昨今の高度経済成長の波に乗るどころか、取り残され、あるいはその労働力を搾取され、貧しい生活を強いられている数多の人々。彼らのために、なにができるだろうかと、昨年末より時折考えて来た。
OWC (Overseas Women's Club: バンガロール在住の外国人女性によって構成されているクラブ)が支援している二十を超える慈善団体の説明会へ赴いたのをきっかけに、まずはOWC日本人会員へ向けての説明会を行った。
それから、ルーベン牧師によるストリートチルドレンに関する講習会に出席した。さらには、自分の目で現状を見たいと思い、アガペ・チルドレンセンターへ赴いた。
その後、西日本新聞の記事に併せる写真を撮影する目的で、近所のスラムへも足を運んだ。
やはり、見ると聞くとでは、まったく印象が異なる。百聞は一見にしかずの言葉通り、まずは自分がそれぞれの「現場」を訪れた上で、できることを考えることが実践的だと思い至った。
とはいえ、誰もがわたしのように、身軽にあちこちへ赴けるわけではない。従っては、わたし自身が仲介となって、なにかをしたくてもなかなかきっかけを掴めないでいる人たち(特には日本人)を対象に、「チャリティ・ティーパーティー」を催すことにした。
●一日(朝11時より午後4時頃まで)我が家をオープンハウスにし、お茶とお菓子を出し、社交の場として利用してもらう。
●参加者には100ルピー以上の参加費を支払ってもらう。茶菓子の実費を除いて、集まったお金は、寄付金もしくは寄付する品々を購入するための資金とする。
●慈善団体へ寄付するべく、家庭での不要品(衣類やリネン、玩具、文具など)を、持って来られる人には持って来てもらう。
●慈善団体で制作されている手工芸品を販売する。
●希望者に、OWCが支援している慈善団体の説明を行う。
といった内容で、来月中旬に一度行う予定だ。
まず、一回目の会合で得た寄付金や寄付の品々を、どこへ届けるか、あらかじめ決めておきたい。先日のアガペ・チルドレンセンターに関しては、先日西日本新聞に記事を書かせてもらったお礼として、個人的に子供たちへギフトを渡す予定だ。
従っては、他の組織を対象としたい。さあらば、別の慈善団体を見学する必要がある。というわけで、昨日、我が家から数キロの近距離にあるスラムに位置する慈善団体 (NPO) の一つ、クレセント・トラストに電話をした。
電話に出たのは、団体を運営しているジョセフ氏だった。アガペ・チルドレンセンターのルーベン牧師同様、話し方がやさしく丁寧で、きれいな英語を話す男性だ。思い立ったら吉日とばかりに、「これから伺ってもいいですか?」と尋ねたところ、明日にしてほしいとのこと。
場所について確認したところ、クレセント・トラストあるスラム界隈は道が悪いので、車では進入できないという。地図を頼りに大抵はどこへでも出かけるようにしているのだが、そうはいかないらしい。ついては、指定の場所まで車で来てほしい、そこまでオートリクショーで迎えにいきますから、という。
そんな次第で今朝。約束の時間より15分早い10時45分に待ち合わせ場所に到着したわたしは、早速ジョセフ氏に電話を入れる。ジョセフ氏曰く、
「これからオートでそちらに向かいます。今から10分程度で着きますから、待っててください。わたしは、白いシャツを着た、フレンチビアード(フレンチ髭)の男です」
と、彼は目安になるように特徴を言ってくれるのだが、界隈はムスリムのエリア。白いシャツの人、フレンチ髭(あご髭)のある人はたいそういて、彼の方からわたしを見つけてもらった方が早そうだ。
ほどなくして、彼は現れ、やはりわたしを見つけてくれた。
車が入れないわけではないが、オートリクショーが走るばかりの凹凸が激しい、砂塵舞い上がる道を行く。移動している間にも、自己紹介を含め、ジョセフ氏にあれこれと話を聞きたいのだが、周りの喧噪と時折の凹凸による衝撃とで、会話もとぎれとぎれだ。
突如、悪臭が漂って来る。聞けばその界隈は、皮なめし業を行う人々が住むエリアだと言う。更に進むと、今度は材木がいたるところで積み上げられたエリアが現れる。軒先で家具を作っている人もいる。ここで製造された家具は、市内の専門店に卸されるのだという。
高級住宅街を数百メートル抜けた先に、まるで異次元の世界のように広がる、この広大なスラムエリア。無論、スラムと一言でいってもそのグレードにはさまざまあるようで、たとえばこのエリアは「きちんとした屋根のある住まい」が立ち並んでいる。
他地区で見られる掘建て小屋よりは、まだかなりましな気がしないでもない。
この辺りのインフラストラクチャーだが、電気はそこそこ届いているものの、水道水が足りないという。ということを話している先から、給水車が目に飛び込んで来た。色とりどりのバケツを携えた人々が、水を求めて集まっている。
ジョセフ氏はスリランカ出身のスリランカ人。お茶のビジネスで、1980年代にバンガロールへ移ったという。やがて妻となるシエラという女性に出会い、結婚。このクレセント・トラストは、シエラが「スラムに暮らす女性たちのために」1990年に設立したのだという。
しかしながら、身体の弱かったシエラは十年ほど前に他界。このスラムのことを何よりも気にかけていた彼女の遺志をついで、ジョセフ氏は今もスラムの人々の面倒を見続けているという。
「わたしたちに、子供はありません。妻を失った後、わたしの人生は、希望のあるものではなくなってしまいました。そんな自分の人生の残りを、わたしはこのスラムに捧げようと決めたのです」
この非営利団体は、各方面からの寄付金などを少しずつ受けているが、現在は主に、あるドイツ人女性の支援によって成り立っているとのこと。
そもそも、ドイツの大手企業BOSCHの駐在員夫人として訪れた彼女は、このスラムの存在を知り、寄付やヴィランティア活動を行うなど運営を手伝うようになった。帰任した現在も、一年のうちに1、2カ月をバンガロールで暮らしながら、組織の運営に関わっているのだという。
さて、オートリクショーを下り、ジョセフ氏に導かれるがまま、路地に入る。スタッフの一人である女性が迎えに来てくれ、3人で歩く。
路傍で洗濯をする人、野菜を売る人、子供たち、みなが笑顔で、ジョセフ氏に挨拶をする。そしてわたしにも笑顔を見せてくれる。ジョセフ氏が「写真はどんどん撮ってもいいですよ」というので、遠慮なく、挨拶をしながら撮らせてもらう。
このスラムの人たちも、やはり写真を撮られることが好きなようで、みなよりいっそうの笑顔でカメラを見つめてくれる。
写真だと比較的整然と見えるエリアだが、牛が行き交い糞を残し、あるいは開いたままの側溝から悪臭が漂い、なかなかに汚い。しかし、「ドブ(溝)」にまだ蓋がされていなかった昭和40年代に生まれ育ったわたしには、定期的に「ドブさらい」を手伝っていたわたしには、何やら懐かしい光景でもある。
それにしても、スラムの人々の「洗濯にかける情熱」は、かなりものだ。市井では、サリーをはじめとするカラフルな衣類を路傍の大きな石の上に広げ、時にごしごしと、時にパンパンと石に打ち付けながら、洗濯に精を出す女性たちの姿をいたるところで見かける。
貧富の差を問わず、インドの、特に女性たちの「衣類にかける情熱」もまた、かなり高いと感じる。貧しい人たちですら、鮮やかな彩りのサリーやサルワールカミーズを身にまとい、頭には花を飾り。
途中、大きな井戸から水を汲む女性たちに遭遇する。この水は飲用ではなく、やはり洗濯用なのだとか。なにやら活気溢れる日常の光景である。
ジョセフ氏に聞いたところ、このスラムに住む人々の1日あたりの世帯収入は平均して300ルピー。月に20日働いたとして月収6,000ルピー。約150ドル、約17,000円といったところか。
男性の職業は主にはクーリエ(配送業、運転手など)で、女性たちは工事現場での土木作業従事者が多いのだという。1日1ドル以下の超低所得者層も少なくないインドにあって、このスラムは比較的上位といえるかもしれない。
途中、ドアが開け放たれた殺風景な家の中から、テレビの大画面が見えた。ブラウン管テレビではあるものの、我が家のテレビよりも大きいサイズだ。親戚が少しずつお金を出し合ってテレビを買うケースも少なくないようで、たとえスラムに住んでいようとも、世の中の事情には詳しいのだ。
我が家のメイドのプレシラの家も、みなでドラマを見るのが好きらしく、その合間に流れるTVCMに関する彼女の知識は、わたしの比ではない。
以前、ある商品に関してのリサーチをしていたときに、彼女たちの商品に対する印象を尋ねたところ、国産ばかりか海外ブランドの商品に至るまで、詳細に知っていて、高いものでもときには購入して大事に使うようにしているのだという話を聞いて驚いたことがある。わたしよりもはるかに、CM通であった。
迷路のような路地を右へ左へと進んでようやく、まず最初に案内されたのは、クレセント・トラストが運営している3つある託児所のうちの一つ。ここでは、2歳から5歳までの子供たちを、朝9時半から午後3時半まで、無料で預かっている。
母親が安心して働きに出られるようにと設立された託児所だ。
その小さなドアの前に立つと、中からスタッフの女性が現れて、「歓迎の儀式」をしてくれた。額に赤いビンディーをつけてくれ、香りのよい花々で作られた花輪を首にかけてくれる。中へ入ると、小さな子供たちが、WELCOMEと書かれた画用紙を持って、整列して待ってくれていた。
まさか、スラムの慈善団体で、こんな歓迎を受けるとは思わず、驚き、感激する。ジョセフ氏が「明日来てください」と言った理由がわかった。こうしてわたし一人が来るためだけに、準備をしてくれていたのだ。
この託児所では、専任の教師が数字やアルファベットなど簡単な学習を指南するほか、英語とタミル語を教えているという。
なんでもこのスラムは、タミルナドゥ州(バンガロールのあるカルナタカ州に隣接する州)からの移民からなっているとのこと。従ってここでの公用語は「タミル語」である。
託児所では、毎日「栄養価に配慮した」ランチを出し、昼寝をさせ、時にはゲームをしたりダンスを教えたりもするという。
それにしても、この子供たちの、なんと行儀のよいことか。先日のアガペ・チルドレンセンターで出会った、かつてストリートチルドレンだった子供たちもそうだが、しつけが行き届いていることに感心する。
2歳から5歳といえば、世間で言うところの騒ぎ盛りの子供たちであろうが、20数名が一堂に会しているにも関わらず、みな、とても行儀よくしているのだ。
わたしが登場するまで、多分は辛抱強く待ち、わたしが訪れてから30分ほどその場にいた間にも、先生の話を聞き、友達のダンスに見入り、暴れたり騒いだりする子供が一人もいない。かといって、決して抑圧されている様子ではなく、みな屈託のない笑顔を見せている。
普段、しつけの行き届いていない(なされていない)、甘やかされた子供を見かける機会の多い昨今、いったいこの違いはなんなのだろう。どんな子供であれ、ある程度のことは、やればできるということを見せつけられる思いだ。
なお、このスラムでは約90%の子供たちが学校に通っており、ここにいる子供たちも、やがては学校へ通えるのだという。昼間は物乞いをして暮らし、学ぶ機会を得られない子供たちに比べると、まだ随分恵まれている方ではあるらしい。
さて、子供たちの中でも、とりわけきれいに着飾った男の子と女の子が一人ずつ前に出て来て、ダンスを披露してくれるという。CDから音楽が流れ出すやいなや、特に女の子がずいぶんと上手に踊り始めた。
スタッフの女性に出してもらった甘くておいしいチャイをいただきながら、ダンスを眺める。
とても4歳児とは思えぬ均整のとれた体型で、手つきや目つき、身体の動かし方なども大人顔負けの妖艶さで、目を見張るばかりである。聞けば、「エクササイズの一環として」、先生が子供たちにこうしてダンスを教えているのだという。
踊りが好きだという別の男の子も飛び入りで、音楽に合わせ、踊る踊る踊る。その他大勢の子供たちも、じっと見ている子もいれば、小さく身体を動かす子もいて、しかし皆がいじましいほどに、行儀よく座っている。
小さな教室の一画には、やはり小さなキッチンがあり、そこではスタッフの女性がランチのために米を研いでいるところだった。棚にはインド家庭に見られる通り、透明の容器入った幾つかの種類の豆が並んでいる。ここは家庭の延長なのだという印象を受ける。
さて、託児所を出たあとは、またしばらく路地を歩いて、2階建ての建物へ。1階では女性スタッフたちが集まっていて、何やら打ち合わせをしていた様子。左の写真の、左端がジョセフ氏で、右の4人がスタッフの女性たち、そして右上の壁にかけられているのが、ジョセフ氏の亡妻、シエラの肖像だ。
ジョセフ氏がクリスチャンであることから、壁にはキリストの肖像も掲げられている。右の写真の中央に立っているのは、クレセント・トラストを支援しているドイツ人女性の写真。
彼女の金銭的支援によって、このスラムに暮らす女性たちがいかに救われていることだろうか。ただ束の間、ここを訪れただけで、そう感じさせられる。
狭い階段を上って2階へ行くと、そこは女性のための「職業訓練所」であった。みながテイラーを目指して1年間、ここで裁縫を学ぶのだという。
現在、集っている女性たちはこの1月から習い始めたばかりだということで、今はさまざまな種類のステッチの練習をしているところだった。最初は手縫いに始まり、次にはミシンを扱う。昨年は、OWCからの支援金で、ミシンを1台、購入したとのことだ。
ここで1年間きちんと学べば、テイラーという職業を身につけ、収入を得ることができる。みな熱心に、しかし楽し気に、学んでいる様子である。右の小さな衣類の写真は、「サンプル」だとのこと。まるでお人形の服のようで、かわいらしい。
さて、今度はオートリクショーに乗り、少々離れた場所へ。大きな樹の下の、心地のよい木陰に、女性たちが集まっている。
勧められるがままにプラスチックの椅子に座れば、ここでもまた、きれいな花輪を首にかけてくれ、髪飾りをつけてくれ、にこやかに歓迎してくれた。
それから、パック入りのマンゴージュースも出してくれた。
この国の人たちの、貧富の差を問わず、そのホスピタリティーの心が、なんともいえず、心にしみてくる。
今日、このスラムで出会う女性たちが美しく見えるのは、気のせいだろうか。
ここに集まっている女性たちは「セルフヘルプ Self Help」のグループ。
このスラム内にはこのような女性のためのグループが全部で60あり、それぞれのグループが週に一度、1時間ほど集まって、専任スタッフを囲んでの学習を行っているという。
テーマはそのときどきによって異なる。お金の運用の仕方について、衛生管理について、女性問題についてなど、スタッフが掲げるテーマをもとに、意見を交わし合い、問題解決のための「相互協力」を行っているという。
時には歌や踊りなどの娯楽も加えるなど、決して堅苦しいばかりではないようだ。楽しそうでもある。
さて、次に訪れたのは、現在建設中だという家。寄付金などをもとに、クレセント・トラストがこうしてスラムの人たちのために作って来た家は、これまで65軒にのぼるという。これは66軒目の家だとか。
広さにして6畳ほどの小さな庭(自家菜園を作らせるという)があり、その奥に、やはり6畳ほどの一間がある家が建てられている。2畳分ほどの台所と、トイレ、バスルームが備えられている。この1軒の家を建てるのにかかる費用は80,000ルピー。US$2,000、日本円で20数万円といったところだ。
最低限の設備とはいえ、十分に雨風を凌げる、しっかりとした作りの家である。
家を見学した後、再びオートリクショーに乗り込んで、迷路のごとき道を行く。
オートを下り、さらに狭い小径を通り抜ける。
途中で、ニンニクの皮をひたすら剥いている女性たちに出会う。
食料品店で、皮が剥いてあるニンニクを見るたびに、たいていが「手作業」のインドである、
これは誰がどこでどうやって、一つ一つ、丁寧に剥いているのだろうと思っていた。
このようにスラムで暮らす人々が、日がな一日ニンニクを剥き、商店に卸しているのだった。
やはり。と納得しながら、歩く。
馬小屋のような小さな長屋が立ち並ぶあたりを通過し、ゴミの山を横目に見ながらたどりついたのが、クレセント・トラストの「本部」とも言える建物であった。
まずは、3つあるうちの2つめの託児所を訪れる。ここでも、やはり2歳から5歳までの子供たちが行儀よく待機していた。一人の男の子が、黒板に書かれたアルファベットを読み上げ、単語を読む。
大得意で読んでいるが、3割方、間違っているところがかわいらしい。
それから、やはり同じ建物内で行われていた、別のグループによる「セルフヘルプ」の会合にお邪魔する。ここでもまた、本日3つめの花輪をかけてもらい、髪飾りをつけてもらう。
本当に、何気なく訪れたにも関わらず、こんなにも大勢の人たちに歓迎してもらって、ありがたい限りだ。2時間以上をスラムで過ごし、最後にはジョセフ氏にわたしの車を停めている場所までオートリクショーで送ってもらったのだった。
やっぱり、来てよかった。
確かに経済的には、困窮している人たちばかりが、ここに住んでいる。しかしながら、「貧困=不幸」ではないということを、今日もまた学ばされた思いだ。
ついつい、経済力があるという点において、そうでない人に「してあげる」という立場をとってしまいがちだが、決してそうではないのだということを、改めて痛感する。
このソサエティの在り方から、むしろわたしが学ぶべきことがあるようにも思える。なにしろ、みんな元気で楽しそうだ。粗食ながらも、野菜たっぷり、健康的な食生活だ。
なお、クレセント・トラストでは、毎週1度、ドクターの回診も手配しているという。体調の悪いスラムの住人たちは、無料で基本的な診察を受けられるのだとか。
ともあれ、わずかな時間を過ごしただけではあるが、このスラムにはこのスラムなりの「道徳」があるようにも感じ取れた。
ジョセフ氏のお人柄にも、感銘を受けた。
彼曰く、不要なものがあれば、なんだっていいから寄付してほしいとのことだった。着古した服でも、玩具でも、本でも、鍋釜でも、何でも。とにかく物を購入するという点において、経済的な余裕が少ない人々であるから、なんだってありがたいとのことである。
初回のチャリティ・ティーパーティーで集められた寄付金や品々は、主にはこのクレセント・トラストに渡そうと思う。