバナナであるとのこと。
インドには、何種類かのバナナがあるが、いずれもおいしい。防腐剤を使っていせいか痛みやすいが、海外で食べるバナナとは比べ物にならない、濃厚な風味と味わいのよさがある。
食事の後は、散歩などをしたあと、午前のセラピー。昨日と同じトリートメントを受ける。
毎日身体にたっぷりのオイルを与えられているせいか、肌が柔らかく滑らかになってきた。朝は曇天だった天候も、徐々に晴れ間が見えてきて、空気も軽く、実に気持ちがよい。
■エゴの殻を砕く。亡き人たちを思い胸が迫る午後
セラピーのあとは、呼吸法のクラスである。師匠の指導は、話が興味深い。たとえば人間の身体に理想的な呼吸の数は、1分間に12~15回だとのことだが、通常は20回を超える人が多いのだという。
呼吸の数が増えるほど、取り込む酸素の量が減る。呼吸がゆっくりなほど、身体によいのだという。
たとえば、呼吸が速い動物よりも、呼吸がゆっくりな動物(カメや象)が長生きするのは、その例だとのこと。ともあれ、正しい方法で、ゆっくりと呼吸をしていれば、7割方、病気にならない身体になるのだという。
わずか数日だが、ここで規則正しく、理想的で健康的な暮らしの在り方を体験していると、その言葉に強い信憑性を感じる。
そして改めて、「リラックスすること」がいかに大切かを痛感する。
気がせいているとき、緊張しているとき、苛立っているとき、ともあれネガティヴな状況に陥っているときこそ、目を閉じて深呼吸(鼻から吸って鼻から吐く)が大切なのだ。
丁寧に呼吸をするときには、「ポジティヴを吸い込み」「ネガティヴを吐き出す」ことを意識することも重要だとのこと。
エゴの殻を打ち破ること。
これもまた、心身を健康に保つ上で大切なこと。インドでは儀礼の際にココナツの実を割る儀式がある。その儀式には、「エゴを砕く」という意味合いが包摂されているのだとか。
固い殻を打ち破って、中から美味なるジュースや実があらわれる。
呼吸法を学びながら、ここに、亡父を連れてきたかった、との思いがこみ上げてくる。
父は2000年の年明けに、末期の小細胞肺がんを告知された。
そもそも基礎体力がある、体格のいい元気な人だったので、抗がん剤の治療にも耐え、1年と持たないと思われていたところが、4年ほども生き抜いた。しかし、2004年5月、66歳で他界した。
もし父が生きていたとしたら、ここに連れてきたかった、と思う。考えても無駄なことなのに、静かに呼吸をしながら、父がこの場所にいる情景を想像してしまう。
「野菜ばっかり、食べられるね!」
と、文句を言う父が想像できる。
「全然、言葉がわからん!」
と威張って文句を言う父が想像できる。
「シャワーの湯が足りん!」
と大声で不満を言う父が想像できる。それでも数日後には、ここになじんで、自分の身体を治すことに専心するであろう父を想像できる。
そしてまた、大腸がんで他界した友人のこともまた思い出す。
ニューヨークの日系出版社に籍を置いていたころ、同僚だった同じ歳の彼女は、米国が同時多発テロに襲われた直後の2001年9月、末期の大腸がんを告知された。
彼女は、ニューヨークのスローンケータリング(癌専門病院)で記録を作るほどに、抗がん剤治療にも耐え、本当にがんばって、生き延びた。しかし、父が他界する1カ月前の2004年4月、39歳で天に召された。
わたしが健康についてを強く意識するようになったのは、癌で他界した、この二人の影響が強い。健康だけではなく、生き方についても、考えされられることが多かった。
さまざまな因果関係が働いて、わたしは今のわたしになっている。この場所に、導かれている。
■恐怖。語りながら、泣きながら、食べる女
ランチは、ニンジンのスープにはじまり、今日も種類豊富な野菜。ミントライスが爽やかな風味で、マッシュルームカレーが美味である。具沢山のサンバルは、母が作る具沢山の味噌汁を思い出させる。
食事をしながら、夫に父と友人のことを話しているうちに、急に思いあまって涙が出てきた。この環境のせいだろうか、感情をコントロールする気にもならず、泣きながら、父の話などを熱心に語る。
同時においしい料理をはぐはぐと食べる。語りながら、泣きながら、食べる女。我ながら、やや恐ろしい。
食後、わたしのブログをいつも楽しみにしている母が、更新が滞っているのでつまらなく思っているかもしれないと、電話をかけてみた。元気そうである。
母によると、日本の鳩山首相夫妻がインドに来ているとのことである。知らなかった。聞かなければ知らないままだっただろう。安倍さんは訪印でお腹を壊して、帰国後まもなく辞任した。鳩山さんのお腹は大丈夫だろうか。
2年前の夏、3カ月バンガロールに滞在して以降は、わたしたちがムンバイとの二都市生活を始めたこともあって、インドを訪れていない母。来年はぜひとも招き、一緒にこのアーユルヴェーダグラムに来たいと思う。
■香水に妨げられた瞑想のひととき。体質の確認など
食後、1時間ほどリラックスした後、瞑想のクラスへ。昨日は、夫アルヴィンドのいびきで瞑想に集中できなかったが、今日は1日訪問のインド人おばさま3人グループのだれかがつけていた香水が強すぎて、参った。
こういうところに香水をつけてくるのはやめて欲しい。それでなくても、嗅覚が鋭いわたしである。鼻から深く酸素を吸い込むたびに、甘ったるい香水の匂いも入って来て、途中で気分が悪くなってしまった。
その後、ドクターのコンサルテーション。改めて問診票を分析してもらい、自分たちのドーシャを確認する。わたしの体質はピッタ・ヴァータ。夫はカファがもっとも強い。
先日、一日訪問のときに診断してもらった結果と同じだ。自分の体質と、それに伴う性格も理解した上でのライフスタイルを、考えていくこれはきっかけになる。
■夕方のセラピーで腰周辺をリラックス。恐怖体重測定
腰集中のトリートメントのあと、体重測定。予想通り、増量している。あり得ない。あり得ないが、現実である。
食事がおいしいのだもの。夫も間違いなく増量している。わたしはまだしも、「高脂血症&かなり肥満」な夫には、少なからず減量を実現してもらいたかったのに、いったいなにをしにここへ来ているのかという話である。
ランチタイムは南インド料理だが、ディナーは北インド料理も出されるため、夫、毎度大喜びである。今日も、トマトスープはおかわりするは、マライコフタはいくつも食べるは、デザートもしっかり食べるはで、話にならん。
ちなみに今日のチャパティはホウレンソウが練り込まれているため緑色。これがまたヘルシー&テイスティである。毎食必ず出されるダルをはじめ、南インドのラッサム、具沢山のサンバル、そしてオクラのソテーなどなど。
1週間は長いとさえ思っていたが、あと2、3日で終わると思うと、なんだか中途半端な気分さえする。せめて2週間ほど、じっくりと腰を据えたいとさえ思えて来た。
大晦日で飲んで食べて騒ぎたい衝動が激減している。アルコールを飲みたいとも思わない。そんな自分が怖い。
これから年に一度は、この類いの場所で心身のリフレッシュに来たいものだと、終わる前からすでに、そう感じている。