●インド生活3周年となりて
11月10日はインド生活3周年記念日だった。
「石の上にも三年」な成果を、今のわたしたちは得られているだろうか。徐々には向上していると思うが、まだまだこれからだという思いのほうが強い。
この、スピード感に満ちた時代にあって、しかしこの国で事を成すことの、時間がかかることといったら。三歩進んで二歩下がるならまだしも、三歩進んで四、五歩下がらねばならないことさえ、珍しくない。
慌てず騒がず、時季を見計らい、着実に事を運ぶことの肝要。
インド以前に生きてきた世界は、別世界。そのことを心底理解して、なじむまでには時間がかかる。
3年経った今、わたしもずいぶんと、この国の流儀 <無論、地方によってまたそれは多様に異なるのだが> に慣れて来たつもりで、しかしときに、落とし穴に落ちる。
日本人としてのわたしよりも、それはインド人であるところの夫の方が、相変わらず、苦悩している。
先日、NHKの「インドの衝撃」の感想レポートを記したときにも触れたが、NRI(印僑)たちがこの国の経済の、大きな牽引力となっている、その積極的な側面ばかりが現実ではない。
子どものころに故国を離れ、先進諸国で教育を受け、仕事をし、一流企業の快適なオフィスで仕事をし、美しい住宅に住まい、滑らかなハイウェイに高級車を走らせ、そのような人々が、「愛国心」というきれいごとだけで、最近でこそ成長を遂げているとはいえ、立ち後れたこの国で、常時円満に仕事を、暮らしを、遂行できようはずがない。
「インドの家族や親戚と過ごせる」「子供のために母国の文化を伝えたい」「祖国の経済成長に貢献をしたい」といった「正」の部分を、この国の「負」の部分は、凌駕してあまりある。ということに、時を隔てて帰国し、日々を過ごす中で、気づき、打ちのめされる人も少なくない。
だからこそ、再びまた、故国を離れる人たちがいるのだ。
わたしたちにしても、「半年間はお試し期間」をキャッチフレーズに、米国を離れた。尤もわたしは、最初から半年で米国に戻るつもりなどまったくなかったが、夫にとってそれは「命綱」のような、一つの選択肢であった。
そしてその思いは、この3年のうちに、消えてしまったわけではない。
米国の経済が不安定な昨今、母国に凱旋するNRIたちは、このところ一段と増えている。そんな彼らに先駆けて、3年前に戻って来たことを、わたしは正しい選択だったと信じている。
しかし、夫にしてみれば、受け入れがたい環境がそこここにある。この国は、少なくともわたしたちにとっては、生半可では立ち行かない、試練が少なくないということを、日々、味わっている。
3年が経とうとも、まだまだインド初心者の思いは変わらず。この地にどっしりと根を張るのは、なかなかに難しい。だからこそ、チャレンジのし甲斐があるのだが。
●スケジューリングの女王の血が騒ぐ。
さてさて、日本帰国も目前。各方面との会合の段取りを、着々と進めている。それにしてもインターネットとはなんと便利なものだろうかと、しみじみ思う。
電子メールがなかったら、一時帰国といっても、首尾よく計画を立てることはできなかっただろう。
それにしても、予定を立てながら、久しぶりに「スケジューリングの女王」(と、東京での編集者時代に誰かがそう呼んでくれていた)の血が騒ぐ。
たとえば、19日の朝、RKBを訪問する。場所は福岡タワー。自宅の名島からバスでどのくらいかかるのだろう。と、西鉄バスのサイトを開いてみた。
自宅前のバス停、それから目的地のバス停の名を入力すると、なんと自宅前のバス停に、何時何分にバスが到着して、何時何分に目的地に到着しますと出てくるではないか!
電車ではなく、バス。渋滞やらなんやら、不測の事態がありがちなバスに、そんな「分刻み」なスケジュールが提示されているなんて。それをインドからチェックできるなんて。
いや、日本ではそれがあたりまえなのかも知れぬが、インドでは、考えられない。アルヴィンドに話したら「異なる惑星の話のようだね」とひと言。本当にそう思う。
米国でさえ、こんなオンタイムな運行はありえない。日本ならではだ。
こうなるともう、その後の予定もすべて、時刻表で確認したくなる。「分単位」で時刻をスケジュールノートに書き込むなんて、なんて久しぶりのことだろうと、新鮮である。
●インドの家庭料理について、ちらっと書いた。
インドチャネルというウェブサイトに、前回の「衣」に」続き、「食」をテーマにインドを書いた。文字量の制限上、かなりシンプルな内容となっているが、関心のある方は、お読みいただければと思う。記事はこちら(←文字をクリック)。
●日々の、取るに足らぬ断片。
いろいろと、書きたいことは募れど、時は瞬く間に過ぎていき、さほど取るに足らない写真だけが、残されている。取るに足らぬが、せっかくだからいくつかを載せようと思う。
■近所へ買い物に行く途中に出合った野良猫。インドでこんなにこぎれいな野良猫は珍しい。近寄っても逃げない。かわいい。
■17階の我が家の窓から、羽を傷めた弱った蝶が、舞い飛んで来た。韃靼海峡を渡つて行つたてふてふ、ほどではないにしても、こんな高いところまで飛んで来て。花はないので、スイカの切れ端を差し出してみたら、弱々しく、羽を開いたり閉じたりするばかり。チョウはやっぱりスイカは好まぬか。スイカを好むのはカブトムシだった。しばらく、そのまま休ませておこうとデスクで仕事をしていたら、数時間後、デスクのあたりまで飛んで来て、わたしに挨拶をして、それからダイニングルームの窓から外へ飛んでいった。
■インドの人たちは、姿勢がよく、歩き方のきれいな人が多い。手足が長く、人間としての形が、とても美しい人をよく見かける。今日は目の前に、やはりとてもきれいな形をした人を見た。どんな服をも着こなせそうな様子に見惚れる。ああ、なのに30歳を過ぎたころから、みな一様に大幅増量してしまうのが、人ごとながらもったいない限りだ。
■日本のクライアントに頼まれて、ボリウッド映画のDVDを数本購入。シャールク・カーン主演の"Om Shanti Om"も買った。荷物になるから、DVDだけを送ってもらえれば、ということだったが、ポスターなどおまけ付きの豪華装丁ものしかなかった。それにしても、シャールク・カーン。この姿はどうにも、いただけない。わたしと同じ43歳で、ここまで腹筋を鍛え上げた努力はすばらしいと認めるにしてもだ。なんか、見たくない。暑苦しい。「ほらほら、もうわかったから。ちゃんとシャツを着て! 服のボタンを留めなさい!」と言いたくなるのは、きっとわたしだけではないはずだ。
■自宅から、ナリマン・ポイントへ向かう途中の信号待ちで。ふと外を見れば、黄色が鮮やかな車。よくよく見れば、三菱ランサーと、地味な車ではあるのだが、この長方形の風景はしかし、「ん? ここはカリフォルニア」と思わせる爽やかさ。写真だけではだめだ。真実を伝えきれないといつも思う。言葉だけでも、だめだ。音や匂いや喧噪や、五感すべてで感じてこその。百聞は一見にしかず、をどこまで文章で補えるのだろう。
■先週末の夕食時、久しぶりにサリーを着用。やっぱり絞りのサリーは着心地がよい。先日のさくら会のときに着用した(←文字をクリック)のと同じサリーだが、光の具合によって風合いが違って見えるのもまた魅力。日本へサリーを持って帰ろうかと思ったが、着ていくところがないし、ひと月遅れのハロウィーンと間違えられても困るので、今回は持ち帰らぬことにした。第一、寒いしね。天神を、サリーを着てうろうろ歩いていたら、目立って仕方がないだろうし。
■アーユルヴェーダのクリニックの近くの建物。ペンキ屋の壁らしい。壁そのものが、「色見本」になっている。景観などどうでもいいようだ。ダイナミックで、おもしろい。あまりにも、インドすぎる。