「今日のランチは、寿司を食べようよ」
打ち合わせのない今日、朗らかに夫が言う。
寿司は一緒に食べようねと約束していたのに、待ちきれず、実は昨日、一人で食べていたのだ。が、昨日食べたと言うわけにもいかず。昨日立ち寄った、カジュアルながらもなかなかにおいしかった寿司屋へと再び赴いたのだった。
日本の食料品店やBOOK OFFなどがある41丁目、マディソン街(Madison Ave.)と五番街 (Fifth Ave.)の間にあるその寿司屋。入り口はデリ風で日本の弁当が売られており、奥がこぢんまりとした寿司屋になっている。
そんなわけで、二日連続寿司ランチである。二日連続でも、それはそれでウェルカムである。
各々、握り寿司の他、前菜として海藻サラダやサバの塩焼きも頼む。
「格別の味」というわけではないが、しかしインドで「寿司刺身なし生活」を送っている身にしてみれば、かなりいける味である。
写真を見ていただくとお分かりの通り、ネタがやたらと大きい「ニューヨーク的」な寿司である。
日本の寿司職人が見たら嘆くかもしれんが、一口では食べられぬ、これがニューヨークの典型的な寿司だ。
わさびやガリもたっぷりと。無論この店のそれらは控えめではあるが。
ともあれ、アルヴィンドも喜んで食べていた。
「アマエビ、ハマチ、チュウトロ、バッテラ、ミルガイ、タマゴ、サケ……」
と内容物を日本語で的確に確認している。日本語はほとんどしゃべれない癖に、食べ物の名称だけはしっかりと覚えているところが相変わらず憎い。淀みなく「チュウトロ」「バッテラ」「ミルガイ」などと言ってのけるあたり、特にポイントが高い。
ランチを終え、ダウンタウンまで散歩することにする。と、シティライブラリーの前でフィルムの撮影が行われている。何の撮影? と聞けば、SEX AND THE CITYの映画。
HBOのドラマシリーズでおなじみの人気番組。日本でも放映されていたからご存知の方も多いだろう。あまりテレビを見ないわたしだが、このシリーズだけはくまなく見た。再放送も繰り返し見るほど、何かしら好きな番組だった。
その詳細を書き始めると長くなるので割愛するが、ともあれ、その映画版が来年公開されるそうで、その撮影である。インドでも上映されるかしらん。ちょっと無理かしらん。なんとしても、見たいものだ。
ちなみにリムジンの中にいる「キャリー」の顔をちらと見ることができた。なんだかうれしかった。
ニューヨークに住んでいたころは、週末、二人でよくこうして街を歩いたものだ。アルヴィンドがMBAでフィラデルフィアに住んでいたときも、就職し始めてワシントンDCに住んでいたときも、彼がニューヨークを訪れる週末、ダウンタウンまでいろいろなルートを経て、日がな一日歩いた。
コリアタウンを通過し、チェルシーを経由し、ユニオンスクエアへ向けて歩く。いつも立ち寄っていたABCカーペットでお茶休憩。ここにもお気に入りのベーカリー、Le Pain Quotidienがあるのだ。
ベルギー発のこのベーカリー&カフェ。ニューヨークに来るたびに立ち寄っているのは、これまでも何度か記した通りだ。オーガニックの素材を用いたサンドイッチやサラダ、パンが味わえる。店の雰囲気も、学食のような感じながら、木の温もりがやさしげでいい。
わたしは甘みが控えめの爽やかなレモネードを、アルヴィンドはホットチョコレートをオーダー。ランチをたっぷり食べたというのに、巨大なマドレーヌまでも注文し、お腹いっぱい。今日の夕食は不要のようだ。
ABCカーペットには、なぜかガネイシャ像がいたるところに。アジアンテイストなインテリアグッズが増えていた。ガンディの人形までもある。
ユニオンスクエアを過ぎ、ヴィレッジを通過し、ソーホーまで歩く。途中でガンディ像を発見。今までもよく通っていた場所なのに、今までは気づかなかった。ワシントンDCのマサチューセッツ通り、インド大使館付近に大きめの像があるのは知っていたが……。
ソーホー。ブロードウェイ沿いを歩く。見慣れた店。新しい店。かつて有名なジーンズショップがあった場所に、ユニクロができていた。広大なロフト。多彩な商品群。
ユニクロと言えば大学時代を思い出す。
シーモール下関にあった、やや野暮ったいカジュアルブランドの店だった。
山口県拠点のメーカーが、いつしか世界のユニクロになっている。
数年前、ロンドンでも見かけたが、ニューヨークにもこんなに大きな店舗を持っているとは。
あちこちに、ふらふらと立ち寄りつつ、買い物などをしているうちにも、あたりは夕闇に包まれて、しかし夕食はやはりはいらない。
ちょっとどこかでカクテルでも飲んで帰ろうということに。二人して、「プラウダ」を思い出し、マティーニを飲みに行くことにした。
一度目は、忘れもしない、2001年の10月。
断腸の思いでグランドゼロへ足を運んだあと、ここでマティーニを飲んだのだった。
地下の洞窟のような、独特の親密さがあるバー。
深いソファーに身体をうずめて、強いマティーニを飲みながら、彼も無口。我も無口。
2001年の7月に結婚したあとも、しかしわたしたちはニューヨークとワシントンDCの二都市で別居生活をしていた。わたしはどうしても、ワシントンDCへ移る気にはなれずにい、同居を先送りにしていた。
あの9/11に、あんなことが起こらなければ、わたしはずっとニューヨークにいただろうか。あのとき、小畑さんが重い癌だとわかったあの事実がなかったら、わたしはずっとニューヨークにいただろうか。
そういう仮定の延長線上に思いを巡らせるのは意味のないことだとわかってはいるが、しかし、考えてみずにはいられない。
小さな分かれ道、大きな分かれ道が積み重なって、今の自分にたどりついている。
そのときどきで、懸命に考えたことを、無駄だったと思うべきではないだろう。自分なりにそれなりに、無我夢中だったときのことを、温かく見守ってやるべきだろう。
選んだ道が、すべてだった。だからそれが正しかったのだと。
なにかが間違っていると気づいたら、選び損ねたと悔やむのではなく、この道から未来へ向けて枝分かれしている更なる道を、また選んで行けばいいのだ。それはまた、別の道から合流している道かもしれず。
引き返さなくても、やりなおさなくても、少々遠回りになる程度だ。追いつきたいなら少し速く歩けばいいだけだ。その実現が難しくても、せめてそういう心持ちで。
日常から逸脱した場所で、日常に溶け込んでいる自分を俯瞰できる。思いを過去現在未来に行き来させながら、自分たちをより客観的に。
彼もわたしも、結局脳裏の大半を占めているのは、自分たちの仕事のこと。特に夫には、大いなる可能性がある。その分、無数の分岐点がある。
時に渦中から脱して、澄んだ目で自分を見つめ直すことが大切だろう。旅はそれを、させてくれる。
あのとき、自分の書いたメールマガジンを読み返した。あのころの心境が、鮮やかに蘇って来る。やっぱり、あのときが大きな分岐点だったと改めて思いつつ。
やっぱり、ニューヨークに来てよかった。