日ごとに、日の出の時間が早くなっている。上の写真は午前7時ごろ。ビルディングの上に太陽が顔を出すと、それまで心地よかったはずの海風が、途端に湿気を伴って、漁村の匂いも連れて来て、歩いてはいられなくなる。
30分もたつと、公園はまばゆい朝日に包まれて、いきなり気温が上がるのだ。もっと早起きをして、涼しいうちに、歩かなければ。
ヨガのグループは、エクササイズの終わりに、「声だし」をしている。
みなが四つん這いになり、舌を出して、「うぉぉぉ〜」と変な声を出している。
かと思えば、立ち上がって両手を掲げ、布袋(Dancing Buddha)のポーズで「わっはっはっは!」とお笑いエクササイズを始める。
それを見ているだけで、笑える。
砂場の上で、イヌと一緒にストレッチをしているおじさんがいる。
公園の隅で、頭で逆立ちなど、「極まったヨガ」を黙々と行うラグヴァンのようなおじさんもいる。
夫婦で歩く人、一人で歩く人、ともだち同士でおしゃべりしながら歩く人。いろいろな、人がいる。
●ある夜の風景:換気扇
シャワーを浴びた後、換気扇を入れ忘れてバスルームが湿気だらけにする夫に対し、警告を発する妻。
「換気扇(exhaust fan)、忘れないでよ!」
と言うべきところを、
「疲れきったファン(exhausted fan)、忘れないでよ!」
と言い間違えた。鬼の首を取ったかのように、「え〜、今なんて言った〜? わけわかんな〜い」と突っ込む夫。
「あ〜、もう、わかってるでしょ。ともかく、換気扇、いれといてよ」
「はいはい」
しばらくしてバスルームに赴けば、換気扇は入っておらず、天井の扇風機が回っている。
なにもかもが微妙にずれている、われわれ夫婦の日常の、ひとこまである。
●ある朝の風景:冷蔵庫
「ミホ〜、アイスクリーム、オネガイシマ〜ス!」
と、夫が叫んだのは夕べのことだ。
「冷凍庫に入ってるんだから、自分で好きなもの食べたら? わたしは食べないから」
以前ここでも紹介したジュフのナチュラルアイスクリームは、彼のすっかりお気に入りとなってしまい、数日前、マンゴー、ストロベリー、そしてバタースコッチの3種類を追加購入して来たばかりだった。
そして翌朝。目覚めてキッチンに赴けば、なにか異様な気配。ん? 冷凍庫のドアが、5センチほども開いている! 嫌な予感!
ドアを開ければ、霜はなく、冷気はなく、代わりに内蔵物の表面が水滴に覆われている。うぉ〜。全部溶けてる!
肉類を多めに購入したため、冷凍庫がいっぱいになったので、アイスクリームはドアの部分に縦にして3つ分を並べていたのだが……。
床に視線を落とせば、うわ! アイスクリームが!!
すべてのアイスクリームが、溶けて、流れ出し、冷蔵庫の周囲に、大きなアイスクリームの湖を作り上げているではないか。嗚呼! 夕べアイスクリームを食べた夫は、冷凍庫をきちんと閉めなかったようである。
「ま、まるるぅぅおぉぉぉ〜!」
つい、大声が出る。ちなみにわたしはトラブルの際、夫の名前を呼ばない。ハニー、まるお、などと愛称で呼ぶ。出会って13年ほどたつが、わたしは未だに夫の名前を正確に発音できていないようである。
RとVの存在が原因である。「発音がおかしい!」と突っ込まれるのはいやなので、喧嘩などの際には、敢えて「ハニー」と呼ぶのである。どすの聞いた声で、「ハニー!」。
そんなことはさておき、なんという「不爽やか」な朝の幕開けだろう。彼に悪気があったわけではない、わざとやったわけでもない。わかっているのだが、日頃から、ちょっとした注意力の足らなさによるトラブルを起こしがちなマイハニー。
「あっら〜、アイスクリームも何もかも、溶けちゃった! 仕方ないわね。わたし片付けるから! 気にしないで!」
などという気分にはならんのだ。
「自分で拭いてよね、この床!」
そう言い捨てて、妻は一人で公園にウォーキングに出かけるのだった。しかし、歩きながら、ひとりで片付けさせるのはちょっとかわいそうだったかな、とも思う。
片付けを終えて、やはり公園に来た夫に向かって、「ごめん、悪気があったわけじゃないもんね。ただ今度からは気をつけてよ」と妻は優しく声をかける。
しかしそのやさしさが持続したのは一瞬のこと。ウォーキングを終えて自宅に戻ると……。キッチンの床もべたべたと、ピュアな牛乳でできているアイスクリームだけあり、猛烈な牛乳臭が部屋を満たしているのだ。く、くさい……。
くさいだけならまだしも、冷蔵庫が、冷蔵庫が、動いていない! スイッチは入っているのに、起動していないのだ。息絶えているのだ。停電でもないのに。
冷凍庫を開けっ放しにされて、オーヴァーヒートして、自爆したんだろうか。ああ、この暑い最中に冷蔵庫が働かないなんて。サムスンのサーヴィスセンターは速攻で来てくれるかしら。
朝から無駄な仕事が増えてしまったではないか! 再び燃え上がる妻。荒れるマルハン家。朝、唱えたはずの般若心経など、誓った心の平穏など、なんて儚きものだろう。
いい。もういい。なんとでもなるがいい。
やがてメイドのジャヤが来て、床をきちんと拭き直してくれてほっとする。
そうこうしているうちに、再び冷蔵庫が動き始めた。なんだ、壊れてないんじゃん。しかし紛らわしいな。よくわからんが、動いているなら、ま、いいや。
それでなくてもトラブル多発のインド生活。拍車をかける人もいて気が抜けない、われわれ夫婦の日常の、ひとこまである。
写真左上:公園の、怪しきオブジェ。写真右上:ジョギングのあと、ブランコで揺れる夫。
●食べ物の写真と、ガイドブックにみる日本の独特
食の写真を巡って、読者の方、及び身内からメールが届いた。多くの方が、食べ物の写真を「楽しみにしている」とのことである。
食べ物の写真を見ると「幸せになる」人もあるという。そして食べ物の写真に敏感なのは日本人が多数であるという米国在住の方の意見もあった。
思い返せば、わが社会人駆け出し時代。わたしは旅行のガイドブックを作る編集プロダクションにいた。そのとき、日本のガイドブックやムック、旅のマガジンなどが、いかに写真を多用しているかをつぶさに見て来た。
一方で、海外。欧米の旅行ガイドブックは、写真はほとんどなく、たいていはモノクロで、文字ばかりである。初めて渡米して、アルヴィンドと出会い、旅行先を決めるのにガイドブックをあれこれとめくって、その写真の少なさに戸惑った。
英語が堪能であれば読み込むこともできてなんとかなるだろうが、英文を読むのが面倒なのに加え、写真がないとあって、なんともイメージが捉えにくかった。
日本の人たちは、旅行先を決めるのに、写真を参考にしてイメージを膨らます。そこには、予測できる安心感がある。
一方、欧米人は「行く前に写真を見てしまっては、見たときの感動が薄れる」という感覚もあるようだ。言葉で自分なりのイメージを作り出し、そこにたどりついたときに初めて光景を受け止める。
期待はずれがあるかもしれない、というリスクがある一方で、思いがけないすばらしさに出会えることもある。
わたしは、写真やイラストがたくさん載っているものも好きだが、たとえば日本語版もあるミシュランのグリーンガイドのように、その土地の歴史や地理的背景など、信頼のおける情報が載っているものも好きだ。
ロンリープラネットも日本語版が出ているはずだが、英語版と同じように写真が少ないのだろうか。
ともあれ、旅をするときには、あまり情報を詰め込みすぎず、「思いがけない光景に出会う」のもまた醍醐味である。ガイドブックだけでなく、インターネットでもあふれるほどの情報が入手できる昨今。
情報をうまく取捨選択することは、簡単なことではない。なにもかもがあふれすぎている昨今。「適度に」の見極め方が大切な時代なのかもしれない。