インドで「新築の物件を得る」ということは、実にたいへんなことである。他国では「新築の方が故障もなく、トラブルも少なそう」と思われそうなところだが、ここはインド。
新築の建物は、なにかと不備が多く、むしろトラブルが多い。不備な点を歳月をかけながら「一人前に」育てていく。それがインドにおける新築物件。だから、駐在員家族に新築は勧められない。整った頃に「帰任」となってしまうからだ。
無論、新築じゃないからといって、問題が起こらない訳でもないけどね。
そんな事情をわかっているから、世間が「新築」はおろか「設計の段階」で、デヴェロッパーから物件を購入するのは、たいそうな賭けだと、常々思っている。わたしにはできないし、したくない。
数年前、設計段階で物件を購入したスジャータ&ラグヴァン夫妻の場合は、地元に住んでいて、綿密なリサーチも重ねた上で購入しているし、何度も直接デヴェロッパーと顔をあわせてもいるからいいとして、最近は海外にするNRI(非インド在住インド人)が、「遠隔操作」で購入するケースが多い。
すでに幾度も記した通り、インドのさまざまな場所で、今、猛烈な勢いで住宅物件が誕生している。それらの多くを、NRIもまた投資目的で購入しており、大手銀行も、NRIに向けの住宅ローン・プログラムを発表するなど、購入を促進している。
そんなインド不動産の趨勢に一石を投じるヘラルド・トリビューンの新聞記事を、昨年末、シンガポール空港で目にした。デヴァロッパーとの行き違いや支払い、税金に関するさまざまなトラブルを挙げ、安易な購入に警鐘を鳴らしている。
そもそもはインド人でありながら、しかしインドの現状を理解していない海外在住インド人が多い事実を、わたしはここ数カ月の実体験を通して痛感した。
インドを知らんインド人は、マイハニーだけではなかったのだ。
我々の新居となるアパートメントビルディングは「5階層」であることは記したかと思う。我が家はデュプレックスなので、1階2階の部分を占有しており、上には実質3世帯が暮らしている。
インドでは1階部分はグランドフロアと呼び、1階、2階と続くが、ここでは便宜上、我が家を「1階」、その上を2階、3階、4階と、呼ぶ。
あるとき、3階のマダムから夫の携帯電話に「忠告の電話」があった。不動産のマネージメントオフィスから電話番号を聞き出してのことだった。
彼女曰く、2階の住人が「非常に問題あり」とのことで、電話口で夫に、延々と不満を言うのであった。洗濯物を外に干している、ユーテリティールーム(洗濯機などを置くところ)に使用人の部屋を作り、トイレを作っている、などなど。
洗濯物のサリーが垂れ下がっていることと、冷房の室外機が外に飛び出していることには気づいており、問題はあると思ってはいたが、トイレの件は知らなかった。早速マネージメントオフィスに問い合わせる。
確かに違法ではあるが、排水その他に問題はなく、我が家には全く影響はないとのことだし、最悪そのユーテリティールームの真下は、上階部分が空間になっていて、その下は我が家の使用人部屋(我が家にはあらかじめ使用人部屋がついている)だから気が楽だ。家政夫モハンには悪いが。
ともあれ、数週間前、新居チェックに行った折、その3階マダムの家に挨拶へ行ったところ、家に招き入れてくれた。彼女らは米国とパリを行き来しているNRI夫妻らしい。30代前半といったところか。子供はいないようだ。
インテリアもこざっぱりと、モダンに仕上げている。この物件は米国在住中の1年以上前に購入したらしく、半年後にはパリに再び戻るので、それまでに問題点を解決せねばならないという。
「問題があるのは、2階の住人だけじゃないの。ここのデヴェロッパー、最悪よね」
と、開口一番、不平である。
「この物件、最初の資料では、バスタブもトイレもキッチンも、すべてワールドクラスの最高級品で仕上げるって書いてあったの。なのに、最高級品じゃないわよね
「キッチンのトップ、グラナイトでしょ、この石、ださいわよね。なんとかしたいわ!
「そもそもわたしたち、去年の夏に入居するつもりで帰国したのに、内装工事が3カ月も遅れてずっとホテル住まいだったの
「ホテル代をデヴェロッパーに請求してるんだけど、まったくなしのつぶて。今、訴訟を起こしているの
「この窓枠も、今ひとつでしょ。なんだか壊れやすそう。
「キッチンのこの部分に電子レンジを入れたかったのに、採寸ミスではいらないのよ。
「この引き出しも。ものを入れると、ほら、ひとりでに開いてしまうのよ。
「バルコニーのこの、端の部分、滑らかな石を使ってほしいのに、手触りが悪いこの石。いやでしょ?
黙って聞いていると、文句が次から次へと出てくる。かなり精神的に参っている様子だ。すっかり被害者意識が染み付いているのだろう。
気の毒だと思うが、彼女の意見がすべて正しいとは思えない。
そもそも、インドの慣習や傾向を知らずに、海外から家を買うという事態が危険だ。たとえ異邦に暮らしていたとて、インド人なら、インド人が「大風呂敷を広げがち」「広げて当たり前」であることを知らないはずはないだろう。聞けばアルヴィンドと同じ、18歳までインドで暮らしていたとか。
きっと箱入り娘であったのだろう。先進国暮らしで、すっかりインドのことがわからなかったのであろう。
我々の場合は、既に出来上がったものを見た上で納得し、購入しているから、彼女のような不満はない。文句があれば、自分たちで取り替えればいいと思っている。
3カ月待たされた、というのも、あまりにも「受け身」な話だ。だいたいインドで、工事が予定通りに進むとでも思っているのか。もしもそれをすませたいなら、ホテルでボーッと待っているのではなく、毎日のように工事現場に登場するべきである。
見たところ、実質の仕事は2カ月もあれば済みそうな程度だ。工事が「遅れた」というよりは、「取りかかっていなかった」というのが正解だろう。
ともあれ、「新居を購入したばかりの我々に対する配慮はゼロ」で、自分の不満を延々とぶちまける姿勢が、すでに問題だ。人の気持ちを思いやる余裕が皆無である。だいたい、いくら大変だからって、新居購入は基本的に「めでたい話」のはずなのだ。こうも水を差されては、むしろ不愉快だ。
「あなたのお気持ち、わたしもよ〜く、わかりますわ〜(どこかで聞いた台詞だな)。でもね、ここはインドでしょ。そりゃあ、アメリカや欧州とは違いますよね。わたしは日本人ですから、より細かいところに、実は神経質ですよ。でも、インドじゃ、そんな自分自身の尺度は通用しませんものね。
インドで、予定通りに物事が進むはずもないことは、あなたもご存知でしょう? ワールドクラスの概念が、ようやく現れ始めたばかりのインドだと思うんです。だから、わたしたちのように海外で暮らした人間には耐えられない部分もあるけれど、インド国内を基準に考えると、ここは非常にすばらしい物件だと思いますよ。
こう言ってはなんですけど、全くもって話しにならない物件も、インドじゃたっぷりあるんです。わたしも、インドでいろいろなお宅を拝見してきましたけどね。
トイレの便座がお嫌いなら、安くでいいものが買えますよ。わたしたちも、買い替えるつもりです。あと、キッチンの不具合、これは多分蝶番(ちょうつがい)の問題ですから、部品屋で購入して取り替えてもらうだけで解決します。なんなら、お店をお教えしましょうか?
ああ、ここにプロパンガスを入れたかったのですか? これも入らないのですね。確かに醜いですね。でも、ここに入れない方がいいですよ。万一ガス漏れが起こったことを考えると。ホースを長くして、ユーテリティールームに置けばいいんですよ。屋根もあることだし。ずいぶんすっきりしますよ。
引き出しの傾き? ああ、これはカーペンターの仕事が悪いですね。でも、この角度をちょっとかえてもらうだけで、きちんと戻りますよ。付け替えるのに30分もかかりませんから。うちのカーペンター、紹介しましょうか?」
わたしはまるで、インド新居移転コンサルタントのような気分で、彼女が文句をいう一つ一つに、言葉を返す。返さずにはいられなかった。
文句ばかりを言って、前向きな解決策を自分で考えようとしない受け身な姿勢が嫌いなのだ。そんな人物が、自分との関わりのないところで存在してくれる分には構わんが、目の前に現れてぶつぶつ言われると、終いには黙って聞いていられなくなる。
自分が最も被害に遭っていて、自分が最も迷惑を被っているのだと声高に叫ぶ人は、その主張をすることで、他人にも不快を与えていることに気づかない。
最初は、神妙に相づちを打っていたアルヴィンドも、やがてはうんざりとした顔をしている。
「ずいぶんとご不満が多いようだけれど、でも、ここにもいいところはあるでしょ? 水漏れもないみたいだし、静かだし」
そう言うと、彼女はハッとしたように、口をつぐんだ。そして言った。
「そう。ここは本当に静かで、隣の木々の緑がきれいで……。朝はいろいろな小鳥が飛んで来てさえずって、本当にいいんですよ。そう、水漏れも、幸いありませんね。騒音もまったくないし」
そう言いながら、彼女は初めて、笑顔を見せたのだった。
……長くなってしまった。この後、またインド的世界に耐えられないNRIに遭遇することになる。
現在の我が家を、我らが撤退したのちの借り手候補者が、先日、不動産業者と見に来た。現在米国在住の、NRIの若い男性。カラフルなTシャツにジーンズ。頭にサングラスを引っ掛けている。
ちなみに、インド在住の富裕層マダムやNRIの間では、カチューシャ的にサングラスを頭に付けるのが今風である。そしてブランドもののバッグなどを小脇に抱えているのである。男子も、それにならっているようである。
「ぼく、どうしてもバスルームだけでは明るくてきれいなところじゃなきゃ、だめなんですよ〜」
「でも、インドでは新築でなきゃ、そういう物件はなくて。でも、新築は狭いしね〜」
「ここのバスルームも、ちょっと、僕には厳しいな〜」
「来月は妻と息子、1歳半なんですけどね、来るんですよ。ここは、キッチンも、厳しいな〜」
と、両手で頭を抱えながら(本気で抱えていた)、悩んでいる。なんなんだ、この男は。
書きたいことは募るが、そういう類いの人々が、多いのだ。こういう人たちが祖国に戻って来て、果たしてどのようなビジネスを行い、どのようにここになじんでいくのだろう。人ごとながら、心配だ。マイハニー同様、この国になじむまで、彼らは苦労するのだろうな。
わたしはまだ、「異邦人の気楽さ」と「好奇心」で楽しみながら暮らしていけるが、NRIにとっては「近親憎悪」的な心情も少なからずあるに違いない。
さて、話がぐるぐると回るが、本日。またしても新居チェックである。今日はアルヴィンドと出かけた。例のチムニーの取り付けや、外部のグリル(フェンス)の設置職人とのアポイントメントを入れている。
チムニー屋はまたしても、時間通りに登場し、てきぱきと作業をこなしていった。まったく驚かされるというものだ。製品も、なかなかによさげである。なにしろ「生涯補償」だから、いざというときも安心だ。
夫はやはり、2階から下がっているサリーが気になるらしい。今日は土曜日。2階の住人は在宅中かもしれない。挨拶を兼ねて出向くことにした。
「絶対に、最初から文句を言わないようにしようね。この間は使用人だったからよかったけど、マダムがいたら、まずは騒音のことなんかを、ご迷惑かけますって言って、ともかくフレンドリーに接して、好印象を与えよう」
そういいながら、上階へ。
と、現れたのは、やはり30代前半とおぼしき、インド人女性。笑顔のかわいらしい、おっとりとした感じの女性だ。突然の来訪にも関わらず、「どうぞどうぞ」と部屋に通してくれる。
どんなビッチが登場するかと、かなり覚悟をしていたのだが、たいそうな拍子抜けである。ビッチはわたしの方である。
あれこれと、まずは世間話など。彼らはずっとインド在住のようだが、裕福そうな、現代的な一家である。彼女はグラフィックデザイナーだとのこと。ひとあたりがよく、感じもいい。このアパートメントを気に入っているようで、あれこれと自分たちで改装していることがよくわかる。
「入居前の工事は6カ月も遅れましたけれどね。カーペンターは自分たちで手配しました。近所に住んでいましたから」
こちらは、6カ月の遅れでも、まるで6日の遅れのような顔をして語る。しかし、なにをどうやったら、半年も遅れられるのだ? わからん。
しばらくののち、彼女から口を開いた。
「ひょっとして、洗濯物の件ですよね。マネージャーから聞いてます。使用人にはサリーが下がらないよう、曲げて干すように言ってるのですが、まだ下がってますか? そうですか。では、あとから下へお伺いさせてください。自分でも確かめてみたいので」
「引っ越してすぐ後は、不具合が多いと思いますから、何かあったら、声をかけてくださいね。お茶なんかも、どうぞ飲みにきてください」
いい感じの、女性ではないか。フレンドリーではないか。
なんだか、いろいろと考えさせられる、早くもご近所付き合いなのである。
それにしても、また話が長くなってしまった。ちょっとしたことなので、なんとか端折りたいのだが、詳細も肝心な気がして、書いても書いても、書き尽くせぬインド生活である。