本日、南インドの伝統絵画のひとつであるタンジュール絵画 (Tanjore Painting) を教えている先生のお宅へ伺った。ここで絵の講習を受けている日本人マダムから、見学に来てはどうかとお誘いを受けていたのだ。母もわたしも絵には関心があったので、母の帰国前にと訪れたのだった。
先生は、例のバンガロール随一のアートスクール (KARNATAKA CHITRAKALA PARISHATH)の第一回の卒業生であり、以降40年間この学校で教鞭をとっていたとのこと。現在はリタイアして、ご自身の作品制作の他、小人数の講習生に絵画の手ほどきを行っているという。
右のガネイシャ、象の頭をした神様の絵は、初心者が一番最初に手がける作品の見本。
背景の色は、各々が好みの色を選べるとのことだが、基本的にはこの見本を模写するのだという。
色彩の対照が鮮やかなのに加え、金箔の輝きが映え、とても美しい。
左の写真は、生徒さんの作品に、先生が金箔を施しているところ。
絵画の一部に粘土のような素材を塗布して立体感を出し、その部分に金箔を載せるのだ。
金箔があるだけで、絵の重厚感が増す感じである。
先生はしかし、タンジュール絵画に限らず、その他インドの伝統絵画のほか、水彩油彩の西洋絵画にも造詣が深いようで、バラエティに富んだ作品の写真集を見せてもらった。
上の大きなクリシュナ神の絵画も、先生によるところである。
右下の写真は、インドの伝統的なパフォーマンスであるところのパペットを絵画にしたもの。写真左は、それを模写している受講生。
このパペットは、数百年前からインドに伝わるもので、オリジナルは革の上に描かれているものだとか。大きいものは等身大ほどもあるという。
パペットの写真もまた見せていただいたところ、横顔でありながら、両方の目が描かれているものがいくつもある。その雰囲気がピカソのキュビズムの作品と非常に似ている。その旨を先生に伝えたところ、ピカソはこのパペットを知人を介して教えてもらい、この表現方法に着想を得ていたとのこと。
真偽のほどは定かではないが、歴史から言えばパペットの方が非常に古く、それが実話だとしても不思議ではない。
左の写真。こんなところに載せるのも厚かましい感じだが、19歳のときに描いた絵だ。
たまたま昨年末、日本に帰国したとき、自宅にかけられていたのを懐かしく思って写真におさめてきていた。
大学1年のときの春休み。
翌年の米国1カ月留学を目指してアルバイト三昧の日々だったのだが、アルバイトが休みだったある日、何を思い立ったのか、家にあった曼荼羅の絵を見て、まねして描いてみたのだった。
その曼荼羅を買って来ていたのは、当時高校生だった妹である。
曼荼羅を衝動買いする高校生の妹。
その曼荼羅を衝動的に描きたくなる女子大生の姉。
なかなか味わい深い姉妹ではある。
この曼荼羅、そのまま模倣するのもなんだと思い、半分はオリジナルである。オリジナリティの出し方が、「自分の名前を書き込むところ」というのが、あまりにも陳腐なアイデアで、今見ればかなり恥ずかしいが、ま、古い話だ。高校時代の残りの絵の具を用い、丸一日で描き上げたわりに、色あせず、きちんと残っているものである。
学校の、美術の時間の延長気分とはいえ、絵を描くということは、多分好きなのだと思う。ただ、きちんと習ったこともないし、描き続けたこともない。が、こうして描いている人たちを目前にすると、描いてみたいという気持ちがふつふつとこみ上げて来る。
ピアノをやりなおしたい。インドの古典舞踊を習いたい。文章もきちんと著わしたい。書道も再び始めたい……。
あれこれやりたいと言っているうちにも、時間はどんどん過ぎていく。さらさらと握れば指のあひだより落つ砂のごとく、諸々が、ざあざあとこぼれ落ちて行く。
かすかにでも、手のひらに残るものが、輝いていれば。自分にとって意義あることを、掴んでいれば。
仕事も趣味も、もう少しバランスよく時間を割いて、何か形に残していきたいものである。
さて、絵画教室見学のあとは、ランチを食べにTaj West Endへ。
それから母の散髪&髪染めのため、SPA.CEへ。
3カ月の間、毎月1回、計3回、きちんと髪を切り、髪を染めた。
母を待つ間、わたしはマニキュア&ペディキュアなどをしてもらう。
さて、明日は母のお友達を招いてのティーパーティー。
お出しする菓子などを求めたあと、帰路についたのだった。
インドに来て3カ月。毎日が非日常の中で過ぎて行った。今日もランチへ……。
ホテル内のベトナム料理店へ。
緑あふれるその中で、味わう料理もおいしく、またも思い出のページが増してゆく。
ひとときがすぎ、ホテルの庭を散歩しながら帰ろうと歩き始めたその瞬間、鳥の鳴き声。
見上げると、樹々のこずえをかけぬける、一羽の青い鳥。
まさしく青い鳥だ!
幸福の青い鳥。
心に焼き付いた。