明日深夜の便で、アルヴィンドは香港出張。わたしは明後日の朝、バンガロールへ発つ。昨夜、ロメイシュ・パパはシンガポールへと旅立った。シンガポールには、義継母ウマの一人娘、ナミタとその夫、子どもたちが暮らしているのだ。
ウマは、わたしたちとホーリーを一緒に過ごした直後、一足先にシンガポールに赴いている。
「シンガポールに着いたらすぐ、クルーズでマレーシアに行くんだよ」と、うれしそうに話すロメイシュ・パパ。ペナン島に立ち寄るそうだ。
ペナン島。かれこれ20年前に取材で訪れた。今はずいぶんと様子が変わっていることだろう。あの取材では、シンガポールからマレーシアのあちこちを旅したが、特に心に残ったはマラッカだった。
欧州列強(ポルトガル、オランダ、英国)に、そして大日本帝国に占領された歴史を残す、小さいながらも独特の香りを漂わせた街だった。
思えばマラッカの、インド人が経営する食堂で、チャイを飲んだ。チャイを大きく引きのばしながらグラスに注ぐ、その「芸当」を目の当たりにしたのは、あのときが初めてだった。
スジャータはロメイシュ・パパとデリーでしばらく過ごした後、おとといバンガロールに戻って来た。米国出張に出ていたラグヴァンは、昨日、戻って来た。
みんながぐるぐると、あちらこちらを飛び回っている。皆が動いていると思うと、不思議と安心する。
会える時に、会っておきたいから、日曜日、空港から自宅に戻る途中、スジャータ&ラグヴァン宅に立ち寄って、一緒にランチをとることにした。
●結構本気なタイ式フットマッサージをムンバイにて。
午後の外出時、マハラクシュミ地区にあるAROMA THAI FOOT SPAへ赴く。コーヒーモーニングで顔見知りになった米国人女性から勧められていたのだ。
ドアを開ければ、アロマオイルのとてもよい香り。薄暗い店内は、ドアを一枚隔てての喧噪とは別世界だ。ペディキュアをしてもらおうと訪れたのだが、結局フットマッサージとフェイシャルを勧められて、そっちを試すことに。
リクライニングシートに座っての、顔足同時進行。両サイドのシートには、男性(インド人、欧米人)がトリートメントを受けている。
インド人の大柄なおじさんが、フェイシャルをしてもらいながらすやすやと寝ている様子が、違和感たっぷりでかわいらしい。
しかしおっさんが二人が間近では、リラックスできないかもなと思ったが、あっという間に寝入ってしまった。
フットマッサージは木の棒を使ってぐいぐいとツボを押す本格的なもの。若干「痛い!」ポイントがいくつかあったが、いつしか寝ていたので、全体的にどうだったのか、わからない。
フェイシャルも、気持ちよかったが、何が起こったのか、わからない。
トリートメントのあとは、足取りが軽やかになった気がするし、顔もこざっぱりしたような気がする。ペディキュアはどうするのだという話だが、ともあれ、なかなかによいスパである。
ただ、難を言えば店内に階段が多過ぎ。トリートメントのあとは、たいていぼーっとしているものだから、階段は辛い。ムンバイの不動産事情を反映する店舗構造であった。
●食の話題について。好きに書こう。
本日、夕飯のメインは、一昨日HYPERCITYで購入した骨付きマトン(ヤギ肉ヴァージョン)。肉質がよかったので、あれこれと味付けせず、おなじみオリーヴ油と天然塩とコショウだけであっさりマリネ。
これをこんがりフライパンで焼けばもう、柔らかな肉質と適度な脂身とで、おいしいったらありゃしない。ニュージーランド産のラムチョップ(高価!)に勝るとも劣らぬ美味な仕上がりであった。
近所の肉屋に、こんなマトンが売っていればいいのだが、まだ開拓できていない。クロフォードマーケットまで赴くのが一番かもしれぬ。
ところで食べ物の話題についてだが、「頻繁に書いてほしい」とのリクエストを多々、いただいた。従っては、つべこべ言わずに書きたいときに書くことにした。
●イスラエルの、淡々と、心にしみる映画。
はずれが続いていた週末映画事情。今日は久しぶりに「あたり」のDVDをレンタルできた。イスラエルの映画、"THE BAND'S VISIT"がそれだ。
孤独がほとばしる寂寥感。の中の、小さな灯火(ともしび)。国家間の軋轢と、超個人の抱える痛み。抱え込み、ぎりぎりの心で、生きている人々。触れれば溢れる表面張力の水のような。
ときに滑稽な悲哀。
風景を絵画のように切り取るシンプルなカメラワークがとてもよかった。その技法を専門用語でなんと呼ぶのかは知らないが、ジム・ジャームッシュの映画を彷彿とさせる。
個人的には、映像が忙しく動く映画があまり好きではないので(三半規管が弱いため、頭痛がする)、特にそのカメラワークが好ましく思える。
ゆっくりと落ち着いて、ストーリーに、光景に、描写に注意を払えるのもよい。サブタイトル(字幕)を読むのにも好適である。
ちなみに邦題は、迷子の警察音楽隊。うううぅぅむ。
●美味。水牛のミルクで作られるクルフィ
映画を見ながら、いちごとクルフィのデザート。クルフィとはインドのアイスクリーム。
昨日の「アイスクリームの湖事件」がトラウマになってしまわないように、と書いていながら意味がよくわからんが、ともあれ気を取り直して、ハニーの好物であるクルフィを買って来たのだった。
毎度おなじみ、各種乳製品が新鮮で非常においしいパルシー・デイリー(PARSI DAIRY)のクルフィ。
紙に包まれた円盤状の、素朴なアイスクリームだ。
夫が好きなピスタチオ風味を買った。
水牛のミルクで作られたアイスクリーム。
濃厚で、本当においしい。
ちなみにインドでは、水牛の乳製品が多い。
しかし、インド在住日本人の多くは「臭い」「濃い」「脂肪分が多い」と敬遠している。
それこそが、濃厚で風味豊かでおいしいのに。
翻ってイタリアの水牛のモツァレラチーズなどに関しては「濃厚で美味!」と評価する人が多い。高級品扱いである。
同じ水牛でも、イタリアものとインドものでは、著しく反応が異なる。このようなことを書き始めるとまた尽きないので、この辺にしておこう。
●新月の夜。切って貼って書いて、願いを視覚化する。
数日前、このサイトの読者から、リンクを張ってくださったとのメールが届いた。彼女のブログを訪れたところ、興味深い記事が掲載されていた。
わたしは知らなかったのだが、ジャン・スピラーという人の著書、『魂の願い:新月のソウルメイキング』に、新月の夜の願いは叶うのだといったことが記されているらしい。
それに因んだ、「春分お宝マップ(コラージュ)」の説明が記されていた。新月の夜、白い大きな紙に、雑誌などから素材を切り抜いて、「自分が望むもの」にあふれた世界を作るというものだ。
検索してみたところ、かなり人気のある書籍のようである。ドリームマップ、とも表現されている。
自分の願いを文字にすることはあっても、視覚化する機会は少ない。なんだか面白そうなので、映画を見終えた後、夫と一緒に作ってみることにした。
A4サイズの紙を4枚くっつけて、大判の台紙を作る。雑誌は仕事の情報集めで大量に購入しているので、それらをかき集める。
しかし、雑誌をめくっても、自分の理想や夢に合致する写真というのはなかなかない。適当に妥協しつつ、「これ、いいかも」という写真を切り取っていく。
写真選びの過程で、自分の物欲のレヴェルや、望むものの対象が、見えてくるのがおもしろい。
特に欲しいとは思っていないけれど、でも姿の美しい高級腕時計の写真なども貼り付ける。どうしよう。思いがけず、誰かにプレゼントされたら。
「子どものころを思い出すね」
と言いながら、二人とも、すっかり夢中になる。
一番面白かったのは、自分の顔をモデルと張り替えるという遊び。これはわたしのアイデアだ。身分証明の写真が山ほどあるので、それら切り抜いて、気に入ったモデルの写真の上に貼り付けることにしたのだ。
わたしは、ブータンを旅するファッションモデルの写真を使った。曼荼羅を背景に立つ女性。モデルには申し訳ないが、ちょうどいい具合におさまった。
アルヴィンドはといえば、乗馬をする男性。これもまた、かなりぴったりと自然におさまっている。二人で見せ合いながら大喜びである。
女性誌が多いせいか、夫は素材探しに難航していたが、しかしとても楽しそうに、切り貼りしている。
大きなブドウとワインの写真。以前、ナパをドライヴしたとき、ブドウ畑でこっそりと食べた、そのブドウの味が忘れられなくて、ブドウの写真らしい。
そこから広がる、田園風景、ワイン、おいしい料理、のどかの風景………。一枚の写真をきっかけに、世界はどんどん広がっていく。
深夜を過ぎてわたしは睡魔に襲われながらも、あれこれを切り取り、写真では補えない願いは、隙間に文字で埋めていく。
心に浮かぶ願いを、次々に言葉に。
この作業はまた、眠たかったからこそ、潜在意識の声が右腕に伝わったようで、まるで自動筆記のような塩梅で書き連ねた。いろいろな色のペンを使って。
願い、というよりは、こうありたいという「生きる姿勢」のようなもの。
とても楽しい、ひとときだった。