ここ数日、早起き続きである。昨日は4時45分に起きて、5時半に夫を送り出す。というのも、今週からカリフォルニアの本社とヴィデオミーティングが行われるようになったのだ。カリフォルニア時間の夕方、こちらの早朝。時差があるから仕方がない。
今日の早朝起床理由は夫の日帰りムンバイ出張。昨日からデリーとムンバイ空港は、空港職員による原始的かつ不毛な様相のストライキが続いており、荒れている様子。無論、便に遅れはあるものの、運行そのものには問題なさそうだ。
ただ、昨日は労働者と警官のもみ合いが起こったり、空港のトイレやゴミなどの設備の清掃が行われなかったりと、それでなくても汚くてかなわないインドの空港が、とんでもない汚さになっていたようである。
それはさておき、夫が出かけて数時間後、わたしも今朝はお出かけだ。2週間ぶりに、毎週恒例のOWC(Overseas Women's Club) の集まりに参加するためLeela Palaceへ。
それにしてもだ。家事を気にせず、出かけたいときに出かけられるこの身軽さ。
今日もまた、何人かの女性たちと言葉を交わす。オーストラリア人の伴侶を持つタイ人女性、インド人の伴侶を持つロシア人女性、ドイツ人の夫を持つインド人女性、米国人の夫を持つロシア人女性、シンガポール国籍で日本に赴任の経験が在るインド人女性……。
インドに来て以来、いや、ニューヨーク時代も、ワシントンDC時代もそうだったけれど、幾つもの国と親密な関わり合いを持っている人との出会いの方が、遥かに多いことに気づく。それは意識的に、自分がそういう場所を選んでいるというよりも、自然の流れでそうなった。
思えば十年前。東京での生活から脱して、一年間の語学留学を目的にニューヨークに渡ったときの、わたしの願いは「世界中の、できるだけ多くの人たちと話ができるようになりたい」ということだった。
ともかくは、英語が話せれば、日本語だけを話すよりも何倍も、何十倍も、多くの人たちに関わり合いが持てる。日本人としてだけの自分には想像もできないような世界に、触れ合うことができる。
日本では、当時30歳といえば「おばさん」などとくだらないことを言われ、あるいは自らを「おばさん」とくだらない枠に縛り付け、人生の可能性はいかにも「先細り」のような印象を与えられていた。実に、無駄で無意味な共通価値観である。
わたしはあのとき、無理をしてでも日本を離れて、本当によかったと思う。あのときに望んでいたことが、気がつけば当たり前の日常になっている。さまざまな場所から来た人たちと関わり、脳裏の片隅には常に地球儀。
とはいえ、あくまでもすべては過程。一体どこへ向かっているのか、何を得ようとしているのか、実は未だによくわからない。
先日、「インド移住のお知らせ」メールを、友人や知人らに出した。断続的に連絡を取り合っている高校時代の男友達にも、メールを送った。彼は東京でバンドをやっている。最近、結婚して、子供が生まれたと知らされていた。
その彼に、移住のお知らせの他に、文章を添えた。
>わたしはまだ、うろうろしてるけど、探し続けようと思います。
それに対して、彼は返事をくれた。
「まだまだなんじゃないの。きっとうろうろし続けるんじゃないのかな(笑) 似合ってるよ。」
十年前なら、うろうろし続けるのが似合ってると言われても、多分少しもうれしくなかったと思う。でも、今この言葉は、とてもうれしかった。何を於いても、過程を、うろうろとするそのプロセスを、大切にしていきたいと思う気持ちは、大学時代からあったけれど、そのニュアンスは変わった。
目的の山は遥か遠く、かすんで見える。そこへ向かって歩く路傍の、野辺の花、さえずる小鳥、豊かな緑を、見落とすのは惜しい。
それは、到達できないことへの諦めや言い訳とは違う。
生きている日々の蓄積を、一つの結論に収束する事は不可能だ。たったひとりの、どんな人生ですら、広く、深く、豊かだ。ただ、その広さ、深さ、豊かさを自覚できるかどうか、自覚しようとしているのかどうか、は、大いに個人差があるところだろう。
十年前、漠然と思い描いていた未来は、徐々に実現し、定着し、日常と化し、次なる目標を育む。上り下り、迂回に落とし穴、道は滑らかではないけれど、変化し続ける人生は、楽しい。