毎日が、ひゅんひゅんと過ぎてゆく。家政夫モハンがいるのになぜか、雑用に時間がかかる。買い物ひとつをとっても、交渉ごとひとつをとっても、緩やかな動きのなかで進められるから、仕方のないことかもしれない。当初は家政夫なしでもやっていけると思っていたけれど、今となっては考えられない。
インドの社会は「使用人」や「雑用係」の存在があってこそ成り立っていることの証であろう。
「インドに移住しました」という友人や知人へのお知らせメールもまだ出していない。ジャイプール旅日記は中断しているし、メールマガジンも久しく出していない。仕事の営業活動もまだまだ何も手をつけていない。一方で、日々、綴りたいことが続々と湧き出て来て、何を優先順位の上位にすべきか、最早、さっぱりわからない。
それでも、移住以来2カ月余が過ぎ、出張続きの日々に小休止を打ち、ここ数日は随分と気持ちが穏やかになりつつある。このアパートメントも少しずつ、家らしい暖かみが添えられて来て、とても心地の良い場所になった。特に、朝の窓辺が大好きで、朝食までのひととき、新聞を読みながらお茶を飲むころがとても幸せである。
さて、そんな今朝のこと。デリーに住む義母ウマから電話がかかってきた。
「おはよう、ミホ。実はね、今、ティージヴィール(マルハン実家で働くモハンの従兄弟)から聞いたんだけど、モハンの息子が生まれたらしいのよ。ちょっと伝えてくれる?」
「え〜っ! 子供が生まれたの〜!? ちょっとまって。ウマ、今モハンとかわるから、説明して!」
わたしは書斎に駆け込みアルヴィンドに報告。彼も驚いている。二人して、受話器を握るモハンを背後から見守る。相変わらず、淡々としているモハン。淡々と話したのち、淡々と電話を切る。
「おめでとうモハン!」
なんたらかんたら、なんやかんや……と二人がヒンディー語で話をしているのを微笑みながら見守りつつも、わたしは困惑している。
子供が生まれたっていうのに、こんなところにいていいかしら? ちらっと村に帰らせたほうがいいの? でもこの間、来たばかりで、長期休暇は1年に1カ月まとめてって聞いてるし……。ってことは赤ちゃんに会えるのはまだ10カ月も先のこと?
インドでは、こういう事態は決して珍しいことではない。いや、インドでなくても、海外単身赴任者とか、船乗りだとか、日本だって数十年前までは「出稼ぎ」だのなんだので、父親が子供の出産前後に不在なのは、ありがちなことだったはず。
しかし、それらはすべて、わたし個人には無関係のこと。モハンの場合は、自分たちの家にいる人間で、非常に身近な存在になってしまっている。その人に子供が生まれたというのは、とても他人事に思えないのである。
夫も、いったいどうやって祝すればいいのかもわからず、
「ミホ、買い物に行ったとき、彼にスイーツ(お菓子)でも、買って来てあげてよ」
と、かわいい提案をする。
……スイーツですかい?
せめて祝い金などを出すべきじゃないのか、と思い、改めてウマに連絡をする。ウマ曰く、1000ルピー(20数ドル)ほどを包んで渡せばいいでしょうとのこと。その提案に従うことにした。
ところで今日は、午後から例の4時間タクシーを手配し、モハンと共に買い物に行くことにしていた。今後、彼がひとりで出かけられるように、例の肉屋の場所を教えたり、ラッセルマーケットの魚屋や花屋を開拓したり、まだ彼が訪れたことのないコマーシャルストリートや、モダンなセントラルモールを見せておこうというのが目的だ。
ドライヴァーに、効率よく回ってもらうため、個別に行き先と住所を書いた、何枚かの付箋紙を地図に張り付け、出発前に順番を決めてもらう。こうなったらもう、「取材並み」の真剣さである。
まずはMGロードの銀行へ行き、それからブリゲイドロードのセントラル。このようなモダンなモールに入るのは初めてのようで、モハンは少々、驚いていた。ここの最上階にちょっとした食料と酒類があるので、適当にみつくろって購入する。しかし、野菜や果物は、ラッセルマーケットの方が質がいい。
セントラルを駆け足で巡ったあと、今度はリッチモンドロードの肉屋へ。この通りはまた排気ガスと砂塵がひどく、車をおりて十メートルほど歩くだけでもたまらん。今後はモハンに来てもらうことにするため、わたしたちの好む肉の酒類や部位などを説明する。
店主は英語もヒンディー語もできるので、店主に通訳してもらいながらの会話である。
「うちは、いいビーフも用意してますよ!」
と、彼は冷蔵庫から取り出してくる。値段も比較的安い。わたしは食べてみたい気もするが、さすがにモハンは調理したことがない様子。マルハン家周辺はヒンドゥー教徒にも関わらず、ステーキ、焼き肉、大好きな人々ばかりだが、それは普通ではない。敢えて彼に聖なる牛肉を調理させることもないので、それは買わずにおいた。
さて、肉屋のあとは、バンガロアの老舗菓子店、KC DASへ。この間、デリーに行ったとき、マルハン実家で会ったバンガロア在住のアニタがお土産にお菓子を買って来てくれていたのだが、それがここの製品だったのだ。
その時食べた、さくさく乾いた、ミルク風味のお菓子がおいしくて、日持ちもいいから買っておこうと思ったのだが、あいにく売り切れていた。お菓子はもちろん、アルヴィンドの勧めもあり、モハンにも食べてもらおうと思っていたので、彼にどれがおいしいのかを聞いてみる。
彼の意見を参考にしながら、いくつかの菓子を選んだ。素焼きの器に入ったカード(ヨーグルト)もおいしそうだったが、それはまた次回に。ちなみに買って来たお菓子は、「片隅の風景」に載せている。
さて、お次はコマーシャルストリート。ここで、金槌やペンチ、釘など日曜大工用品を調達。アパートメントのオフィスに頼めば、いつでも作業員を送ってくれるのだが、大工作業は好きなので、できることは自分でやりたいのだ。といっても、額をかけるための釘を壁に打ち付けるといった程度のことなのだが。
それから夏に向けて、モハンの部屋の扇風機なども。
そうして最後にラッセルマーケットへ。小物を干すための洗濯物干し台やハンガーを買おうと、以前、訪れたことのある雑踏界隈に突き進んで行く。モハンは専ら、生鮮食料品売り場しか行ったことがなかったようで、その界隈の賑わいに、「今日はバザールなのか?」と目を丸くしている。
目的の品々をなんとか得て、さて、次は魚屋探検だ! と思いきや、月曜の今日は、魚市場はほとんど閉店。わたしは日曜が休みだと思っていたのだが、日曜が休み故、翌日の月曜に魚が届かないのだ、とのこと。これはまた、がっかりだ。改めて出直すしかないだろう。
気を取り直して花屋へ。赤、ピンク、黄色、クリーム色にほのかなオレンジといった、カラフルなバラの花が大量に売られている。とてもコンディションのいいものが、20本で100ルピー(2ドルちょっと)。モハンは高いと思ったようだが、確かに、インドにしては、高いのだろうけれど、わたしにしてみれば、とてもリーズナブルである。とてもいい香りを放つ、元気なバラを手に入れられて、とてもうれしい。
さて、買い物の途中、気になっていたことを聞き出した。最初彼を見たときは、「年上?」と思ったのだが、日々、見ているうちに、「微妙に年下?」と思えてきた。無論、使用人の年齢なんて無関心であっていいのかもしれないが、なんだか気になる。前回の奉公先には24年働いていた、と聞いたときには、????とまたわからなくなったが、今日は新生児誕生である。
妻はきっと若いのだろう。他の子供も、まだ小さいのだろうか。そんな関心が沸いて来た。そんなわけで、子供が傍らを走り抜けたとき、「あなたの子供はいくつ?」と、ゼスチャーその他込みで、聞いた。すると、12歳と8歳だという。ってことは、随分離れて子供が生まれたのね。
「あなたは、いくつなの?」と聞いたら、37歳とのこと。妻は35歳らしい。インドの村人にしては、高齢出産ではないのだろうか? それともありがちなのか?
ともあれ、彼は37から24引くところの13歳当時、村を離れてデリーに出て働いていた訳である。
やっぱり、わたしたちは、言葉が通じなくてよかった。これ以上、あれこれと聞くのはよそう、ただ誠実に付き合っていこう、そう思うのだった。
夜、夕食の前に、アルヴィンドと二人で、祝い金の封筒を渡した。モハンはいつものように笑顔で喜んでいた。そうして、夫に向かってなにやら饒舌に話していた。
午後、村に電話をかけて、家族と話をしたようだ。なんでも今日、実家ではケバブ(マトン料理)を焼いて、長男の誕生を祝うらしい。名前は寺院の僧侶(祭司)に決めてもらうのだとか。
彼にもKC. DASで買って来たスイーツをいくつか皿に盛り、食べるように促した。
夫は、クリケットの試合を見ながら、
「この、サフランの風味が、いいんだよ〜」
と言いながら、おいしそうに、2つ、3つ、4つと平らげている。
本当は、自分も食べたかったようである。
わたしも、いくつか食べた。おいしかった。