★BEFORE
★AFTER
★BEFORE
★AFTER
●本題に入る前に、パリで起こったテロについて。
一昨日、夕食を共にしたミューズ・クリエイションのメンバー夫婦と、いろいろと語り合う中、テロの話をしたばかりだった。
この半世紀の間、生死や縁や、運や、生き様を考えさせられる出来事は、多々あった。が、決定的になにかを心に決意させられたり、その後の生き方に大きな影響を与えられた出来事といえば、直接の被害に遭ったわけではないのだが、阪神大震災、そしてニューヨークとワシントンD.C.の二都市で経験した2001年9月11日の米国同時多発テロ、更には、2008年11月26日、ムンバイ在住時に経験した、やはり同時多発テロ、であった。
毎朝の「いってらっしゃい」のあとに、必ず「おかえり」が続くとは限らないということについて。
だから、夫とどんなに喧嘩をしたとしても、とりあえずは、「いってらっしゃい」と、挨拶をするように心がけているのだ、難しいときもあるけれど。ということなどについてを、話したのだった。
そんな矢先の、パリのテロのニュース。
無論、パリに限らず、世界の各地で、絶えることなくテロは起こり、殺戮は起こり、多くの人々が落命し続けている。ただ、パリほどに報道されていないだけで。そのことをして、報道の落差を嘆く人もいる。確かに共感する。
しかし、なじみのある地での出来事を知ることは、他で同様のことが起こっているのだ、ということについて、思いを馳せる契機にもなるだろう。テロの、無差別殺人のむごさを、ある程度は、身近に知っておいた方がいいと思う。
それにしても。
それでなくても天災や不慮の事故や疾病で多くの人々が傷つき死んでいるのに。人類史は争いの歴史だということは百も承知だが、もう本当に戦争やらテロやらにはうんざりだ。殺し合ってよくなることなど何一つない。
異論を、異質を、異教を、異文化を、こてんぱんに否定したところで、何一つ報われない。それでも、諍いは延々と続いて来たし、これからも続くのだろう。
ただもう、無惨な死を遂げた罪なき人々を悼み、憎しみや哀しみが世界を覆い尽くさないことを願うばかりだ。
そして自分にできることは、自分の身近な人々と、なるたけ協調しながら、争うことなく、生きることだ。身近な人間と平和に暮らしてこその、世界平和の祈念である。
●街の美化を行う「静かな」ヴォランティア活動に参加した
まだ、パリのテロのニュースを知らなかった昨日の午前6時。土曜日だというのに早起きをして、「アウトドア」な身支度をする。一応、ミューズ・クリエイションとしての活動だから、という気持ちを込めて、ポロシャツを着用し、あとは汚れてもいい服装に身を包む。
自宅から車で20分ほどのインディラナガールが、本日の活動場所だ。爽やかな朝。しかし、道すがらの光景は、ゴミだらけ。見慣れた光景でもある。インドのゴミ処理問題については、折に触れて記してきた。2011年11月11日、4年前のちょうど今頃には、バンガロールのゴミ処理を巡るツアーに参加し、心身ともに衝撃を受けた。
以来、自分にできることは、なんだろう。自問しながら、ゴミを出さない生活を続けてきた。また周囲にも、機会があるごとに、この国の、この街のゴミ事情を、知る限り、伝えてきた。
先日、ミューズ・クリエイションの「働き組」&「男組」の第一回ミーティングにおいて、昼組とは異なる活動をということで、インドのゴミ事情に関する日本人社会への啓蒙活動などを行うことに決めた。
まだ、具体的に動き出してはいないものの、件のゴミ処理を巡るツアーに加え、THE UGLY INDIANというグループが行っている清掃/美化活動に参加することも決めた。
2010年より活動開始したというTHE UGLY INDIAN。Facebookのプロフィールを見てもわかるとおり、NGOでも企業でもない。この主催者は、自分を公にはしたくないらしく、どのサイトにも、関係者の名前はない。一介の、UGLY INDIAN(醜いインド人)として、隗より始めよ、の思いで動いていることが、見受けられる。
Kaam Chalu Mooh Bandh!(黙って、働け!)
をモットーとしているようだから、行動あるのみ、の姿勢なのかもしれない。
一方、参加者は、一般のインド人(インド在住者)だ。Facebookを通して自分の住まい界隈のエリアで登録 (Sign Up)しておくと、近所で美化活動が行われる際に、連絡が入る仕組み。わたしは数年前に登録していたのだが、我が家の界隈で実施される頻度が低い上、タイミングがなかなか合わなかった。
今回、ミューズ・クリエイションでゴミ問題を検討することになり、積極的に活動すべきたと思い直した。参加エリアを「バンガロール市街全域」に登録し直したところ、実施の2日前にメールが届いた。
実施の告知は、たいてい数日前に届く。ゆえに、前もっての計画は立てにくい。今回は、ディワリ・ホリデーの最中でバンガロールにいる人も少ないことから、参加できる人はほとんどないだろうと思いつつも、一応、ミューズ・クリエイション通信にて、メンバー全員に情報を送る。
もちろん、自分ひとりでも参加するつもりだったので、わたしは参加の旨、連絡をした。
主催者からのメールには、準備の都合上「必ず参加できる人だけ、申し込んでください」とされていた。雨が続いていたこともあり、また土曜日の早朝だということもあり、一瞬、迷ったが、しかし朝のわずか数時間のことである。迷う前に、行動だ。
結果的に、ミューズ・クリエイションからは、わたし一人での参加だったが、機会はまだある。ともあれ、参加できてよかった、のひと言に尽きる。
午前7時。待ち合わせ場所に集合。汚れてもいい服装及びスニーカーで。帽子や飲み水は持参した方がいいとの案内があった。それ以外の道具は、主催者側が準備してくれるという。が、念のため、マスクや軍手も持って行った。
集合場所には、インディラナガール界隈に住んでいるらしきヴォランティアの人々たちが、三々五々、集まる。子どもたちを連れた家族、カップルのほか、わたしと同様、単身での参加者も数名いた。合計20名ほど。
素人にすぎない我々参加者が、作業をしやすいように便宜を図るべく業者の労働者たちが準備をしている。彼らを指示している男性が、主催者だろう。
「あなたがオーガナイザーですか?」と尋ねたら、
「いや、違う。僕も一介のヴォランティアです」
「とはいえ今日はみなさんをまとめるので、オーガナイザーともいえるけれど」
と、ややこしい自己紹介をする彼。あくまでも、一人のインド人として参加しているのだ。団体でも、組織でもない。自分とて、ヴォランティアである、ということを、自身の活動の軸にしているのだという様子が見て取れた。
参加者の数を数えつつ、
「申し込みによると、参加希望者は40名を超えていたのに、20名だけのようですね」
とひとこと。これもまた、インド的、である。
さて、本日の作業は、インディラナガールのダブルロードの中央分離帯にある木の袂(たもと)に色を塗ることと、その一隅のゴミ捨て場と化した路傍の掃除をし、ブロック塀に色を塗ること、である。
インドのゴミ捨て事情については、ゴミを巡る旅のレポートに詳細を記しているので、そちらをご覧いただければと思う。ともあれ日々、住宅街、公道、空き地を問わず、ゴミが不法投棄されている。
界隈の住民たちは、なすすべなく、異臭や劣悪な景観に耐えるしかない。
木の袂にゴミが捨てられやすいから、まずはそれらを片付け、木に色を塗る。色を塗ることで、誰かが世話をしている、ということがアピールできるので、ゴミが捨てられにくい、ということらしい。掃き溜めは、放置しておけば、すさまじい掃き溜めと化してしまう。
世話人が手配したプライヴェートのゴミ収集作業員らが、あらかじめ大きなゴミを撤去してくれている。ゆえに我々は、ここでは掃除をする必要がなかった。水溶性だというペンキを各々バケツに入れてもらい、刷毛を片手に、車に気をつけながら道路を渡る。
わたしは、たまたま近くにいた、やはり一人で参加している女子2名と一緒の木を塗ることになった。二人ともチャーミングで、女子大生のような若々しさだが、中央の女性はドクターらしい。今、起業の準備をしているところだとか。
「塗る前に、写真を撮ろうよ」と彼女が言うので、それぞれ、セルフィーで記念撮影したあと、作業に入る。
ペンキは木にとってよくないのではないか、と思われたが、水溶性で、匂いもきつくない。ただ、昨今は雨が多いから、水溶性だとすぐに流されてしまう可能性がある。普通は数カ月、色が残るそうなので、なるたけ濡れてほしくはないと思いつつ、塗る。
隣の木の袂では、子どもたちが一生懸命、塗っている。皆、絵に描いたように、顔やら服やらにペンキを飛び散らせながら、塗っている。
どの木にも、小さなクギが打ち込まれていて、神様の肖像などをかけられるようになっている。神が身近にある、ということもあろうが、神様が見ている前でゴミを捨てないであろうとの願いもあるのかもしれない。
が、そんな願いは捨てる人には届くはずもなく。
塗るうちにも、少しずつ、コツがつかめて来る。最初は自己紹介をするなどおしゃべりをしていた女子二人も、途中からは黙り込み、黙々と、働く。
乾いた木肌に刷毛を滑らせる。このペンキが、木にとって、不快でなければいいのだが。くすぐったい程度、だったらいいのだけれど。などと思いながら、塗る。虫が飛び出して来たりもするのをよけながら、塗る。
一人で参加している男性も少なくなかった。左の男性は、すでに何度か活動に参加しているらしい。近所に住んでいるらしく、手ぶらでふらりとやってきた。
あっという間に1本の木を仕上げ、次の木に、移動している。
約1時間半ほどの間に、わたしたちも、大小4、5本の木を塗り上げた。ペンキが不足すると、業者の労働者たちが配りに来てくれる。危険防止のためのロード・コーンなども用意されている。大雑把ではあるが、きちんとオーガナイズされている。
ミューズ・クリエイションをはじめて以来、折に触れて実感していることではあるが、みんなでやると、仕事が早い。ほんの数時間前まではゴミが散らかっていた中央分離帯。木々がまるで、着飾ったように気持ちよさげだ。
大きな木は、きっと英国統治時代からあったのだろうと思いつつ、その樹齢に思いを馳せる。この街の変化を、誰よりもよく知る木々。彼らにとって、今が一番、辛い時期であることは、多分まちがいない。
見上げれば、青空。長雨の続く昨今のバンガロール。実は、これを書いている今も、しとしとと雨が降っている。塗料が落ちなければ、いいのだ……。
昨日は、ともかくは、晴れてよかった。
我々が作業したのは、ダブルロード沿いの200メートルほどだろうか。40本を超える木々に色を塗った。さて、次は、一隅の壁塗りの作業である。
すでに足下はこんな状態。水溶性なので、靴は帰宅後、水洗いでほとんど汚れが落ちた。ズボンにはしみが残ったが仕方あるまい。今後作業するときのための、専用ズボンとしよう。
ゴミ収集車が来ているのを目撃したが、すべてのゴミを回収できるわけではなく。日々、取り残されるゴミの多さといったらない。作業員の服装も、作業員らしかぬ。素手、素足でゴミを集める人もあり。
さて、ここが次なるスポットである。すでに大きいゴミは回収されているので、残ったゴミを片付ける。
インドでは、未だにカースト制度の名残が残っているコミュニティ、世界が多い。ゆえに、「それは、俺の仕事ではない」「わたしの仕事ではない」という理屈が、未だに生きている。
ゆえにゴミ掃除やゴミ拾いに関しても、無関心を決め込む人が多数で、そのくせ、捨てる。そうして、ゴミが多いと嘆く。政府が、行政が悪いのだと嘆く。
口ばかりで行動を起こさない。
そういう人たちとは一線を画する思いで、この活動をはじめたのだ、と、先の主催者は言った。わたしが4年前、ゴミツアーに参加したことを告げると、「今、あそこはすさまじいことになっているよ、もう一度、行ってみるといい」と彼はいう。
彼自身、ツアーの存在については、懐疑的なのだという様子も察せられた。見るだけで、嘆くだけで、行動しない。それでは意味がない、と彼は思っているようだった。
が、わたしはそうは思わない。あのツアーに参加して現状を知ったことが、ライフスタイルを変える契機となった。ゴミがたどり着いた先の地獄を見た。だからこそ、なにもせずには、いられなくなった。
その延長線上に、こうしてここで、数時間を過ごす自分がいる。
さて、男性参加者たちが、自らゴミをかき集め始めた。大きな物は、男性が運んでくれる。
この時点で、すでに参加者は約半数の10名ほどに減ってはいたが、みな、手際よく、動く。我々女性たちは、箒を片手に、ブロック塀の汚れを落としたり、歩道のゴミを片付ける。
業者の労働者が、塗料の準備をしてくれる。白い塗料は防水のようだ。
主催者男性のもとに、ご近所さんが数名、声をかけている。感謝の言葉を伝えると同時に、今後、どうしたらいいのかわからないのだ、ということを、切実に訴える人もいる。
会社など企業のトラックが、ゴミをごっそり捨てていくらしい。しかしそれらは回収されないまま、蓄積されていく。
さて、一旦はきれいに片付いた。しかし、このどんよりとした雰囲気では、またゴミを捨てられるに違いないだろう。
主催者が撮影した写真に、わたしが写っていたので、拝借。木を塗るよりも、壁を塗る方が、塗料の心配をすることもなかったので、気が楽だった。
無心に壁に向かって、本当に黙って、彼は静かに作業をしている。
その姿に、打たれる。
もう何度か参加しているという男性に「今日は、楽しかった?」と尋ねられた。イエス、とは答えたが、しかし、単に楽しかった、のひと言ではすまされない、3時間半だった。
無心で塗っていたようでもあり、いろいろと考えていたようでもあり。
ただ、言えるのは、先のモットーの通り。
黙って、働け。
このひと言に尽きる。いろいろな情報や、いろいろな現象に対して、頭でっかちになり、饒舌になったとしても、経験がなければ、虚しい。
実際に、ゴミを見て、マスク越しに悪臭を感じつつ、そのゴミを構成している物を見て、旧態依然の掃除道具でもって、地面を掃いてみて、壁に向かって、時にペンキの飛沫を浴びながら、塗ってみて、身体を動かしてみなければ、わからないことが、たくさんある。
翌日の今、わたしの両腕は、かなり凝っている。ずっとバケツを持ち続け、ずっと刷毛で塗り続けたがゆえに、二の腕が特に、凝っている。
わずか数時間の労働が、筋肉痛となって刻印され、今後のわたしのまた、大いなる糧になる。この数時間はしかし、今後も機会があれば、何度も積み重ねていくことになるだろう。
こうして写真を見ているだけで、改めて達成感が沸き上がってくる。
最初とは、全く印象が異なる。明るく、ゴミを捨てにくい雰囲気となった。しばらくたてば、また元の木阿弥かもしれない。それでも、こうして活動する人が、少しずつでも増えれば、一人一人の小さな一歩から、活動が広がっていけば、いつか、どこかに、たどりつくかもしれない。
たとえ自己満足だったとしても、動かないよりは、いい。
なにはともあれ、嘆き憂うよりも、動くことだ。
わたしがこうして、活動の記録を記しているのは、バンガロールに、インドに暮らす日本人のみなさんに、少しでも、ゴミ問題を「自分たちのこと」として考えて欲しい、という思いがある。
今、ここに住む人の中には、否応なく、気が進まず、仕方なく住んでいる、という人も多いだろう。
が、ここに住んでいる以上は、「住まわせてもらっている」という気持ちを損なってはならないと思う。
我々は異邦人でありながらも、異郷の地で「生活の糧を得るための仕事をさせてもらっている」のである。ごく一部の人は、インドに請われて、あなたにぜひとも来て欲しいと言われて、来た人もあるかもしれない。
が、大半の人たちは、自分の暮らしのために、キャリアのために、ここに住んでいるのではなかろうか。
さあれば、自分を取り巻く環境の問題は、たとえ数年のこととて、他人事ではない。
「インド人は、マナーがなっていない」
「インドのゴミ問題は、手のつけようがない」
と、嘆く日本人のあなたは、ゴミを出さずに、生活しているのか?
あなたの出すゴミが、どのように処理されているのかを、わかっているのか?
多くの駐在員家庭が、帰任時に捨てていくゴミの多さが、どれほどすさまじいものか。それは、この10年間のバンガロール生活で、本人ら、あるいはメイドらを通して、聞きすぎるほどに聞いてきた。
捨てられていくのは、諸々の生活用品に留まらない。駐在中、日本や、タイや、香港や、シンガポールで買い込んで来た大量の加工食品。賞味期限切れのゴミとなって蓄積された大量のそれらは、開封されることなく、丸ごとそのまま、捨てられていくのだ。
一つの家庭が、軽く一つのゴミの山を生み出している。
日本人が、インド人1人が出す平均的なゴミの量を、多分、大きく上回っている。無論、日本人に限らず、先進国からやってきている外国人居住者の多くが、同じ傾向にあるだろう。
自分たちが「立つ鳥、跡を濁している」ということについて、自覚すべきだ。
そして、インドに進出する企業は、自分たちが生み出す製品の、成れの果て、についても考えるべきだろう。たとえば加工食品一つをとっても、それが購入され、開封された瞬間に、大半がゴミになる。それらのゴミの行く末を考えた時、なるたけ環境に負担がかからない形で処理される方法を、提案すべきだろう。
どう楽観視しても、ここ5年10年の間に、この国のゴミ問題が劇的に改善されるとは思えない。だからこそ、環境に負担のかからない包装や製品作りを目指すべきだろう。
無論、日本のように、世界で一番、過剰包装の文化がある国の人たちにとっては、ピンとこないかもしれない。日本国内とて、問題は大きい。
ゴミ処理のシステムが整っているから、ゴミが路傍に溢れ出すことがない。だから、膨大な量のゴミを排出しつ続け、それらを処分するために、どれだけのエネルギーが消費されているか、ということに、思いを馳せる機会は少ない。
インドはじめ、他の新興国がもし、日本ほか先進国と同じだけゴミを生み、そして同じシステムでゴミ処理を行ったとしたら、地球は身が持たないだろう。エネルギーはあっという間に、枯渇する。
インド生活に限らず、遍く地球のどの地にあっても、ゴミを減らす暮らしをすべきなのだ。人類は、そうしなければならないポイントに、久しく立ち続けている。
バンガロールにおいても、ゴミの大半は、リサイクルやコンポストで処理ができる。紙類は面倒でも仕分けておけば、新聞紙以外でも引き取ってもらえる。お金にもなる。
幾度となく記してきたが、我が家は生ゴミはコンポストに、紙や新聞はまとめて、ペットボトルやビニル袋も仕分けをして、月に1度、ドライヴァーのアンソニーに、近所のリサイクル店へ持っていってもらっている。
ゴミはそこで換金され、たいてい100〜200ルピーになる。それは、アンソニーの少ないがお小遣いとなる。
確かにゴミを仕分けるのは、面倒かもしれない。が、それは、すべきなのだ。なぜならバンガロールには焼却施設がない。ゴミはただ、東西南北の近郊4カ所にあるゴミ捨て場に埋められる、放置されるだけなのだ。
住んでいる以上、自分が排出するゴミに対し、我々は責任を持たねばならない、ということを、改めて思う。
人間が生きる上で「掃除をすること」は、とても大切。ということについても、再確認する思いだった。
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