ムンバイ在住外国人女性のグループ、Mumbai Connextionのコーヒーモーニング。今日は我が家からさほど遠くはないブリーチキャンディ・クラブ内で写真に関するレクチャーがあるというので赴いた。
たとえ何年住んでいたとしても、それがすでにカメラを向けたことのある被写体だったとしても、改めて撮らずにはいられないような、心に響く光景。
自分の視点と共通したもの、あるいは全く異なるもの、いくつかの写真を見ることで刺激を受けた。
会合の終わり、ケンプスコーナーのあたりでショッピングをした。
そして帰宅する前に、ランチをとるためIndigo Deliへ立ち寄ることにした。
このペラペラなピザを、ときどき無性に食べたくなる。
ものすごくおいしいのか、と言われると返事に窮するのだが、ともあれ「胃袋の琴線に触れる味」なのだ。
ランチを終えて、コラバ・コーズウェイ(商店街)を歩いていたら、いつものように物売りに紛れて物乞いが集まってくる。
「見せ物」としてのサルを連れている女性は、初めて遭遇した4年前以来、変わらずの様子だ。
4年前、初めてのムンバイで、彼女と出会ったときのわたしは、「自分たちで買い物をすることができない」という事実に、驚かされた。
米を乞う人々の存在。(←文字をクリック)
動揺するに違いない旅行者を標的に、物乞い攻勢をかけてくる人々。
読み返してみるに、インド慣れしていない自分の、対応に戸惑った心情が蘇ってくる。
今日もまたあのときのように、赤ん坊を抱えた7歳くらいの女の子が、わたしの腕をつかんだ。少女にされるがまま、ジャスミンの花を手首に巻いてもらう。
彼女が「お金はいらない」というのは、わかっていた。少し面倒ではあるが、彼女が導く店に足を運び、彼女が店主に頼んで出してもらった、赤ちゃんのための粉ミルクを買った。
200ルピー。物乞いに渡すには、大きすぎる金額。普段は、車に積んでいるビスケット(1個10ルピー程度)を渡す程度だが、しかしいつものことではないのだから、と思い直す。
店主曰く、ひと缶で、1カ月分の粉ミルクだとのこと。
彼女の赤ん坊が多分「レンタル赤ちゃん」であることは、わかっている。ひょっとすると店主とグルになっているのかもしれない。裏でマフィアが操っているかもしれない。
『スラムドッグ・ミリオネア』のような背景は、多かれ少なかれ現実だ。
しかし、自分の目の前に、薄汚れた裸足の少女が、赤ん坊を抱えて、明らかにお腹をすかせていて、学校にも行けず、物乞いをしているという事実は、事実である。
子どもには、お金は渡さない方がいい、ということは、アガペ・チルドレンセンターのルーベン牧師に言われて、それは守っている。
だから、すぐに口にできる食べ物を渡そうと思う。そのミルクも、願わくばすぐに、赤ん坊の口に入ってほしい。
「きりがない」
わけではない。確かに貧しい子供たちは、数えきれないほど存在する。しかしわたしの袖をひっぱる子どもは、何人もいるわけではない。
今日だって、わたしに声をかけてきた少女は、一人だけだった。誰にも遭遇しない日もある。このごろは、路上で物乞いをする子どもたちに出会わないから、車のビスケットもまだたくさん残っている。
きりがないわけではないのだから、たとえ焼け石に水でもよいと思う。
何が正しいとか正しくないとかを考えすぎる前に、その目の前の飢えた子どものお腹を満たすために。