南ムンバイの南端、コラバ地区(カフ・パレード)にあるわが家。そのコラバの南の端の端に用事があり、今日は車を走らせた。そこはネイヴィー・ナガールと呼ばれる海軍の地域。
教会が目に留まり、車を降りる。アフガン教会(Afghan Church)。1838年に起こった第一次アフガン戦争の犠牲者を弔うため、英国人が建てたものだという。
ひっそりと静かに。管理人の男性が、ドアを開けてくれた。古くて、地味で、しかし情趣に満ちた空間。そういえば、ゴアの教会もまた、こんな風に古くて、手入れもそこそこに、しかしそれが独特の味わいを漂わせていたのだった。
かつて、軍人たちが訪れていたこの教会も、今や数十名がメンバーに名を連ねるだけだという。
かつては、小銃を抱えた兵士たちが訪れたことから、台に銃を立てかけるためのくぼみが設けられているのだという。壁に掲げられているのは、旗。古い旗。だということはわかるのだが……。
ところで、我が家の車。
新車購入直後から、さほど走っていないにも関わらず、ガソリンがみるみる減っていく。どこかから、ガソリンが漏れているのでは? と思うくらいに。
1リットル12、3キロは走るのではないかと思っていたが、どう計算しても8キロを切っている。おかしい。いったいどういう燃費の悪さだ。
と、遅ればせながら気がついた。渋滞だらけで慢性的にスロースピードによる移動のムンバイにおいては、燃費が自ずと悪くなるのだということに。
米国では、渋滞のほとんどない世界を、すいすいと滑らかに走ってきた。燃費のことなど、あまり気にせずにいた。だから、渋滞の町中を走ることが、これほど燃費に影響するとは、実は知らなかったのだ。
道路のインフラストラクチャーは不備のまま、車ばかりが増え続けて、ガソリンはどんどん消費される。
環境はめまぐるしく汚染され、この先、この国の何億人もの中流層の人たちが車に乗り始めるとき、この国の公害レヴィルはいったいどんなことになるのだろう。
自分も車に乗っておきながらこう言うことを書くのは、実に不本意なことではあるが、しかし危機感を覚えずにはいられない。
自分ひとりが、ただフラフラと移動するためだけに、なんというエネルギーの無駄をしているのだろう。本当ならば、自転車でかっ飛ばせるくらいの距離の移動なのに。
インドに住んでいるからこそ、多分なおさらに、肌身にしみるのだ。
貧しい人と富める人の、一人当たりのエネルギー消費量が、あまりにも、かけ離れすぎている。同じ種の生き物だとは思えないくらいに。
「どなたか、一緒に乗っていきませんか?」と、世間に声をかけたくなってしまう。
今、各国のエネルギー消費量が気になったので、統計を確認してみた。ざっと検索してみたところ、WORLD RESOURCES INSTITUTEのサイトを見つけた。
ここから2005年における各国エネルギー消費量(per capita: 一人当たり)の一覧を見つけることができた。
以下、リストの中から、いくつか気になった国をピックアップして、グラフにしてみた。仕事でもないのに。
見づらいが、急ぎ作ったものを参考までに添付する。クリックすると、拡大図があらわれます。
Energy Consumption: Total energy consumption per capita
Units: Kilograms of oil equivalent (kgoe) per person
数字は、さまざまを物語っていると、この一覧を眺めるだけでも、そう思う。インドをはじめ、発展途上国が先進諸国並みのエネルギー消費量になったとしたら。
もう、語り尽くされている議論だとはいえ、改めて、その重みに思いを馳せる。