●SAKRAホスピタル駐在員およびミューズ・クリエイションのメンバーとで訪問
8月18日土曜日、慈善団体のNew Ark Mission ~Home of Hope~を訪問した。個人的には7度目、ミューズ・クリエイションとしては6度目の訪問となる。他の慈善団体に比べると、諸々の衝撃度が高い。ゆえに、回数を重ねてなお、訪問の前に心をよぎる、一抹の億劫な気持ちを拭えない。
しかし、そういう場所だからこそ、なるたけ多くの人に訪れてもらいたいとも思う。これまでも、ミューズ・クリエイションのメンバーだけでなく、メンバーの伴侶、あるいは短期インターンの学生に同行してきた。
今回は、参加者20名のうち、約半数が、当地の日系医療機関であるSAKRAホスピタルに勤務される駐在員の方々であった。これほど多くの、同じ企業に勤める日本人駐在員の方々に慈善団体をご案内するのは初めてのことだったので、個人的にはいつもに増して、心に残る訪問となったのだった。
●インドでは一定規模の企業を対象に義務付けられているCSR
在バンガロールの日系企業でも、CSR(Corporate Social Responsibility, 企業の社会的責任)プログラムの一環として、独自で活動をされているところはあるが、決して活発だとは言い難い。
インドは従来から、財閥をはじめとする企業による社会貢献活動が一般的だ。また、宗教を問わず、個人レベルでの慈善活動も極めて一般的。
また、欧米をはじめとする外資系企業は、駐在員だけでなく、帯同で赴任している家族にも、慈善活動を促しているところは少なくない。
インドでは、2014年に新会社法が施行され、企業によるCSR活動が義務化された。対象となるのは、純資産が50億ルピー以上、総売上高が100億ルピー以上、あるいは純利益5,000万ルピー以上という3つの要件のうち、少なくとも1つを充たす企業。
対象企業は、直近3会計年度の純利益の平均2%以上を、CSR活動に支出することが義務づけられている。
高度経済成長で物価が高騰する中、貧富の差が縮まるどころか拡大し、貧困にあえぐ人々が無数にいる中、行政に頼るだけではなにも解決しないことは、火を見るよりも明らかだ。
ゆえに、賛否両論あるにせよ、世界でも初だと言われる「CSR活動の義務化」について、個人的には積極的に施されるべきことだと感じている。
ミューズ・クリエイションを運営する立場としては、在バンガロールの日系企業の人たちが、たとえ義務化の対象になっていなくても、金銭的なゆとりがないにしても、何らかの形で、地元の慈善団体の状況を見てもらえる機会があればと考え続けている。
新会社法を遵守すべく義務として、ではなく、この地に住まい、働かせてもらっている立場として、この国のさまざまな側面を知っておくことは、大切なことだと思うのだ。せっかくこの地にいるのだから、メディアの情報の受け売りではなく、自分自身が赴いて、肌身に感じることに意義があるとも考える。
折に触れて、各方面に声をかけてはいるものの、なかなか実現せず、これまで少数にとどまっているのが現状だ。今回の訪問を経て、改めて、少しでも多くの人を、各種慈善団体にご案内したいとの思いを強くしたのだった。
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今回は、チーム・エキスパッツのメンバーの一人が、SAKRAホスピタルに駐在する看護師だったこともあり、彼女が周囲に声をかけてくれた結果、実現したことだった。
訪問先については、過去の訪問記録ブログを見ていただいたうえで、このNew Ark Missionが選ばれたのだった。託児所、HIV罹患者の施設、ホスピス、動物病院、盲学校、聾学校、貧困層子女の無償の学校など、ご案内できるところはたくさんあるが、New Ark Missionは、数ある団体の中で、恒常的に資金が不足しており、なおかつ最も救済を必要としている場所である。
同時に、「適切な医療行為」が一番、必要とされているところでもある。
●同団体については、過去の記録(ブログ)にも詳細を記載している
オート・リクショーのドライヴァーだったラジャ、通称「オート・ラジャ」と呼ばれる創設者が、このニューアーク・ミッションを立ち上げたのはちょうど20年前。
自らストリートチルドレンの一人だった彼が、紆余曲折を経て、改心。路上で瀕死状態のホームレスの人々を、拾い上げ、家に連れて帰り、世話をしたのがはじまりだ。彼のこと、そして同団体のことについては、過去の記録に詳細を記しているので、ぜひ目を通していただければと思う。
【過去の訪問記録】
■希望の家。希望ある死。無口な人々の終の住処。(2011年1月)
■みなそれぞれに、ハードルを乗り越えて、 希望の家へ。(2013年10月)
■その「愛」はどこから? 生と死が渦巻く場所で。(2015年8月)
■身よりなき子らと遊ぶ週末。「端緒」としてのミューズ。(2016年3月)
■「希望」とは何だろう。死を待つ人らが暮らす家。(2017年7月)
■百聞は一見に如かず。訪れておくべき場所のひとつにて。(2018年3月)
到着直後、運営者のラジャに挨拶をした際、「今日は、ドクターやナース、日本の病院で働く人たちが一緒ですよ」と伝えたところ、一瞬で彼が笑顔になり、目を輝かせて「それはすばらしい!」と喜んでくれた。
「死を待つ人の家」でもある同団体は、治療をするための医療というよりは、痛みを軽減し、死ぬ前に安らかな気持ちで過ごせる場所を提供する側面をも持っている。死の間際に、その人の望む食事を提供し、亡骸を弔う。この日の朝も、2人が亡くなったとのこと。
救急用品や医療関係の器具などもまた、恒常的に不足しているのだ。
参加者は毎回、子供たちと遊ぶ前に、同団体、ラジャの活動を記録した映像を見る。もう何度となく訪れているわたしだが、映像のすべてを正視できた試しがない。
一方で、今回の参加者はほとんどが、路上に打ち捨てられた人々の、すさまじい姿を直視されていたのに、感じ入った。医療に携わる人たちは、目を背けずに、現実に向き合わねばならないという、当たり前のことが、すごいことだとも思った。
映像を見るたび、「その状態で、なぜ生きているのか」「その後、なぜ回復できるのか」という思いに駆られてきたが、その後、反省会という名の打ち上げの場@韓国料理店アリランで話したところによると、SAKRAホスピタルの人たちも、その点において、人々の生命力、回復力に対し、同様に感嘆されていたのを知り、やはり尋常ならないのだな、とも思った。
腹部に36キロもの腫瘍を抱えて生きていた女性が、腫瘍の切除を受けるシーンも映し出されていたのだが(切除後は体重が20キロに!)、キャリアの長い看護師さん曰く、彼女が今まで見た腫瘍で最大は10キロだったとのこと。もっと突っ込んで聞きたいところだったが、なにしろブルコギを焼いて食べつつの会話だったので、ほどほどにとどめておいたのだった。
今回、「ホスピタル」と名付けられた保健室も見学させてもらった。
SAKRAホスピタルのみなさんに、現状を熱心に説明するラジャ。初めて会った7年前に比べると、彼の英語力は格段に上達していることにも、感じ入る。きちんと教育を受けていない彼が、自分の活動をより多くの人に知ってもらうために、努力しているのであろうことが察せられる。
初めて会った時には、年齢のわりに屈託なく若く見えると思っていたのだが、彼もすでに50歳となり、年相応の落ち着きと貫禄を漂わせてる。同時に、多くのもの、多くの人々の命を背負っている現実の重みを、ひしひしと感じる。
この日は土曜日だったこともあり、寄付を託しに、人々が次々と訪れていた。ここは企業のサポートもさることながら、個々人の支援によって成り立っているのだ。700人を超える人々の、日々の食費をまかなうだけでも莫大な金額となる。その資金集めが困難であることは、想像に難くない。
道端に打ち捨てられた人を見れば、一般の人ばかりか、警察までもが、彼に引き取ってくれと連絡をしてくる。いつだったか、彼はチェンナイまで、バイクで人を救いに行っていたことがあった。
今は簡素ながらも専用車両(救急車)なども寄付されているようだが、そもそもは、ラジャが一人で、救済していたのだった。
しかしながら、行政からのサポートは一切ない。経済的な困窮は、恒常的に続いているのだ。
顔なじみの女性と。彼女がわたしを覚えているのかどうかは定かではないが、とてもフレンドリーに近寄ってくるのだ。
女性棟。かつてはみな、寄付されたのであろう衣服を着ていたが、このごろはお揃いの服をまとっている。このほうが、洗濯などもしやすいのであろう。髪が剃られているのも、聞き損ねたが、衛生上の問題からかもしれない。
いつもは、このエリア、結構な悪臭(尿など)が漂っていたのだが、今回は匂いがかなり軽減されていた。また、飼い犬らしき、こぎれいな犬が数匹いた。環境は徐々に、よくなっているのだろうと思う。
かつては空き地だった場所に、女性棟が建築されている。今後は、1000人以上を住まわせたいと、以前ラジャは語っていたが、その準備は着々と進んでいるようだ。
赤ちゃんだった女の子も、だいぶ大きくなっていた。手足に奇形があるからであろう、彼女は路上に捨てられていたのだ。薬害、もしくは感染症などが原因だったのかもしれない。
土曜日の午前中とあって、多くの子供達は登校中だった。午後には下校するので人数が3倍ほどにも膨れ上がる。
毎回、初めて参加の人が多い中、あまり多すぎない人数の子らと遊ぶのが、目が行き届いていいといえば、いい。
最初はちょっと距離感のある大人も子供も、しばらく一緒に遊んでいると打ち解けてくる。
水を飲ませてもらうのがうれしくてたまらない様子の少年。
折に触れて、ミューズ・クリエイション通信などで発信していることなのだが、経験しない「0」と一度経験した「1」の間には無限の距離感があるように思う。たとえ1回でも訪れれば、2度目、3度目以降は、経験と理解を以って、より深みある見地で現状を見つめることができると思うのだ。
そして、その一つの経験が、周囲にもプラスに波及していけば、それは本当に、意義深い「1」である。
今回もまだまだ、書きたいことは募るのであるが、ひとまずはこのへんで止めておく。今回も、参加された方々の「感想」を転載している。わたしにとっては、訪問後、みなさんからの感想に目に通すのがまた、ひとつの楽しみでもある。
人それぞれに、異なる視点、感じ方があり、なるほどと思わされたり、目頭が熱くなったり、意外さに驚いたりする。感想を読むことによって、訪問回数を重ねてなお、初心を忘れずに、澄んだ目で見つめなければと思わされたりもする。
感想を拝見して改めて、今回はSAKRAホスピタルのみなさんと一緒に訪問できてよかったと実感した。
●参加者からのコメント。ぜひお読みください。
【感想01】
今回参加させていただきありがとうございます。貧困層と呼ばれる人達がいる事は皆知っていることですが、実際に自分の目で確認することは日本人にとってあまりない機会ですので、今回は全てにおいて自分は恵まれているんだと思い知らされました。 ラジャさんに見せてもらった映像は聞いていた通りで、想像を絶するもので全て観ることができなかったのは少し不甲斐なかったです。また自分に出来ることをこれからしていきたいと思います。
【感想02】
初めての施設訪問で、緊張して門をくぐりましたが、丸刈りになった女性たちは笑顔で握手を求めて出迎えてくれました。
いちばん心配だった紹介映像は、ウジがわいた背中や、ぱっくり大きく穴の開いた顔だったり。また壊死した人の足をラジャさんがのこぎりで切り落とした話なども衝撃でしたが、手を差し伸べて治療すれば、傷が癒えて生きていくことができるんだという事実、生命の強さの方が、私には印象に残りました。
子供たちの中には、顔に大きなコブのある少女や、ずっとヨダレをたれ流して焦点の定まらない子や、心身ともに障害のある子もいましたが、どの子も遊びに喜んでくれました。
クレヨンを箱にしまう片付けを遊びと思っている子、日本語で「上手だね」「それでいいの?」と私が言うのを上手に口真似する子、ぬり絵のなぜか絵の外側ばかり塗る子。彼らと一緒に遊んで、生命力を分けてもらいました。
自分のオートリキシャで目の前で倒れている人を運んだのが原点、というラジャさんの「人は寺院や教会には寄付をするのに」「ここでは毎日700人分の食事を出す」という言葉の現実味がとても重かったです。
インドの友人にも知ってもらい、少しでもHome of Hopeの力になり、今日たくさんの尊いものを見せていただいたお返しができればと思います。
【感想03】
・今回で4回めの参加。
・Rajaさん自らがオフィスでの挨拶、ビデオ鑑賞、質疑応答と医療施設案内までしてくれたのは初めてで、Sakra病院からの訪問を歓迎する彼の姿勢が表れていたように思った。
・一か月に必要な経費や、運転資金が尽きてRaja個人の預金でまかなった話など、興味深くも胸が痛む話を聞くことができた。
・女性棟が建設中。頓挫せずに進めることだけでも一苦労だろうと思う。進行していることに感心した。
・クリニックの中も見学。低賃金で通ってくれているという若いスタッフらに会い、学校の保健室よりもずっと簡素な施設を見せてもらった。よい経験だった。
・就学児は学校に行っており、主に幼児や障害の重い子どもと手厚く遊んだ。子どもたちは大人の注意を引き、独り占めするのが何よりも嬉しい様子。少しでも気分転換になったのではないか。
・一人では見学に訪れる行動力すらないが、Muse Creationに所属しているおかげで慈善団体を訪問できる。そして複数の人数で訪れることにより、彼らを楽しませるという貢献ができるのは本当に有難いと実感した。
・今回Sakra Hospitalの皆さんに参加してもらえたのは意義深かった。Muse Creationの、メンバー以外にも門戸を広げる懐の広さや、サッと慈善団体の訪問を実行できる機動力の高さが功を奏したと感じた。誇るべきことだと思った。
【感想04】
はじめに見せてもらったのは、路上で息も絶え絶えの人達を抱えて連れて帰り手当てをしている活動の映像でした。頰の皮膚も頬骨もなく鼻腔が見えるほど顔が陥没している人を見て、人間ってこんな状態でも生きられるんだなと思ったし、映画”火垂るの墓”でしか見たことがないような、背中に大量のウジ虫が湧いたおばあさんが、手当て後キレイな背中に回復していたり、人間の治癒力や生きる力の凄まじさを感じました。
日本だったらそんな状態になったら生きる気力さえ失い自ら命を絶つ人が多いのではないか、でもここインドでは、そこに意志があるかは本人にしかわからないけれど、それでも生き続けている人がたくさんいる。しかもそれは遠いどこか知らない国のテレビの中の話ではなく、今目の前で起こっていることなんだと思ったら涙が止まりませんでした。それは悲しみではなく、ラジャやラジャの活動を受け入れた家族の深い愛や、生きるという事や生かすという、今まで感じた事のない命の尊さを感じたからだったように思います。
私は以前製薬会社で働いていたので、一般的な人よりは健康や命と向き合う時間が多かったと思いますが、今まで以上に触れたことのない価値観を今回手にした気がします。反省会という名の打ち上げでは、久しぶりに医療関係者の方々とお話できたのも私にとってプライスレスな時間でした。美穂さん、SAKURA HOSPITALの皆さん、参加の皆さんありがとうございました。
【感想05】
今回が二度目の訪問で、前回よりは身構えることなく参加できました。初めて施設内のクリニックを見学しましたが、あまりの簡素な設備に驚きました。「死を待つ人の家」という施設の持つ意味を考えると当然なのかもしれませんが。
子供たちは今回も変わらず元気で、人見知りもせずわいわい遊んでいました。前回は魚釣りゲームが人気でしたが、今回は、新しく持って行ったクリケットやラケットボールに人気が集まっていたようでした。
前回に比べると人数が少なかったように思いましたが、今年度から学校に通い始めた子たちが多かったのでしょうか?(大きい子たちは学校に行っている時間だったので)ふと、学校を出た子供たちはどんな風に生きていっているのだろう? と思いました。仕事を見つけ住む場所を見つけて生きているのか、それとも...?
【感想06】
改めて、貴重な機会を戴き有難う御座いました。これまでの訪問記を通読しつつ、「それなりに」心の準備をして行った積りでしたが、想像を超える強烈な体験となったこともあり、気持ちを整理するのに若干時間が掛かりました。
HOHはインドのダークサイドが凝縮された場所であると思いますが、それと同時に、その最も深い闇にこんなにも力強い光が満ちていることに、非常に深い感銘を受けました。そして何よりも、なぜラジャはこれ程までに崇高な使命感を持ち、そしてそれを持ち続けることが出来るのか。同氏がいみじくも言った「私はただ人の役に立って天国に行きたいだけ」というのは、ヒンズーの根源的な発想であるとは理解しつつも、それでも何故ここまでやることが出来るのか、その身体からほとばしる情熱にただ打ちのめされました。
国家の経済的成長の常として、貧富の格差が拡がっていく現実を、日本を含め先進諸国は目撃してきた訳ですが、結果としてインドも恐らくその轍を敢えて踏んでいくことになるのだと思います。しかしながら、その過程において是非インドは独自のモデルを創り、それを世界に示していって欲しいと切に願います。
今回の体験を経て、改めてこの愛すべきインドという摩訶不思議な国からパワーを注入してもらえた気がしました。
HOHで暮らす全ての方々の心安らかな最期と、天真爛漫な子供たちの幸せを心からお祈りして、感想文に替えさせて戴きたいと思います。彼ら・彼女らのお蔭で、もっともっと人に優しくなりたいと思うことが出来たのも自分としては大きな収穫となった気がします。ありがとうございました。
【感想07】SAKRA HOSPITAL
この度、初めてインドの慈善団体施設の見学をさせていただいた。このような機会を与えてくださったことにまず感謝したい。
最初にラジャさんのこれまでの活動の様子を映像で拝見し、ラジャさんの並々ならぬ強い意志を感じた。医療的な処置の必要な方々に積極的にケアを施すラジャさんの判断力と行動力に圧倒されながら、ふと、色々な規制の中で、できないことを理由に手を出そうとしないでいる医療従事者である今の自分を重ね合わせたりした。
説明のあと、施設の子供たちと遊具を使って遊んだが、一人ひとりの背景を考えながら、接している自分がいて、今の一時の関わりに申し訳なさを感じたりしていた。このことを単に子供たちと遊んだことの自己満足感だけで終わらせてはいけないのではないか。と。いろいろな意味で考えさせられた。
坂田さんが言われるように「0」と「1」の間の「1」の意味は、体験としてとても重要なことである。一人でも多くの方々に「1」を体験してもらい、たとえそれが「1」でしかなくとも、他の人達との「1」の連鎖が「2」「3」「4」「5」……と繋がって、継続という形に変わっていく。継続していくことが大切なことだから。
30年前に南米の地でボランティア活動を行ったその時の思いがまた蘇ってきた感じがする。自分ができること、考えてみたい。ありがとうございました。
【感想08】SAKRA HOSPITAL
訪問を終え強く感じたことは二つ、ひとの生命力・精神力の強さと、途上国で医療に携わることの意味です。
屈託ない笑顔で握手しに来てくれる女性、無邪気に遊び、必死でお菓子やヤクルトに手を伸ばす子どもたちには皆それぞれの背景があり、我々よりも遥かに強く生きているし、「生き、暮らせること」の重みを知っていると実感しました。
同時に、彼らと一緒に生活するラジャさんの姿を見て、人を助けるのに理屈も、実際のところ特別な知識も経験もいらないし、では私がこれまで使命と思いしてきた仕事はこの国で意義を成すのか?単なるきれいごとなのでは?とも正直自分に問いました。それでもまずは知ること、伝えること、そして考えること、を諦めずに続けていかなければいけないと思いました。
【感想09】SAKRA HOSPITAL
正直言って訪問前は、このような施設を訪れることには非常に抵抗がありました。また、最初に見せて頂いた映像には、目を背けたくなるような場面も多く、とんでもない所に来てしまったと感じました(過去の訪問時の記録も読んでいましたが・・・)。
その後、あまり反応がなかったり表情がない子たちと一緒に遊んでいるうちに、反応してくれたり笑ってくれたりするようになると、生まれ育った環境が違うだけでどの子も一緒なんだなと思うようになりました。
このような機会に参加させて頂きありがとうございます。インドの経済成長の側面だけがクローズアップされて、社会の歪みはますます大きくなって来ると思います。何が出来るのかを考え、自分なりに実行して行きたいと思います。
【感想10】SAKRA HOSPITAL
訪問時の衝撃は表現し難い体験であった。殆ど誰もが眼をつぶり見過ごす路上の命。救いの手を差し伸べない理由を探し、幾人かは少額を渡す。それが一般であろう。
一方、自らを極度に追い込む事を知りつつ何故Mr.Rajaはこのエンドレスの事業を始めたのか。自らは神のservantと言う事から宗教信義が精神基盤にあるのは間違いない。そうだとしてもここまでの自己犠牲を強い真っ正面から救いに行く精神強度に驚くのと同時に自己を恥じる。
まずは医療機関として出来る貢献を行いたい。
【感想11】SAKRA HOSPITAL
率直に強烈でしたが、生死を路上でさまよう人を助け、Dignity of Lifeを実現するAuto Rajaの意志の強さに敬服するとともに、我々医療機関としてできる事、個人としてできる事を目一杯考え実行したいと思います。
私は24年前にインドに初めて旅行した際、当時カルカッタのハウラー橋で、何十人も足を切られた上半身のみの子供達がスケートボードに乗って“バクシーシ”とせがんでくる、お金をあげた同じ子供が10秒後にまたやってくる強烈なイメージが頭から離れず、二度とインドには行きたくないと真剣に思っていました。
従い、少し葛藤もありましたが、社命としてこの地に赴任して2年半、今回の訪問でカルカッタのあのシーンが蘇ってきて、訪問前半は正直逃げ出したくもなりましたが、子供たちと遊び、水を飲ませてあげたり、抱っこして“高い高い”をやってあげると、子供たちが人懐っこく、目がキラキラと変わるのを見て、この子たちは本当に人の優しさ・愛情にに飢えているのが分り、また足を運び彼らを抱きしめてあげたい、そういう気持ちに今は変わっています。
我々の親会社直轄の現地法人、関連会社でも日本人がたくさんいますので、話を伝えてみます。アレンジありがとうございました。