ここ数日、体調が優れず。
更年期障害と思しき症状につき、こればかりは、いかんともしがたい。
日本への一時帰国を前にして、気持ちは急くのだが、身体がついていかない。
そんなときはもう、思い切って休むべし。
というわけで、よく寝た。
身体の声に耳を傾けての、休養も大切だ。
夫に頼んで買って来てもらったココナツウォーター。
天然の、点滴。
不調の身体に染み渡る。
さて、今朝は完全に復活だ。
明日には義理の両親もデリーからやってくる。
「嫁する週末」を送るべし。
ごろごろと、実は12個も買って来てくれた。
それでは飲み過ぎ。身体を冷やしすぎてもよくない。
にも関わらず、
「美穂、ココナツウォーター、飲みなさい」
と、ひっきりなしに、持って来る夫。
夫なりの「看病の形」と思えばありがたいが、
「トム・ハンクスは、これで生き延びたんだよ!」
と、映画『キャスト・アウェイ』の話まで持ち出し、たいそう大げさだ。
ここは南海の孤島ではないし、
わたしは漂流者でもない。
サロン・ド・ミューズのある日には、
タルトを焼くにも型を使わず。
20名を超えると、オーヴンぎりぎりのサイズで焼くのが効率的。
というわけで、シリコン製のクッキングシートに、
タルト生地を直接載せて、伸し、焼く。
ちょうどゲストが来るころに焼くと、
家中にいい香りが立ちこめて、
食べる前から、幸せのお裾分け。
タルト生地が冷めるころに、ティータイム。
夕べのうちに作っておいたカスタードクリームを塗る。
生クリームを泡立てて、塗る。
マンゴーも、イチゴもない今の時期。
見栄えは地味だし、廉価だし、あまり有り難みのないバナナ。
しかし年中、役立つフルーツだ。
なにしろ、インドのバナナはおいしいから。
いつもなら、ザクロなどで彩りを添えるが、
今日はもう、面倒だ。
たたたたたたた〜っとスライスをして、
ざざざざざざざ〜っと並べて、
ひたすらの、ひたすらの、バナナ・タルト。
義理の両親もサロン・ド・ミューズを見学。
歌を聴き、折り紙作りを眺め、お茶を共にし、
とても楽しんでいた。
義姉の家、バンガロールクラブでの滞在を経て、
デリーへ戻る前に再び我が家へやってきた、
ロメイシュ・パパと、その妻ウマ。
我が家の心地よい庭で過ごし、バンガロール最後の午後をゆっくりと過ごす。
嫁は朝からランチの下ごしらえ。
鶏肉を捌き、
身の部分はオリーヴオイルと塩こしょうでマリネ、
ボディの骨部分は、スープにするため、ことことと煮る。
手間をかけずに、おいしい、ヘルシー。
食事の前に、スープの味を整え、
ガーリックと玉ねぎを炒めたところにチキンを入れて炒め、
ジャガイモはエアフライアーでヘルシーにフライドポテト、
そしてインゲンとベビーコーンを蒸す。
外食続きだったらしいから、
素朴で胃にやさしい味付けを。
おいしいランチタイムでありました。
金曜の朝、チェンナイからバンガロールに戻って来た。
その夜から南アフリカへ出かける夫の荷造りを手伝い、この日は小人数だったサロン・ド・ミューズにて、バザールの片付けをするつもりが、お茶を飲みながら語り合い、そして昨日は雑事や、ゲストのお迎えで、一日を終えた。
ゆっくりと書き綴ろうと思いながら、今日もまた外出で、しかしあの日の服装のことを尋ねられるので、記しておこうと思う。
茶会のご招待を受け、現実的に戸惑ったのは、服装のことだった。デイドレスやワンピース、スカートのスーツ。指定された服をもっていない。サリーも着物も着られない。パンツスーツもだめ。黒、灰色、紫も避けねばならない。仕立てるしかないだろうと思っていた。ムンバイへ赴く前夜、お気に入りのテキスタイルショップに立ち寄ろうと思った矢先、ふとひらめいた。
ロフトの階段を駆け上がる。インドでは着用しないが一応保存している服をしまっているクローゼットを開く。あった! やっぱり、これだ! 急いで着てみる。取り敢えず、はいった!
今から20年ほど前、亡父が買ってくれていたドレス(ワンピース)。20代のわたしにはどうにもおばさん臭く、「いらないよ」と言うのを、父と母に勧められ、なぜか買ってもらっていた。そんなことは、あとにも先にもこのとき限りだった。
当時、父親の事業はうまくいっておらず、経済的にも不安定だった。なにかを買ってもらいたいという欲求などなかった。そもそも、20代のわたしにとって、その高価な服は身の丈に合っていなかったし、第一、着て行く場所もない。それでも、なぜか、買ってもらっていたのだった。
しかし、案の定、袖を通す機会はなく、歳月は流れた。
30代に入り、ニューヨークへ渡り、アルヴィンドと出会い、二人で赴くパーティに着てみようかと試してみたら、夫から「それ、老けて見えるからやめて」と言われた。そうだよね、と着替えた。以来、ニューヨーク、ワシントンD.C.カリフォルニア、インド……と、わたしとともに、ついてきた。他の服はどんどん処分したけれど、これだけは、一緒だった。
そして、ついには20年の眠りを破り、出番が登場したのだった。ずいぶん長いこと、お待たせした。亡父もきっと、喜んでいることだろう。
48歳のわたしには、最早、「老けて見える」もなにもなく、普通に、似合っている気がする。夫もまた、「オールドファッションだけど……悪くないね」と、好意的だ。
先日の日本帰国時に生まれ変わった約40年前の祖父の腕時計。義母が結婚の際に身につけていた約45年前のバングル。夫の父方の祖母が結婚の際に用意したという約80年前のエメラルドとパールのジュエリー。そして、父が存命中に、母にプレゼントしていたバッグ。
そういう家族の思い出に包まれて、守られて、あの晴れがましい日を迎えたのだった。
茶会のあと。チェンナイの湿気と、自らの興奮による「蒸気」のせいで、髪が跳ねてしまった。茶会前、必死にブローして、まっすぐだったのに。ネックレスもずれてしまった。
久しぶりに、朝8時過ぎまでゆっくりと眠り、
急かされることもなくのんびりとした朝を迎えた。
自分ちでもないのに。
昨日の午後、デリーの実家に到着。
先月訪れたときには冬だったのに、
今はもう、夏の始まり。
今回は3泊4日。仕事ではなく、初の甥に会うために、来た。
★ ★ ★
ここしばらく、濃いめの日々が、続いていた。
久しく手がけていた一大プロジェクトを納品し、
ハッピー・ホーリーで春を迎え、
数日ゆっくりしようと思いきや、
ロイヤルエコーの開催が早まり、司会の準備。
金曜日は、ミューズ・クリエイションのセミナーをやって、
コンサートも大盛況&大成功で、
達・成・感の祝杯を挙げた翌日土曜日に、デリーへ。
生後1カ月あまり。まだまだ小さい! 特にインドの子供は頭が小さく手足が長いので、なおさら小さく感じる。
「今日は、頂きもののチリ産のワインがあるよ」と、カベルネ・ソーヴィニョンのボトルを差し出すパパ。喜んでコルクを抜く嫁。
毎度おなじみ、マルハン実家のシェフ、ケサールによる優しく素朴な北インドの家庭料理。チキンカレーが美味であった。 食後、戯れる父子。 パパの手とアルヴィンドの手は酷似している。すべすべ、ふわふわの触感もまったく同じ。二人揃って、箸より重いもん、持ったことないんじゃないの的な手。いや、箸すら持たないな、インド人。アルヴィンドの手は、皇后陛下に握手をしていただいた手だからなあ。無碍にはできない。
今まで多くの人々と握手をしてきたが、こんなにソフトな手を持つ人は、ごく稀である。今のところ、いい勝負だったのは、アルヴィンドの部下の青年1名。インド人の中には、たまにいるらしい、ふわふわの手を持つ男たちが。
そしておはようございます、朝食です。食卓に、懐かしき枇杷(びわ)が! 枇杷といえば、インドとも関わりのある食べ物だ。果物そのものは、中国原産のようであるが。枇杷の名前は、楽器の琵琶から来ているという説もあるらしい。枇杷と琵琶の形は似ているからね。楽器の琵琶を奏でているのは、弁財天である。弁財天の起源は、インドのサラスヴァティと呼ばれる女神だ。で、サラスヴァティが奏でている楽器は、琵琶の起源でもある、ヴィーナと呼ばれる弦楽器だ。
それはそうと、お味の方は、まあ、普通。多分食べるのは20年以上ぶりだと思う。
そして、おはようナヤンくん。実は数日前、夫の従兄弟の妻、タヌーのお母様が亡くなられた。なにしろ家族親戚が少ない一族ゆえ、マルハン家にとっても、非常に身近な存在でもある。わたしも何度か、お会いしたが、非常に聡明で知的な女性であった。合掌。
この写真は、本日の新聞に掲載された葬儀の告知。インドでは、このような告知が一般的だ。
久しく癌を患った果ての他界でもあり。ロメイシュ・パパと妻のウマは、本日午後から葬儀の行われるチャンディガールへと向かう。車で片道約6時間。飛行機の発着時間が不便なので、車で赴くとのこと。
せっかく私たちが来ているからと、日帰りで赴く予定だったらしいが、「そんな無理をしてはいけない!」と、夕べ、せめて1泊するように説得し、ホテルを予約した。1日で12時間ドライヴなんて、辛すぎる! ドライヴァーも疲れるに違いない。
というわけで、わたしは今日の午後、明日と、一人気ままに街を探検する予定。デリーの気候は今がもっとも快適な時期。のんびりと、楽しもうと思う。
義父ロメイシュと、義継母ウマが、デリーから遊びに来ている。
今年のデリーは60数年ぶりの猛暑だとかで、気温が47℃を超えている。
本来は、2週間の滞在予定だったが、
猛暑のデリーへ急いで帰ることはないだろうと、
3週間に伸ばすことを勧めた。
平日は、バンガロールクラブに滞在しているが、
週末は、今週、来週と、我が家に滞在だ。
もちろん、それ以外にも、何度か顔を合わせている。
家族との関わりが濃密なインドにあって、
夫の実母が他界していることもあり、
マルハン家は比較的あっさりしている方だ。
多少は面倒があっても、かなり気楽な方だと思う。
食事の嗜好も、夫と同じで「なんでもOK」につき、
牛肉でも豚肉でも魚でも、いつものように調理できる。
ちなみに夕べは、白菜たっぷりの味噌汁に日本米、
豚挽肉の和風ハンバーグ、そしてブロッコリーなどの野菜。
今回、お土産にもらったジュエリー。
ひとつは、マンガルスートラ。
結婚した女性が夫の身の安全を願って身につけるネックレス。
すでに一つは持っているが、大振りなので、普段は身につけていない。
ファッションセンスに長けているウマが選んでくれた、
「普段からつけられる」これ。
「これをつけていると、夫がインド人だって一目でわかってもらえるでしょ?」
先週もらって、早速毎日つけていたが、確かに、インド人からフレンドリーな対応を受ける機会が増えた。
それがいいんだか悪いんだかは別として、とても気に入っている。
そして、このイアリング!
シンプルで、しかし伝統的なイアリングが欲しかったのだが、
まさに理想的な形!
インドの女性のピアスホールは大きいので、ネジの部分が太い物が多いのだが、
これは細めだから、わたしの耳にもちょうどいい。
カジュアルにもつけられて、本当にうれしい。
ちなみに奥のネックレスが、クローゼットにしまい込まれていたマンガルスートラ。
これもたまには、身につけなければ。
家族付き合いには、それはもちろん、いろいろな事情がある。
いちいち夫と言い争いになったり、
ああもう、面倒臭いと投げ出したくなったりする。
しかし、こういう関係こそが、「人間関係」であり、
自分の思うがまま、楽な付き合い方など、有り得ないのだ。
人と関わる以上は、何らかの努力をしなければ。
歩み寄る、方法を考えなくては。
バックグラウンドの異なる個性が、ともに過ごすには、それが大切。
少なくとも、享受できているプラスの側面に感謝しつつ。
さて、いい嫁ぶっているが、相当、気ままにやれている我。
夫とロメイシュは、先ほどアーユルヴェーダのマッサージに出かけた。
わたしとウマは、午後からテキスタイルの展示会!
楽しみだ。
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昨年の秋、日本へ一時帰国をしたとき、
表参道の中古の着物を扱う店で見つけた端切れ。
布を入れる収納箱に眠り続けているのを、
ようやく起こした。
2枚を縫い付け、テーブルのセンターランナーにするつもりだったが、
ダイニングルームのカバード(cupboard)にちょうどいい。
インドの工芸品にも、よく似合う。
ちなみに上段のカップ&ソーサーは、
隣国スリランカの、ダンコツワ製。
インド移住当初、MGロードにある老舗食器店 Jamalsで購入した。
ゲスト用の小さなマグも大量に購入したが、どれも丈夫。
今でも毎週、サロン・ド・ミューズのゲスト用に出している。
もう一枚は、ライティング・ビューローの上に。
こちらも、奇しくも、脇のカーテンの色といい具合にマッチして、
とてもなじんでいる。
ミューズ・クリエイションを始めた当初は、
ミシンを購入して、
あれこれ作ってみたりもしたけれど、
このごろはすっかり、作業から離れている。
ピアノを弾いたり、
絵を描いたり、
縫い物をしたり、
そういう時間もあえて作らねば、
瞬く間に歳月だけが流れることを、痛感する。
やれやれ、課題は尽きないが、
ともあれ、目先の必要なことを。
福岡から、初インドのゲストが来訪中。
彼女は、まずアーユルヴェーダグラムに1週間滞在。
昨夜からの週末3泊4日を我が家で過ごし、
月曜日の早朝、日本へ。
今日は、ランチタイムから外出。
都会的、なUBシティでランチのあと、
ローカル、なコマーシャルストリートへ。
おなじみのFabIndiaをはじめ、
インドのローカル色があふれたテキスタイルショップなどを巡る。
その後は、グレード・アップしたブティック、シナモンでしばし買い物。
最後には、我が行きつけの小さな便利スーパーマーケット、
トムズ・ベーカリーへも訪れた。
「多様性」という言葉の概念が、
そもそも、違うのだ、日本と、インドとでは。
ということを、わずか氷山の一角の世界に触れただけでも、
実感されている様子。
インド世界の一端を、
日本の人々に「伝える立場」にある者としては、
そういう感性の鮮度を、自らもときに蘇らせるべき、
なのだということを、久しぶりに思う。
同じ言葉を、同じ所感を、繰り返すことも、大切。
このごろは、
「以前、書いたから」
と、書かなくなったことが多々あり、
しかし、読み手にとっては、そのときがすべて。
お洒落なレストランでは決して味わえない、
ローカルの食堂のチャイ。
甘みの調整はお願いできるところも魅力。
おやつに、メドゥ・ワダを。
油っこいけど、おいしいのだ。
そう、昨日、夫が出張先のフブリで食べたものがこれ。
福岡からのゲストを歓迎しているのか、
敢えて、「九州男児」を選んできた夫。ぬかりがない。
そういえば夕べの夫は、たいへんだった。
昨夜は、9時半ごろには自宅に到着する予定だった。
ところがフブリからのフライトがエンジントラブルでキャンセル。
一日にムンバイ行きとバンガロール行きが一便ずつしかない、
その地方都市、フブリ。
夫が投資に携わっているロジスティックの企業の拠点があるため、
彼はボードミーティングに出かけていたのだった。
陸路では6時間程度の距離であるが、
深夜タクシーを手配しての帰宅は危険だ。
多分、もう一泊することになるだろうと電話を切った。
その後、再び電話。
ハイデラバードから代替便が飛んで来るので、
深夜1時に出発するとのこと。
このあたりのフレキシビリティ、インドならでは、ではなかろうか。
ともあれ、空港で何時間も待たされるとは気の毒に……と思いつつ、
わたしはゲストと飲み食い語り合っていた。
そして就寝前、夫から電話。
不思議と、ご機嫌である。どうした?
聞けば、投資先企業のCEOが、
同じフライトに搭乗するため、同行していたという。
CEO氏が待ち時間の間、ご本人の豪邸に夫を招き、
彼の奥様が、おいしい料理、
そしておいしいお酒で、もてなしてくださったとのこと。
それはそれは、なんという幸運!
おいしいものを、おいしく味わえるところには、憂いなし、である。
というか、ご機嫌、である。
そして本日。
夕食後は、最後の一切れ、分厚いロールケーキを、
ど〜んと大盤振る舞い。
本当は、作ったその日に食べるのが新鮮でいいのだが、
まあ、翌日でも、それなりに。
お幸せなご様子で、よろしゅうございました。
先月受けた右上奥歯のインプラント治療に引き続き、
今週の月曜日、左上奥歯の手術を受けた。
インプラント同時埋入によるサイナスリフト。
骨移植を行ったあと、
直後に、インプラント、それも2本を同時に埋め込む。
信頼できる専門医だったので、その「最先端な施術」をお任せした。
彼の技術の秀逸さは、治療を受けながらでも実感できた。
通常ならばサイナスリフトだけで2時間、
インプラントの土台を埋め込むだけでも1時間はかかるところ、
全部を一気に1時間で、非常に的確に施術してくれた。
手術時間が短い方が身体の負担はかからない。
もちろん「拙速」ではないことは、
右上の治療のときに確認済みだ。
立ち会ったいつもの歯科医、
そして技師らも、随所で感嘆。
「ワンダフル!」「アメイジング!」
と言いながら、人々が我が口内を覗き込む。
実は凄まじい世界が展開されていたのだが。
昔から、歯の治療では苦労してきた
遺伝性「弱い歯」につき。
どんなに手入れをしても、治療を要する事態となり。
我が歯科医遍歴の数々は、
男性遍歴の数々より多い。(←聞いてない?)
サイナスリフトの治療後は「腫れる」と聞いていた。
予想通り、火曜、水曜と腫れが目立った。
左半分だけ、不機嫌な巨大リス、のようであった。
木曜の今日は、少し落ち着いた。
痛みもほとんどなく、快癒の兆し。
とはいえ、無理は禁物。
日々ゆっくりと熟睡し、引きこもる日々。
折しも、クルマが故障しておりガレージに出している。
こんなときこそ、家のメンテナンスを。
というわけで、年に一度のシャンデリア掃除を依頼。
シャンデリアの購入先が、掃除も請け負ってくれる。
これは手間ひまがかかるから、一日仕事。
まずはグラスのカヴァーをすべてはずして、洗浄。
丁寧に、丁寧に、作業は進められる。
3カ月に一度の、大型スタビライザーのメンテナンス。
やはり3カ月に一度の、洗濯機のメンテナンス。
半年に一度の浄水器の点検とフィルター交換などなどに、
まとめて来てもらうよう、手配する。
電力の不安定供給もあって、
インド生活とは、なにかと「メンテナンス」が大切なのだ。
面倒なことをまとめて片付けて、
気分もすっきり。
きらきらと、麗しい。
クリスタルから、いい「気」が放たれているようでもある。
買ったときには考えもしなかったけれど。
昔ながらの「職人技術」が生きたものは、本当にいい。
あの日あのとき、現物を見ることもなく、
メールでの画像のやりとりだけで、
これを買おうと決めた自分は、本当に「買い物上手」だった。
高価なアートなどで壁を飾るのを躊躇したが上の、選択だった。
結果的には、これがあるだけで、家の運気があがっている気がする。
さあ、明日はサロン・ド・ミューズ。
先ほどは、カステラを32人分焼いた。
カステラの端もたっぷり取れる、贅沢サイズ。
久しぶりに「沈黙を破って」楽しもう。